Fascination

 こんな所に来るんじゃなかった。誰もが、そう思った。
「『生命科学研究所』だなんて大層な名前の施設だな、見学するのが楽しみだなーって、ちょっとワクワクしてたのによ……」
「いざ蓋を開けてみれば、とんでもない場所だった。おまけにここのモンスターどもは、桁違いに強い」
「生命科学研究所のモンスターは、通常のダンジョンと比べて2ランクほど高く設定されているようです。よって、各能力の強化と技術の修得に最適と考えられます」
「そうだとしても、一戦一戦がハード過ぎよ。おかげでまだそんなに奥には入っていないはずなのに早くも魔力が尽きそうだし、体もボロボロだわ。このままここに留まったら、間違いなく全滅するわね」
「体中痛いし、毛も絡まりまくってボッサボサだよ~。こんなトコ、早く出ようよ。ね?」
「そうだ、そうしよう。な? ブルー」
 そう言って後ろを振り返ったリュートに続いて、仲間たちも一斉にそれを真似た。リーダーは、ブルーという青年術士。一刻も早くここから脱出するにはブルーの指示と、彼のみが使うことができる移動術が必要だ。
 だが、当のブルーの様子がおかしい。彼はヌサカーンの肩を借りてなんとか立ってはいるものの、深く項垂れ、とてもではないが声を発することなどできなさそうだった。法衣と長い髪も乱れ、まるで生気が感じられない。
「……ブルー?」
「いかんな。魔力だけではなく、生命力も尽きかけている。極めて危険な状態だ。このまま放っておけば、間違いなく死ぬ」
「し、死……っ!?」
 ヌサカーンの言葉に一同は青褪め、ざわめいた。ブルーの心配はもちろんだが、彼の移動術で脱出ができないとなると、復路で研究員たちのなれの果て、つまり凶悪なモンスターどもに囲まれて、全滅は必至ということになる。――絶対に、こんな所で死にたくない。
「な、なんとかならないのかよ? せめてブルーだけでもなんとかして……」
「それは不可能ではない。すぐに私の病院へ連れ帰り、回復に専念すれば」
「なるほど。瞬間移動ができる上級妖魔のあなたならば可能ね」
「だが、共に移動できるのはブルーのみだ。よって、君たちとはここで別れることになる。一時いっときの別れになるか、永遠の別れになるか」
「えーっ! あ、じゃあみんなでせんせーに抱きつけば……」
「断固拒否する。暑苦しい。――ではな。君たちが研究員の一員、もしくは異形のサンプルにならないことを願おう」
 ヌサカーンは素早くブルーを横抱きにすると、一瞬にしてその場から姿を消した。「薄情」。人間たちの頭にそんな言葉が思い浮かび、しかし人外の存在であるクーンとT260からは、まったく違う感想が飛び出す。
「……今の、『お姫様だっこ』ってヤツだよね? ブルーがお姫様になっちゃった」
「『お姫様抱っこ』。少女漫画から派生した俗称で正式には『横抱き』と呼ばれますが、両者の形態は、全く異なる模様。多くの場合は男性が女性に行うものとされていますが、ブルー様は女性ではないので、先程の件は例外的なケースだと思われます」
「呑気だな、お前ら。俺たちは見捨てられたってのに。……仕方がない。先頭には、俺が立とう。ワカツの剣士の底力を見せてやる」
「ひゅーっ! ゲンさんカッコイイー!」
「リュート、あなたも一応剣士なんだから、一緒に頑張ってよ? 私とクーン、T260は後ろから追ってくるモンスターたちを牽制するわ。なんとしてでも、生きて脱出するのよ」
「……分かったよ、メイレン。レディを守るのは俺たち男の役目だもんな。よし、じゃあ俺も今こそヨークランド人の底力ってヤツを……って、あるのかなぁ? そんなの」
 なんとなく緊張感に欠けるやりとりをしながらも、残された仲間たちは、誰一人欠けることなくここから生きて出ることを強く誓い合った。

◇◇

 ヌサカーンとブルーは、瞬時にしてクーロン裏通りの病院の隣にある部屋の中に到着した。ここはいわゆるヌサカーンの家で、古い知り合いですら滅多に通すことのないプライベートな空間だ。
