小さな淑女との小さな約束
正午を少し過ぎた頃のマチルダ騎士団の本拠地、ロックアックス。
街の通りで大声を上げて泣いている幼い少女を見て、マイクロトフはすぐさま駆け寄った。見たところ、親らしき大人はいない。迷子だろうか。泣き声を聞きつけてやってきた住民たちも困惑気味だ。
「これはマイクロトフ様、見回りお疲れ様です。儂はここで生まれ育った人間なのでだいたいのお宅のことは把握しているつもりですが、この子は見たことがないので、親御さんと一緒に外から来られてはぐれてしまったのでしょう。この街は広く階段だらけなので、子供の一人歩きは危険です。ぜひとも親御さんを捜してあげたいところですが、儂はこのとおり足が悪く……」
「ご心配なく。この子のことは俺にお任せください。これも騎士団の仕事ですので」
「……本当によろしいのですか?」
「もちろん。ちょうど昼食後の腹ごなしにもなりますから」
そう言って胸を張ったマイクロトフはとても頼もしく、彼になら任せられるという安心感があった。住民たちは「ではこの子をお願いします」と揃って頭を下げ、マイクロトフは力強く頷いてみせる。
「騎士の誇りにかけて、必ずや務めを果たします。――さあ、参りましょう、お嬢さん。俺はマチルダ騎士団で騎士を務めるマイクロトフと申します。あなたのお名前は?」
「……ミラ……」
「ミラ殿ですね。どちらから来られたのですか?」
屈 んで目線を合わせてくれたマイクロトフに安心したのか、ミラと名乗った少女は「ミューズ」と答える。
「ミューズ市国ですか。ご両親……お母さん、お父さんと一緒に?」
「……うん」
「そうなのですね。ではミラ殿、手を繋ぎましょうか。この街は坂や階段が多いので大変かと思いますが、共に頑張りましょう」
立ち上がったマイクロトフが安心させるように微笑んで手を差し出すと、ミラはマイクロトフを見上げ、やがておずおずと小さな手を伸ばした。少女の小さな手が男の白手袋越しの大きな手に包まれ、二人の手はしっかりと繋がれる。
「……あれくらい小さな女の子だったら、ちゃんとエスコートできるんだねえ……」
「ああしていればカミュー様と並ぶ二枚目騎士様なのに、こと成長した女子が相手だと途端に形無しだもんなぁ。せっかくの美男子なのに、勿体ないことだよ」
去って行くマイクロトフと少女の後ろ姿を見送りながら、ひそひそと小声で囁き合った住民たちは溜め息を吐いた。
ミラはわずか五歳の少女ゆえにすぐに体力が尽きてしまい、途中からマイクロトフに抱き上げられることとなった。逞しく背の高いマイクロトフの片腕に抱えられたミラはいつもと違う高所からの景色に興奮し、両親とはぐれた寂しさをしばし忘れてきらきらと目を輝かせている。
「すごい……じめんがあんなにしたにみえる……」
「怖いですか?」
「ううん、ぜんぜんこわくないよ。ミラ、たかいところすきだから」
「それは良かった。……しかし、ミラ殿のご両親はどこにいらっしゃるのでしょうね。ご両親もミラ殿を捜しておられるとは思うのですが」
いくつもの階段を上り下りし捜し回っているというのに、少女の両親は一向に見つからない。そもそも彼らは街中にいるのだろうか。まさかとは思うが街の外を捜し回って、辺りを徘徊する魔物にでも……。
「……おにいちゃん、どうしたの? こわいおかおしてる」
「あ、ああ……申し訳ありません。これだけ捜しても見つからないのなら、他の者にも協力を仰いだほうがいいのだろうか……」
城に戻って部下たちを呼び集めるか、友人であるカミューに協力してもらうべきかと悩んでいると、不意にミラが「あっ!」と声を上げた。マイクロトフがミラと同じ方向を見ると、とある家から出てきて近くのベンチに力なく座り込んだ一組の男女の姿が飛び込んでくる。
「パパ! ママ!」
「ミラ!?」
「ミラ! ……ああ、あなたはマチルダ騎士団青騎士団長マイクロトフ様……! ありがとうございます。無事で良かった……」
「ミラ殿のお母上殿とお父上殿ですね? お嬢さんをお返しいたします。この街は広く少々複雑な造りゆえ、もう二度とはぐれませんよう」
「団長御自らが我々の娘を預かってくださっていたとは、なんたるご無礼を……」
恐縮するミラの両親に、ミラを下ろして彼らの元へと返してやったマイクロトフは「いえ、とんでもない」と返す。
