恋愛成就のおまじない

 幼い子供が地面に座り込み、大声を上げて泣いている。その膝にはうっすらと血が滲んでいて、どうやら転んで擦りむいてしまったようだ。
 すぐさま横の階段から母親らしき女性が駆け下りてきて、子供のそばにしゃがみ込んだ。女性は膝の傷口に触れないよう、その周辺をそっと撫でながら言う――「痛いの痛いの、飛んでいけ」と。
 そのおかげか子供はなんとか泣き止んだものの、女性は迷わず子供を抱き上げて去って行った。それを遠くから見ていた青騎士は、自身の子供時代を思い出して懐かしい気持ちになった。

「――と、いうことがあったんだ。俺も小さい頃、母さんによくやってもらったなって懐かしくなったよ。本当に痛くなくなるわけではないんだが、アレを言われたらもう大丈夫! 痛いのどこかに飛んでった! って言いたくなるんだよな」
 城下の見回りから帰ってきた青騎士の言葉に、別の青騎士たちもわいわいと乗る。
「で、『飛んでいけ』の先にいた大人が空気を読んで痛がってくれるまでがセットだろ?」
「たまに跳ね返してくる奴もいるよな」
「なんだそれ、大人げないな。そう言ってるお前がやったんじゃないのか?」
「失礼な。俺はその場に倒れ込むほどの迫真の演技をして、親子に引かれたことがあるくらいだぞ。あの時の空気は、今でも忘れられないね」
「何やってるんだよお前」
 どっと笑いが起こった後、ふと一人の青騎士が真顔に戻って続ける。
「こういういわゆる〝おまじない〟と言われる類のものって、他にもあるよな? 有名なところだと相合傘とか、四つ葉のクローバーとか」
「相合傘なら、俺と今の彼女でやったことがあるぞ。彼女とは無事成就したから、ぜひ団長たちにも……」
「団長たちがやるわけないだろう。やってみたらどうですか? なんて言えないし、そもそもそういうことを好む年頃の乙女じゃあるまいし」
「それもそうだな。特にうちの団長は『そのような子供の遊びなどに……』くらいはおっしゃいそうだ」
「いっそ一度試されてみたらいいのにな。明らかにお互いに好き合っていらっしゃるのに、見ているこっちがもどかしくて仕方がないよ」
 はあ~、と一斉に溜め息を吐いた青騎士たちだったが、若い盛りの彼らは、ほどなくして次の話題へと移っていった。

「ふむ……かの有名な相合傘のまじない、か。試してみてもいいかもしれないな」
 中庭での青騎士たちの会話は、風に乗って赤騎士団の団長であるカミューの部屋にもしっかり届いていた。もちろん知ってはいるが、実行したことはない。それを行いたいと思う相手に、今まで出会ったことがなかったからだ。
 だが、一番の親友――青騎士団長マイクロトフは、カミューにとって特別な存在だった。マイクロトフのほうもおのれを親友以上の存在として見てくれていると気付いてはいるが、「恋人」となると訳が違う。自身は初めの頃こそ戸惑ったものの今となってはある程度吹っ切れたが、奥手で堅物のマイクロトフは、きっとそうはいかない。何よりカミューはマイクロトフの真っ直ぐさと力強さに惚れているので、このまま前だけを見ていてほしい、恋にうつつを抜かしてほしくないという思いがあるのだ。実に厄介な感情である。
 それでも、本音を言えば。彼の隣に立つのは、常に自分でありたい。同じ場所で、同じ景色が見たい。これから先も、ずっと――だからカミューは、古くから伝わる「まじない」を試してみることにした。さすがに四つ葉のクローバーが描かれた紙や色とりどりのペンは無いが、まずはハートマークのついた相合傘を、一筆書きで描いた。それから傘の右側に自らの名を、左側にマイクロトフの名を書き、小さく畳んでふところに忍ばせる。
「……こんなことならカマロにいた時に、もっと強力そうなまじないを聞いておくべきだったな。私には縁がないものだと思い込んでいたものだから」
 他人を、しかも同性をここまで好きになったことは無い。まるで「年頃の乙女」のようなことをしてしまった己に自嘲気味に笑っていると、「カミュー、俺だ。今いているか?」と扉の外から声がして、カミューの心臓はどきりと跳ね上がった。

