理性と獣性の間で
開いた窓から風に乗って、城下に住む人々の生活音や話し声が聞こえてくる。普段は特に意識して耳を傾けることはないのだが、若い女性の声で「マイクロトフ様」と聞こえた途端、テーブルに頬杖をついていたカミューは反射的に身を起こした。気付かれては面倒なので顔を出すことはしなかったが、聞き耳はしっかり立てることにする。
「あら、あなたはマイクロトフ様派なの?」
「ええ……カミュー様ももちろん素敵だし私たち女に優しくていらっしゃるけれど、私はマイクロトフ様のいかにも誠実そうなところが好きなの。もしあの方と結婚したら亭主関白になりそうだけれど、何があっても絶対に守ってくださりそうじゃない? 浮気もしなさそうだし」
「それは確かに。旦那様にするならマイクロトフ様のほうがいいかもね」
「う~ん、それでも私はやっぱりカミュー様派かな~。あの綺麗なお顔と物腰の柔らかさがたまらないわ~。それにあの方だって、結婚したら浮気はなさらないと思うわ。全ての女に優しいままでも、妻にした女のことは特別に甘やかしてくださりそう」
「それも分かるわぁ~。案外ああいう方のほうが、惚れた相手への執着心が強かったりしてね」
「マ、マイクロトフ様だってきっとそうよ。女性に慣れていらっしゃらない分、一度恋をしたら大変なことになりそうじゃない? 私、一度でいいからあの広い胸に抱きしめられて名前を呼ばれてみたくて……」
「あはは、まぁ~たあんたの妄想話が始まったわね。ちなみにあたしはお二人とどうこうと言うより、仲良くされているお二人を見守っていたい派。あの方たちはお互いが一番! って感じだから、あたしたちが入り込む隙なんてないんじゃないかしら」
『あの広い胸に抱きしめられて、名前を呼ばれてみたい』。その気持ちがよく分かってしまい、カミューは苦笑した。最も近くで広い背中を見ることはできても、胸に抱かれることは叶わない。その場所は、いずれマイクロトフが恋に落ちるであろう女性のものになるのだから。
――そう、カミューはマイクロトフに、親友以上の感情を抱いている。それも、かなり早い時期から。
相手が女性であれば年齢を問わず「レディ」と呼び紳士的に接するカミューのことを、初めは「気障 で軽薄な男」だと思っていた。本人はこれも騎士の嗜みだと言い張っていたが、生真面目なマイクロトフからしてみれば「軽い」としか映らなかった。
しかし、いつからだっただろうか。「相棒」と呼べるまでに距離が近くなり、女性に囲まれ笑顔を振りまくカミューに嫉妬や苛立ちのようなものを感じるようになったのは。
己 以外の者と仲良くしている友にやきもきするなど大人げない上に、友に抱くべき思いではないだろう。過ぎるくらいに正義感が強く、思ったことはすぐに口や態度に出してしまう性格のせいで疎まれ他者と衝突しがちだった中、カミューだけはありのままの己を受け入れ、あの手この手でサポートしてくれた。きっとそれが嬉しくてたまらず、初めてできた「一番の友」という存在に舞い上がっているだけなのだ。そう思い込むことでマイクロトフは、カミューへの不自然な感情をやり過ごしてきた。
だが気が付けば、彼が傍 にいなければ落ち着かなくなっていた。傍に居ることが当たり前になり、それを周囲からは羨ましがられ、「並んでいるだけで絵になる」「お似合い」といった言葉を聞くたびに嬉しくなった。カミューは女性に優しく社交的な性格ゆえに色々な女性との噂が流れていたが、夜になると必ずと言っていいほど己を自身の部屋に呼ぶか己の部屋に入り浸っていたので、噂はあくまでも噂でしかないことをマイクロトフは知っていた。二人きりで気に入りのワインを飲みながらとりとめのない話をするのが、一日の最大の楽しみだった。
