Blue butterfly

 いくら武勇に優れた騎士とはいえ、共に戦う全ての者を守り切れるわけはなく。
 勝利はしたもののおのれの目の届かぬ所で戦っていた青騎士数名が戦死したとの報を受け、愛剣・ダンスニーに付着した血や脂を拭っていたマイクロトフは「……そうか」と短く答えて目を閉じた。
 部下の死をそれぞれの家族に伝えるのは、団長であるマイクロトフの役目。つらい役目だが、果たさなければならない。預かった命を守れなかった責任は、己にあるのだから。

 息子、兄弟、孫、夫――戦死した青騎士たちとその家族の関係性は様々で、どの家族も愛する者の死を告げられるなりその場で泣き崩れたものの、マイクロトフを責める者は無かった。彼らは涙を流しながらも「騎士として生きることを選んだ時からある程度の覚悟はしていた」と口にし、知らせに来てくれたマイクロトフへ、礼を述べる。それがマイクロトフには余計に辛く、だが己まで涙は流すまいと、込み上げるものを懸命に抑え込んだ。

「……大丈夫か? マイクロトフ」
 城下から戻ってきたマイクロトフを彼の親友であるカミューが迎え、そっと気遣う。「どうだ、私の部屋で温かい茶でも」というカミューの提案にマイクロトフは頷き、親友の心遣いに感謝しつつ彼の部屋を訪れた。
 椅子ではなくゆったりとしたソファーに座ることを勧められ、マイクロトフは強張った体をソファーに深く沈めた。それでも背凭れに寄り掛かることはせずに前屈み気味に座るマイクロトフを見て、カミューは「もっとくつろいでもいいんだぞ」と笑う。
「心身をリラックスさせる茶の代表格といえば、やはりカモミールティーだ。これで少しは癒されるといいんだが」
「すまない、カミュー。お前にはいつも世話を掛けるな」
「なに、気にするな。嫌ならとうの昔に見限っているよ。お前は何かと危なっかしくて、放っておけないからな」
「……悪かったな」
「うん、その膨れっ面。その調子だ。青騎士団長たる者がいつまでも暗い顔をしていたら、今後の士気にも関わるぞ。――己を責めるな、悲しむなとは言わないが……皆の前では常に前を向き、胸を張っていろ。お前の部下たちも、それを望んでいる」
「分かっている。上に立つ者はかくあれ、と。戦に犠牲はつきものだと、分かってはいるんだが……」
「……」
 マイクロトフは、情に厚い男だ。ゆえに団員たちとの結束力も三騎士団の中で最も強く、戦場に散った青騎士たちと残された家族を思い、当分の間は苦しむことだろう。それでも彼は部下たちの死を乗り越えて、前へと進まねばならない。幾度も共に死線を乗り越え己を信じてついてくる者たちのためにも、立ち止まることは許されないのだ。
 膝の上で拳を握り締め、自責の念を振り払うかのように顔を上げたマイクロトフは、カミューが淹れてくれた茶にやっとのことで口をつけた。飲みやすいように湯の温度を調節してくれたのか口に含んでも熱くはなく、すぐそばに置かれた小皿に入ったクッキーを指でつまんで齧る。ほの甘い蜂蜜と爽やかなレモンの香りが口の中に広がり、ほんのわずかではあるが、暗く沈んだ心が解きほぐれて行くようだ。
「美味いな」
「だろう? ……食べ物を美味いと思えるのなら、大丈夫だ。今日は大盤振る舞いだ、好きなだけ飲んで、好きなだけ食べて行くといい」
 そう言って穏やかに微笑んだカミューにつられるように、マイクロトフの硬かった表情も、ようやく和らいだ。

