Rhodanthe
初めはただの遊びとして始まった『一日限りの恋人ごっこ』をきっかけに、赤騎士団副長・イーディスが長らく親友であった青騎士団副長・マルセルから本気の告白をされ、晴れて恋仲となった日の、翌日。
イーディスとマルセルは現マチルダ騎士団の騎士団長を務めるマイクロトフ、そして同騎士団副長カミューから外出の許可を得るべく、マイクロトフの部屋を訪れていた。彼の部屋にはさも当然のようにカミューもいて、やや緊張した面持ちの部下たちの顔を見るなりカミューが笑顔になる。
「やあ、おはよう。その様子だと、外出許可を取りに来たのかな?」
「マイクロトフ様、カミュー様、おはようございます。はい……近日中に、我々がかつてお世話になっていた方が滞在中の村を訪問したいと思っておりまして」
「団長とカミュー様もお戻りになられたことですし、一日外出許可をいただきたく参りました」
「……だ、そうだ。どうする? マイクロトフ」
カミューの問いに、マイクロトフはほんの一瞬机の上に積み上がっている書類の山を一瞥してから、部下たちへと視線を移した。だが彼の表情は至って穏やかなもので、その口元は微 かに綻んですらいる。
「ああ、許可しよう。今日明日にでも行って来るといい。お前たちにはさんざん助けてもらっているんだ、一日と言わず二、三日くらいはゆっくりしてきてもいいんだぞ」
「そ、そんなに空けられません! 俺たちが不在にしている間にもしものことがあったら……」
「おや。私とマイクロトフなんて、団長という立場でありながら君たちに一切のことを押し付けて約三年、結婚してからは約一か月も旅に出ていたんだがな? それに比べたら二、三日なんて可愛いものだろう」
慌てるマルセルへカミューが答え、その美しい顔に意味深長な笑みを浮かべた。彼はぎくりと身を強張らせたイーディスとマルセルを交互に見遣ると、優しく囁くように続ける。
「――せっかくなんだ、思い切り楽しんでおいで。ここにいてはやりにくいこともあるだろうからね」
「えっ?」
「それは……」
「おい、カミュー」
顔を引き攣らせた部下たちを哀れに思ったのだろう、マイクロトフがカミューを窘 めた。しかしそれきり黙ってにこにこと笑顔で見つめてくるカミューの代わりに、マイクロトフは咳払いをした後、やや言いにくそうに話し出す。
「お前たちは、その……想い合っているのだろう? カミューからそう聞いた。ならば一日では足りないだろうと思ってな。俺とて、その程度の配慮は出来る」
――ば、バレてるー! マルセルがぱっと顔を赤らめた一方で、イーディスは懸命に平静を装った。昨日の今日で、もうカミューに気付かれてしまった。やはりこの方には隠し事などできないのだと、改めて思い知る。
上司にバレてしまった以上は、素直に認めるしかない。ふ、と息を吐き、心の中で慎重に言葉を選び始めたイーディスより先に、マルセルが口を開く。
「では、二日でお願いします。今回は知人に会いに行くことが目的なので、それで十分です。――団長がおっしゃったとおり、俺は、イーディスを愛しています。昨日、それをはっきりと自覚しました」
「ちょっと、マルセル」
「ですが、だからといって日々の務めを疎 かにするつもりはありません。これまでどおり団長と副長を全力でお支えし、マチルダ騎士団の発展に貢献したい所存です」
実にあっさりと開き直ったマルセルとその傍 らで思わず頬を染めるイーディスに、マイクロトフとカミューは一瞬目を丸くした後 、カミューだけがどこか満足そうに頷いた。部下たちの仲が急激に深まった理由が、なんとなく分かったからだ。
「ふむ……ようやく名前で呼び合う仲になったんだな。やはり昨日、私が君に聞かせたあの話がきっかけで?」
「……はい」
「何があったのか、詳しく聞きたいな」
「それは……ここでお話するようなことでは……」
気まずそうに肩を竦 めて口を噤 んだイーディスへ、だがカミューは、気分を害した風もなく続ける。
「ふふ。これは単なる私の推測だが……君の好奇心から来るほんの悪戯 が、ただでさえ君にひそかな想いを寄せていたマルセル殿を本気にさせ、そんな君も本当はずっとマルセル殿を好きだったということに気付いた……あたりか?」
「す、凄い! さすがカミュー様です。全部当たってます」
「マルセル!」
「おや、図星か。ははは、なんともめでたい話じゃないか。言っただろう、私は君たちを応援している、と。ちなみに、今回の行き先は?」
「ミューズ市近郊の村です。お二方のお言葉に甘えさせていただき二日間の休暇をいただくとして、当日は村に一泊し、その後 は出来る限り早く戻るつもりです」
すぐさま落ち着きを取り戻し冷静に答えたイーディスに、カミューが「本当にそれでいいのかい?」と重ねて問う。「はい」と真顔で同時に答えたイーディスとマルセルを見て、カミューは彼らの真面目さとマイクロトフ以上の奥手さに、これは私が色々とお膳立てしてやるべきか……とひそかに思考を巡らせ始めた。
「知人」こと元白騎士団副長――真の名を「ジェラルド」と言う――への手紙を出し終えたイーディスは、この日はマルセルと共に通常業務にあたった。ジェラルドからの返信が届き次第揃って留守にすることになるため予 め部下たちへ仕事の割り振りも行い、明日からでも出発できるよう着実に準備を進めて行く。ひと足先に仕事を切り上げて部屋へとやってきたマルセルを見てもイーディスは机に向かい続け、少しでも部下たちの負担を減らそうと、明日の分の仕事までこなす有様だった。無表情で淡々とペンを走らせる「仕事モード」のイーディスも美しくはあるが、元より全てが好みだった彼と、恋人同士の関係になったばかりなのだ。相手の甘い顔が見たい、甘い時間を過ごしたいと思うのは当然のことだろうと、マルセルは思う。
「まだ終わらないのか?」「もう少し待ってて」というやりとりが三度 繰り返されたところで、マルセルは座っていた椅子から立ち上がった。彼は大股でイーディスに近付くと、大胆にもその体を後ろから抱きすくめる。

「……っ!? ちょっとマルセル、まだ仕事中だよ!」
「もうどれだけ待たされていると思っているのだ。それはどうしても今日中にやらねばならないことなのか?」
「君ねえ……早ければ明日には出発するんだよ? だから少しでもみんなの負担を減らしておこうと……」
「今は団長やカミュー様もいらっしゃるのだ、二日程度ならばなんとかなるだろう。俺たちにしか務まらない仕事でもあるまいし」
「何言ってるの。私たちは副長なんだから――ひゃあっ!?」
突如耳を食 まれ、イーディスは高い悲鳴と共にびくりと跳ね上がった。己 が上げた素っ頓狂な声にイーディスは耳まで真っ赤になり、彼の耳を緩く食んだ張本人であるマルセルも一瞬ぽかんとした後、思わず本音を漏らす。
「……な、なんて声を出すのだ……」
「君がおかしなことをするからだよ! 早く離れてっ!」
「……」
服越しに触れている部分から、互いの早い鼓動が伝わってくる。このままではいけないと腕の中で身を捩 るイーディスを、だがマルセルは解放するどころかさらに強く抱きしめた。マルセルの怒涛の「構って」攻撃にイーディスはすっかり根負けし、ゆるゆると体の力を抜くと、はあ、と大きな溜息を吐く。
「もう……君って人は……どうして急にこんなこと……」
「貴殿が俺を長く放っておくからだ」
「……私より半年以上お兄さん自慢はどこへ行ったの?」
「うっ……こっ、これは、貴殿限定だ。好きな人の前でくらいは、自然体でいたいのだ」
ぼそぼそと恥ずかしそうに呟くマルセルにイーディスはたまらない愛おしさを覚えて、ようやくペンを置いた。可愛らしい甘えん坊を存分に甘やかしきるまで、仕事は一旦中断だ。
「分かったよ、今から休憩にするよ。紅茶でも淹れる?」
「いや、ただ傍 にいてくれるだけでいい。昨夜キスをした後のように、ソファーで身を寄せ合って……」
「ふう……しょうがないなぁ。君は本当に甘えん坊さんなんだから」
もうすぐ30になる成人男子でありながら子供のように甘えてくるマルセルもマルセルだが、甘やかしてしまう己も大概だなと、イーディスは苦笑を漏らす。二人はソファーへ移動すると深く腰掛け、寄り添って手を重ね、互いの温もりを感じながらしばし閑談に興じることにした。
この日の夜はカミューの部屋で、新たに誕生した副長カップルのためのささやかな祝宴が開かれた。
祝宴だなんて……と恐縮したイーディスとマルセルだったが、カミューは上司として恋愛の先輩として、首を突っ込む気満々らしい。彼のパートナーであるマイクロトフも当然この場に呼ばれ、四人は上質なワインとつまみをじっくりと味わう。
