Chapter2:Dreams and reality

22 家族ごっこ


 地に足裏をつける。掠れた質感はない。生き物が歩きやすいように、加工の施された床面。その上を歩く。人の子のように、二足歩行で。私が進めと命じれば、この身体は動く。待つだけであった、あの頃とは違って。
 一室を見渡す。壁、椅子、机、棚、天井。そのどれもが、人の子の営みに寄り添うため、姿を変えた我が同腹。聞こえぬ鼓動を、私は感じる。
 肉という宮殿に魂を住まわせる、小さくあえかな者たちよ。私たちはどのような形になろうと、貴方たちを慈しみ愛する。母なる大地は、いつ何時も貴方たちを見捨てない。偉大なる母から産まれた私たちも、同じように。
 面を下げ、椅子を引く。机にはそれぞれ、二、二、一と分かれて、五人分のウッドチェアが並べられている。長方形のうち短辺の位置を、私は選んだ。詰めれば座れると、彼らは提案したけれど。この席は、皆の顔を一目で確認できる。それは私に最も適した場所だった。
 時計の針は、夕刻を指す。皆は各々の時間を過ごしている。此処に居座る者は、私以外にいない。
 机の上に、重なった両手が乗る。纏った衣服と見間違うほど白く、弱々しい。だけれど、私と手を合わせた皆が「大きい」「ずるい」と口を揃えた。このように華奢な作りが羨まれるというのなら、この世に守れぬものなどない。
 手の甲を撫でる。生えた指をなぞる。指先を、手のひらで包む。親指のみが入り切らずに、はみ出している。無心に、眺めた。その指が、小さな指に握られるまでは。

「よっ」

 幼顔がこちらを覗く。丁寧に巻かれた赤髪が、重みを持って傾いた。

「……ルパロセラ」
「さては元気がないな、クエルン」

 身軽な素振りで椅子に身を預けると、彼女が肩を竦める。呆れたような言い種ではない。彼女は表情が変化しにくい分、動作を強調して感情を伝える。私も見習うべき行いだった。成功した試しはない。

「別に元気じゃなくてもいいけどな。自分がい〜っぱい分けてやるよ。この通り、元気が有り余ってるもんで」

 自慢げに語る彼女が、私の親指を繰り返し握る。

「どうだ、力強いだろ。ムキムキなパワーが溢れてるだろ」
「……? いえ、脆弱極まりないですが」
「うっそだろ」

 彼女は口をぽっかりと開けて、自身の手を見つめた。「ちょっと、いや結構ショック……」と小声で呟くと、力が抜けていくよう机に伏していく。どのような要因で意気消沈したのか、私には分かりかねた。繋がれたままの指先に視野を投げる。彼女の丸い指は、僅かに震えていた。

「冗談だよ」

 顔を横に向けて、私を仰ぐ彼女が密やかに笑む。机に密着した頬が、厚みを訴えかけるように段を形成している。
 私からすれば、この子は年端も行かない子供だった。だけれど、彼女からすれば、もう随分と人生を謳歌しているのだろう。彼女は他の三人よりも﨟長けている。そのことを、私だけが知っていた。

「これが馬鹿げた家族ごっこだとしても、自分はみんなのことを本物の家族と同じくらい大事に思ってるんだ。クエルンもそうだろ?」

 彼女が尋ねる。既に理解している回答だとしても、私が言葉にすることに価値があった。

「はい」

 首肯する。彼女は柔らかに眉を下げた。

「二人もだろー? そろそろこっちに来たらどうだ」

 指を離すと、鼻歌を口遊むような心地で、彼女が呼びかける。すると、また人影が増えた。

「一人で抱え込むだなんて、きみにもいじらしいところがあるのね?」
「おじさんさぁ、労わってほしかったならちゃんと言えよ」

 階段から降りてきたペレンニスと、棚の中に隠れていたラセルティリアがやってくる。二人は大袈裟に、けれども自然な振る舞いで、己の椅子に腰をかけた。

「皆……」

 すっかり賑やかになった空間に瞠目する。したつもり、だけれど。伝わっているのかは、分からない。
 私たちに、表情や会話というコミュニケーションは、不要のはずだった。自由な動作が思いのままとなった今だって、無駄な行動を排除していくことに何の支障もない。私たちと人の子では、心の通わせ方がまるで異なる。容儀を真似る必要があっただけで、中身まで演じなくともよい。
 しかし、此処にいる私は、クエルクスという名を名乗った人間だった。
 無益な言動を幾重にも重ねて、骨を細らせ、肉を腐らせ、やがて我々の元に還ってくる人の子。そんな彼らの健気さや魂の貴さを、私たちはこよなく愛した。