唯一、カミューを独り占めできる時間。友とのそんな時間がマイクロトフは好きだったが、同時に、そのようなことを考えてしまう自身に戸惑いも感じていた。いったい、いつから俺はおかしくなってしまったのだろうか、と。
「ところで……今日、こんな噂を耳にしたな。私は複数人の女性と交際していて、その中には人妻もいるらしい、と。皆、私を何だと思っているんだ」
酒が進みほろ酔い気分になっている中、ふとカミューが自身の噂について言及した。マイクロトフも酔って少々気が大きくなっているので、普段ならば苦手で避けがちなそういった話題に乗ることにする。
「明らかに日頃の行いのせいだな。あれだけ気を持たせる態度を取っていれば、そういう噂が出ても仕方がない」
「むっ……お前までそんなことを言うのか。私は紳士であって誑 しではないといつも言っているだろう。それにもし噂が真実であれば、今私はお前とこうして酒を飲んでいたりはしないぞ。夜を共に過ごすパートナーは選んでいるつもりだ」
カミューの言葉に、マイクロトフの心臓がどきりと跳ね上がった。こいつは酔って気分が良くなると、時々思わせぶりなことを言ったりやったりする。俺が変に意識しているだけかもしれないが、今のはさすがに誤解を招く表現だろうと、マイクロトフは浅く溜め息を吐く。
「……それが、俺だと?」
「ああ。夜くらいはゆったりと過ごしたくてね。お前相手なら気を遣わなくていいし、昼の間は別々の任務に就いていることが少なくないから、話題も尽きない。うん、最高じゃないか」
「……」
甘い囁き声と蕩けるような視線を送られ、マイクロトフは思わず咳払いをした。――まるで、色仕掛けでもされているかのようだ。色恋に鈍いマイクロトフから見てもカミューは綺麗な顔立ちをしている上にどことなく色気もあると感じるほどだから、このままでは酔った勢いで何かとんでもない過 ちを犯してしまうのではないかと、危機感を覚える。マイクロトフとて成人男子、その手の知識が無いわけではなく、ましてや相手は少なからず不埒な感情を抱いてしまっているカミューである。抱けるか抱けないかと訊 かれたら抱けると答えてしまうくらいには、危ない。
今にも吹き飛んで行ってしまいそうな理性を総動員して、マイクロトフはカミューから顔を背けた。だが、その顔は真っ赤だ。
「飲み過ぎだ。いくら俺の前だからといってそんなに前をはだけるな、服はきちんと着ろ。『親しき仲にも礼儀あり』だぞ」
「……なんだ。お前は私の体に欲情するとでも?」
「なっ……」
「ははは、耳まで真っ赤だ。26にもなってとんだ純情ぶりだな。私はお前と同じ男だぞ? マチルダ騎士団随一の堅物男と有名な青騎士団長殿は、友人の戯れに本気で――」
ダン! と大きな音がしたと同時に、急激にマイクロトフとの距離が縮まった。彼はカミューの背後の壁に片手をつき、その体を封じ込めるようにして立っている。
表情は苦しげで、息も荒い。茫然と見上げてくるカミューへ、マイクロトフは絞り出すような声で言う。
「……もし「そうだ」、と言ったら?」
「え……」
「お前は俺の一番の友だが、時折そうやって俺を試し、弄ぶようなことをする。そこはどうしても好きになれない。……酒の勢いでお前を傷つけるようなことはしたくないんだ。俺が、どれだけ……」
「……マイクロトフ、お前……」
そこまで言いかけてはっと我に返ったマイクロトフは、それ以上話すことなくそっと離れて行った。驚きに目を見開いたままのカミューに背を向け、彼は低い声で呟く。
「俺たちは騎士団長だ。自ら騎士団の風紀を乱すようなことがあってはならない。――今日の俺はどうかしているようだ。先程言ったことは、忘れてくれ」
「……」
マイクロトフの背を見つめるカミューの瞳が、唇が微かに震える。彼は一瞬切なげに目を瞑ると、次にはいつもどおりの穏やかな笑みを浮かべてその背に語りかける。
