One day lover

さすがにもうしばらくは城を長く空けることはしないよと、カミューは言った。恋人のマイクロトフと共に約三年にわたったグラスランドの旅に、夫となったマイクロトフとの、約一か月間の
「いくらマイクロトフが私の旦那でも、独り占めしっぱなしではいらぬ嫉妬を買ってしまう。ただでさえ青騎士団の面々は、マイクロトフを分かりやすく慕っているからね。その点、我が赤騎士団は皆クールで助かっているよ」
「おや、私もカミュー様を心よりお慕いしておりますよ? 青副長殿のように、毎日お留守を嘆いたりはしませんでしたが」
「君は元々留守番が苦手な人間ではないだろう。今の私やマイクロトフがあるのは、主に君の細やかな働きのおかげさ。ゴルドー様の時代から現在に至るまで、本当に感謝しているよ」
「もったいないお言葉です。……では、私はそろそろ戻ります。今日の仕事は、今日のうちに終わらせてしまいたいので」
上司から預かった書類の束を手に優雅に一礼し去って行こうとする赤副長の背へ、カミューは「ああ、そうだ」と声を掛けた。何事かと振り返った赤副長に、カミューはやや
「余計なお世話かもしれないが……君たちは、付き合わないのかい?」
「……はい?」
「私とマイクロトフが出来上がってしまったからか、城下では今、君と青副長殿が注目の的になっていてね。付き合う前の我々同様君たちもよく一緒にいるし仲もいいから、団長の次は副長カップルだと話題になっているよ」
「……」
仲間内から仲の良さを
「我々は、ただの友人ですよ。少なくとも私はそう思っていますし、今の関係が気に入っておりますので」
「ふうん? だが青副長殿はそうではないかもしれないよ? とある青騎士の話によれば、酒の席で彼はしきりに君のことを褒めちぎっていたと聞いたんだが。赤副長殿を見慣れているから生半可な女性を見てもそうそう心を動かされることはない、彼がもし女性だったなら、とっくの昔に求婚していた……等々。酔うとその人間の本心が出ると言うし……」
「所詮は酔いどれの
「そうだろうか。理想のタイプを
「やめましょう。彼に同じことを訊いたとしても、私とは友人であると返ってくるでしょう。私たちは、今のままでいいんです」
あくまでも冷静な赤副長に、カミューはう~ん、とやや残念そうに唸る。
「そうかな? じっくりと付き合ってみてから相手の新たな魅力に気付くこともあるんだがな。ともかく、私は君たちを応援しているよ」
「……お気持ちだけ頂戴いたします」
にこりと微笑んでもう一度一礼すると、赤副長はカミューの部屋を後にした。
「――と、カミュー様がおっしゃられてね。まったく、あの人にも困ったものだよ」
青副長と協力して書類仕事をある程度片付けた後で、赤副長は紅茶を啜りながらふう、と溜息を吐いた。酔っ払った青副長が口走っていたらしい言葉は端折ったものの、カミューからも自分たちの仲の進展を期待されていることに、青副長も困惑の表情を見せる。
「……言い方は悪いが、カミュー様は、その……浮かれ過ぎではないか?」
「それは否定できないね。君のところのマイクロトフ様も、たまにつられて
「だが、そんなところがお可愛らしい」
「はいはい、そういう君こそ浮かれているね。けれどこれでまた、日常が戻ってきたんだ。お二人が帰って来られたから、私たちも折を見て白副長殿の所へ遊びに行きたいよね」
赤副長の言葉に、青副長は力強く頷く。
「そうだな! 居場所が描かれた地図も貰ったことだし、なるべく早く行きたいものだな。この地図を見た感じだと馬を使えば日帰りで行けそうだから、早めに日を決めて、早めに申請しよう」
「この日に行きますと、事前に手紙も出しておきたいからね。今週中には行けるかな?」