 質素なベッドにブルーを寝かせ、ヌサカーンが自らの白衣を翻すと、キラキラと不思議な光が舞い踊り、ブルーの全身を包み込んだ。しばらくすると青年の指がぴくりと動き、閉ざされていた目がゆっくりと開かれて、サファイアのような深い青があらわになる。
「目が覚めたか。危機一髪だったな」
「……? ここ、は……?」
「クーロン裏通り。そしてここは、私のプライベートルームだ。人間を招き入れたのは、君が初めてになるな」
「どういう、ことだ? 他の、仲間たちは……」
「シュライクの生命科学研究所で散々な目に遭ったのは覚えているか? 君はそこで危うく死にかけ、私は急遽、君をあの場所から離脱させることにした。だが私一人では、他の連中までここへ連れてくることは不可能だった。つまりは、そういうことだ」
 ヌサカーンの返答に、ブルーは耳を疑った。では、仲間たちはあのまま生命科学研究所に置き去りに。リュート、クーン、メイレン、ゲン、T260――スクラップで出会った仲間たちを、一気に失ったも同然だ。
 しかし、この妖魔医師を責めることはできない。そもそも妖魔とはそういうものだし、一行のリーダーを務めていたにもかかわらず気を失っていたおのれが悪いのだ。むしろ己だけでも見捨てず救ってくれた彼には、感謝しなければならない。
「……」
 それでも素直に感謝の言葉を述べる気にはなれずに黙り込んでしまったブルーへ、ヌサカーンは特に気分を害した様子もなく、淡々と続ける。
「不服そうだな。同行者など適当に言いくるめて、また新たに集めればいいのではないか?」
「……そこまで非情ではない」
「では、共に旅をするうちに情が湧いたと。ふむ……やはり君も、血の通った人間だったのだな。この短い間に、随分成長したものだ」
 面白がるように言うヌサカーンに、ブルーは思わず眉をひそめた。できる限り礼儀正しく振る舞っていたつもりだったが、この妖魔には、最初から本心を見透かされていたらしい。その上、仲間たちに対する感情の変化まで。そんな彼に、己は到底敵わない――よって、下手に反発などしないほうがいいだろうと直感する。
 だから努めて冷静に、つ毅然とした態度で。ベッドから体を起こしたブルーは、ヌサカーンに軽く頭を下げて礼を述べる。
「私を救ってくれたことに関しては、礼を言う。今回の件も含めて、いつも手を煩わせてすまない。やはりこれからは、術以外にも……」
「いや。君は、そのままでいい」
「……何?」
 突如話を遮られ、また何を言われたのか分からずに、ブルーは傍らに立つヌサカーンを見上げた。視線を受けて妖魔医師は漆黒の瞳を妖しく細め、魔術士の青年のすぐそばに腰掛けると、その長い髪のひと房を手に取る。
「君は美しい。輝かんばかりの淡い金の髪に青い瞳、白い肌、生粋の術士特有の、スレンダーな体。この美しさがあと数年もすれば老い、朽ち果てて行くのは、あまりにも惜しい……できることならば、今のこの姿を永遠に保持してほしいものだ」
 ――口説かれている。己の髪に口付けるヌサカーンを見て、ブルーは少なからず驚いた。容姿を褒められることは初めてではないが、何事にも淡泊そうなこの男に興味を持たれたことが、意外だったからだ。どう応じるべきかと迷っている間にもヌサカーンはさらに距離を詰め、熱っぽい視線でブルーを見つめる。
「いっそ妖魔にしてしまいたいくらいだが、そうすると病に侵されることが無くなる上、避けられぬ上下関係が出来てしまう。美しい姿のままの君を愛ではしたいが、支配したいわけではない。悩ましいな」
「……妙なことで勝手に悩むな。私は妖魔になりたいとは思っていない。私には、人間のまま果たさねばならない使命がある。そのために故郷を出て、旅をしている」
「術の資質を集めて君と同じ宿命を背負った双子の兄弟を殺し、完全な術士となって故郷に戻る、だったか。どちらが生き残るか分からないが、この世から美しい者が必ず一人消える運命にあるのは残念だな。故郷のめいなど無視して、兄弟二人で生きて行く道もあるだろうに」
「有り得ないな。それは向こうも同じだろう。マジックキングダムに生を受けた人間として、不完全な術士でいることは何よりも耐え難い。完全な術士となることが、私の全てだ」
