Ambivalence

 突如前方から聞こえたわあっ、という声に、ちょうどマイクロトフの執務室へと向かっていたカミューは、何事かと早足で近付いた。見れば青騎士たちが輪を作って誰かを囲んでおり、全員が中央を覗き込んで明らかに狼狽している。
「どうしたんだ?」
「あっ、カミュー団長! マイクロトフ団長が……!」
 青騎士たちが一斉に道を空けると、彼らの輪の中心でしゃがみ込んでいるマイクロトフの後ろ姿が見えた。これは只事ではないとすぐさまカミューは親友のそばへと駆け寄り、自身もしゃがんで目線を合わせる。
「どうした、マイクロトフ。何があった」
「……」
 マイクロトフは答えない。俯いた彼の表情は苦しげで、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。片手片膝を床についているのは、無様に倒れるわけにはいかないという矜持ゆえだろう。かろうじて踏み止まってはいるが、返事もできない彼の様子から見るに、それもきっと時間の問題だ。
「彼に何があった?」
 カミューが背後の青騎士たちに問うと、彼らは動揺しながらも姿勢を正し、次々に答えて行く。
「あ、あの……本当に急に、しゃがみ込まれたんです。それまではいつもどおりで……」
「いや、普段よりお声に張りがなかったような。俺の気のせいかな、と思っていた矢先に、突然大きくよろめかれて」
「ここのところ団長はいくさに実務にと働きづめでしたから、俺が思うに〝過労〟なのではないかと……」
「過労」
 三人目の青騎士の言葉をカミューと周りの青騎士も口にし、見事にハモった。誰よりも勇猛果敢で、いついかなる時も早朝鍛錬を欠かさない体力自慢の青騎士団長・マイクロトフが、過労。だがよく考えなくとも、彼とて一人の人間である。仕事の内容にかかわらず休みなく働けば当然疲れが溜まる上、彼の性格上、それを「気のせいだ」「俺はまだやれる」とお得意の〝気合と根性〟でなんとか乗り切ってきた結果、一気に限界に達してしまったのだろう。
 カミューの決断は、早かった。彼は周囲の青騎士たちへ「彼を医務室へ。私は副長にしばらく団長代行を務めるよう伝えてから向かう」と指示するとすっくと立ち上がり、親友を青騎士たちに任せて足早に副長の部屋へと向かった。残された青騎士たちは三人がかりでマイクロトフを助け起こし、自分たちの団長だけでなく彼と恋人同士のように仲が良いカミューのことをも心配して、しんみりと顔を見合わせた。

「ざっと、お話を聞いた限り、これは間違いなく過労ですね」
 診察を終えた医者にそう言われ、青騎士たちはとりあえず大病の類ではなかったことにホッと胸を撫で下ろした。彼の体力ならば数日間しっかり休養すれば常人より早く回復する、この言葉が聞けただけでも今は安心だ。
 ただ、生真面目で働き者のこの人が、果たして数日もじっとしていられるかどうか――青騎士たちが皆同じことを考えていると、カミューが青騎士団の副長と共にやって来た。副長はベッドに横たわるマイクロトフを見るなりそばに駆け寄り、一瞬悲しげな顔をした後に決意を述べる。
「団長はいつも、働き過ぎなんです。いくら頑丈とは言えあなたも人間なのですから、無理を重ねれば今のようにガタが来ます。……団長がお休みの間は俺が代理を務めますので、どうか完全に回復されるまで、しっかり休養なさってください。俺も皆も、頑張りますから」
「ううっ、団長……」
「バカ、泣くな。永遠の別れじゃあるまいし……グスッ……」
「お前だって泣いているだろう。……カミュー団長、うちの団長を頼みます。いい機会ですから、お二人でしっぽり……いえ、ゆっくりお過ごしください。無茶をされがちな団長をお止めできるのは、カミュー団長だけなので」
 三人の中で唯一泣いていない青騎士からの懇願に、カミューは頷く。
「分かった、任された。一日でも早く君たちの大切な団長を復帰させられるよう、誠心誠意努めよう。……まったく……過労で倒れるなど、困った奴だ。まあ、いつかやらかすだろうと思ってはいたが。――というわけで副長、皆、マイクロトフが不在の間よろしく頼む。私は彼が無茶をしないよう、朝から晩まで見張っていなければならないのでね」
「こちらこそ。我々の団長を、よろしくお願いします」