「いやぁ、たまにはこういう夜もいいものだな。とはいえ、そう長く拘束するつもりはないよ。君たちだって、二人だけの甘い夜を過ごしたいだろうからね」
「あ、甘い夜……」
「ありがとうございます。ですが私は今日のうちに終わらせてしまいたい仕事がまだ残っておりますので、お気遣いなく」
そう言ってすまし顔でグラスを傾けるイーディスを、既に少し酔い始めているマルセルがやや不満そうに見つめた。人前では極力クールであろうとするイーディスと、その時の感情がすぐに表に出てしまうマルセル――これは二人の関係が進展すれば変わって行くのだろうかと思いつつ、カミューは自身の意見を述べる。
「おや、大切な人との時間よりも仕事を取るのかい? 緊急性のあるものならばまだしも、君が今手を付けているのは、おそらく明日の分の仕事だろう。――責任感の強い君のことだ、我々への負担を考えて少しでもと進めてくれているのだろうが、言ってしまえば書類仕事は案外、誰にでもできる。だがマルセル殿とかけがえのない時間を過ごすことができるのはイーディス、君だけだ。よってどちらが重要か、分からない君ではあるまい?」
「それは……」
戸惑うイーディスへ、それまで無言で成り行きを見守っていたマイクロトフも力強く頷いて助け舟を出す。
「俺もカミューと同意見だ。明日の仕事のことは、気にしなくていい。せっかく想いが通じ合ったのだから、マルセルとの時間を優先してやってくれ」
「団長……!」
マルセルは感激に潤んだ瞳で、カミューとイーディスは目を丸くしてマイクロトフを見つめた。三人から一斉に注目を浴びたマイクロトフはやや居心地が悪そうに肩を竦め、こほん、と小さく咳払いをする。
「……驚いたな。マチルダ騎士団一の堅物として名を馳せていたマイクロトフが、部下にこんなことを言うまでになるとは」
「俺とて特別な人がいるのだから、以前とは考え方も変わる。むろん、そればかりに現 を抜かすわけにはいかないが」
「そんな堅物騎士団長殿の特別な存在となれたことは光栄だな。だがお前は奥手と見せかけて、私に告白してからすぐに――」
「カミュー!!」
――あ、やっぱり愛の告白をした直後に「そういう関係」になったという噂は本当だったんだ。カミューの言葉を慌てて遮るマイクロトフと、そんなマイクロトフを見て笑っているカミューから、イーディスは気まずそうに目を逸らした。酒が入っているせいで、いつも以上に開放的になっているのだろうか。だが他人の、ましてや上司たちの性事情を聞かされたところで、非常に反応に困る。仲間たちの間で繰り広げられる猥談ならばまだ適当に聞き流しておけばいいが、上司が相手だとそうはいかない。さて、これはどうリアクションすべきか……などと考え始めたイーディスより先に、またしてもマルセルが勢いのままに口を開く。
「さ、さすが団長です! 俺も見習うべきでしょうか!?」
「い、いや……」
「マルセル!!」
「なんだ、昨夜は恋仲になっただけで、何事も無かったのか。まあイーディスは清楚系美人だからな、おいそれと穢 したくないという気持ちはよく分かるが。誰かさんと違って、マルセル殿は紳士だな」
「紳士だなんて……今はとにかく、イーディスを大事にしたい。ただそれだけです」
マルセルが口にした本音にカミューはほう……と感心し、傍らのマイクロトフに「聞いたか、マイクロトフ。お前のところの副長殿は、なんてピュアなんだ」と囁いた。当のマイクロトフはカミューに告白した直後の自らの行動を思い返して唇を引き結び、うっすらと頬を染めたイーディスも、無言でマルセルを見つめる。
「……いい男じゃないか。君は幸せ者だな」
「……はい」
「マルセル殿、うちの可愛い副長をよろしく頼むよ。恋の悩みや相談ならば、いつでも聞こう」
「カミュー様……ありがとうございます。イーディスは、俺が絶対に幸せにします」
「ははは、頼もしいな。これは早くも結婚秒読みか? 我々の挙式で世話になったんだ、君たちが式を挙げる際はマイクロトフともども、全力で協力しよう。いいだろう? マイクロトフ」
「うむ……協力するのはやぶさかではないが、彼らは昨日 恋仲になったばかりだろう。さすがに気が早過ぎないか?」
「早めに心構えをしておいても損はないだろう。お前のことだからガチガチに緊張するんだろうが、心配せずとも司会役は私が務めるさ。お前は私のサポート役に徹してくれればいい」
「そ、そうか。そういうことならば」
色恋に関する話題だからというのもあるのだろうが、完全にカミューに主導権を握られているマイクロトフを見て、マルセルとイーディスが小さく吹き出す。直後にマイクロトフから「何を笑っているんだ」と咎められ、二人はすぐに真顔に戻ったのだった。
「ふー、飲んだ飲んだ。つまみも美味かったな。だが俺はまだ正気だぞぉ」
「はいはい、君は充分に酔っているよ。まずはお水を飲もうね」
二人でマルセルの部屋に入り、すっかりふらついている恋人をソファーに下ろしたイーディスは、グラスに注いだ水をマルセルに手渡した。それを一気に飲み干したマルセルはぷはぁ、と息を吐いてグラスをテーブルに置き、目の前に立つイーディスへ隣に座るよう促す。
「やっと二人きりだ。キスしよう」
「嫌だよ、今の君はとてもお酒臭いもの」
「貴殿も飲んでいただろう。酒臭いのはお互い様だ」
「私は君ほど飲んでいないし、人の支え無しでちゃんと歩けるから」
「むぅ……では、このまま帰るというのか」
「もちろん。……今日は、これで我慢して」
そう言ってイーディスは身を屈めるとマルセルの前髪を指で掻き分け、露わになった額へそっと口付けた。柔らかく温かな感触にマルセルが目を丸くしている隙にイーディスは離れ、「おやすみ、マルセル。また明日ね」と囁いて去って行く。
「……」
恋人の温もりがほんのりと残る額を片手で押さえ、マルセルは耳まで真っ赤になった。酔っ払ってはいるものの、誰よりも愛おしい人から愛情を示されたということはさすがに分かる。
「……ずるいぞ、イーディス……」
額へのキスだけでも、こんなにも胸が高鳴ってしまう。今宵は彼との甘い夢を見られることを願いつつ、マルセルはほどなく眠りに就いた。
翌日――正午を目前にした頃に、イーディスの元へ一通の手紙が届いた。差出人は、「白副長」ことジェラルドだ。
イーディスは手紙を持ってすぐさまマルセルの部屋を訪ね、無事訪問承諾の返事が来たことを報告した。手紙を読んだマルセルも喜び、「実はもう、出発の準備はできているのだ。あとは私服に着替えるだけだ」と、得意げに胸を張る。
「着て行くのはいつもの服でいいよね。動きやすいし」
「ああ。貴殿はあの服でいいと思うが、俺は外套を羽織ろうと思う。一応『旅』をするわけだからな」
「そうだね、君は外套が必要かもね。道中で何があるか分からないし」
「我が騎士団領内は安全だが、ミューズ市周辺にはならず者が跋扈 しているとも聞くからな。貴殿も剣を抜かねばならないことがあるかもしれないぞ」
「……そうしなくてもいいように、左手に火の紋章を宿してきたんだ。剣を用いた戦いになれば、私は君に守られっぱなしになってしまうからね。自分の身は、自分で守らなきゃ」
「む、そうか。まあ、紋章魔法もあるに越したことはないからな。それを必要とする事態が起こらないことを願うばかりだが」
二人は一旦別れ、それぞれの部屋で私服に着替えてから再度マイクロトフの部屋へと向かった。彼の傍には今日もカミューがいて、「おや、いよいよ出発かい?」と笑顔で言う。
「繰り返し言うが我々のことは気にせず、存分に楽しんでおいで。ひと言連絡さえくれれば、休暇の日数を増やしてもいいから」
「そ、それはさすがに……二日で済むよう努めます。では、行ってきます」
「気を付けるんだぞ」
「はい。では、行って参ります」
マルセルは礼儀正しく、イーディスは優雅に一礼し、マイクロトフの部屋を後にする。最も信頼の置ける部下たちを見送ったマイクロトフとカミューは顔を見合わせ、カミューの「これは土産話が楽しみだな」という言葉に対し、マイクロトフは「あまり根掘り葉掘り訊 くんじゃないぞ」と苦い顔で窘めた。
厩舎から馬たちを連れ出し、街の外に出たところで二人は「二日間、よろしく頼むよ」「普段よりもいい飯を用意したのだ、しっかり働くのだぞ」と声を掛けてからそれぞれの愛馬に跨った。マルセルの相棒は主に似ていつも溌溂 としている鹿毛の馬、イーディスの相棒も主に似て穏やかな気性の美しい白馬だ。
マチルダの関所までは比較的ゆっくりと、関所を超えてからは場所によって歩様を変えながら進んだ。道中はならず者や魔物の襲撃といった危機に見舞われることもなく、ジェラルドが住んでいるという小さな村に着いたのは、辺りがすっかり暗くなってからだった。村の入り口にやってきた見慣れない二人の青年に気付いた老爺が「あんたら、もしやジェラルド殿が言ってた客人かね」と口にしたことで、この村で間違いがなかったことに安堵する。