「行けたらいいな。団長たちのご結婚祝いの品は、どこまで出来ているのだろうか」
二人で顔を見合わせ、にこにこと笑う。このところロックアックスに籠りきりだったので、プライベートでの外出は純粋に楽しみだ。
この時赤副長の脳裏に、先ほどカミューが言っていた「
「……ねえ、青副長殿」
「ん?」
甘く囁くように呼びかけられて、青副長は手元のティーカップに落としていた目線を再び赤副長へと戻した。見れば彼はテーブルに頬杖をつき、どこか妖艶な眼差しでこちらを見つめているではないか。熱っぽいその視線に青副長はどきりと身を強張らせ、思わず身構える。
「な、何……」
「私、一つやってみたいことがあってね。ただしそれには、君の協力が不可欠なんだけれど」
「……何だ?」
ごくりと唾を飲み込んだ青副長へ、赤副長はとんでもないことを口にした。
「――今日一日、私と『恋人ごっこ』をしてみない?」
「……は? ……はああぁぁ~っ!?」

「……とはいっても、何をすればいい?」
乱れに乱れた呼吸をひとまず落ち着けた青副長が、おそるおそるといった様子で赤副長に尋ねた。てっきり断られるかと思っていたのだけれど意外と乗り気だなと、赤副長は思う。
己と同じ28という年齢の割に童顔でもある青副長の、くるくるとよく変わる表情を見るのは楽しい。そしてこれはあくまでも「一日だけのごっこ遊び」であり、実験だ。よって赤副長は、ほんの軽い気持ちで答える。
「んー……スキンシップを多めにするとか?」
「すっ、スキンシップ!?」
「もちろん軽いものだけだよ? 腕を組むとか、手を繋ぐとか。それくらいならそんなに抵抗はないだろう?」
「ああ、うん……」
「これはね、私たちがいつも以上に親しげにしているのを見た人たちがどういう反応をするか、という実験だよ。長い付き合いの君となら、そういう遊びもできるだろうと思って」
「……」
実験。遊び。赤副長が発したこれらの言葉に、青副長はむう、と口を尖らせた。つまり己は、親友の悪ふざけに付き合わされる羽目になったのだ。普段は品行方正なくせに、なぜ突然このようなことを言い出したのかは分からないが。
(……赤副長殿のことだ、おそらく俺の反応も面白がっている。つい盛大に動揺してしまったが、やられっぱなしでいるわけにはいかない……こちらからも攻めて、赤副長殿を逆に驚かせてやるぞ)
長い付き合いなのだ、遠慮などいらない。青副長からの挑むような視線を、赤副長は柔和な笑顔で受け止めた。
⚔⚔
城内の食堂で少し早めの昼食を摂った後、二人は赤副長の部屋へと戻ってきた。「ふう、食べ過ぎた……」と腹を
「お昼からあんなに大きなステーキなんて食べるからだよ。君はマイクロトフ様ほど体が大きくはないんだから、無理をするものじゃないよ」
「だが、少しでも団長に近付きたいのだ。背を伸ばすことはできないが、努力すればもう少し
「そうかなぁ? 私は、今のままのほうが好きだけれど」
可愛らしく首を傾げて顔を覗き込んでくる赤副長を、青副長はぎょっとして見つめ返した。そうだった、今日は「そういう日」なのだった。青副長は頬を赤らめながら咳払いし、少し考えを巡らせてから答える。
「き、貴殿とて、貧相な男よりは逞しい男のほうがいいだろう」
「いや、別に? 見た目にこだわりはないよ。……君の体格は私とほとんど変わらないように見えるけれど、案外脱いだら凄いタイプだったりして」
「ぬぬ、脱がないぞ!」
「脱がれても困るよ。……脱がなくたって、こう……」
そう言うなり赤副長の両手が伸びてきて、青副長の右手を包み込むようにそっと取った。童顔に似合わぬ、しっかりとした大人の男の手だ。
「……意外と大きいんだね。あと、剣だこが凄い」