 カミューに副長と青騎士たちが頭を下げると、医者は疲労に効く薬を渡すと同時にマイクロトフを自室のベッドで休ませるよう指示し、青騎士たちは再び自分たちの団長に肩を貸すこととなった。意識が朦朧としているマイクロトフを苦労して部屋まで運び、軽鎧を外してその大柄な体をベッドに横たえると、彼らは名残惜しそうに退室して行く。
 さて、私も私のところの副長に代行を頼まねば……とカミューが考えたところで、青騎士たちと入れ替わるように赤騎士団の副長が部屋を訪ねてきた。マイクロトフが倒れたという話が、彼の耳にも入ったのだろう。こういう時におのれがどういった行動を取ればいいのか、彼は既に知っている。
「話は聞きました。しばし団長の代行を務めればよろしいのですよね?」
「さすが副長。私が言わずとも分かってくれていたようだ。そちらの副長にもマイクロトフの代理を務めるよう言ってあるから、彼と力を合わせて乗り切ってくれ。よほどの大事があれば、私が直接出るが」
「分かりました。そのような事態が起こらぬよう願うばかりですが……今はとにかく、マイクロトフ様の体調回復を優先なさってください。ですが、カミュー様も決してご無理をなさらず。ご自分の体調にもしっかり気を配られてくださいね」
「ありがとう。じゃあ、よろしく頼むよ」
 カミューと赤騎士団副長のやりとりはあっさりしたものだったが、二人の間には多くを語らずとも通じ合える関係が築かれているらしいと、青騎士団副長は純粋な憧憬と羨望の念を抱く。
 二人の副長を見送ると、カミューは溜め息を吐いて、マイクロトフが横たわるベッドのそばへと静かに歩み寄った。

「……ぅ、ん……」
 しばらくするとマイクロトフが低い唸り声と共に身動ぎし、ゆっくりと目を開けた。それまで近くにあった適当な本を拝借し読んでいたカミューが、親友の目覚めに気付いてはっと顔を上げる。
「ようやくお目覚めか、マイクロトフ。気分はどうだ?」
「……カミュー……? ここは……俺は……」
「見慣れた場所だろう? ここはお前の部屋だ。……お前は、過労で倒れたんだ。だからこうして、ベッドに寝かされている」
 どうやら、体力には自信のある己が過労で倒れたことが信じられないらしい。驚きに目を見開いた後、こうしてはいられないとさっそく体を起こそうとしたマイクロトフを、カミューがすかさず上から押さえ付ける。
「何をする、カミュー!」
「駄目だ、まだ寝ていろ。今のお前には、何よりも休息が必要なんだ。お前と私の代わりは、副長たちが務めている。よほどのことがあれば私が直接出向くつもりだが、基本はお前の体力回復が優先だ。お前がおとなしくしていてくれないと、私まで心労と過労で倒れることになってしまう」
「くっ……」
 カミューにこうまで言われてしまっては、おとなしく従うしかない。悔しそうにうめいたものの体は鉛のように重く、一人で起き上がるにはかなりの時間を要するだろうと、マイクロトフは悟る。
「し、しかし……ただ寝ているだけというのも……」
 それでも戸惑うマイクロトフに、
「それが今のお前に課せられた〝仕事〟だ。任務は全うするのがお前の信条ではないのか?」
 カミューにさとされて、マイクロトフは何も言えなくなってしまう。
「とはいえ、私が近くにいたら眠るに眠れないな。私は向こうのほうにいるから、何かあれば呼……」
「いや、いい。傍にいてくれ」
 マイクロトフのまさかの言葉に、カミューは目を丸くして親友の顔を見つめた。弱っている時は甘えたくなる、というあれ・・だろうか。だとしても、それは私のほうが何にも手が付かなくなるわけで……。
「なんだ、手でも握っていてほしいのか?」
 カミューが冗談交じりに尋ねると、
「……お前さえ良ければ」
 と、これまたまさかの返事が返ってきて、自身の胸の鼓動の早さ以上に、マイクロトフの精神状態が心配になった。今、己の顔には隠せない動揺が浮かんでしまっているだろう。そんなカミューをマイクロトフは真剣に見据え、親友の返答を待っている。こうなってしまっては、もう降参するしかない。
「は、はは……意外だな、お前にこんな一面があったとは。長年の付き合いでも、新たな発見があるものだ」
「お前にだから言えるんだ。他の人間には絶対に言わない」
 ん゙ん゙っ。いよいよカミューは耐え切れなくなり、顔を背けて咳払いをする。今だけだ。どうせ全快したら元に戻る。私のほうが一つ年上なわけだし相手は病人のようなものなのだから、甘えたいと言うのならば甘えさせてやればいい。他意はない、きっと無い――。
