健全massage

「うっ……!? んん……」
 椅子から立ち上がった途端に腰から尻にかけて走った痛みに、カミューは思わず顔を顰めた。原因は、明らかだ。数時間座りっぱなしで、ひたすら書類の山にサインをしていたからである。ペンを持っていた右手までが微かに痛む有様だ。
(ふう……合間に休憩を入れるべきだったな。副団長に割り振ろうとも思ったが、ただでさえ彼にはあれこれ任せているから、つい)
 何事も「そこそこ」を信条としているカミューだが、今日は妙な集中力を発揮してしまい、気が付いたら一人で半分ほどの量をさばいていた。ここ最近、ただでさえデスクワークが多かったのだ。いくら常人より鍛えているとはいえ同じ場所で同じ姿勢を取り続けていれば、当然体も悲鳴を上げるだろう。
(喉もカラカラだ。紅茶でも淹れるか)
 腰を軽く叩きながらなんとか立ち上がったところで、扉を叩く音と共に「カミュー、俺だ」と聞き慣れた声がした。「鍵は空いている、入っていいぞ」と声を掛けるとすぐさま扉が開き、親友であるマイクロトフが姿を現す。そういえば今日はまだろくに顔を合わせていなかったなと、カミューは思う。
「? つらそうな顔をしているな。どこか痛むのか?」
「はは、あっさりバレてしまったな。……ここのところ座り仕事が多かったせいで、どうやら腰を痛めたらしい。頑張り過ぎたな」
「腰を……? それでは、いざという時に剣が振るえないじゃないか。大丈夫なのか」
 マイクロトフが机を挟んだ向かい側までやってきて、本気でカミューを心配する。笑ってはいるもののいまだ腰をさすっているカミューを見たマイクロトフは、やがて何かを思いついたのか机に両手をついて身を乗り出し、真面目な顔で提案した。
「そうだ。ちょうどいい、俺が揉んでやる」
「えっ」
「子供の頃、父上によくして差し上げていたんだ。母上直伝な上に『お前は上手いな』と言われていたから効果はあると思う。お前は時折俺に『馬鹿力』と言うが、マッサージに関してはきちんと力加減ができる自信があるぞ」
「……」
 本当だろうか、と疑わしく思ったが、当のマイクロトフはやる気満々のようだ。親友のせっかくの厚意を無下にしたくもないので、カミューは少し考えた後に頷く。
「……そこまで言うのなら頼もうか。お前のテクニックがどれほどのものか、この身で体験してみようじゃないか」
「ああ、任せろ。友の危機を救うためでもあるからな」
 ではさっそくと、カミューがソファーまで移動してうつ伏せになる。そのすぐそばにマイクロトフが横向きに座り、緩やかにマッサージが始まった。普段の彼からは想像のできない絶妙な力加減の施術に、カミューは驚く。
(なるほど、これは確かに気持ちがいい……心までほぐれて行くようだ)
 服越しとはいえ触れられている部分から、親友の手の温もりが伝わってくる。うっとりとマイクロトフに身を任せて目を瞑っているカミューは、気付いていなかった。仕上げとばかりにマイクロトフがカミューの上にまたがり、その片脚を持ち上げて腰から尻を重点的に揉みほぐしている所へ、まだ入団したばかりの若い青騎士がやって来たのを。
「カミュー団長! マイクロトフ団長はこちらに――」
 よほど緊張していたのか彼はノックもせずに扉を開け放ち、そして、固まった。
 ――ソファーの上で、自身の団長が赤騎士団長を後ろから。若い青騎士は瞬時にして真っ赤になり、あわわわわ……と慌てふためく。
「うわあっ!? えっと……あの……ししし、失礼いたしましたぁっ!!」
 バタン! と勢いよく扉が閉められ、みるみるうちに足音が遠ざかって行く。ここでようやく、二人は気付いた。今の自分たちの状況を。
「あ……」
「……あれは確実に誤解されたな。子供には刺激が強過ぎたようだ」
「……」
「あとで彼には団長の部屋に入る時の作法をしっかり教えてやれよ? こういうことが今後も無いとは限らないからな。……さて、これで終わりか?」
 ソファーから体を起こしたカミューを、マイクロトフは茫然と見つめる。だがすぐに彼は我に返り、
「あ、ああ。少しは楽になったか?」
「だいぶほぐれた気がする。感謝するよ。しかし意外だな、何かと力任せなお前がこんな特技を持っていたなんて。気持ちが良過ぎて、うっかり寝てしまうところだったぞ」
「っはは、それなら良かった。……彼は何か俺に用事があったようだ。話を聞いたらまた来る。ついでにあらぬ誤解も解いてくる」
「分かった。私もお前に対する認識を改めよう。『青騎士団長マイクロトフは案外テクニシャンだ』と」
「それは別の誤解が生じるからやめろ!!」
 先程の若い青騎士のように顔を赤らめながら、マイクロトフが部屋から出て行く。そんな親友を笑いながら見送ったカミューだったが、「また来る」という言葉にじんわりと胸が温かくなり、親友と過ごせる喜びを噛み締めたのだった。
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