母と子、水入らずの夜
今宵は寝所が別である恋人に軽くキスをし、「おやすみ、マイクロトフ。明日はよろしく頼むぞ」と言い残して、カミューは生家へとやってきた。自室として使っていた部屋の椅子には母が腰掛けており、カミューを見るなり立ち上がって静かに微笑む。
「おかえり、カミュー。お前がこの家に帰って来るのは何年ぶりかしらね」
「10年以上は経っていますね。それでも懐かしく感じるのだから、やはり私はここの生まれなのだな、と」
「『私』だなんて、すっかり気取って。それもマチルダの騎士らしさを追求した結果? どうやらあちらの騎士団は、野性味あふれるこちらと違って気品に満ち溢れているようだものね。お前とマイクロトフさんの物腰と制服を見れば分かるわ」
そう言ってカミューの母は、己 より背が高くすっかり『あちらの騎士』らしくなった息子を目を細めながら見上げた。そして、続ける。
「今宵は眠る前に、色々な話を聞かせてちょうだい。私はグラスランドから出たことがないから、外の話も聞きたいの。その中でも一番気になるのは、やっぱりお前たちがマチルダ騎士団を離れた話ね」
「確かにその話は、話せば長くなりますね……新同盟軍に入ってからは、手紙を出す暇が無かったものですから。やはり、カマロでも噂になっていたのですか?」
「それはもちろん。お前が赤騎士団の団長になった話も、騎士団を離れて新同盟軍に加わったという話も、ちゃんと伝わってきたわ。父上とあの子は『カマロの面汚しめ』と憤っていたけれど、よほどの事情があったのでしょう?」
「……」
『カマロの面汚し』と聞いた途端に、カミューは口を噤 んだ。カマロの騎士である父や兄ならば、いかにも言いそうな言葉だ。今もそう思っているのだろうか。
「まずは座りなさい。立ったままで長話をするのは疲れるでしょう」
「……それもそうですね。灯りも少し落としましょうか」
二人は向かい合って椅子に座り、カミューが部屋の灯りを少しだけ暗くする。
これで、腰を据えて話す環境は整った。カミューはテーブルの上で両手を組むと、マチルダ騎士団を離れるに至った経緯を語り始めた。
「そう……そんな事情があったのね。マイクロトフさんは、とても人間らしくて男気のある人ね。お前がついていきたくなるのも分かるわ」
母の言葉に、カミューは笑いながら付け加える。
「彼の離反宣言が己の生き方を見つめ直すきっかけになったことは事実ですが、私は私の意思で、同じ道を歩むことを選んだのです。それにこの旅についてきたのは、マイクロトフのほうですよ。次期騎士団長にと強く望まれていたにもかかわらず、私の旅に同行すると聞かなくて」
「それはマイクロトフさんが、お前を真の友だと認めているからでしょう。他の何よりも優先すべきだと判断した……そこまで思ってくれる人間は貴重よ。これからも、大事になさい」
「……はい」
実際は「真の友」どころの関係ではないのだが、さすがにそれは、今は言えない。とはいえ聡 い母のことだから、もう勘付いているかもしれないが――ともかく「真実」を話すのは、明日になってからだ。
「……父や兄は、今も私を疎ましく思っているのでしょうか」
カミューの問いに、母はひと呼吸置いてから答える。
「本心では心配しているはずよ。向こうの大きな動きが伝わってきた時、遠く離れた地にいるお前のことを気にかけたりしていたからね。少なくとも、関心がないわけじゃない……二人揃って不器用な男だけれど、どうか許してあげて」
そう言うとカミューの母は再び立ち上がり、息子のそばへと歩み寄った。彼女は座ったまま目を瞬くカミューの頭をそっと抱きしめ、自らと同じ色彩を持つ赤茶色の柔らかな髪を優しく撫でる。
「……母上……私はもう幼子ではありません。もうすぐ30になる成人男子ですよ」
困ったように言うカミューを、だが母は離さない。
「母にとって子供は、いつまで経っても子供のままなのよ。……子供の頃はとにかく細くて体も弱くて、私のおさがりの本を抱えながらかあさま、かあさまと呼んでいたのにね。年上の女の子たちからも可愛がられていたからあの子がそれに嫉妬して、自分の下 で剣を習わせるようになって……そうしたらみるみるうちに上達していって、体も丈夫になったのよね。今でこそあの子も父上に引けを取らない一人前の騎士になったけれど、あの子はあの子で辛い思いをしていたのでしょう。お前はあの子にとって最大のライバルであると同時に、誇れる弟でもあるはずよ」
「……だと、いいのですが」
母はこう言ってくれているが、父や兄の真意は分からない。それでもまったく愛されていないわけではないという話を聞くことができただけでも、帰ってきた甲斐があったというものだ。
「――明日は朝早くから新年を祝う儀式があるから、夜更かしもほどほどにしないといけないわね。マイクロトフさんは、ゆっくり休めているかしら」
「おそらく大丈夫でしょう。私と違って夜更かしが苦手で早起きが得意な男なので、今頃ぐっすり眠っているはずです」
「そう。グラスランドの旅を少しでも楽しんでくださっていればいいのだけれど」
母の言葉に、カミューはふふ、と小さく笑う。
「毎日楽しそうですよ。時折故郷が恋しくなることもあるようですが、ロックアックスは彼の生まれ育った地なのだから当然です。私とて向こうへ移った最初の頃、何度ホームシックになったことか」