 だが――それから半月も経たないうちに、マイクロトフは、青騎士たち数名が犠牲になった地に立つこととなった。彼についてきた青騎士たちも動揺を隠せず、ざわつき始める。
「……団長、ここって……」
「臆するな。あの時の悲劇は、二度と繰り返しはしない。皆、一層気を引き締めて行くぞ!」
 馬上からのマイクロトフの勇ましい鼓舞に、青騎士たちも大声を上げて自身を奮い立たせる。士気は十分だ。
 マイクロトフ率いる青騎士団のやや後方には、カミュー率いる赤騎士団が控えていた。最前線で戦うのは基本的に青騎士団の役目であり、その上位である赤騎士団は、サポート的な役割に回ることが多い。最上位の白騎士団に至っては両騎士団の背後、つまり安全圏に陣取り、その場から動く気すら無いようだ。マイクロトフもカミューも「いつものことだ」と早々に諦め、まずは敵軍の戦力を見極めることに集中する。
 前回同様、前列には甲冑で身を固めた兵が並んでいるが、後列にはボロ布同然の長いローブを纏った魔術師らしき人物が二人佇んでおり、不穏な気配を醸し出していた。フードを目深に被っているため彼らの顔はほとんど見えず、それが余計に不気味さを増幅させている。
「……奴らは何者だ?」
「……嫌な予感がするな」
 マイクロトフの呟きに、いつの間にかそばに来ていたカミューも続いた。彼は珍しく険しい顔で魔術師らしき人物たちを見据えながら、さらに付け加える。
「あの風体、もしかすると……」
「何か心当たりがあるのか?」
「ああ。彼らは、おそらく――」
 その時だった。魔術師らしき人物たちが手にした杖が妖しく光り、地を這うような低音の詠唱と共に、彼らの全身から禍々まがまがしいオーラが立ち上った。直後、前列に並んだ兵たちの眼前の地面がボコボコと盛り上がり、凄まじい悪臭と共に「何か」が次々と湧き出てきたではないか。その「何か」とは――
「ぞ、ゾンビだ!」
「しかも、凄い数だぞ!」
 突如現れた無数のゾンビの群れにたじろぐ青騎士たちを、だがマイクロトフもどう鼓舞していいのか分からなかった。そんな彼の隣ではカミューが「やはり『ネクロマンサー』か」と低く呟き、「ゾンビは総じて火に弱い。烈火の紋章である程度は焼き払えると思うが、この数ではさすがに……」と躊躇ためらいを見せる。
「な、何だあやつらは! 我々騎士の剣は、汚らわしいゾンビなぞを斬るためのものではない! 撤退だ!!」
 最後列から白騎士団長ゴルドーの怒鳴り声が聞こえたが、動きが緩慢なゾンビたちよりも先に、生者である兵たちがこの機を逃すまいと言わんばかりに突撃してきた。これでは逃げている暇などなく、兵を相手にしている間にゾンビたちもやってきて、かなりの苦戦を強いられるだろう。せっかく高めた士気もみるみるうちに低下し、ほとんどの騎士たちが逃げ腰になっている有様だ。
「団長、白騎士団が本当に撤退し始めてます! 俺たちを見捨てる気です!」
「くっ、あの方はどこまで……! しかし騎士たる者、あんな奴らを放置して撤退するわけには……やはり我々と赤騎士団だけで迎撃するしかないのか!?」
「こちらとは逆に、敵軍の士気が格段に上がっている。これでは撤退を始めたところで、すぐに追いつかれてしまうだろうな。……やれるだけやるしかないか」
 覚悟を決めたカミューが、紋章魔法を発動すべく身構える。彼の一撃で、どれだけ敵兵たちを怯ませることができるのか? 敵兵たちにある程度の打撃を与えられるまで、彼の魔力は持つのだろうか。何より、敵はどのような攻撃を仕掛けてくるのか。「あの時の悲劇は二度と繰り返しはしない」と力強く宣言したものの、戦況は圧倒的に不利な上に、前回以上の悲劇が起きてしまうのではなかろうか――マイクロトフはダンスニーのつかをきつく握り、歯を食いしばる。
 下手をすれば、部下たちだけではなく己やカミューも命を落とすかもしれない。犠牲者を出すことなくこの戦いに勝つには、どうすればいい? どうすれば……。
「……ん? 何だ?」