「悪かった、私が悪かったよマイクロトフ。いくらお前相手とはいえ、悪ふざけが過ぎた。そうだな、我々は騎士団長だ。赤・青騎士団の騎士たちを率い模範を示すという責務を忘れてはならない。……確かに今夜は互いに飲み過ぎたな。これ以上深酒して、前後不覚になるわけにもいかない。明日のためにも、今宵はこれでお開きにするとしよう」
「あ、ああ……今後は気を付けよう。――じゃあな。おやすみ、カミュー」
「おやすみ、マイクロトフ。また明日な」
振り返ったマイクロトフの表情は、もう思い詰めたものではなくなっていた。「また明日」というカミューの言葉に口元を綻ばせ、穏やかな表情でカミューの部屋を後にする。
「……ふう……色々と、危なかった……」
「……だがあの言動、あいつも、もしや……」
顔が、体が途轍もなく熱い。カミューはマイクロトフがいなくなった後の自室で、マイクロトフは自室に戻ってからずるずるとその場にへたり込み、当然ながら全く眠れない夜を過ごしたのだった。
「あら、あなたはマイクロトフ様派なの?」
「ええ……カミュー様ももちろん素敵だし私たち女に優しくていらっしゃるけれど、私はマイクロトフ様のいかにも誠実そうなところが好きなの。もしあの方と結婚したら亭主関白になりそうだけれど、何があっても絶対に守ってくださりそうじゃない? 浮気もしなさそうだし」
「それは確かに。旦那様にするならマイクロトフ様のほうがいいかもね」
「う~ん、それでも私はやっぱりカミュー様派かな~。あの綺麗なお顔と物腰の柔らかさがたまらないわ~。それにあの方だって、結婚したら浮気はなさらないと思うわ。全ての女に優しいままでも、妻にした女のことは特別に甘やかしてくださりそう」
「それも分かるわぁ~。案外ああいう方のほうが、惚れた相手への執着心が強かったりしてね」
「マ、マイクロトフ様だってきっとそうよ。女性に慣れていらっしゃらない分、一度恋をしたら大変なことになりそうじゃない? 私、一度でいいからあの広い胸に抱きしめられて名前を呼ばれてみたくて……」
「あはは、まぁ~たあんたの妄想話が始まったわね。ちなみにあたしはお二人とどうこうと言うより、仲良くされているお二人を見守っていたい派。あの方たちはお互いが一番! って感じだから、あたしたちが入り込む隙なんてないんじゃないかしら」
『あの広い胸に抱きしめられて、名前を呼ばれてみたい』。その気持ちがよく分かってしまい、カミューは苦笑した。最も近くで広い背中を見ることはできても、胸に抱かれることは叶わない。その場所は、いずれマイクロトフが恋に落ちるであろう女性のものになるのだから。
――そう、カミューはマイクロトフに、親友以上の感情を抱いている。それも、かなり早い時期から。
相手が女性であれば年齢を問わず「レディ」と呼び紳士的に接するカミューのことを、初めは「
しかし、いつからだっただろうか。「相棒」と呼べるまでに距離が近くなり、女性に囲まれ笑顔を振りまくカミューに嫉妬や苛立ちのようなものを感じるようになったのは。
だが気が付けば、彼が
唯一、カミューを独り占めできる時間。友とのそんな時間がマイクロトフは好きだったが、同時に、そのようなことを考えてしまう自身に戸惑いも感じていた。いったい、いつから俺はおかしくなってしまったのだろうか、と。
「ところで……今日、こんな噂を耳にしたな。私は複数人の女性と交際していて、その中には人妻もいるらしい、と。皆、私を何だと思っているんだ」
酒が進みほろ酔い気分になっている中、ふとカミューが自身の噂について言及した。マイクロトフも酔って少々気が大きくなっているので、普段ならば苦手で避けがちなそういった話題に乗ることにする。
「明らかに日頃の行いのせいだな。あれだけ気を持たせる態度を取っていれば、そういう噂が出ても仕方がない」