 強い意志を宿したブルーの瞳が、ヌサカーンを真っ直ぐに見据える。どうやら、本気で言っているらしい。つくづく面白い青年だと、妖魔医師は思う。
 だからこそ、もっと知りたい、暴きたい。ヌサカーンが行動を起こすのは、早かった。
「――ッ!?」
 不意に両肩を掴まれ、ブルーはベッドに押し倒された。すぐさまヌサカーンが覆い被さり、驚きのあまりに顔と体を強張らせている青年を、じっと見下ろす。
「な、何をする!」
「さて、お楽しみの時間だ。今なら誰にも邪魔をされず、存分に君を愛でられる」
「……妖魔には、肉欲など存在しないのではなかったか」
「そのような話、誰から聞いた? 確かに大半の妖魔は肉体的な繋がりよりも、精神的な繋がりを重視する。多くの女を侍らせているオルロワージュでさえ、昼夜を問わず乱交に及んでいるという話は聞いたことがない。だが人間とほぼ変わらぬ構造の肉体を有しているがゆえ、その気になれば意中の者とまぐわうことは可能だ。気に入った者を自らのものにしたいという欲は、妖魔にもある」
「だが、あなたも私も男だ」
「関係ないな。相手は必ずしも異性である必要はない。それは人間でも同じだと思うのだが」
 そう言うなりヌサカーンはブルーの上着をくつろげ、その白い首筋に唇を押し当てた。びくり、とブルーの体が震え、動揺している気配が伝わってくる。
「やっ……やめろ……」
「ふむ、実にきめ細かい肌だ。見た目どおり体臭も薄いが、質感や温度は、確かに人間のものだな。生を感じる」
 ね除けようにも、体に力が入らない。よく見ればヌサカーンの瞳は漆黒から深紅へと変わっており、何らかの力がはたらいているせいで抗うことができないのだと知る。
 絶望感に襲われている間にもヌサカーンの指は滑るように下方へと移動し、ブルーの胸元へと侵入した。まずい、と思ったが、なすすべもなく敏感な部分を摘まれて、ブルーの体は大きく跳ね上がる。
「っく、う……!」
「フフ……感度も悪くないようだ。では、もっと敏感なあの部分に触れたら、君はどうなってしまうかな」
「やめ、ろ……やめて、くれ……!」
「おや、いつも気丈な君でもそのような声を出すのだな。今にも泣き出しそうではないか。まあ、この様子だと君を狙う者はあっても、体は綺麗なままなのだろう。このまま君の初めてを奪うというのも魅力を感じないではないが、今はシュライクに置き去りにしてきた大切な仲間たちを救い出すという仕事があるからな。私とて、せっかく出会った君に嫌われたくはない。君をサポートしたいと思う気持ちは本物だよ」
 ヌサカーンの瞳が再び漆黒へと戻ると、ブルーの全身の強張りが解けた。その額に口付けを一つ落とすと、妖魔医師はようやく体を起こして青年を解放する。
「……不埒者め」
「なんとでも。……体力も生命力も、元通りになったな。私としてはあまり気が進まないが、シュライクへ向かうか。それが君の望みなのだろう?」
「やっと戦力が整い始めたところだったんだ、当然だろう。何より、この先もあなたと二人きりでは、何をされるか分かったものではない」
 衣服の乱れを正しながらキッと睨みつけてくる表情や仕草すら美しく、また、可愛らしくもある。――やはりこの青年からは、目が離せない。乱れた髪を結び直しているブルーの横顔を、ヌサカーンは、うっすらと笑みを浮かべながら見つめた。

 この後――
 ブルーとヌサカーンの二人はシュライクへと移動し、シップ発着場にて仲間たちと合流した。彼らは全員で力を合わせて生命科学研究所から脱出し、ブルーたちが来るのを待っていたらしい。ひとしきり互いの無事を喜んでから、ブルーは、凛とした声と表情で仲間たちの顔を見回す。
「この旅には、あなたたち全員の力が必要だ。改めて、よろしく頼む。今の私たちが挑むことができそうな、次の目的地は――」
 仲間たちがブルーを囲んで、何やらわいわいと話している。そんな彼らへ律儀に応じている青年を、ヌサカーンは、やや後方から興味深そうに眺めたのだった。
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