「見た目で侮られることが多いが俺とて成人男子、しかも騎士だからな! そういう貴殿こそ、どうなのだ」
青副長に問われ、赤副長は素直に自身の手を差し出した。確かに男の手ではあるが、剣を振るう機会が少ないだけあって剣だこのない、しなやかな手だ。
「……騎士の男とは思えぬ手だな」
「悪かったね」
「いや、それが悪いと言ったわけではない。戦においての貴殿は、部隊全体の補給や流水の紋章での回復・補助といった任務が主だからな。剣以外の才に恵まれているのだ、命の危険を冒してまで剣を握る必要はない……後方支援に回るか城で留守を守ってくれていたほうが、安心できる」
これは数年前に、己が前線に出て殺されかけた時のことを言っているのだろう。あの時、青副長が真っ先に気付いて駆け付けてくれていなかったら。騎士としては屈辱的な出来事だが、自身の剣の腕が周囲の者と比べて劣っていることは充分に自覚しているので、反論はできなかった。それでも赤副長が副長という地位にあるのは青副長が言ったとおり「剣以外の才に恵まれている」からで、当時赤騎士団の団長であったカミューもそれを見出し、赤副長を
「……もう二度と、無茶をしてほしくはないのだ」
青副長が赤副長の手を
「あの時は一部の人間から『箸より重いものを持ったことがないお嬢様』と馬鹿にされて、ついムキになってしまって……無謀にもほどがあったよね。――助けてくれて、本当にありがとう。もう二度と、あんな無茶はしないよ。あの件で私は、自分の役割を知ることができたから」
「……」
しばし互いに、生きている者ならではの温もりを噛みしめる。その後、同時に顔を上げて目が合った二人は、柔らかく微笑み合った。
「君の膨れ過ぎたお腹のためにも、少し散歩でもしよう」と赤副長から提案され、青副長は再び腹を摩りながら部屋の外へと出た。筋肉がつくのは大歓迎だが、余計な脂肪がつくのは絶対に御免だ。
「……っと、今日は『散歩』じゃなかったね。『デート』、しようか」
赤副長の甘い囁きに、青副長はどきりと身を強張らせた。油断しているとつい、今日が「そういう日」であることを忘れてしまう。
「デート……とは、具体的に何を……?」
「うーん、そうだなぁ……あ、そうだ。いつか君と一緒に入ってみたいと思っていたお店があるんだよね。パフェが有名な……」
「パフェ!?」
あ、即食いついた。頬を紅潮させて目を輝かせた青副長に、赤副長はにこにこと微笑んだ。マイクロトフのようなストイックで逞しい男を目指している青副長だが、実はかなりの甘党で、スイーツには特に目がない。同じ甘党の己とならば、良い『パフェデート』ができるだろうと思ったのだ。
「とは言っても、今すぐには食べられないよね。まずは巡回がてら、街中を歩こう。せっかく君もいることだし、ついでに今日の買い出しも済ませてしまおうかな」
そう言って赤副長は、
「こんなに買うものが……つまり、俺は荷物持ち要員ということだな?」
「ふふ、正解。普段は手が空いている人たちにお願いしているんだけれど、今日はなるべく二人の時間を楽しみたいからね。色々付き合ってもらっているから、パフェは私が奢るよ」
「えっ! いいのか!?」
驚く青副長へ、赤副長は「それくらいのお駄賃はないと。あ、もちろん私個人のお金でね」と頷いた。青副長はすっかり感激し、赤副長を崇めるような目で見つめる。
「……やはり貴殿はマチルダ騎士団の『女神』だ……」
「君までそう呼ぶのはやめて。私、今でもその呼ばれ方は気に入っていないから」
途端に不機嫌な表情になる赤副長に、青副長はすぐさま「す、すまない」と謝る。一部の騎士たちからは『女神』『女神様』などと呼ばれているが、もうすぐ30になる成人男子に使う言葉じゃないだろうと、赤副長は常々思っているのだ。