「手紙を寄越してくる頻度も、年々落ち着いて行ったものね。それが少し寂しくはあったけれど、ようやく自分の居場所を見つけることができたのだと安心もしたわ。……旅を再開しても、時々は手紙を書くのよ? お前の身を案じているのは、私だけではないのだから」
「はい」
「おやすみ、カミュー。誰よりも愛しい我が息子」
「おやすみなさい。愛する我が母よ」
額と額を合わせ、カミューの母がやっとのことで抱擁を解く。彼女が部屋から去って行った後もその感触や温もり、懐かしい匂いは残り続け、カミューを心地良い眠りへと誘 って行ったのだった。
「おかえり、カミュー。お前がこの家に帰って来るのは何年ぶりかしらね」
「10年以上は経っていますね。それでも懐かしく感じるのだから、やはり私はここの生まれなのだな、と」
「『私』だなんて、すっかり気取って。それもマチルダの騎士らしさを追求した結果? どうやらあちらの騎士団は、野性味あふれるこちらと違って気品に満ち溢れているようだものね。お前とマイクロトフさんの物腰と制服を見れば分かるわ」
そう言ってカミューの母は、
「今宵は眠る前に、色々な話を聞かせてちょうだい。私はグラスランドから出たことがないから、外の話も聞きたいの。その中でも一番気になるのは、やっぱりお前たちがマチルダ騎士団を離れた話ね」
「確かにその話は、話せば長くなりますね……新同盟軍に入ってからは、手紙を出す暇が無かったものですから。やはり、カマロでも噂になっていたのですか?」
「それはもちろん。お前が赤騎士団の団長になった話も、騎士団を離れて新同盟軍に加わったという話も、ちゃんと伝わってきたわ。父上とあの子は『カマロの面汚しめ』と憤っていたけれど、よほどの事情があったのでしょう?」
「……」
『カマロの面汚し』と聞いた途端に、カミューは口を
「まずは座りなさい。立ったままで長話をするのは疲れるでしょう」
「……それもそうですね。灯りも少し落としましょうか」
二人は向かい合って椅子に座り、カミューが部屋の灯りを少しだけ暗くする。
これで、腰を据えて話す環境は整った。カミューはテーブルの上で両手を組むと、マチルダ騎士団を離れるに至った経緯を語り始めた。
「そう……そんな事情があったのね。マイクロトフさんは、とても人間らしくて男気のある人ね。お前がついていきたくなるのも分かるわ」
母の言葉に、カミューは笑いながら付け加える。
「彼の離反宣言が己の生き方を見つめ直すきっかけになったことは事実ですが、私は私の意思で、同じ道を歩むことを選んだのです。それにこの旅についてきたのは、マイクロトフのほうですよ。次期騎士団長にと強く望まれていたにもかかわらず、私の旅に同行すると聞かなくて」
「それはマイクロトフさんが、お前を真の友だと認めているからでしょう。他の何よりも優先すべきだと判断した……そこまで思ってくれる人間は貴重よ。これからも、大事になさい」
「……はい」
実際は「真の友」どころの関係ではないのだが、さすがにそれは、今は言えない。とはいえ
「……父や兄は、今も私を疎ましく思っているのでしょうか」
カミューの問いに、母はひと呼吸置いてから答える。
「本心では心配しているはずよ。向こうの大きな動きが伝わってきた時、遠く離れた地にいるお前のことを気にかけたりしていたからね。少なくとも、関心がないわけじゃない……二人揃って不器用な男だけれど、どうか許してあげて」
そう言うとカミューの母は再び立ち上がり、息子のそばへと歩み寄った。彼女は座ったまま目を瞬くカミューの頭をそっと抱きしめ、自らと同じ色彩を持つ赤茶色の柔らかな髪を優しく撫でる。
「……母上……私はもう幼子ではありません。もうすぐ30になる成人男子ですよ」
困ったように言うカミューを、だが母は離さない。
「母にとって子供は、いつまで経っても子供のままなのよ。……子供の頃はとにかく細くて体も弱くて、私のおさがりの本を抱えながらかあさま、かあさまと呼んでいたのにね。年上の女の子たちからも可愛がられていたからあの子がそれに嫉妬して、自分の
「……だと、いいのですが」
母はこう言ってくれているが、父や兄の真意は分からない。それでもまったく愛されていないわけではないという話を聞くことができただけでも、帰ってきた甲斐があったというものだ。
「――明日は朝早くから新年を祝う儀式があるから、夜更かしもほどほどにしないといけないわね。マイクロトフさんは、ゆっくり休めているかしら」
「おそらく大丈夫でしょう。私と違って夜更かしが苦手で早起きが得意な男なので、今頃ぐっすり眠っているはずです」
「そう。グラスランドの旅を少しでも楽しんでくださっていればいいのだけれど」
母の言葉に、カミューはふふ、と小さく笑う。
「毎日楽しそうですよ。時折故郷が恋しくなることもあるようですが、ロックアックスは彼の生まれ育った地なのだから当然です。私とて向こうへ移った最初の頃、何度ホームシックになったことか」
「手紙を寄越してくる頻度も、年々落ち着いて行ったものね。それが少し寂しくはあったけれど、ようやく自分の居場所を見つけることができたのだと安心もしたわ。……旅を再開しても、時々は手紙を書くのよ? お前の身を案じているのは、私だけではないのだから」
「はい」
「おやすみ、カミュー。誰よりも愛しい我が息子」
「おやすみなさい。愛する我が母よ」
額と額を合わせ、カミューの母がやっとのことで抱擁を解く。彼女が部屋から去って行った後もその感触や温もり、懐かしい匂いは残り続け、カミューを心地良い眠りへと
1/1ページ