 声の主は今まさにカミューが思い描いていた男、マイクロトフで、彼はカミューの許可を得てから部屋へと入ってきた。マイクロトフは何枚もの書類を手にしていて、仕事の相談に来たのだと分かる。
「突然すまない、カミュー。どうしてもお前に相談したいことがあってだな」
「突然なのはいつものことじゃないか。まあ、まずは座れ。……それで? 私に相談とは?」
「ああ。この紙に書かれている件なんだが……」
 テーブルを挟んで向かい合い、二人は赤・青騎士団長として、しばし真面目な話をする。書面を見てから「なるほど、これは確かに私の得意分野だな」とカミューは納得し、先程までの浮かれた様子を全く感じさせない冷静さでマイクロトフに助言をした。マイクロトフもカミューの助言に真剣に耳を傾け、何度も頷いている。
「やはり相談に来て正解だった。俺一人でも決められなくはなかったんだが、柔軟な発想を持つお前ならば、もっといい案を出してくれるだろうという期待があったんだ。――よし、おかげでこの件は片付いた。何か礼をしたいんだが、何がいい?」
 マイクロトフの言葉に、カミューは「えっ」と出かかった声を必死に抑えた。だが表情までは取り繕うことができず、目を瞬かせているカミューを見て、マイクロトフも目を丸くする。
「? どうしたんだ、カミュー? 俺は、何かおかしなことを言ったか……?」
「いや……特別に礼をされるようなことを言ったりやったりしたわけではないから、少し驚いただけだ。……何でもいいのか?」
 すっと目を細めたカミューを見てマイクロトフは途端にたじろぎ、「むろん限度はあるぞ」と慌てて付け足した。いっそNG例を聞き出したいくらいだったが、カミューは少し考えてから、たった今思いついた要望を口にする。
「そうだな……今夜、例の丘で、満天の星を眺めたい」
「……夜に、あの丘へ? さすがにそれは……」
「馬は人間よりも夜目が利く上に、周囲の状況を素早く捉えることもできる。だからきっと、我々の心強いパートナーになってくれるはずだ。それに……あの丘の上にいれば、邪魔が入る心配はないからな」
 カミューの甘く誘うような囁きに、今度はマイクロトフの心臓が跳ね上がる。そんなことを言われたら、変に意識してしまうではないか。唇を引き結びうっすらと頬を染めているマイクロトフの反応に、カミューの頬もほんのりと染まった。