「無礼などと。これも我々騎士団の務めですので、どうかお気になさらず。……こちらへは観光でいらしたのですか? でしたら心行くまでお楽しみください。それでは、俺はこれで」
「マイクロトフ様、本当にありがとうございます。ミラ、行くわよ」
母親に手を引かれてマイクロトフとは逆方向へ去りかけていたミラだったが、少女は何を思ったか母親の手を振りほどくと、真っ直ぐにマイクロトフの元へと走った。「ミラ!」という母親の声と近付いてくる足音に振り返ったマイクロトフへミラが突進し、慌てて身を屈めたマイクロトフの腕の中へ、少女の小さな体が飛び込んで行く。
「ミ、ミラ殿? まだ何か……」
「かっこいいおにいちゃん、ありがとう。ミラがまたここにきたときも、だっこしてね。やくそくよ」
少女は背伸びをして、マイクロトフの頬に柔らかな唇を押し当てた。ミラの突然の無礼な行為に彼女の両親は悲鳴を上げながら駆け寄りすぐに娘を引き剥がしたが、一瞬呆気に取られたもののすぐに立ち上がったマイクロトフは、穏やかに微笑みながらミラの前に跪 く。
「……はい、ミラ殿。いつかまた、必ずお会いしましょう。それまでお元気で」
マイクロトフはミラの小さな手を取り、その手の甲に恭 しく口付けた。ぽかんと口を開けている少女の両親をよそにマイクロトフは再び立ち上がり、「ばいばい」と笑顔で手を振るミラに一礼して足早に去って行く。
「……」
「……あの方は、本当にマイクロトフ様なのか……? 女性に不器用な方だと聞いていたんだが……」
「あの所作、完璧だったわよね……さすがはカミュー様のご友人だわ。ミラが羨まし過ぎて血の涙が出そう」
「おい」
「おかあさん、おかおこわい……」
ギリィ、と歯軋りする妻を窘 める夫と、母親から嫉妬の表情を向けられ怯える少女の三人だったが、めったに体験できない思い出ができたと思い直し、彼らは心行くまでこの街を楽しむべく歩き出した。青騎士団長・マイクロトフは噂どおりの好青年だったと知り合いにも伝えたい、次回はあわよくば彼の親友である赤騎士団長・カミューにも会ってみたいと願いながら。
一方、迷子の少女を両親の元へと送り届け、一人帰路へとついたマイクロトフは――。
(……我ながら、随分と気障 なことをしてしまった……あれではカミューそのものじゃないか。しかし俺とて騎士なのだから、女性に対してあれくらいのことはできて当然だと――)
自身の行動を振り返って急に恥ずかしくなり、城内に入るまでの間、熱く火照った頬を冷ますことに躍起になっていたのだった。
街の通りで大声を上げて泣いている幼い少女を見て、マイクロトフはすぐさま駆け寄った。見たところ、親らしき大人はいない。迷子だろうか。泣き声を聞きつけてやってきた住民たちも困惑気味だ。
「これはマイクロトフ様、見回りお疲れ様です。儂はここで生まれ育った人間なのでだいたいのお宅のことは把握しているつもりですが、この子は見たことがないので、親御さんと一緒に外から来られてはぐれてしまったのでしょう。この街は広く階段だらけなので、子供の一人歩きは危険です。ぜひとも親御さんを捜してあげたいところですが、儂はこのとおり足が悪く……」
「ご心配なく。この子のことは俺にお任せください。これも騎士団の仕事ですので」
「……本当によろしいのですか?」
「もちろん。ちょうど昼食後の腹ごなしにもなりますから」
そう言って胸を張ったマイクロトフはとても頼もしく、彼になら任せられるという安心感があった。住民たちは「ではこの子をお願いします」と揃って頭を下げ、マイクロトフは力強く頷いてみせる。
「騎士の誇りにかけて、必ずや務めを果たします。――さあ、参りましょう、お嬢さん。俺はマチルダ騎士団で騎士を務めるマイクロトフと申します。あなたのお名前は?」
「……ミラ……」
「ミラ殿ですね。どちらから来られたのですか?」
「ミューズ市国ですか。ご両親……お母さん、お父さんと一緒に?」
「……うん」
「そうなのですね。ではミラ殿、手を繋ぎましょうか。この街は坂や階段が多いので大変かと思いますが、共に頑張りましょう」