「はい。私は、マチルダ騎士団赤騎士団副長イーディスと申します。ジェラルド殿には、現在もお世話になっております。本日は、一晩お邪魔させていただきたく存じます」
「同じく、マチルダ騎士団青騎士団副長マルセルと申します。今宵は少々騒がしいかもしれませんが、我々の先輩騎士であり友でもあるジェラルド殿をお借りいたします」
「おやおや……よく見たら二人揃って別嬪さんだねえ。マチルダ騎士団の騎士様ってのは、美形じゃないと務まらないっていう決まりでもあるのかい。ジェラルド殿もかなりの男前だが、そっちの黒髪の騎士様はハンサムだし、金髪の騎士様は、どえらい美人さんだ。こんなに麗しい騎士様たちなら、ジェラルド殿のお宅と言わずウチに泊めて差し上げたいくらいだよ」
でれでれと鼻の下を伸ばす老爺へ「ありがとうございます」と笑顔で答えるイーディスの前に、マルセルが庇うように立った。相手が老人とはいえ、何もかもが好みでようやく恋仲になった美しい恋人がいやらしい目を向けられるのは耐えられない。マルセルのそんな思いに気付いたのかイーディスは苦笑し、その場の空気を悪くせぬよう優雅に一礼して、その場を後にする。
「……もう。君って人は」
「あのご老人が悪いのだ。貴殿をあのようないやらしい目で……」
「そんなつもりはなかったと思うんだけれど。君だって、ハンサムだって褒められていたじゃない」
「俺のことはどうでもいいのだ。俺は、貴殿が――」
「おお、聞き慣れた声がすると思えば。イーディス、マルセル、よく来てくれた。待っていたよ」
不意に名を呼ばれ、マルセルとイーディスは声が聞こえた方向を同時に見た。そこには銀髪の背の高い青年・ジェラルドが半月前と変わらぬ姿で佇んでおり、口元に穏やかな笑みを浮かべている。
「あっ!? こ、これはジェラルド殿!」
「こんばんは、ジェラルド殿。約半月ぶりですね。本日はお邪魔いたします」
「ふ……手紙の文面ならばまだしも、面と向かって名を呼んだり呼ばれたりするのは少し照れ臭いな。――俺の家は、すぐそこだ。物の多い家だが、あまり気にしないでくれ」

他の家々からは少し離れた場所に建つ家に向かって歩き出したジェラルドの後に、マルセルとイーディスが続く。何の特徴も無い小さな村だが、だからこそジェラルド殿はここに腰を落ち着けることにしたのだろうなと、二人は思う。
扉を開けて先に入るよう促すジェラルドに軽く礼を言い、マルセルとイーディスはジェラルドの家の中へと足を踏み入れた。室内は素朴な造りで明かりも控えめだが、テーブルの上に積み上がった本にカラフルな毛糸や刺繍糸、窓のそばにはイーゼルや箱に敷き詰められた色とりどりの絵の具をはじめとした画材一式と確かに物が多く、この家の主が多趣味であることが窺えた。ジェラルドは31歳とまだ十分に若いが、本人はここでの静かな暮らしを心底楽しんでいるのだろう。
「……完全に、趣味部屋ですな」
きょろきょろと室内を見回すマルセルとイーディスへ、ジェラルドは近くの椅子に座るよう勧める。
「気ままな一人暮らしだからな。村人が訪ねてくる機会は多いが部屋の中まで入ってくることは滅多にないから、好きにやらせてもらっているよ」
「以前おっしゃっていた、団長と副長のご結婚祝いの品は……」
「ああ、それか。少し前に完成したよ。俺の記憶とお前たちから聞いたお二人の挙式の話を元に、肖像画風の絵を描いてみたのだ。俺は挙式には立ち会っていないからな、細かい部分は異なるだろうが」
「肖像画風! それは絶対に喜ばれますぞ!」
「それほど大きな絵では無いから、帰る時にでも持って行ってくれ。やはり、騎士団から去った人間が直接渡すべきではないと思ってな」
「そうですか……でしたら無理強いはできませんね。ですがいつかまた、ロックアックスへいらしてくださいね。お二方のことですから、直接会って礼を言いたいと必ずおっしゃると思うので」
「ふむ……検討は、しておこう」
「……ところで、その絵をひと足先に見せていただくことは……?」
興味津々といった様子で身を乗り出すマルセルに、ジェラルドは「ああ、大丈夫だ」と頷いた。マルセルの隣に座るイーディスも一見落ち着いてはいるもののその目はマルセル同様輝いており、後輩二人からの期待に満ちた眼差しを受けて、照れ臭さ半分、嬉しさ半分の気持ちで部屋の奥へと向かう。
「はは、過度な期待はしないでくれよ? 所詮は素人が描いた絵だ、あまり似ていなくとも大目に見てくれ」
そう言ってジェラルドが絵を覆っていた布を取り去ると、柔らかなタッチと色使いで描かれたマイクロトフとカミューが現れた。マルセルから聞いた婚礼衣装の話をしっかりと覚えていたのだろう、マイクロトフは青いネクタイに純白のフロックコート、カミューは赤色の蝶ネクタイに純白のタキシードを纏っており、柔らかく微笑み合いながら一つの花束を手にしている。上手い下手というよりは味のある、優しい気持ちになれる絵だ。
「……いい絵ですね。お二人の特徴をしっかり捉えていますし、見ていて幸せな気持ちになります」
「……素晴らしい。ジェラルド殿の絵は初めて拝見しましたが、こんなに優しく繊細な絵を描かれるのですな。正直、抽象画の類だったらどう反応しようかと……」
「抽象画は抽象画で惹かれるものがあるんだがな。それにしても人物画は描いたことがなかったからな、なかなかに苦戦したよ。お二人が気に入ってくださればいいんだが」
「なんと、初めてでこのクオリティとは! これならば確実に気に入ってくださいますよ!」
拳を握って力強く頷くマルセルにジェラルドは照れ笑いを浮かべ、再度絵を布で包んでから「そういえば」と切り出した。何事かと目を瞬くマルセルとイーディスへ、ジェラルドは彼らとの再会時に感じたことを口にする。
「お前たちがひそひそ話をしていた時、何やらマルセルが憤慨していたように見えたのだが……何かあったのか? ご老人がどうとか、いやらしい目がどうとか」
「き、聞こえていたのですか」
「聞こえていたとも。幸い、耳はいいほうでな。……さては、イーディスに見惚れたご老人に敵愾 心を燃やしたな?」
「!」
こういった揶揄にマルセルが動揺するのはいつものことで、今回も「そ、そんなことはありません!」と即座に否定の言葉が飛んで来るだろうと思っていた。だが少し待ってもそういった言葉は一向に発されず、それどころか俯いてぎゅっと唇を引き結んだマルセルを見て、ジェラルドは真顔になる。
「……おい。お前、まさか……」
「――そのとおりです。俺は、イーディスが他の人間から性的な目を向けられたことが堪 らなく嫌だった」
「マルセル!」
これまたあっさりと開き直ったマルセルに、今度はイーディスが動揺する。だが当のマルセルは「ジェラルド殿には真実を話してもいいだろう? 以前から俺たちの仲を応援してくださっていたのだぞ?」と畳み掛け、イーディスが「それはそうだけれど……」と口ごもる。
「――というわけで俺たちは一昨日 、恋仲になりました。とある事情で一日限定の恋人ごっこをしたのですが、遊びで終わらせたくなくて、俺が告白しました。……俺はイーディスのことが、ずっと好きだった。イーディスも、以前から好きだったと言ってくれた。ようやく、自分の気持ちに正直になれたんです」
「……」
「……」
三人の間に、しばしの沈黙が訪れた。堂々と胸を張るマルセルと頬を染めて俯くイーディスを交互に見つめ、妙な感動を覚えたジェラルドは、可愛い後輩たちへ祝福の拍手を送る。
「本当に『ようやくか』と言ったところだが……おめでとう。恋人ごっこの件は後でじっくり聞かせてもらうとして、これは近々ミューズ市の有名店に予約を入れて、フルコースをご馳走すべきだな。ここ最近で、最も嬉しいニュースだ。長い間お前たちを見守り続けた甲斐があったぞ」
「ありがとうございます! ジェラルド殿ならばそう言ってくださると思っていました」
「ありがとうございます。そんな、そこまでしていただかなくても……お祝いの言葉をいただけただけで十分です」
「そう遠慮するな、俺がご馳走したいのだ。明日すぐにというのはさすがに無理でも、こうしてまた集まる理由ができただろう。再びの外出許可を得るのは容易ではないだろうが、今の団長殿と副長殿ならば事情を説明すれば快く送り出してくださるのではないかと、俺は思う。好きな人とできるだけ共に在りたいという気持ちは、お二人にもよく分かるだろうからな」
「……そうですな。連絡さえくれれば休暇を増やしてもいいとは言ってくださいましたが、今回は二日で帰ると言い張った手前、そういうわけにもいかず」
「明日のお昼前にはここを発 つつもりですので、今宵は心行くまでお話させていただけたらと」