「まったく……まあいいか。私の場合は自業自得でもあるからね。女性扱いされたくなかったら、マイクロトフ様みたいに見た目も内面も男らしくならないと」
「い、いや。貴殿は、そのままでいいと思うぞ」
慌てたように言う青副長に、赤副長は目を丸くする。
「……ん? もしかして、君の好みの話をしてる?」
「あ……いや、その……」
「大丈夫だよ、自分を変えるつもりはないから。君に好いてもらえているのなら、こんなに嬉しいことはないよ。もっと自分磨きを頑張ろうとさえ思えるし」
「……」
そう言って柔らかい笑みを浮かべた赤副長に、青副長は鼓動が跳ねるのを感じる。そういえば以前に酒の席で、酔った勢いで赤副長のことを褒めちぎったことがある気がする。その実赤副長はもろに好みのタイプで、もし彼が女性であったなら、早々に交際の申し込みをしていただろう。そんな彼と今日は、一日だけの「恋人ごっこ」をしている。女性だけでなく男性からも人気のある美しい友人を、遠慮なく独り占めできる日なのだ。
約束どおり青副長は赤副長が購入した荷物を持って城下の坂や階段を上り、頂上のロックアックス城に着く頃には、すっかりへとへとになっていた。小さく軽い荷物しか持っていない赤副長ですら息が上がっており、ここ最近の鍛錬不足を痛感する。
「はあ、はあ……やっぱり机に向かう仕事ばかりしていると、体力が落ちるものだね……」
「ふう、ふう……だが、任務は完遂したぞ。腹もだいぶ落ち着いたから、これでパフェが食べられる」
「ありがとう、おかげで助かったよ。それじゃ、ご褒美パフェを食べに行くとしようか」
赤副長の部屋に荷物を置き、ようやく身軽になった二人は再び城を出て目当ての店へと向かった。店の前に辿り着くと短い行列が出来ており、客は若い女性ばかりだ。
「あら? 赤副長さんに青副長さんじゃないですか、珍しいですね。遅めのランチですか? それとも、少し早めのおやつを?」
「ごきげんよう。ランチは済ませたので、このお店の名物であるパフェを食べに来ました」
「まあ、パフェをお二人で?」
「ええ、たまには良いかと思いまして」
「……もしかして、デートだったり……?」
「ふふ、それはご想像にお任せします」
赤副長の言葉と甘い微笑に、周囲の女性たちがキャー! と黄色い声を上げた。彼の隣では青副長が、女性たちの勢いに押されてたじろいでいる。
「ついにお二人も……! おめでとうございます!」
「マイクロトフ様、カミュー様と同じくらいお似合いですわ!」
「いつからお付き合いを?」
「告白はどちらから?」
「どちらがリードする側ですの?」
次々に浴びせられる質問に、赤副長は「内緒です」と可愛らしく
「噂どおり素敵なお店だね。さて、パフェが載っているページは、と……」
赤副長がメニュー表を捲り、パフェのページを開いてテーブルの中央に置く。そこには写実的なタッチで描かれた数種類のパフェのイラストが載っており、全種類食べてみたいと思ってしまうほどだ。
「……どれも美味そうだな……」
「気持ちは分かるけど、一つだけにしなよ? パフェで筋肉はつかないからね」
「むろん! 普段から間食はきちんと量を調節している。ましてやパフェなど、どれだけぶりに食べるか」
「私も久しぶりに食べるよ。いやぁ、楽しみだねえ」
二人は悩みに悩んで最も食べたいと思ったパフェを選び、パフェが運ばれてくるまでの間は雑談に興じた。ただし周囲の客や店員に聞かれてもいいような、当たり障りのない会話だ。
しばらくして運ばれてきたパフェはボリュームたっぷりで、赤副長も青副長も「おお……」と小さく呟いて目を輝かせた。まさしく、労働の後の「ご褒美」だ。