立ち上がったマイクロトフが安心させるように微笑んで手を差し出すと、ミラはマイクロトフを見上げ、やがておずおずと小さな手を伸ばした。少女の小さな手が男の白手袋越しの大きな手に包まれ、二人の手はしっかりと繋がれる。
「……あれくらい小さな女の子だったら、ちゃんとエスコートできるんだねえ……」
「ああしていればカミュー様と並ぶ二枚目騎士様なのに、こと成長した女子が相手だと途端に形無しだもんなぁ。せっかくの美男子なのに、勿体ないことだよ」
去って行くマイクロトフと少女の後ろ姿を見送りながら、ひそひそと小声で囁き合った住民たちは溜め息を吐いた。
ミラはわずか五歳の少女ゆえにすぐに体力が尽きてしまい、途中からマイクロトフに抱き上げられることとなった。逞しく背の高いマイクロトフの片腕に抱えられたミラはいつもと違う高所からの景色に興奮し、両親とはぐれた寂しさをしばし忘れてきらきらと目を輝かせている。
「すごい……じめんがあんなにしたにみえる……」
「怖いですか?」
「ううん、ぜんぜんこわくないよ。ミラ、たかいところすきだから」
「それは良かった。……しかし、ミラ殿のご両親はどこにいらっしゃるのでしょうね。ご両親もミラ殿を捜しておられるとは思うのですが」
いくつもの階段を上り下りし捜し回っているというのに、少女の両親は一向に見つからない。そもそも彼らは街中にいるのだろうか。まさかとは思うが街の外を捜し回って、辺りを徘徊する魔物にでも……。
「……おにいちゃん、どうしたの? こわいおかおしてる」
「あ、ああ……申し訳ありません。これだけ捜しても見つからないのなら、他の者にも協力を仰いだほうがいいのだろうか……」
城に戻って部下たちを呼び集めるか、友人であるカミューに協力してもらうべきかと悩んでいると、不意にミラが「あっ!」と声を上げた。マイクロトフがミラと同じ方向を見ると、とある家から出てきて近くのベンチに力なく座り込んだ一組の男女の姿が飛び込んでくる。
「パパ! ママ!」
「ミラ!?」
「ミラ! ……ああ、あなたはマチルダ騎士団青騎士団長マイクロトフ様……! ありがとうございます。無事で良かった……」
「ミラ殿のお母上殿とお父上殿ですね? お嬢さんをお返しいたします。この街は広く少々複雑な造りゆえ、もう二度とはぐれませんよう」
「団長御自らが我々の娘を預かってくださっていたとは、なんたるご無礼を……」
恐縮するミラの両親に、ミラを下ろして彼らの元へと返してやったマイクロトフは「いえ、とんでもない」と返す。
「無礼などと。これも我々騎士団の務めですので、どうかお気になさらず。……こちらへは観光でいらしたのですか? でしたら心行くまでお楽しみください。それでは、俺はこれで」
「マイクロトフ様、本当にありがとうございます。ミラ、行くわよ」
母親に手を引かれてマイクロトフとは逆方向へ去りかけていたミラだったが、少女は何を思ったか母親の手を振りほどくと、真っ直ぐにマイクロトフの元へと走った。「ミラ!」という母親の声と近付いてくる足音に振り返ったマイクロトフへミラが突進し、慌てて身を屈めたマイクロトフの腕の中へ、少女の小さな体が飛び込んで行く。
「ミ、ミラ殿? まだ何か……」
「かっこいいおにいちゃん、ありがとう。ミラがまたここにきたときも、だっこしてね。やくそくよ」
少女は背伸びをして、マイクロトフの頬に柔らかな唇を押し当てた。ミラの突然の無礼な行為に彼女の両親は悲鳴を上げながら駆け寄りすぐに娘を引き剥がしたが、一瞬呆気に取られたもののすぐに立ち上がったマイクロトフは、穏やかに微笑みながらミラの前に
「……はい、ミラ殿。いつかまた、必ずお会いしましょう。それまでお元気で」
マイクロトフはミラの小さな手を取り、その手の甲に
「……」
「……あの方は、本当にマイクロトフ様なのか……? 女性に不器用な方だと聞いていたんだが……」
「あの所作、完璧だったわよね……さすがはカミュー様のご友人だわ。ミラが羨まし過ぎて血の涙が出そう」
「おい」
「おかあさん、おかおこわい……」
ギリィ、と歯軋りする妻を
一方、迷子の少女を両親の元へと送り届け、一人帰路へとついたマイクロトフは――。
(……我ながら、随分と
自身の行動を振り返って急に恥ずかしくなり、城内に入るまでの間、熱く火照った頬を冷ますことに躍起になっていたのだった。
1/1ページ