ころころと表情がよく変わるマルセルと柔らかく微笑むイーディスへ、ジェラルドも穏やかな笑みを浮かべて頷いた。楽しい時間が過ぎるのは、あっという間だ。ならば、限られた時を無駄にはできない。
「そうか。ここは本当に何もない村だからな、夕飯はごく質素なものしか用意がないが、幸い、いい酒なら仕入れてある。護衛の仕事も続けてみるものだな」
「……酒? その……大丈夫なのですか?」
「あなたに、お酒は……」
酒に酔った時の己を知るマルセルとイーディスからすぐさまツッコまれ、ジェラルドは苦笑しつつ補足する。
「大丈夫だ。今の俺は、悩み多き副長ではないからな。当時のように自棄酒 を繰り返して、無様な姿をさらけ出したりはせんよ。飲む量は、きちんと調節できる」
「本当でしょうか?」
「こら、失礼でしょ。――正直なところ、酔って陽気になったジェラルド殿も面白くはありましたが、人が変わってしまうまで飲むのは避けるべきですね。それにマルセル、君もだよ。君はお酒に弱い上に酔うと遠慮がなくなるんだから、飲むペースはゆっくりめに、量も控えめにね」
「うっ……き、気を付ける」
「ははは。ロックアックス城の屋上で飲んで騒いで、翌朝赤騎士団長殿に呼び出されて説教を食らったあの日が懐かしく感じるな。……この家の壁は薄いからな、あまり大声で話したら、外に丸聞こえだ。おまけに村の住人たちは、寝るのが早い。だから盛り上がり過ぎないように気を付けよう」
言い終わるなりジェラルドはキッチンへと向かい、前もって用意していた料理を持って戻ってきた。種類こそ多くはないものの彩りが鮮やかで、料理を食べるだけでも満足できそうだ。
「……これは素晴らしい。質素、とは?」
「せめて色合いだけでも美しくしようと思ってな。料理自体は大雑把もいいところさ」
「すべて、ジェラルド殿が作ってくださったのですか?」
「一応な。完全に自己流だから口に合うかは分からんが、村の人々にはまあまあ好評だ」
「ジェラルド殿は何でも出来て凄いですな! つくづく貴殿には、我が騎士団に残っていただきたかった……」
マルセルの心底無念そうな様子に、ジェラルドは再び苦笑しながらそれぞれのグラスへ酒を注ぐ。三人揃っての、数年ぶりのささやかな酒宴のはじまりだ。
「確固たる信念を持つ青騎士団長殿と赤騎士団長殿がトップを務めている今の騎士団ならば、きっとうまくやっていけるさ。――大切な友との良き夜に、新たなマチルダ騎士団の未来に、乾杯」
「乾杯!」
「乾杯」
かつて白騎士団副長を務めていた青年と現役赤・青騎士団副長の青年たちがグラスを掲げ、微笑み合う。
この日のために用意された上等なワインとジェラルドお手製の料理の数々に舌鼓を打ちつつ、三人は心行くまで語り合い、最も酒に弱いマルセルが脱落し眠りこけた後も、ジェラルドとイーディスの二人で穏やかな夜を過ごした。
外から聞こえる鳥の声と正面から何者かに抱きしめられている感覚で、イーディスは目覚めた。
己を抱きしめているのはすぐ目の前で寝息を立てているマルセルで、二人は一つのベッドに横たわっていた。視線の先には椅子に座って眠っているジェラルドがおり、「お前さんを床や椅子で寝かせるのは気が引ける。俺のベッドを使うといい」と、彼のベッドを譲ってもらったことを思い出す。
(……昨夜の記憶は飛んでいないけれど、マルセルがベッドに潜り込んできたことに気付かなかったくらいに眠り込んでしまっていたのか。さすがに気を緩め過ぎたな……)
やはり、少し飲み過ぎてしまったのだろうか。今後は気を付けなければと唇を引き結んだ直後にマルセルが低く唸りながらもぞもぞと身動ぎし、「イーディス……」と今までに聞いたことのない甘い声で名を呼ばれたことで、イーディスはびくりと身を強張らせた。寝起きで思考が鈍っていたが、よく考えなくともこれは「良くない状況」だ。
「ま、マルセル、起きて。もう朝だよ」
「うう~ん、イーディス……もう、離したく、な、い……」
「だめ、離して」
「俺の、イーディス……俺は貴殿を、もっと……」
「いいから、早く起き――あっ……」
いったいどのような夢を見ているのか、抱擁を強め距離を縮めてきたマルセルの熱い吐息が首筋にかかり、イーディスの全身が熱くなった。自身が上げた喘ぎ声に耳まで真っ赤になり、慌ててマルセルを引き剥がそうと躍起になり始めたところで、いつの間に起きていたのかこちらを見つめているジェラルドと目が合う。
「……おいおい、朝っぱらからお盛んだな。いくら好きだからって、ここでおっ始めないでくれよ?」
「ち、違うんです。私は決して、そのようなつもりは……マルセル、起きてってば!」
やや強めに肩を揺さぶられて、マルセルはようやく目を開いた。――目の前には、美しい恋人の顔。ぼんやりとした頭でそれだけを認識し、マルセルはイーディスの唇へ、己のそれを躊躇 うことなく重ねる。

「~~っ!!」
「……おはよう、イーディス。もう起きていたのか。やはり貴殿は、こんな時までしっかり者なのだな」
顔を真っ赤にして固まっているイーディスの頬を愛おしそうに撫でるマルセルに、ジェラルドは片手で顔を覆いつつ天を仰いだ。これでは〝事後〟を見せつけられているも同然だ。
そんなマルセルも、ようやく現実世界へと戻ってきたのだろう。ただならぬイーディスの様子とその奥で天を仰いでいるジェラルドの姿を認め、途端に目を丸くする。
「……あれ? 服を、着ている……ジェラルド殿が、いる……?」
「えっ……?」
「マルセル、お前……さては、淫らな夢を見ていたな? ここは俺の家で、お前たちが横たわっているのは、俺のベッドだ。昨夜の酒宴で、お前は真っ先にダウンしただろう」
「あ……」
ジェラルドの言葉にマルセルも真っ赤になり、彼は勢いよく起き上がると、あたふたとベッドから飛び降りた。恋人のイーディスと密着して一つのベッドに横たわっていたこと、イーディスとの淫らな夢を見ていたあげくその延長で堂々とキスをしてしまったこと、それらの全てを先輩であるジェラルドに知られ、見られていたこと――あまりにも恥ずかしくて、この場から逃げ出してしまいたいくらいだ。
「そ、その……色々と、申し訳ない……」
「ふう……まあ、お前たちが深く愛し合っているのは十分過ぎるほどに分かったよ。それでよく長い間、親友の関係性を貫いていたものだ。……騎士団にはもう関わらずに生きて行くつもりだが、挙式をする際は、ぜひ呼んでくれ。長らく見守ってきた一人の友として、純粋に祝いたいからな」
「え、ええと……なるべく早く実現できるように、頑張ります」
「マルセル!」
感情が表に出やすいマルセルはともかく、冷静沈着でしっかり者のイーディスまでが真っ赤になっており、これは噂に聞く現マチルダ騎士団の団長と副長に劣らぬバカップルだぞと、ジェラルドはある種の覚悟を決める。
(……それにしても、騎士団のツートップだけでなくそれを支える副長二人までデキているなんて、なかなか凄いことだよな。現マチルダ騎士団は男色の温床だと非難されても、何も言い返すことができない)
かつて所属していた組織だけにいつか何かあるのではないかと些 か不安も感じるが、二組とも周りから何を言われようと末永く幸せであれと、ジェラルド個人は願うのだった。
「このたびは、お世話になりました……と同時に、大変ご迷惑をおかけしました。何度もお見苦しいところをお見せしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるイーディスに、ジェラルドが笑う。
「はは。冷静沈着のしっかり者で知られる赤騎士団副長殿の意外な一面に驚きはしたが、不快には思わなかったよ。むしろ以前よりも親近感が湧いたくらいだ。――マルセルもな。せっかく叶った恋なのだ、突っ走り過ぎて愛想を尽かされないよう気を付けるんだぞ」
「な、何を……いや、気を付けます……」
急に自信を無くして俯いたマルセルの肩を、ジェラルドは「まあ、お前たちなら大丈夫だと信じているよ」と言いながら、励ますように軽く叩く。
「そう遠くはない日に、再びお会いできることを願って」
「フルコース、楽しみにしておりますぞ!」
「ああ、俺も楽しみにしているよ。――じゃあな。気を付けて帰るんだぞ」
「ありがとうございます。ジェラルド殿も、健康に気を付けて」
「ありがとうございました! またお会いしましょう!」
マルセルは礼儀正しく、イーディスは優雅に一礼し、二人はそれぞれの馬にひらりと跨ると、ジェラルドに背を向けた。彼らに興味津々な村人たちにも見送られ、馬上の人となった若く美しい青年たちの姿は、みるみるうちに小さくなっていく。
「……あの騎士様たちは、また来てくれるのかい? 今度こそ、儂ともお話させておくれ」