「うーん……甘いものは好きだけれど、この量、食べきれるかなぁ」
「大丈夫だ。もし食べきれなくとも、残りは俺が引き受ける」
「あはは、頼もしいなぁ。じゃあまだ綺麗な状態のうちに、君に少しあげるよ。他人の食べ残しを食べるのは嫌だろうからね」
新たに器を貰い、赤副長は自身のパフェのいくらかを取り分けて青副長に渡した。青副長は既に幸福感に浸っており、普段の凛々しさなどどこへやらの状態だ。

「……おいしい?」
「ああ!」
「ふふ、このお店に来ることを提案して良かった。機会があったら、また二人で来ようね」
「ああ! 今度は俺の奢りでな!」
今の青副長殿はまるで無邪気な少年のようだなと、赤副長は思う。懸命に騎士らしくあろうとする彼も悪くはないが、力の入っていない素の彼は、見た目どおり可愛らしい。青副長本人はときおり己が赤副長より半年以上生まれが早いことを自慢してくるが、赤副長にしてみれば同い年の親友であり、弟のように可愛い存在なのだ。
「……先程からあまり減っていないではないか。もう少し取るか?」
「うん? ああ、嬉しそうな君が可愛いものだから、つい」
「……っ!」
途端に赤面しスプーンを落としそうになった青副長に、赤副長はふふふ、と蕩けるような笑みを浮かべた。二人が醸し出す甘い雰囲気に、周囲の女性客たちは顔を寄せ合ってひそひそと囁き合う。
「かっ、可愛いなどと……! 俺は、貴殿より……」
「半年以上年上なんだぞ! だよね? 確かに君のほうが少し早く年を取るけれど、今は私も君と同じ28歳だし、グリンヒル市のニューリーフ学院の学生で言ったら同学年だろう。少なくとも私は、君をお兄さんだなんて思っていないよ。ましてや、口の端に生クリームをつけている人間のことはね」
直後、ナフキンを持った赤副長の手が伸ばされ、青副長の汚れた口の端をそっと拭った。すぐさま店内は女性客たちの悲鳴で満たされ、何事かと飛んできた店員たちも状況を把握して、うっすらと頬を染める。
「……な、な……っ……」
「さすがに気を抜き過ぎなんじゃないかい? 青騎士団副長殿。まったく……相変わらず君は手のかかる人なんだから」
そう言いながらもふ、と目を細める赤副長から、青副長は咄嗟に視線を逸らした。店の外に並んでいる際に女性客から「どちらがリードする側か」という質問があったが、完全に赤副長にリードされている。少しとはいえ、彼より生まれの早い男子としてのプライドがズタズタだ。
(ううっ……いくらこの遊びが赤副長殿考案とはいえ、このままでは……)
このままでは終われない。咳払いをして乱れた心を落ち着かせ、それきり口を
「ふう……食べたねえ。やっぱり君に少し取ってもらって正解だったよ。私一人じゃ、絶対に食べきれなかった」
「少し? 結構な量だったが……まさか、俺に気を遣って加減したのではあるまいな?」
「そんなことはないよ。思ったより早く満腹になってしまっただけ。ランチを食べてからそんなに時間も経っていなかったしね。――それにしても、楽しかったなぁ」
『パフェデート』をした店を出て、二人はのんびりと帰路に就いた。あとは城に戻り、いつもどおりに過ごすだけだ。
ロックアックス城に入るとすぐさま部下たちが駆け寄ってきて、赤副長と青副長はそれぞれ追加の仕事に追われることとなった。彼らが解放されたのは夕飯時をとっくに過ぎてからで、二人は人がほとんどいない食堂で再会する。
「お疲れ様。すっかり遅くなってしまったね」
「仕方がない。これで団長やカミュー様のご負担が少しでも減るのなら」
「お二人にはなるべく新居で過ごしていただきたいものね。とりあえず夕飯を食べようか」