「申し訳ございません。貴方たちには、関係のないことなのに」

 首を垂れて、謝罪を告げる。
 私の元を訪れたあの子たちも、このような想いを胸にして、願いを口にしていた。あぁ、愛しい子。次元のかけ離れた私たちは、対等に隣り合うことはできない。貴方たちの気持ちに、屈んで目を凝らすこともできない。私はただ、其処にいるだけの存在だった。
 だけれど、今だけ。この私が、貴方たちの清らかな魂を模倣することを、どうか、どうかお許しください。

「おじ……いや、クエルクス……」

 大人しい足音の振動が、机に固定された両手へ直に響く。ラセルティリア。彼がこちらに近寄っている。私は面を起こさぬままだった。ぐいっと、頬を持ち上げられるまでは。

「バーーーカ!! 冷笑されたいのか!? はっいいよしてやるよ冷笑!! ボクの生き甲斐だからな!!」
「あら、ずるい。ぼくだって得意よ? きみを泣かせてあげたって構わないのだわ。嬉しいでしょう?」
「えーおーい、感動シーンはどこいった? あと今だけちくちく言葉やめれるか?」

 ラセルティリアの渋面が視界を支配していた。大きな眼は、重圧をかけられるように潰れて、ひらりと儚く潤む。彼は悔しそうに唇を結ぶと、勢いよく私に抱きついた。

「ボクたちはアンタが正しいと思ったからついてきたんだ。勝手に認識歪めんなよ。ついに思考力も低下したのか? ちゃんとしろよウザすぎ」

 流暢な話し振りは相変わらずだけれど、その声は臆病に震えている。私は急いで、彼を抱きしめ返した。後頭部を撫で、背を叩く。鼻を啜る音に連れられて、肩が上がっては下がる。苦しそうな呼吸の押し合いに、ありもしない心臓が締め付けられるようだった。何度も、彼を包む。彼も、私を離さなかった。

「やれやれ。まぁ言い方に棘はあるが、間違ってはいないぞ。自分もぺぺちゃんも同意見だ」

 ルパロセラの発言に、ペレンニスは嫋やかな笑顔で返答を済ませる。向かいに座る彼女を一瞥したのち、ルパロセラは少々前のめりとなって、私に首を傾げた。

「何があったか、話してくれるか?」

 間隔は空いてしまったけれど、私は頷く。ほっとした様子で、ルパロセラは「ありがとう」と感謝を述べる。そこから彼女が口を開くことはなくなり、私を緩やかに待つだけだった。ペレンニスも同様、両手に顎を乗せて私を熟視している。気がつけば、ラセルティリアも私を見上げていた。幼気な顔つきが愛おしくて、ひっそりと雫を拭う。
 頭を上げる。続いて、一度目を瞑って、そして、静かに開くことを決意した。

「あの子が、歌を歌って、血を吐いたと」

 一瞬のうちにして、場が凍りつく。誰もの顔色が、まっさらに上書きされていた。そこに描かれるのは、驚倒、動揺、戦慄、絶望。竦み上がった彼らの色を、塗り替えてあげたい。その一心だった。だけれど恐らく、私も似たような面持ちを、あのときあの子に与えてしまった。

「私が彼女を見つける前の出来事でした。今は、問題ありません。何も……知らなかったのでしょう」

 そう。知っているはずかない。だからこそ、過敏な反応を取るべきではなかった。吐き出しかけた息を、ぎゅっと飲み込む。

「……最近、ね。シーアが時々、苦しそうにしているの」

 まだ怯えに取り憑かれたままの、ペレンニスが囁く。

「あの表情、彼にそっくりよ」

 彼――それは、あの青年のこと。温情のこもったあの子の心臓を奪い、残酷な真紅に染め上げ、惨烈な悲劇へと陥れた、あの青年。美しいあの子と、穢らわしい彼がそっくり、だなんて。
 私はペレンニスの発言を、危うく疎みかけた。しかし彼女の声色は、無知な子供が不可思議に煩うようだった。疑問を絞り出すことで精一杯だったのか、彼女は顔を両手で覆うと、茎が折れるように項垂れてしまう。そんな少女の頭を、ルパロセラは優しく摩る。

「ボクもみんなに聞いてほしいことがある」

 ラセルティリアが話を切り出す。彼は体を後ろに回して、私の膝の上に身を委ねた。

「昨日の夜、うるさい足音がしたんだ。こんな夜中に常識知らずなヤツがいて腹が立ったから、文句でも投げてやろうって追いかけた。そしたら玄関で、サナちゃんとシェイヴィが話してるのを見かけたよ」