「あんなに綺麗な子たちなら、次は村を挙げて歓迎したいよ。料理もたくさん作ってさ」
「最近のマチルダ騎士団は、団長が変わってから良くなったって話じゃないか。その辺の話も、たっぷり聞かせてほしいよねえ」
「再会の約束はしましたから。次も、きっとありますよ。それまでに彼らをどう歓迎するか、村の皆でじっくり話し合っておきましょう」
後輩たちを姿が見えなくなるまで見送ってから振り返ったジェラルドの言葉に、村人たちが一斉に頷く。ジェラルドはこの村では最年少の住人だが、その誠実さや頼もしさから、一目置かれている存在だ。
「――さて。今日は午後から護衛の依頼が入っているので、何かお手伝いできることがありましたら今のうちに。……ああそうだ、○○殿のお宅の屋根の修繕を頼まれていましたね。まずは、それから始めましょうか」
騎士団にいた頃の慌ただしさとは比べ物にならないが、今日も忙しくなるぞ。可愛い後輩たちとの再会を楽しみに、元白騎士団副長ジェラルドは静かな日常に戻るべく、村の中へと戻って行った。
それから、数時間後――
無事ロックアックス城へと帰還したマルセルとイーディスが『婚礼衣装を纏ったマイクロトフとカミュー』の絵を渡すと彼らはとても喜び、予想していたとおりジェラルドに直接会って礼を言いたいと口にした。果たしてそれが本当に叶うかは怪しいところだが、カミューから「絵は(新居の)リビングに飾った」と報告を受け、イーディスはジェラルドへの手紙にその旨 を書き記した。いつかジェラルド本人が、それを目にする機会があることを願いながら。
マルセルとイーディス、そしてジェラルドの再びの集いは、この日から半月も経たないうちに果たされることとなる。
イーディスとマルセルは現マチルダ騎士団の騎士団長を務めるマイクロトフ、そして同騎士団副長カミューから外出の許可を得るべく、マイクロトフの部屋を訪れていた。彼の部屋にはさも当然のようにカミューもいて、やや緊張した面持ちの部下たちの顔を見るなりカミューが笑顔になる。
「やあ、おはよう。その様子だと、外出許可を取りに来たのかな?」
「マイクロトフ様、カミュー様、おはようございます。はい……近日中に、我々がかつてお世話になっていた方が滞在中の村を訪問したいと思っておりまして」
「団長とカミュー様もお戻りになられたことですし、一日外出許可をいただきたく参りました」
「……だ、そうだ。どうする? マイクロトフ」
カミューの問いに、マイクロトフはほんの一瞬机の上に積み上がっている書類の山を一瞥してから、部下たちへと視線を移した。だが彼の表情は至って穏やかなもので、その口元は
「ああ、許可しよう。今日明日にでも行って来るといい。お前たちにはさんざん助けてもらっているんだ、一日と言わず二、三日くらいはゆっくりしてきてもいいんだぞ」
「そ、そんなに空けられません! 俺たちが不在にしている間にもしものことがあったら……」
「おや。私とマイクロトフなんて、団長という立場でありながら君たちに一切のことを押し付けて約三年、結婚してからは約一か月も旅に出ていたんだがな? それに比べたら二、三日なんて可愛いものだろう」
慌てるマルセルへカミューが答え、その美しい顔に意味深長な笑みを浮かべた。彼はぎくりと身を強張らせたイーディスとマルセルを交互に見遣ると、優しく囁くように続ける。
「――せっかくなんだ、思い切り楽しんでおいで。ここにいてはやりにくいこともあるだろうからね」
「えっ?」
「それは……」
「おい、カミュー」
顔を引き攣らせた部下たちを哀れに思ったのだろう、マイクロトフがカミューを
「お前たちは、その……想い合っているのだろう? カミューからそう聞いた。ならば一日では足りないだろうと思ってな。俺とて、その程度の配慮は出来る」
――ば、バレてるー! マルセルがぱっと顔を赤らめた一方で、イーディスは懸命に平静を装った。昨日の今日で、もうカミューに気付かれてしまった。やはりこの方には隠し事などできないのだと、改めて思い知る。
上司にバレてしまった以上は、素直に認めるしかない。ふ、と息を吐き、心の中で慎重に言葉を選び始めたイーディスより先に、マルセルが口を開く。
「では、二日でお願いします。今回は知人に会いに行くことが目的なので、それで十分です。――団長がおっしゃったとおり、俺は、イーディスを愛しています。昨日、それをはっきりと自覚しました」
「ちょっと、マルセル」
「ですが、だからといって日々の務めを
実にあっさりと開き直ったマルセルとその
「ふむ……ようやく名前で呼び合う仲になったんだな。やはり昨日、私が君に聞かせたあの話がきっかけで?」
「……はい」
「何があったのか、詳しく聞きたいな」
「それは……ここでお話するようなことでは……」
気まずそうに肩を
「ふふ。これは単なる私の推測だが……君の好奇心から来るほんの
「す、凄い! さすがカミュー様です。全部当たってます」
「マルセル!」
「おや、図星か。ははは、なんともめでたい話じゃないか。言っただろう、私は君たちを応援している、と。ちなみに、今回の行き先は?」
「ミューズ市近郊の村です。お二方のお言葉に甘えさせていただき二日間の休暇をいただくとして、当日は村に一泊し、その
すぐさま落ち着きを取り戻し冷静に答えたイーディスに、カミューが「本当にそれでいいのかい?」と重ねて問う。「はい」と真顔で同時に答えたイーディスとマルセルを見て、カミューは彼らの真面目さとマイクロトフ以上の奥手さに、これは私が色々とお膳立てしてやるべきか……とひそかに思考を巡らせ始めた。
「知人」こと元白騎士団副長――真の名を「ジェラルド」と言う――への手紙を出し終えたイーディスは、この日はマルセルと共に通常業務にあたった。ジェラルドからの返信が届き次第揃って留守にすることになるため
「まだ終わらないのか?」「もう少し待ってて」というやりとりが

「……っ!? ちょっとマルセル、まだ仕事中だよ!」
「もうどれだけ待たされていると思っているのだ。それはどうしても今日中にやらねばならないことなのか?」
「君ねえ……早ければ明日には出発するんだよ? だから少しでもみんなの負担を減らしておこうと……」
「今は団長やカミュー様もいらっしゃるのだ、二日程度ならばなんとかなるだろう。俺たちにしか務まらない仕事でもあるまいし」
「何言ってるの。私たちは副長なんだから――ひゃあっ!?」
突如耳を
「……な、なんて声を出すのだ……」
「君がおかしなことをするからだよ! 早く離れてっ!」
「……」
服越しに触れている部分から、互いの早い鼓動が伝わってくる。このままではいけないと腕の中で身を
「もう……君って人は……どうして急にこんなこと……」
「貴殿が俺を長く放っておくからだ」
「……私より半年以上お兄さん自慢はどこへ行ったの?」
「うっ……こっ、これは、貴殿限定だ。好きな人の前でくらいは、自然体でいたいのだ」
ぼそぼそと恥ずかしそうに呟くマルセルにイーディスはたまらない愛おしさを覚えて、ようやくペンを置いた。可愛らしい甘えん坊を存分に甘やかしきるまで、仕事は一旦中断だ。
「分かったよ、今から休憩にするよ。紅茶でも淹れる?」
「いや、ただ
「ふう……しょうがないなぁ。君は本当に甘えん坊さんなんだから」
もうすぐ30になる成人男子でありながら子供のように甘えてくるマルセルもマルセルだが、甘やかしてしまう己も大概だなと、イーディスは苦笑を漏らす。二人はソファーへ移動すると深く腰掛け、寄り添って手を重ね、互いの温もりを感じながらしばし閑談に興じることにした。
この日の夜はカミューの部屋で、新たに誕生した副長カップルのためのささやかな祝宴が開かれた。
祝宴だなんて……と恐縮したイーディスとマルセルだったが、カミューは上司として恋愛の先輩として、首を突っ込む気満々らしい。彼のパートナーであるマイクロトフも当然この場に呼ばれ、四人は上質なワインとつまみをじっくりと味わう。
「いやぁ、たまにはこういう夜もいいものだな。とはいえ、そう長く拘束するつもりはないよ。君たちだって、二人だけの甘い夜を過ごしたいだろうからね」
「あ、甘い夜……」
「ありがとうございます。ですが私は今日のうちに終わらせてしまいたい仕事がまだ残っておりますので、お気遣いなく」
そう言ってすまし顔でグラスを傾けるイーディスを、既に少し酔い始めているマルセルがやや不満そうに見つめた。人前では極力クールであろうとするイーディスと、その時の感情がすぐに表に出てしまうマルセル――これは二人の関係が進展すれば変わって行くのだろうかと思いつつ、カミューは自身の意見を述べる。
