猫と言えども

 にゃー、にゃーと、どこからか少し切なげな鳴き声がする。
 城下での用事を済ませ城へと戻るところだったマイクロトフは、思わず辺りを見回して声の主を捜した。少しの間耳を澄ませ、おおよその方角に目星を付けると、彼は鳴き声が聞こえるほうへ歩き出す。
 鳴き声を発していたのは予想していたとおりただの猫だったが、その猫は路地の隅にうずくまり、マイクロトフの顔を見てもなおにゃー、にゃーと鳴いた。だがその毛並みはボロボロで、よく見れば体のそこかしこから出血している。
「……怪我をしているのか。大丈夫だ、今助けてやるからな」
 一度見てしまった以上、放っておくわけにはいかない。とはいえ手持ちの特効薬はなかなかの高級品であり、野良猫相手にそう気軽には使えない。ならば道具屋におくすりを買いに行くかと思い立ち、マイクロトフは「少し待っていろ」と言い聞かせていったんその場から離れた。この街特有の坂や階段をものともせずに上り下りすると早足で道具屋へと向かい、おくすりを購入してから再び野良猫の待つ場所へと戻る。
「よし、これを飲むんだ……と言いたいところだが、困ったな。どう飲ませようか」
 少し考えた末にマイクロトフは白手袋を外すと、自身の大きな手のひらにおくすりの中身を空けた。その手をそっと差し出すと負傷した野良猫はおずおずと近付いてきて、少し匂いを嗅いだ後にマイクロトフの手のひらをぺろぺろと舐め始める。
「いい子だ。少しずつ傷も塞がってきているな」
 みるみるうちに傷が塞がって行き、目の前の野良猫は、目に見えて元気になっていった。しかし乱れた毛並みまでは直してやれないので、その辺りのことは猫好きの住民に頼むしかないだろう。
「よく知らせてくれたな。何があったのかは知らないが、これからも命は大事にするんだぞ」
 そう言って口元を綻ばせたマイクロトフは、野良猫の頭を撫でようと手を伸ばした。が、何が気に入らなかったのか野良猫は自身に伸ばされた手に強烈な一撃を食らわせ、シャー! と毛を逆立てて恩人であるはずの男を威嚇する。
「痛っ……! よりにもよって爪を立てたな? 助けておいてそれはないだろう……!」
 見れば白手袋を外したままだったマイクロトフの手の甲には痛々しい引っ搔き傷がついていて、うっすらと血が滲んでいる。急遽買ったおくすりは、野良猫に全て使ってしまった。当然、このような怪我に手持ちの特効薬を使うわけにはいかない。きっと、おのれの猫に対するマナーがなっていなかったのだろう。そう思うしかない。
「……かと言って、もう一度あの道具屋へ行くのもな……仕方がない、いつものようにカミューを頼るか」
 何かと準備のいい親友の顔を思い浮かべ、立ち上がったマイクロトフは呑気にあくびをしている野良猫をやや恨めしそうに見下ろしてから、城へ戻るべくその場を後にした。

 「負傷していた猫に薬をやって撫でようとしたら引っ掻かれた」。そう言って部屋を訪ねてきたマイクロトフに、カミューは笑いとも呆れともつかない、なんとも微妙な反応をした。それからすぐにマイクロトフの負傷した手を見て、「これはきっと、いきなり触れてこようとした無粋な男に対するレディの怒りだな」と口にする。
「何を言う。あの猫がオスだったかメスだったかまでは見ていないぞ」
「お前のことだから、なんとなくそんな気がしただけさ。たかが猫だと侮ったんだろう。――おくすりならあるぞ。主にお前のために置いてあるものがな」
「……すまない」
 青騎士団長となった今でも、マイクロトフは血の気の多い男だ。さすがに昔のように騎士同士でのいさかいで怪我を負ってくることは無くなったが、戦場に出た時などは、負傷して帰ってくることが多い。そんな友人のためにカミューは昔からの癖で、常に自室におくすりや特効薬を余分に常備しているのだ。
「それにしても……派手にやられたな。これが人間の女性だったなら、頬にくっきりと手の跡がついていただろう。そんなお前を見るのも面白そうではあるが」
「茶化すな。俺は人間の女性にむやみやたらに触れたり頭を撫でたりしようなどとは、絶対に思わない。本来ならば、お前の言う『騎士の挨拶』の手の甲への接吻もどうかと思うくらいだからな」
「はは、お前らしいな。……うん、傷は綺麗に消えたな。いくら男の武骨な手とはいえ、不名誉な傷が増えるのは面白くはない。これからは気を付けるんだぞ」
「ああ、いつも助かっている。……あの猫、お前が相手だったらどう出ていただろうな」
 マイクロトフの言葉にカミューは「私は猫に引っ掻かれたことなどないんだがな?」と笑い、このまま茶でも楽しんで行くか? とのカミューからの誘いに、マイクロトフは即座に応じることにしたのだった。
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