二人で遅い夕食を摂り、一日の締めくくりは青副長の部屋で過ごすことにした。今日限定の『恋人ごっこ』も、そろそろ終わりだ。
「今日一日、『恋人ごっこ』をしてみたわけだけれど……どうだった?」
「どう、と言われても……」
「私は楽しかったよ。周りの反応が面白かったし、以前から行きたかったお店にも一緒に行けたし。私たちが付き合っているっていう誤解は明日解くとして、あのお店にはまた行きたいよね。今度はちゃんと、友達同士として」
「……」
青副長の向かい側に座る赤副長が、にこりと微笑んだ。――明日からはまた、元どおり。
「……あれ? 不服そうだね? もしかして、私に振り回されたことに怒ってる? もしそうだったらごめんよ。もう二度とこんなことはしないから、これからも友達でいて――」
突如青副長が椅子から立ち上がり、赤副長を背後の壁に押し付けた。目の前の親友にいわゆる「壁ドン」をされているのだと気付いた瞬間、赤副長の菫色の瞳が大きく見開かれる。
「……青副長、殿……? 急に、何……」
「――今日だけと言わず、このまま続行しても良いのだぞ」
「え?」
突然何を言い出すのだ。やはり怒っているのだろうか。否、「続行してもいい」とは、いったい。
「さんざん貴殿に振り回されたのだ。ならば今度は俺から仕掛けてもいいだろう? 俺とて、貴殿と同年齢の成人男子なのだからな」
「ち、近い、近いってば。まさか君、本気で……」
青副長がさらに距離を詰めると、彼の熱い吐息が赤副長の唇にかかった。そして。
「――俺は本気だ、
「!!」

今までに聞いたことのない低音で名を呼ばれ、赤副長――真の名を「イーディス」と言う――は瞬時にして耳まで真っ赤になった。頭の中は、真っ白だ。
「あ……ちょ、ちょっと、本当に……っ、――ま、
あと少しで重なっていたであろう青副長――真の名を「マルセル」と言う――の唇は、二人の間に突き出されたイーディスの手の中に封じ込められた。間一髪だ。
「……君ねえ! これはさすがに遊びの範疇を超えてるよ!!」
「ふん、いつもの余裕はどこへ行ったのだ? 耳まで真っ赤になって、可愛らしいものだな」
「そういう君だって、真っ赤じゃないか」
「……」
自身の顔色を指摘され、マルセルは口を噤んだ。やはり、平静を装うことは出来なかったようだ。
だが、これで終わるつもりはない。マルセルはこほん、と小さく咳払いし、目の前のイーディスを真っ直ぐに見据える。
「……貴殿とこの遊びに興じてみて、一つ、分かったことがある」
「……何?」
「俺は今日のことを、遊びで済ませたくはないということだ」
「!」
「これは決して、戯言や仕返しなどではない。――イーディス。俺は貴殿に、交際を申し込みたい。偽りの恋人ではなく、本物の恋人になってほしい」
マルセルの視線と口調は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えなかった。――目が、逸らせない。イーディスはしばらくの沈黙の後に、か細い声で答える。
「……本当に、本気?」
「むろん。今まではこの気持ちを懸命に否定してきたが、どうやら俺は、何年も前から貴殿のことが好きだったらしい」
「……そう……じゃああの話は、本当だったんだ」
「あの話?」
首を傾げるマルセルへ、イーディスはこの遊びを始めることになったきっかけを話し出す。
「人づてに聞いたんだ。君がお酒の席でひたすら私を褒めちぎっていた、って。そう簡単には女性に心を動かされなくなったとか、もし私が女性だったなら迷わず求婚していた……とか。これがその場を盛り上げるために言った冗談なのか、酔った勢いで出た本心なのか、そもそも自分の言ったことを覚えているのか、気になって。私はてっきり、冗談の類だと思っていたんだけれど」