「おや、大切な人との時間よりも仕事を取るのかい? 緊急性のあるものならばまだしも、君が今手を付けているのは、おそらく明日の分の仕事だろう。――責任感の強い君のことだ、我々への負担を考えて少しでもと進めてくれているのだろうが、言ってしまえば書類仕事は案外、誰にでもできる。だがマルセル殿とかけがえのない時間を過ごすことができるのはイーディス、君だけだ。よってどちらが重要か、分からない君ではあるまい?」
「それは……」
戸惑うイーディスへ、それまで無言で成り行きを見守っていたマイクロトフも力強く頷いて助け舟を出す。
「俺もカミューと同意見だ。明日の仕事のことは、気にしなくていい。せっかく想いが通じ合ったのだから、マルセルとの時間を優先してやってくれ」
「団長……!」
マルセルは感激に潤んだ瞳で、カミューとイーディスは目を丸くしてマイクロトフを見つめた。三人から一斉に注目を浴びたマイクロトフはやや居心地が悪そうに肩を竦め、こほん、と小さく咳払いをする。
「……驚いたな。マチルダ騎士団一の堅物として名を馳せていたマイクロトフが、部下にこんなことを言うまでになるとは」
「俺とて特別な人がいるのだから、以前とは考え方も変わる。むろん、そればかりに
「そんな堅物騎士団長殿の特別な存在となれたことは光栄だな。だがお前は奥手と見せかけて、私に告白してからすぐに――」
「カミュー!!」
――あ、やっぱり愛の告白をした直後に「そういう関係」になったという噂は本当だったんだ。カミューの言葉を慌てて遮るマイクロトフと、そんなマイクロトフを見て笑っているカミューから、イーディスは気まずそうに目を逸らした。酒が入っているせいで、いつも以上に開放的になっているのだろうか。だが他人の、ましてや上司たちの性事情を聞かされたところで、非常に反応に困る。仲間たちの間で繰り広げられる猥談ならばまだ適当に聞き流しておけばいいが、上司が相手だとそうはいかない。さて、これはどうリアクションすべきか……などと考え始めたイーディスより先に、またしてもマルセルが勢いのままに口を開く。
「さ、さすが団長です! 俺も見習うべきでしょうか!?」
「い、いや……」
「マルセル!!」
「なんだ、昨夜は恋仲になっただけで、何事も無かったのか。まあイーディスは清楚系美人だからな、おいそれと
「紳士だなんて……今はとにかく、イーディスを大事にしたい。ただそれだけです」
マルセルが口にした本音にカミューはほう……と感心し、傍らのマイクロトフに「聞いたか、マイクロトフ。お前のところの副長殿は、なんてピュアなんだ」と囁いた。当のマイクロトフはカミューに告白した直後の自らの行動を思い返して唇を引き結び、うっすらと頬を染めたイーディスも、無言でマルセルを見つめる。
「……いい男じゃないか。君は幸せ者だな」
「……はい」
「マルセル殿、うちの可愛い副長をよろしく頼むよ。恋の悩みや相談ならば、いつでも聞こう」
「カミュー様……ありがとうございます。イーディスは、俺が絶対に幸せにします」
「ははは、頼もしいな。これは早くも結婚秒読みか? 我々の挙式で世話になったんだ、君たちが式を挙げる際はマイクロトフともども、全力で協力しよう。いいだろう? マイクロトフ」
「うむ……協力するのはやぶさかではないが、彼らは
「早めに心構えをしておいても損はないだろう。お前のことだからガチガチに緊張するんだろうが、心配せずとも司会役は私が務めるさ。お前は私のサポート役に徹してくれればいい」
「そ、そうか。そういうことならば」
色恋に関する話題だからというのもあるのだろうが、完全にカミューに主導権を握られているマイクロトフを見て、マルセルとイーディスが小さく吹き出す。直後にマイクロトフから「何を笑っているんだ」と咎められ、二人はすぐに真顔に戻ったのだった。
「ふー、飲んだ飲んだ。つまみも美味かったな。だが俺はまだ正気だぞぉ」
「はいはい、君は充分に酔っているよ。まずはお水を飲もうね」
二人でマルセルの部屋に入り、すっかりふらついている恋人をソファーに下ろしたイーディスは、グラスに注いだ水をマルセルに手渡した。それを一気に飲み干したマルセルはぷはぁ、と息を吐いてグラスをテーブルに置き、目の前に立つイーディスへ隣に座るよう促す。
「やっと二人きりだ。キスしよう」
「嫌だよ、今の君はとてもお酒臭いもの」
「貴殿も飲んでいただろう。酒臭いのはお互い様だ」
「私は君ほど飲んでいないし、人の支え無しでちゃんと歩けるから」
「むぅ……では、このまま帰るというのか」
「もちろん。……今日は、これで我慢して」
そう言ってイーディスは身を屈めるとマルセルの前髪を指で掻き分け、露わになった額へそっと口付けた。柔らかく温かな感触にマルセルが目を丸くしている隙にイーディスは離れ、「おやすみ、マルセル。また明日ね」と囁いて去って行く。
「……」
恋人の温もりがほんのりと残る額を片手で押さえ、マルセルは耳まで真っ赤になった。酔っ払ってはいるものの、誰よりも愛おしい人から愛情を示されたということはさすがに分かる。
「……ずるいぞ、イーディス……」
額へのキスだけでも、こんなにも胸が高鳴ってしまう。今宵は彼との甘い夢を見られることを願いつつ、マルセルはほどなく眠りに就いた。
翌日――正午を目前にした頃に、イーディスの元へ一通の手紙が届いた。差出人は、「白副長」ことジェラルドだ。
イーディスは手紙を持ってすぐさまマルセルの部屋を訪ね、無事訪問承諾の返事が来たことを報告した。手紙を読んだマルセルも喜び、「実はもう、出発の準備はできているのだ。あとは私服に着替えるだけだ」と、得意げに胸を張る。
「着て行くのはいつもの服でいいよね。動きやすいし」
「ああ。貴殿はあの服でいいと思うが、俺は外套を羽織ろうと思う。一応『旅』をするわけだからな」
「そうだね、君は外套が必要かもね。道中で何があるか分からないし」
「我が騎士団領内は安全だが、ミューズ市周辺にはならず者が
「……そうしなくてもいいように、左手に火の紋章を宿してきたんだ。剣を用いた戦いになれば、私は君に守られっぱなしになってしまうからね。自分の身は、自分で守らなきゃ」
「む、そうか。まあ、紋章魔法もあるに越したことはないからな。それを必要とする事態が起こらないことを願うばかりだが」
二人は一旦別れ、それぞれの部屋で私服に着替えてから再度マイクロトフの部屋へと向かった。彼の傍には今日もカミューがいて、「おや、いよいよ出発かい?」と笑顔で言う。
「繰り返し言うが我々のことは気にせず、存分に楽しんでおいで。ひと言連絡さえくれれば、休暇の日数を増やしてもいいから」
「そ、それはさすがに……二日で済むよう努めます。では、行ってきます」
「気を付けるんだぞ」
「はい。では、行って参ります」
マルセルは礼儀正しく、イーディスは優雅に一礼し、マイクロトフの部屋を後にする。最も信頼の置ける部下たちを見送ったマイクロトフとカミューは顔を見合わせ、カミューの「これは土産話が楽しみだな」という言葉に対し、マイクロトフは「あまり根掘り葉掘り
厩舎から馬たちを連れ出し、街の外に出たところで二人は「二日間、よろしく頼むよ」「普段よりもいい飯を用意したのだ、しっかり働くのだぞ」と声を掛けてからそれぞれの愛馬に跨った。マルセルの相棒は主に似ていつも
マチルダの関所までは比較的ゆっくりと、関所を超えてからは場所によって歩様を変えながら進んだ。道中はならず者や魔物の襲撃といった危機に見舞われることもなく、ジェラルドが住んでいるという小さな村に着いたのは、辺りがすっかり暗くなってからだった。村の入り口にやってきた見慣れない二人の青年に気付いた老爺が「あんたら、もしやジェラルド殿が言ってた客人かね」と口にしたことで、この村で間違いがなかったことに安堵する。
「はい。私は、マチルダ騎士団赤騎士団副長イーディスと申します。ジェラルド殿には、現在もお世話になっております。本日は、一晩お邪魔させていただきたく存じます」
「同じく、マチルダ騎士団青騎士団副長マルセルと申します。今宵は少々騒がしいかもしれませんが、我々の先輩騎士であり友でもあるジェラルド殿をお借りいたします」
「おやおや……よく見たら二人揃って別嬪さんだねえ。マチルダ騎士団の騎士様ってのは、美形じゃないと務まらないっていう決まりでもあるのかい。ジェラルド殿もかなりの男前だが、そっちの黒髪の騎士様はハンサムだし、金髪の騎士様は、どえらい美人さんだ。こんなに麗しい騎士様たちなら、ジェラルド殿のお宅と言わずウチに泊めて差し上げたいくらいだよ」