 シェイヴィ。この偽りの花園の創始者。白薔薇の青年。あの子に、わざわざ会いに行くだなんて。彼は此処に閉じこもる者たちと、余計な接触はしないというのに。

「あの子とシェイヴィには、何らかの関わりがあるということですか」
「分からない。だから追い払わずに、隠れて二人の会話を聞くことにした」

 「怒るなよ」と言い捨てながら、ラセルティリアは腕を組む。あの子をシェイヴィから引き剥がさなかったことについて、私が憤慨する可能性を考慮したのだろう。
 たしかに、シェイヴィがどんな行為を始めるかは予測がつかない。だけれど、考え無しに割り込むよりも、息を潜めて状況を見極める。そちらを選択したこの子は、非常に勇敢で賢明な子だった。狡猾さも使い方を誤らなければ、問題はない。むしろ立派とも言える。
 私は淡々とした少年の旋毛を、しっかりと撫でた。調子のいい野卑な言葉は、彼から飛び出さない。ラセルティリアは話題を更に広げた。

「途中からの様子しか見てないから、全部を知れたわけじゃない。でも、ボクが引っかかったのはシェイヴィの言ってたことだ。明日の夜……つまりは今晩。アイツはサナちゃんの喜ぶものを、あの扉の先に用意してるらしい」
「意味深な言い方だな」
「シーアの喜ぶものってなぁに?」

 三人は懊悩する。私は一歩引いたところから、脳裏を巡らせた。
 全ての望みが叶う、ホワイトガーデン。その力は、私たちの容姿が立証している。そんな夢のような箱庭にいながら、シェイヴィがあの子に喜びを授ける理由とは。あの子を幸福にするのは、私たちの役目。赤の他人である青年が、手を差し伸べる理由などないというのに。
 友好を示したいから? いえ、あの青年は生まれた瞬間から孤独を悟っている。他者の幸せを望みはするが、直接的な干渉は好まない。それゆえ、太陽光を受け付けぬフラワーアーチから動かずに、自ら生み出した世界を一人で俯瞰している。
 しかし彼は、手段を選ばない。己の非行に罪悪も覚えない。もしあの子に喜んでほしいと思ったのなら、それも嘘ではない。シェイヴィは、厄介な純朴さを輝かせる青年だった。その純朴な想いが、善良だとは断定できない。
 ――何か裏がある。必ず。

「あの子は、この家で過ごすだけでよいはずです。ですが彼は、それ以上の何かを与えようとしている」

 この私に、許可もなく。

蜥蜴ラセルティリア。今宵も彼女の後をつけなさい。異常を察知した場合は、素早く私に知らせること。よろしいですね」
「了解だ」
ルパロセラ 雛菊ベリス・ペレンニスは、此処で普段通り、あの子をお待ちなさい」
「承った」
「えぇ、分かったわ」

 私の命に、皆が首を縦に振る。迷いのない肯定が、心強いばかりだった。

クエルクスは?」
「シェイヴィの元へ赴きます。彼も、悠長にしている時間はないはずでしょう」

 振り返ったラセルティリアにそう答える。私の返事を聞くと、ペレンニスは寒気に襲われたように、自身の細長い両腕へしがみつく。

「まぁ、まさかお説教をするつもり? ぼく、大きな音は苦手よ。ゴロゴロは嫌なのだわ」
「善処しましょう。ですが、あの者は貴方たちと同様、まだ幼い。この箱庭を司るなど、私にとっては造作もない……ということは、教えてあげなければなりません」

 納得はしているようで、彼女は不安げに瞳を開閉するだけだった。万が一のことがあったとしても、甘えたがりなペレンニスのそばにはルパロセラがいる。心配はいらない。
 私は再度ラセルティリアを抱擁すると、小柄な体を椅子から下ろす。それから席を立ち、すぐさまシェイヴィのところへと向かおうとした。

「なぁ、クエルクス」

 背後から、ルパロセラが私の名を呼んだ。見返って、彼女と目を合わせる。

「一度でもいいから、サナシアって呼んでやったらどうだ。今のあの子は、この名前を名乗っているわけだし」

 私の袖を引きながら、彼女が言う。
 撫子色の髪を選び、暁色の瞳を宿した、可憐な少女。彼女という存在を証明する色合いは、麗らかであたたかな春を思わせる。ブローチに飾られた花も、ヒヤシンスの香るようなリボンも、ひらりと靡く真紅色のスカートも。全て、あの子が望んだもの。
 ならば、私は受け止めるだけ。どんな禁忌だったとしても、彼女の願いを叶える。小さなあの子をこの手で包んだあの瞬間、私は己に固く誓った。

 だけれど。

「その忌々しい名が、あの子の名だとでも?」

 私は断じて、認めない。彼女が自ら名乗ったのだとしても、私は見て見ぬふりをする。皆があの子をそう呼んだとしても、私はその文字列が確立する前に消失させる。誅殺して、この世から葬る。確実に、永久に。

「すまん。その通りだ」

 ぱっと手を離した彼女は、申し訳ないというふうに、両の手を胸元付近で振った。俯く彼女の頭を撫でつけたのち、私は踵を返す。扉の取手を掴もうとしたけれど、腕を下ろした。

「では皆さん、任せましたよ」

 皆に背を向けたまま、私は静々と室内から姿を消した。
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