「うっ……やはり俺は、そのようなことを……いや、そんな気はしていたが。だが、嘘は言っていない。誰から聞いたかは知らないが、貴殿がその話を耳に入れこの遊びを思いつかなければ、俺は今日こうして想いを告げることは無かったのだな。貴殿にとっては予想外のことだっただろうが」
「本当だよ。なんだか、押してはいけないスイッチを押してしまった気分」
むう、と口を尖らせるイーディスへ、マルセルは再度真剣な表情で問いかける。
「……交際、してくれるだろうか」
「……うん。私も君のこと、実は結構前から好きだったみたい」
「つまり、『運命を感じた』と?」
「それは分からないけれど。でも君からの告白を嬉しいと感じたのだから、そうなのかもしれないね」
ふふ、と小さく笑うイーディスにつられて、マルセルも笑う。晴れて「本物の」カップル成立だ。
目の前には、愛おしい相手のはにかんだ笑顔。二人はごく自然な流れで顔を近付け、目を閉じて、柔らかく唇を重ねた。互いの唇の感触や吐息の熱さを確かめ合いながら、
「人前では今までどおりでいよう。私たちまでいちゃいちゃしていたら、騎士団の風紀の乱れを疑われてしまうから」とのイーディスの提案に、マルセルも同意した。自分たちにはマイクロトフとカミューを支えるという、重要な責務がある。よって、浮つきっぱなしでいるわけにはいかないのだ。
「……もうこんな時間だ。そろそろ部屋に戻って、寝なきゃ」
そう言ってソファーから立ち上がったイーディスを、マルセルは名残惜しそうに見つめた。肩に残るこの温もりを、まだ手放したくない。否――いっそのこと、朝まで。
「……帰らなくてもいいのに」
「な、何言ってるの。ここは君の部屋なんだから、これ以上居座って迷惑はかけられないよ」
「迷惑だなんて思わない。……このまま朝までいてほしいくらいだ」
マルセルの言葉に、イーディスの顔がぼっ、と真っ赤に染まった。冷静沈着が売りの彼だが、こと自身の色恋が絡むと、すっかり形無しだ。
「そ、それはだめ! 何事にも段階というものがあるでしょう。そういうのは、さすがに早過ぎ……」
「……団長は、告白したその日のうちに長年の想いを遂げたという話だぞ」
「そんなところまでマイクロトフ様を真似なくていいから! ともかく、私は帰るからね! おやすみ! また明日!」
「ああ……おやすみ」
しゅんと俯いたマルセルに、罪悪感を覚えたのだろうか。ドアノブに手を掛けたイーディスはちらりとマルセルを振り返ると少しの躊躇の後に戻ってきて、ほんの一瞬、マルセルの唇へ己のそれを押し当てた。そして、
「――おやすみ、マルセル」
イーディスが頬を染めつつも蕩けるような甘い微笑を浮かべて去って行ってから、マルセルの顔もまた、真っ赤に染まった。終始己がリードしていたからと、完全に油断していた。やはり自分は、まだまだだ。
(イーディスが
だがマルセル自身は、きちんと段階を踏んでイーディスとの関係を深めたいという思いが強い。いくらマイクロトフの力強さや行動力に憧れていても、自分は自分なのだ。けれど、それでいい。あまりの幸福感にぼうっとしながらも、マルセルはこれからのイーディスとの日々を考えながら、床に就くための準備を始めたのだった。
翌日――
赤騎士団副長・イーディスと青騎士団副長・マルセルはこれまでどおりに振る舞っているつもりだったが、ふとした時に漂う「甘さ」を敏感に感じ取ったカミューがにこにこと彼らを見つめ、その横では部下たちの変化にまったく気付いていないマイクロトフが不思議そうに首を傾げる光景が見られたのだとか。
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