でれでれと鼻の下を伸ばす老爺へ「ありがとうございます」と笑顔で答えるイーディスの前に、マルセルが庇うように立った。相手が老人とはいえ、何もかもが好みでようやく恋仲になった美しい恋人がいやらしい目を向けられるのは耐えられない。マルセルのそんな思いに気付いたのかイーディスは苦笑し、その場の空気を悪くせぬよう優雅に一礼して、その場を後にする。
「……もう。君って人は」
「あのご老人が悪いのだ。貴殿をあのようないやらしい目で……」
「そんなつもりはなかったと思うんだけれど。君だって、ハンサムだって褒められていたじゃない」
「俺のことはどうでもいいのだ。俺は、貴殿が――」
「おお、聞き慣れた声がすると思えば。イーディス、マルセル、よく来てくれた。待っていたよ」
不意に名を呼ばれ、マルセルとイーディスは声が聞こえた方向を同時に見た。そこには銀髪の背の高い青年・ジェラルドが半月前と変わらぬ姿で佇んでおり、口元に穏やかな笑みを浮かべている。
「あっ!? こ、これはジェラルド殿!」
「こんばんは、ジェラルド殿。約半月ぶりですね。本日はお邪魔いたします」
「ふ……手紙の文面ならばまだしも、面と向かって名を呼んだり呼ばれたりするのは少し照れ臭いな。――俺の家は、すぐそこだ。物の多い家だが、あまり気にしないでくれ」

他の家々からは少し離れた場所に建つ家に向かって歩き出したジェラルドの後に、マルセルとイーディスが続く。何の特徴も無い小さな村だが、だからこそジェラルド殿はここに腰を落ち着けることにしたのだろうなと、二人は思う。
扉を開けて先に入るよう促すジェラルドに軽く礼を言い、マルセルとイーディスはジェラルドの家の中へと足を踏み入れた。室内は素朴な造りで明かりも控えめだが、テーブルの上に積み上がった本にカラフルな毛糸や刺繍糸、窓のそばにはイーゼルや箱に敷き詰められた色とりどりの絵の具をはじめとした画材一式と確かに物が多く、この家の主が多趣味であることが窺えた。ジェラルドは31歳とまだ十分に若いが、本人はここでの静かな暮らしを心底楽しんでいるのだろう。
「……完全に、趣味部屋ですな」
きょろきょろと室内を見回すマルセルとイーディスへ、ジェラルドは近くの椅子に座るよう勧める。
「気ままな一人暮らしだからな。村人が訪ねてくる機会は多いが部屋の中まで入ってくることは滅多にないから、好きにやらせてもらっているよ」
「以前おっしゃっていた、団長と副長のご結婚祝いの品は……」
「ああ、それか。少し前に完成したよ。俺の記憶とお前たちから聞いたお二人の挙式の話を元に、肖像画風の絵を描いてみたのだ。俺は挙式には立ち会っていないからな、細かい部分は異なるだろうが」
「肖像画風! それは絶対に喜ばれますぞ!」
「それほど大きな絵では無いから、帰る時にでも持って行ってくれ。やはり、騎士団から去った人間が直接渡すべきではないと思ってな」
「そうですか……でしたら無理強いはできませんね。ですがいつかまた、ロックアックスへいらしてくださいね。お二方のことですから、直接会って礼を言いたいと必ずおっしゃると思うので」
「ふむ……検討は、しておこう」
「……ところで、その絵をひと足先に見せていただくことは……?」
興味津々といった様子で身を乗り出すマルセルに、ジェラルドは「ああ、大丈夫だ」と頷いた。マルセルの隣に座るイーディスも一見落ち着いてはいるもののその目はマルセル同様輝いており、後輩二人からの期待に満ちた眼差しを受けて、照れ臭さ半分、嬉しさ半分の気持ちで部屋の奥へと向かう。
「はは、過度な期待はしないでくれよ? 所詮は素人が描いた絵だ、あまり似ていなくとも大目に見てくれ」
そう言ってジェラルドが絵を覆っていた布を取り去ると、柔らかなタッチと色使いで描かれたマイクロトフとカミューが現れた。マルセルから聞いた婚礼衣装の話をしっかりと覚えていたのだろう、マイクロトフは青いネクタイに純白のフロックコート、カミューは赤色の蝶ネクタイに純白のタキシードを纏っており、柔らかく微笑み合いながら一つの花束を手にしている。上手い下手というよりは味のある、優しい気持ちになれる絵だ。
「……いい絵ですね。お二人の特徴をしっかり捉えていますし、見ていて幸せな気持ちになります」
「……素晴らしい。ジェラルド殿の絵は初めて拝見しましたが、こんなに優しく繊細な絵を描かれるのですな。正直、抽象画の類だったらどう反応しようかと……」
「抽象画は抽象画で惹かれるものがあるんだがな。それにしても人物画は描いたことがなかったからな、なかなかに苦戦したよ。お二人が気に入ってくださればいいんだが」
「なんと、初めてでこのクオリティとは! これならば確実に気に入ってくださいますよ!」
拳を握って力強く頷くマルセルにジェラルドは照れ笑いを浮かべ、再度絵を布で包んでから「そういえば」と切り出した。何事かと目を瞬くマルセルとイーディスへ、ジェラルドは彼らとの再会時に感じたことを口にする。
「お前たちがひそひそ話をしていた時、何やらマルセルが憤慨していたように見えたのだが……何かあったのか? ご老人がどうとか、いやらしい目がどうとか」
「き、聞こえていたのですか」
「聞こえていたとも。幸い、耳はいいほうでな。……さては、イーディスに見惚れたご老人に敵
「!」
こういった揶揄にマルセルが動揺するのはいつものことで、今回も「そ、そんなことはありません!」と即座に否定の言葉が飛んで来るだろうと思っていた。だが少し待ってもそういった言葉は一向に発されず、それどころか俯いてぎゅっと唇を引き結んだマルセルを見て、ジェラルドは真顔になる。
「……おい。お前、まさか……」
「――そのとおりです。俺は、イーディスが他の人間から性的な目を向けられたことが
「マルセル!」
これまたあっさりと開き直ったマルセルに、今度はイーディスが動揺する。だが当のマルセルは「ジェラルド殿には真実を話してもいいだろう? 以前から俺たちの仲を応援してくださっていたのだぞ?」と畳み掛け、イーディスが「それはそうだけれど……」と口ごもる。
「――というわけで俺たちは
「……」
「……」
三人の間に、しばしの沈黙が訪れた。堂々と胸を張るマルセルと頬を染めて俯くイーディスを交互に見つめ、妙な感動を覚えたジェラルドは、可愛い後輩たちへ祝福の拍手を送る。
「本当に『ようやくか』と言ったところだが……おめでとう。恋人ごっこの件は後でじっくり聞かせてもらうとして、これは近々ミューズ市の有名店に予約を入れて、フルコースをご馳走すべきだな。ここ最近で、最も嬉しいニュースだ。長い間お前たちを見守り続けた甲斐があったぞ」
「ありがとうございます! ジェラルド殿ならばそう言ってくださると思っていました」
「ありがとうございます。そんな、そこまでしていただかなくても……お祝いの言葉をいただけただけで十分です」
「そう遠慮するな、俺がご馳走したいのだ。明日すぐにというのはさすがに無理でも、こうしてまた集まる理由ができただろう。再びの外出許可を得るのは容易ではないだろうが、今の団長殿と副長殿ならば事情を説明すれば快く送り出してくださるのではないかと、俺は思う。好きな人とできるだけ共に在りたいという気持ちは、お二人にもよく分かるだろうからな」
「……そうですな。連絡さえくれれば休暇を増やしてもいいとは言ってくださいましたが、今回は二日で帰ると言い張った手前、そういうわけにもいかず」
「明日のお昼前にはここを
ころころと表情がよく変わるマルセルと柔らかく微笑むイーディスへ、ジェラルドも穏やかな笑みを浮かべて頷いた。楽しい時間が過ぎるのは、あっという間だ。ならば、限られた時を無駄にはできない。
「そうか。ここは本当に何もない村だからな、夕飯はごく質素なものしか用意がないが、幸い、いい酒なら仕入れてある。護衛の仕事も続けてみるものだな」
「……酒? その……大丈夫なのですか?」
「あなたに、お酒は……」
酒に酔った時の己を知るマルセルとイーディスからすぐさまツッコまれ、ジェラルドは苦笑しつつ補足する。
「大丈夫だ。今の俺は、悩み多き副長ではないからな。当時のように
「本当でしょうか?」
「こら、失礼でしょ。――正直なところ、酔って陽気になったジェラルド殿も面白くはありましたが、人が変わってしまうまで飲むのは避けるべきですね。それにマルセル、君もだよ。君はお酒に弱い上に酔うと遠慮がなくなるんだから、飲むペースはゆっくりめに、量も控えめにね」
「うっ……き、気を付ける」
「ははは。ロックアックス城の屋上で飲んで騒いで、翌朝赤騎士団長殿に呼び出されて説教を食らったあの日が懐かしく感じるな。……この家の壁は薄いからな、あまり大声で話したら、外に丸聞こえだ。おまけに村の住人たちは、寝るのが早い。だから盛り上がり過ぎないように気を付けよう」
言い終わるなりジェラルドはキッチンへと向かい、前もって用意していた料理を持って戻ってきた。種類こそ多くはないものの彩りが鮮やかで、料理を食べるだけでも満足できそうだ。