 無数の星々が空を彩り出した頃に、カミューとマイクロトフは、幾度となく訪れている気に入りの丘へとやってきた。自分たちが不在の間のあれこれはそれぞれの副長に任せ、木に愛馬たちを繋いだ二人は、並んで空を見上げる。
「……やはり、ひらけた場所で見る星空は格別だな。故郷で見ていた空を思い出す……」
「ああ、一段と美しいな。お前が見たいと言った理由が分かった」
「そうだろう? 分かってもらえて光栄だ。……こうしていると首が疲れる。思い切って、寝転がろう」
 そう言うなりカミューは一旦草の上に座り、そのまま仰向けに寝転がった。一方のマイクロトフは寝転がりこそしなかったもののその隣に座り、ひときわ赤く輝く星を指差しながらカミューに尋ねる。
「あの、赤い星……俺たちは『騎士の魂』と呼んでいるが、お前の故郷では何と呼んでいたんだ?」
「ああ、あれか。カマロでも同じ呼び方をするが、他にも『火を司る星』や『情熱の星』、グラスランド全体だと『豊穣の象徴』として信仰されている星だ。さらに言うと、群島諸国のほうでは航海の道しるべにもなっているらしいぞ」
「なるほど。よく知っているな」
「読書の賜物さ。母が読書家だったから、カマロにいた頃は色々な本を借りて読んだものだ。こちらに来てからもそれはしばらく続いていたんだが、個室を持ってからは、誰かさんが頻繁に押しかけてくるものだから……」
「なっ……!? 俺は、そこまでお前の読書の邪魔を……?」
「ははは、冗談だ。そんなにしょげるな。頻繁と言っても、一日中一緒にいるわけではないだろう。一人で静かに過ごす時間は、ちゃんと確保できているよ。それに私が都度応じるのは、お前と過ごす時間が楽しいと思っているからだ。だから、心配するな」
「そ、そうか」
 ころころと表情を変える親友を安心させてからカミューは体を起こし、かたわらのマイクロトフと目線を合わせて微笑んだ。まるで愛おしい者に向けるような、優しく甘い笑顔。マイクロトフは咄嗟に目を逸らし、ゴホン、と咳払いをする。
「この時間は、さすがに冷えるな。俺でもそう感じるのだから、寒さに弱いお前には余計にこたえるんじゃないか?」
「確かに。……だが、まだ帰りたくないな。もう少し、ここにいたい……」
 再びの、カミューの甘い囁き。しかしマイクロトフは理性を総動員して、それを撥ね退ける。
「……風邪を引くぞ」
「その時はまた、お前が看病してくれるんだろう? 忘れもしないぞ、以前私が寝込んだ時にお前が四苦八苦しながら剥いてくれた、やけにでこぼこでほっそりしたリンゴを」
「慣れていなかったのだから仕方がないだろう。お前が、どうしてもリンゴが食べたいと言ったから……」
「ならば慣れている者に頼めば良かったのに、お前は全部自分でやろうとして、結局周りから止められていたんだったな。そんなに私の看病を他の人間に任せたくなかったのか?」
「そういうわけでは……いや、そうだな」
 マイクロトフの答えに、少し彼を揶揄からかってやるつもりだったカミューはおや、と目を丸くした。そんなカミューへ、マイクロトフは真面目な顔で続ける。
「お前は他人に滅多に隙を見せないが、俺の前では明らかに態度が違う。だからこそ、我儘わがままを言える人間が看病にあたるべきだと考えたんだ。相手が数年来の友である俺ならば、多少は体の力を抜ける……そう判断してのことだ」
「……そこまで考えてくれていたのか」
 やはり私は、この男が好きだ。いつになく熱っぽく見つめてくるカミューを、マイクロトフも思わず見つめ返した。二人の間に甘い沈黙が訪れ、その瞳には、次第に互いしか映らなくなり――……。
「……っ、帰るぞ! もう充分に星空を堪能しただろう」
 危ういムードを打ち壊すように勢いよく立ち上がったマイクロトフを、カミューは心底不満そうな表情で見上げた。そして。
「……なんだ、つれないな。せっかくそういう雰囲気だったのに」
「何が〝そういう雰囲気〟だ! いくら誰も見ていないからといって、外で、その……ふしだらな行為に及ぶなど……」
「ふしだらな行為? キスが? 星空の下でキスなんて、なんともロマンチックだろう。それとも、キスだけでは済まないとでも? 外でなければいいのか?」
「帰るぞ!!」
 馬を繋いだ木に大股で向かって行ったマイクロトフの背中を、カミューは残念そうに見送る。こうなってしまったからにはもう、マイクロトフに続くしかなさそうだ。
(……ふ、揶揄い過ぎたか。脈ありではありそうなんだがな。しかし騎士団随一の堅物男だ、これは落とすのに時間がかかるぞ)
 だが、二度とチャンスが無いわけではない。マイクロトフ同様馬上の人となったカミューは、両手の親指と人差し指で四角を作って赤い星を囲み、敢えてグラスランド語でこう唱えた。『赤き情熱の星よ、私とマイクロトフの縁を、最大限に強固にしたまえ』と。その低い囁きは木々のざわめきと馬の蹄の音によってかき消され、マイクロトフの耳に届くことはなかった。

 「相合傘」と「情熱の星」への強い念を込めたまじないが、本当に効力を発揮したのかどうかは分からないが――紆余曲折を経て新たな道を共に歩み始めた二人の絆はさらに強固になったものの、日に日に強くなっていく親友への想いを断ち切るためにひそかにその元を去ろうとしていたカミューは、グラスランドへ旅立つ日の前夜に他ならぬマイクロトフからの告白によって繋ぎ止められ、晴れて長年の恋が叶ったのである。
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