 苦悩するマイクロトフの視界に、突然何かが舞い込んできた。小さなそれの正体は鮮やかな青色の蝶で、戦場にはあまりにも不釣り合いな存在だ。人と人ならざる者の戦いに巻き込まれてしまった不運な蝶、せめて剣の餌食にはなるなよと、マイクロトフはすぐに目の前に迫る敵軍へと視線を戻した。
 だがその蝶はまたしてもマイクロトフの視界へと飛び込んできて、二匹に分裂した。それからさらにもう一匹現れ、三匹の青い蝶はまるでマイクロトフに何かを語りかけるようにひらひらと舞った後、一斉に敵軍のほうへと飛んで行く。
「なっ……い、今のは? あれは、何だ……?」
 唖然とするマイクロトフの眼前で、さらに信じられないことが起こった。敵兵たちの前で一列に並んだ三匹の蝶は突如きらきらと輝き出したかと思うと、無数の蝶の群れへと変貌したのだ。
「!?」
「……あれは……」
 目の前で繰り広げられる光景に、マイクロトフだけでなくカミューも唖然と立ち尽くした。無数の青い蝶が敵兵たちを翻弄し、隊列を乱す。それは兵たちの背後に佇んでいた二人のネクロマンサーにも及び、無数の蝶に纏わりつかれて逃げ惑っているせいか、彼らが使役していたゾンビの群れは形を保つことができずに、ただの土くれと化した。思いもよらない事態に敵兵たちは混乱し、すっかり戦意を喪失してしまったようだ。
「見ろ、マイクロトフ。敵軍が退却していく」
「あ、ああ……よく分からないが、俺たちはあの蝶たちに助けられたようだな」
「あれだけ士気が高まっていた兵をこうもあっさり退かせるとは、あの蝶たち、侮れないな。……おや、蝶の群れが消えて行く」
 敵軍を退却させたことで自分たちの役目は終わったとばかりに蝶の群れは次々に消えて行き、三匹の青い蝶へと戻った。青い蝶たちは再びマイクロトフの目の前まで飛んでくると、現れた時同様、何かを語りかけるようにひらひらと舞う。
 そこでマイクロトフは何かに気付いて、目を大きく見開いた。
 自分たちを助けてくれた、青い蝶。三匹。己の部下三名を失った、因縁の戦場。――あまりにも、条件が揃い過ぎている。
「……お前たち、なのか……?」
 マイクロトフの問いに、三匹の青い蝶は再度一列に並んでひらひらと舞った。まるで団長であるマイクロトフの呼びかけに、元気に答える青騎士たちのように。
 シーニィ。澄んだ青い瞳が印象的な、熱血漢揃いの青騎士団には珍しい知的な青年だった。
 シエル。自らが抱いている壮大な夢を聞かせてくれた、人一倍元気でよく笑う青年だった。
 マーレ。寡黙ながら不思議と人気者で、芯には熱いものを秘めたしっかり者の青年だった。
 皆マイクロトフよりも年下で、マイクロトフを一心に慕い、いつでもついてきてくれた者たちだった……。
「……っ……シーニィ、シエル、マーレ……死してもなお、俺たちを助けに来てくれたというのか……」
 マイクロトフの瞳から涙が溢れ、頬を伝って行く。三匹の青い蝶は名を呼んでもらえたことに満足したのか今一度ひらひらと舞い、やがて消えて行った。肩を震わせて泣くマイクロトフの背をカミューが慰めるように軽く叩き、背後の青騎士たちも死んで行った仲間たちを想い、涙を零す。赤騎士たちは涙こそ流さなかったものの三匹の蝶が消えて行った空間に向かって黙祷を捧げ、亡き同志たちに感謝したのだった。

 それから、数日後――
 マイクロトフとカミュー、そして青騎士たちは戦場となった地を再び訪れ、三人の青騎士たちが命を落とした場所へ花を手向けた。
 戦いは、まだまだ続く。これからも、犠牲が出ないとは限らない。だが、お前たちのことは決して忘れない。決して――マイクロトフはその場にひざまずいて祈りを捧げ、カミューや青騎士たちも目を閉じて、静かに祈った。しばしの祈りの後でマイクロトフはゆっくりと立ち上がり、ついてきてくれた親友と仲間たちに礼を言ってからその場を後にする。
 爽やかな風が吹き抜け、マイクロトフの頬を優しく撫でる。それはまるで、あの青騎士たちが自分たちの団長の訪問を歓迎しているかのようだった。
1/1ページ