「……」
 ほんのり赤くなっているカミューの横顔を、マイクロトフは目を細めて見つめた。こんな時だからこそ、このようなことを口にできる。これくらいの甘えならば許されるだろうか。彼の反応を見るに、これは俗に言う〝脈あり〟と取ってもいいのだろうか。しかし一気に距離を詰め過ぎて敬遠されるようなことがあれば、二度と立ち直れそうにない……。
 実はマイクロトフにも他意は大ありなわけだが、それをカミューが知る由は無い。それでも基本的にマイクロトフに甘いカミューは「まったく……しょうのない奴だな」と溜め息混じりに呟いて、覚悟を決めることにする。
 カミューはマイクロトフのかたわらに座り、白手袋を外した素手で、その大きな手の上に自らの手を重ねた。肌を通して伝わってくる温もりにじんわりと胸が温かくなり、しばし室内に、甘い空気が流れる。
「……これで満足か?」
「……ああ。これなら安心して眠れそうだ。我儘わがままを言って、すまないな」
 穏やかに目を瞑ったマイクロトフの精悍な顔を、カミューはドキドキと胸を高鳴らせながら見下ろす。
 やがて本当に安心したのかマイクロトフが徐々に眠りに落ちて行き、静かな寝息を立て始めた。多くの者から頼りにされるこの男が、己にだけ無防備な姿をさらけ出している――なんと甘美で、贅沢な時間なんだろうか。好きな相手から傍にいてほしいと言われ、しかも手を握っていてほしいなどと。己は先程から夢でも見ているのではないかと空いているほうの手で自身の頬を軽く叩き、一連の出来事は夢ではなく現実なのだということを、改めて噛み締める。
(……マイクロトフは、倒れるまで自分を追い詰めていたんだ。この事態を喜んではいけないと分かってはいるんだが、それでも私は……)
 マイクロトフの体力が回復するまでという条件つきだが、これから数日間は身の回りの世話をし、この部屋で朝から晩まで共に過ごすことになる。少しでも長くこの時間が続けばいいのに――否、私がついている以上は、できるだけ早く復帰させてやらねば。湧き上がる甘い気持ちを押し殺し、カミューはマイクロトフの寝顔をしばし無言で見つめた。

 その後マイクロトフはカミューの献身的な看病の甲斐もあってか驚異的な早さで回復して行き、四日後には復帰を果たした。
 丸三日の休養で筋力が落ちたせいか戦場に出ることまでは許されず、その間はマイクロトフが出向かなければならないほどの戦も起こらなかったため、彼は普段以上に鍛錬に励み筋力回復に勤しんだ。また、カミューの「細かい仕事はもっと副長に任せてしまってもいい」というアドバイスを聞き入れ、自身の負担を減らすことにも成功した(そのことでマイクロトフに心酔している青騎士団副長が、己が団長に信頼されているからこそ新たな仕事を任されたのだと喜び舞い上がっていたと、後に赤騎士団副長は語る)。
「……しかし、あの状態からたった三日で回復して歩き回れるようになるとはな。改めて、お前の体力お化けっぷりには感服するよ」
 鍛錬を終えて額の汗を拭っているマイクロトフにカミューが歩み寄って声を掛けると、
「いや、お前が常に話相手をしてくれたおかげだ。俺一人だったら退屈で、絶対にじっとしてはいられなかった。体を思うように動かせないというもどかしさはあったが、夜には皆も見舞いに来てくれて、悪くない日々だった……むろん、二度と倒れたくはないがな」
「私としても、また倒れられては困る。思っていたより私が手を貸す必要がなかったのは少し残念だったが。これからは我々赤騎士団のモットーのように、『ほどほどに頑張る』を心掛けることだな」
「それは赤騎士団ではなく、お前個人の信条だろう。団員たちにまで押し付けるのは良くないぞ」
 マイクロトフの言葉に、カミューは「早朝鍛錬を団員たちにまで強いているお前がそれを言うか?」と苦笑する。
 部屋で穏やかに過ごす時間も良かったが、やはりこの男には青騎士団長の制服を纏った、威風堂々とした立ち姿が似合う。その姿をしばし惚れ惚れと見つめてから、カミューはその場から身を翻したマイクロトフと肩を並べて歩き出したのだった。
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