「……これは素晴らしい。質素、とは?」
「せめて色合いだけでも美しくしようと思ってな。料理自体は大雑把もいいところさ」
「すべて、ジェラルド殿が作ってくださったのですか?」
「一応な。完全に自己流だから口に合うかは分からんが、村の人々にはまあまあ好評だ」
「ジェラルド殿は何でも出来て凄いですな! つくづく貴殿には、我が騎士団に残っていただきたかった……」
マルセルの心底無念そうな様子に、ジェラルドは再び苦笑しながらそれぞれのグラスへ酒を注ぐ。三人揃っての、数年ぶりのささやかな酒宴のはじまりだ。
「確固たる信念を持つ青騎士団長殿と赤騎士団長殿がトップを務めている今の騎士団ならば、きっとうまくやっていけるさ。――大切な友との良き夜に、新たなマチルダ騎士団の未来に、乾杯」
「乾杯!」
「乾杯」
かつて白騎士団副長を務めていた青年と現役赤・青騎士団副長の青年たちがグラスを掲げ、微笑み合う。
この日のために用意された上等なワインとジェラルドお手製の料理の数々に舌鼓を打ちつつ、三人は心行くまで語り合い、最も酒に弱いマルセルが脱落し眠りこけた後も、ジェラルドとイーディスの二人で穏やかな夜を過ごした。
外から聞こえる鳥の声と正面から何者かに抱きしめられている感覚で、イーディスは目覚めた。
己を抱きしめているのはすぐ目の前で寝息を立てているマルセルで、二人は一つのベッドに横たわっていた。視線の先には椅子に座って眠っているジェラルドがおり、「お前さんを床や椅子で寝かせるのは気が引ける。俺のベッドを使うといい」と、彼のベッドを譲ってもらったことを思い出す。
(……昨夜の記憶は飛んでいないけれど、マルセルがベッドに潜り込んできたことに気付かなかったくらいに眠り込んでしまっていたのか。さすがに気を緩め過ぎたな……)
やはり、少し飲み過ぎてしまったのだろうか。今後は気を付けなければと唇を引き結んだ直後にマルセルが低く唸りながらもぞもぞと身動ぎし、「イーディス……」と今までに聞いたことのない甘い声で名を呼ばれたことで、イーディスはびくりと身を強張らせた。寝起きで思考が鈍っていたが、よく考えなくともこれは「良くない状況」だ。
「ま、マルセル、起きて。もう朝だよ」
「うう~ん、イーディス……もう、離したく、な、い……」
「だめ、離して」
「俺の、イーディス……俺は貴殿を、もっと……」
「いいから、早く起き――あっ……」
いったいどのような夢を見ているのか、抱擁を強め距離を縮めてきたマルセルの熱い吐息が首筋にかかり、イーディスの全身が熱くなった。自身が上げた喘ぎ声に耳まで真っ赤になり、慌ててマルセルを引き剥がそうと躍起になり始めたところで、いつの間に起きていたのかこちらを見つめているジェラルドと目が合う。
「……おいおい、朝っぱらからお盛んだな。いくら好きだからって、ここでおっ始めないでくれよ?」
「ち、違うんです。私は決して、そのようなつもりは……マルセル、起きてってば!」
やや強めに肩を揺さぶられて、マルセルはようやく目を開いた。――目の前には、美しい恋人の顔。ぼんやりとした頭でそれだけを認識し、マルセルはイーディスの唇へ、己のそれを

「~~っ!!」
「……おはよう、イーディス。もう起きていたのか。やはり貴殿は、こんな時までしっかり者なのだな」
顔を真っ赤にして固まっているイーディスの頬を愛おしそうに撫でるマルセルに、ジェラルドは片手で顔を覆いつつ天を仰いだ。これでは〝事後〟を見せつけられているも同然だ。
そんなマルセルも、ようやく現実世界へと戻ってきたのだろう。ただならぬイーディスの様子とその奥で天を仰いでいるジェラルドの姿を認め、途端に目を丸くする。
「……あれ? 服を、着ている……ジェラルド殿が、いる……?」
「えっ……?」
「マルセル、お前……さては、淫らな夢を見ていたな? ここは俺の家で、お前たちが横たわっているのは、俺のベッドだ。昨夜の酒宴で、お前は真っ先にダウンしただろう」
「あ……」
ジェラルドの言葉にマルセルも真っ赤になり、彼は勢いよく起き上がると、あたふたとベッドから飛び降りた。恋人のイーディスと密着して一つのベッドに横たわっていたこと、イーディスとの淫らな夢を見ていたあげくその延長で堂々とキスをしてしまったこと、それらの全てを先輩であるジェラルドに知られ、見られていたこと――あまりにも恥ずかしくて、この場から逃げ出してしまいたいくらいだ。
「そ、その……色々と、申し訳ない……」
「ふう……まあ、お前たちが深く愛し合っているのは十分過ぎるほどに分かったよ。それでよく長い間、親友の関係性を貫いていたものだ。……騎士団にはもう関わらずに生きて行くつもりだが、挙式をする際は、ぜひ呼んでくれ。長らく見守ってきた一人の友として、純粋に祝いたいからな」
「え、ええと……なるべく早く実現できるように、頑張ります」
「マルセル!」
感情が表に出やすいマルセルはともかく、冷静沈着でしっかり者のイーディスまでが真っ赤になっており、これは噂に聞く現マチルダ騎士団の団長と副長に劣らぬバカップルだぞと、ジェラルドはある種の覚悟を決める。
(……それにしても、騎士団のツートップだけでなくそれを支える副長二人までデキているなんて、なかなか凄いことだよな。現マチルダ騎士団は男色の温床だと非難されても、何も言い返すことができない)
かつて所属していた組織だけにいつか何かあるのではないかと
「このたびは、お世話になりました……と同時に、大変ご迷惑をおかけしました。何度もお見苦しいところをお見せしてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げるイーディスに、ジェラルドが笑う。
「はは。冷静沈着のしっかり者で知られる赤騎士団副長殿の意外な一面に驚きはしたが、不快には思わなかったよ。むしろ以前よりも親近感が湧いたくらいだ。――マルセルもな。せっかく叶った恋なのだ、突っ走り過ぎて愛想を尽かされないよう気を付けるんだぞ」
「な、何を……いや、気を付けます……」
急に自信を無くして俯いたマルセルの肩を、ジェラルドは「まあ、お前たちなら大丈夫だと信じているよ」と言いながら、励ますように軽く叩く。
「そう遠くはない日に、再びお会いできることを願って」
「フルコース、楽しみにしておりますぞ!」
「ああ、俺も楽しみにしているよ。――じゃあな。気を付けて帰るんだぞ」
「ありがとうございます。ジェラルド殿も、健康に気を付けて」
「ありがとうございました! またお会いしましょう!」
マルセルは礼儀正しく、イーディスは優雅に一礼し、二人はそれぞれの馬にひらりと跨ると、ジェラルドに背を向けた。彼らに興味津々な村人たちにも見送られ、馬上の人となった若く美しい青年たちの姿は、みるみるうちに小さくなっていく。
「……あの騎士様たちは、また来てくれるのかい? 今度こそ、儂ともお話させておくれ」
「あんなに綺麗な子たちなら、次は村を挙げて歓迎したいよ。料理もたくさん作ってさ」
「最近のマチルダ騎士団は、団長が変わってから良くなったって話じゃないか。その辺の話も、たっぷり聞かせてほしいよねえ」
「再会の約束はしましたから。次も、きっとありますよ。それまでに彼らをどう歓迎するか、村の皆でじっくり話し合っておきましょう」
後輩たちを姿が見えなくなるまで見送ってから振り返ったジェラルドの言葉に、村人たちが一斉に頷く。ジェラルドはこの村では最年少の住人だが、その誠実さや頼もしさから、一目置かれている存在だ。
「――さて。今日は午後から護衛の依頼が入っているので、何かお手伝いできることがありましたら今のうちに。……ああそうだ、○○殿のお宅の屋根の修繕を頼まれていましたね。まずは、それから始めましょうか」
騎士団にいた頃の慌ただしさとは比べ物にならないが、今日も忙しくなるぞ。可愛い後輩たちとの再会を楽しみに、元白騎士団副長ジェラルドは静かな日常に戻るべく、村の中へと戻って行った。
それから、数時間後――
無事ロックアックス城へと帰還したマルセルとイーディスが『婚礼衣装を纏ったマイクロトフとカミュー』の絵を渡すと彼らはとても喜び、予想していたとおりジェラルドに直接会って礼を言いたいと口にした。果たしてそれが本当に叶うかは怪しいところだが、カミューから「絵は(新居の)リビングに飾った」と報告を受け、イーディスはジェラルドへの手紙にその
マルセルとイーディス、そしてジェラルドの再びの集いは、この日から半月も経たないうちに果たされることとなる。
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