「むっ……お前までそんなことを言うのか。私は紳士であって
カミューの言葉に、マイクロトフの心臓がどきりと跳ね上がった。こいつは酔って気分が良くなると、時々思わせぶりなことを言ったりやったりする。俺が変に意識しているだけかもしれないが、今のはさすがに誤解を招く表現だろうと、マイクロトフは浅く溜め息を吐く。
「……それが、俺だと?」
「ああ。夜くらいはゆったりと過ごしたくてね。お前相手なら気を遣わなくていいし、昼の間は別々の任務に就いていることが少なくないから、話題も尽きない。うん、最高じゃないか」
「……」
甘い囁き声と蕩けるような視線を送られ、マイクロトフは思わず咳払いをした。――まるで、色仕掛けでもされているかのようだ。色恋に鈍いマイクロトフから見てもカミューは綺麗な顔立ちをしている上にどことなく色気もあると感じるほどだから、このままでは酔った勢いで何かとんでもない
今にも吹き飛んで行ってしまいそうな理性を総動員して、マイクロトフはカミューから顔を背けた。だが、その顔は真っ赤だ。
「飲み過ぎだ。いくら俺の前だからといってそんなに前をはだけるな、服はきちんと着ろ。『親しき仲にも礼儀あり』だぞ」
「……なんだ。お前は私の体に欲情するとでも?」
「なっ……」
「ははは、耳まで真っ赤だ。26にもなってとんだ純情ぶりだな。私はお前と同じ男だぞ? マチルダ騎士団随一の堅物男と有名な青騎士団長殿は、友人の戯れに本気で――」
ダン! と大きな音がしたと同時に、急激にマイクロトフとの距離が縮まった。彼はカミューの背後の壁に片手をつき、その体を封じ込めるようにして立っている。
表情は苦しげで、息も荒い。茫然と見上げてくるカミューへ、マイクロトフは絞り出すような声で言う。
「……もし「そうだ」、と言ったら?」
「え……」
「お前は俺の一番の友だが、時折そうやって俺を試し、弄ぶようなことをする。そこはどうしても好きになれない。……酒の勢いでお前を傷つけるようなことはしたくないんだ。俺が、どれだけ……」
「……マイクロトフ、お前……」
そこまで言いかけてはっと我に返ったマイクロトフは、それ以上話すことなくそっと離れて行った。驚きに目を見開いたままのカミューに背を向け、彼は低い声で呟く。
「俺たちは騎士団長だ。自ら騎士団の風紀を乱すようなことがあってはならない。――今日の俺はどうかしているようだ。先程言ったことは、忘れてくれ」
「……」
マイクロトフの背を見つめるカミューの瞳が、唇が微かに震える。彼は一瞬切なげに目を瞑ると、次にはいつもどおりの穏やかな笑みを浮かべてその背に語りかける。
「悪かった、私が悪かったよマイクロトフ。いくらお前相手とはいえ、悪ふざけが過ぎた。そうだな、我々は騎士団長だ。赤・青騎士団の騎士たちを率い模範を示すという責務を忘れてはならない。……確かに今夜は互いに飲み過ぎたな。これ以上深酒して、前後不覚になるわけにもいかない。明日のためにも、今宵はこれでお開きにするとしよう」
「あ、ああ……今後は気を付けよう。――じゃあな。おやすみ、カミュー」
「おやすみ、マイクロトフ。また明日な」
振り返ったマイクロトフの表情は、もう思い詰めたものではなくなっていた。「また明日」というカミューの言葉に口元を綻ばせ、穏やかな表情でカミューの部屋を後にする。
「……ふう……色々と、危なかった……」
「……だがあの言動、あいつも、もしや……」
顔が、体が途轍もなく熱い。カミューはマイクロトフがいなくなった後の自室で、マイクロトフは自室に戻ってからずるずるとその場にへたり込み、当然ながら全く眠れない夜を過ごしたのだった。
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