食欲とあの欲は紙一重

 マチルダ騎士団が治安維持を司っている関係からかグラスランドにありながら近代的で、かのロックアックスの街並みの影響を受けていると思われるとある村に、二人は滞在していた。うららかな昼下がり、女性客の多い洒落しゃれたカフェで膝を突き合わせ、少し遅めのランチを楽しむ。
「久しぶりに来たが、以前訪れた時以上にロックアックスみが増しているな。さすがに騎士団までは存在しないようだが」
「来たことがあるのか?」
「ああ。マチルダ騎士団領に向かう時に、少しな。あの時からやけにハイカラな村だとは思っていたが、今のここは明らかに発展している。私ですら懐かしさを感じるのだから、お前は既に郷愁に駆られてしまっているんじゃないか?」
 カミューの言葉に、マイクロトフはいや、と首を横に振る。
「旅立ってまだ数日だぞ。それに今は、未知の土地をお前と歩く楽しさのほうが強い。郷愁を感じている暇など無いくらいにな」
「そうか。楽しんでくれているのなら何よりだ。私もお前がついてきてくれて、とても心強く思っているよ」
 そう言って柔らかく微笑んだカミューを見て、マイクロトフは思わず頬を赤らめた。二人は旅立ちの前夜に晴れて恋人同士の関係になったわけだが、人目のある場所でこうして蕩けるような甘い顔を見せられると、つい動揺してしまう。
 ――ほら見ろ、周りの女性客が一斉に振り向いて、お前の笑顔に見惚れているじゃないか。人前でそういう顔と声音はやめろ。これでは食事も摂りづらいだろう(もっとも、女性たちが注目しているのは二人が純粋に目を引く美青年だからというのと、彼らの間に漂うどことなく甘い空気を嗅ぎつけてのことだったのだが)。
「……居心地が悪い……」
「そうか? むさ苦しくなくていいじゃないか」
 同性に囲まれていたほうが落ち着くマイクロトフと、異性に囲まれていても平然としているカミュー――長い時間を共に騎士団という男所帯で過ごしてきたというのに、随分違うものだ。しばらく身を置いていた新同盟軍の本拠地でもマイクロトフは女性を避けがちで、逆にカミューは積極的に交流していた。そんなカミューにひそかにやきもきしていた日々が懐かしく感じる。
 居心地が悪くとも、自らが注文した料理を残すのは礼儀に反する。そう考えたマイクロトフは食事を再開し、黙々と料理を食べ始めた。よく食べるが、食べ方が上品なのは相変わらずだ。カミューは頬杖をついてその様子を見つめ、それに気付いたマイクロトフに「お前も早く食べてしまえ」と言われて「はいはい」と笑う。
 周囲の女性客から向けられる好奇の目、「ねえ、あの二人って……」とひそひそと囁く声。ふとカミューに、悪戯心が芽生えた。おのれとマイクロトフは注文した料理が異なり、マイクロトフは肉が主体、カミューは魚が主体だ。しかもカミューが食べている魚は味が濃く弾力もあって、肉と比べても遜色ない。これはマイクロトフにも食べさせて感想を聞いてみたいと思っていたところだったので、呼びかけてみることにする。
「マイクロトフ」
「何だ?」
「この魚、美味いぞ。まるで肉だ。お前も食べてみるといい」
「そうなのか? お前がそう言うのなら……ひと切れ俺の皿に入れてくれ」
「いや、それもいいんだが」
「?」
 カミューが優雅な手つきで魚を切り、ひと口分をフォークに刺した。彼はにこにこと笑いながらそれをマイクロトフに向かって差し出し――
「今日は特別サービスだ、私が食べさせてやろう。――はい、あーん」
「!?」
 キャーッ!! と、周囲から女性たちの黄色い悲鳴が上がる。マイクロトフは瞬時に耳まで真っ赤になり、狼狽するあまりに勢いよく立ち上がった。「ち、違う! 違うのです、これは……!」と周囲の女性客たちへ必死に言い訳を始めたマイクロトフを見たカミューが小刻みに震え出し、ついには耐え切れなくなって俯きながら、口を覆ってしまう。
「……ぷっ……くくくっ……」
「カミュー、お前……!!」
「ははははっ……やはりお前は面白い男だ。いっそ食らいついてくれば良かったものを、そんなに動揺して……くっくくく……」
「……後で覚えてろよ」
 どすん、と椅子に座り直し、マイクロトフは恨めしげにカミューを睨みながら低く呟いた。「後で」とは、すなわち「夜」のことだろう。やっとのことで笑いを治めたカミューはすぐに「悪かったよ」と詫び、フォークに刺したひと切れの魚を目の前の男の皿に入れた。ほどなくしてマイクロトフも落ち着きを取り戻し、カミューから貰ったひと切れの魚を口にしてから「美味いな」と率直な感想を漏らす。
「だろう? お前が好きそうな味だと思ってな。残りも食べるか?」
「俺が……? 食べられることは食べられるが、まだ結構残っているじゃないか。好みではなかったのか?」
「うーん、そういうわけではなくてだな」
 耳を貸すよう手招きされて、マイクロトフは素直に身を乗り出しカミューに顔を近付けた。この動作でも女性客たちは大興奮だったが、カミューは自身の口元に手を当て、マイクロトフにだけ聞こえるように小声で囁く。
「……毎晩お前のあれ・・をたっぷり注がれているからか、あまり腹がかないんだ」
「!!」
 またしても真っ赤になって激しく狼狽うろたえるマイクロトフから離れ、カミューはにこやかに微笑みながら「さあ、早く食事を済ませてしまおうか」と平然と口にする。
 カミューの発言のせいでマイクロトフの食欲は別の欲にすり替わってしまい、このカフェから一刻も早く離れたかったマイクロトフは半ば自棄やけになって残りの料理を全て食べ切ると、大して食べていないにもかかわらず腹をさするカミューと共に、仲良く宿の中へと消えて行ったのだった。
 この日の夜、マイクロトフがカミューに〝配慮〟できたかどうかは、本人たちのみぞ知る。
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