伴侶

 出血がひどい。このままだと、間違いなく死ぬ。共に戦った仲間たちを最後の力を振り絞って地上へと帰した青年は、かたわらに残ったヌサカーンに目をる。
「……なぜ、残った? 戦いは……私たちの旅は、終わった。ならばあなたも、クーロンへ帰るべきだ。妖魔のあなたにとって、たかが一人の人間の死など、取るに足らないものだろう」
「……」
「だが、心残りがないことはないな。私の中には、ルージュがいる。しかし私が死ねば、あいつの魂も行き場を無くす。キングダムの復興に携わることもできない。それだけ、が……」
「もういい。喋るな」
 咳き込み、口から血を吐き出したブルーを抱き支え、ヌサカーンは目を閉じる。
 迷っている暇はない。この青年が望まなくとも、今やらなければ一生後悔するだろう。――ここでうしなうくらいならば。
「恨み言ならば、後から聞こう。――生きろ、ブルー」
 妖魔医師の低い囁き声と吐息が、やけに近くに感じられた。

◇◇

 目覚めた瞬間に、違和感があった。それが何なのかは分からなかったが、何かがおかしいと思った。
(……ここは? どこかの、部屋……? 俺は……)
 全身に、一気に感覚が戻ってくる。意識を失う前の記憶が、なだれ込んでくる。『地獄』の光景も、『地獄の君主』との死闘も、無理やり地上へと帰した仲間たちの悲痛な叫び声も、一人静かに死を迎えるはずだったおのれの元へと戻ってきた男のことも、鮮明に。では俺は、あの男と共に地上へ戻ってきたということか。どうやらまた命を救われたらしいと、ブルーは、いついかなる時も冷静な妖魔医師の顔を思い浮かべる。
 だが、ベッドから体を起こしたブルーは、再び違和感を覚えた。全ての力を使い果たし死にかけたというのに、妙に体が軽い。さらに言うと全身に不可思議な力が巡り、みなぎっているような――。
「目が覚めたか」
 絶妙なタイミングで、ヌサカーンが姿を現した。相変わらず感情の読めない顔をしているが、彼を見た瞬間、いつもより近しく感じた、気がした。そうとしか、例えようがなかったのだ。
「……?」
「どうした?」
「いや……助けてくれたことは礼を言うが……私の体に、何かしたか?」
 ブルーの問いに、ヌサカーンはひと呼吸置いて問い返す。
「なぜそう思う?」
「今までにないくらいに体が軽い上、今までに感じたことのない、だがまったく知らないものでもないエネルギーが体中に満ちている、気がする。……これは何だ? まるで、私が私では無くなってしまったような……」
「君は君だ。それは変わらない。――だが」
 不意にじっと見つめられたかと思うと、妖魔医師の漆黒の双眸が、赤く輝いた。しまった、魅了だ――上級妖魔である彼に魅了されれば、人間である己などひとたまりもない。次第に理性が溶け、身も心もこの男に囚われる――はずだったのだ、が。
「……魅了、されていない……?」
「やはりな。加減して正解だった。本気を出せば、寵姫にできなくもなかったのだが」
「加減? チョウキ? 何のことだ……?」
 途轍もなく嫌な予感がする。不安と戸惑いを隠せないブルーへ、ヌサカーンは、衝撃の事実を明かした。
「今の君の体内を巡るのは、君の中に元々流れていた赤い血と私が分け与えた青い血が混ざり合った、紫の血だ。――『半妖』という言葉を聞いたことはないか? 確か、君の片割れが共に旅をしていたあの娘がそうだったな」
 ……今、何と言った? 「私が分け与えた」? 「紫の血」? 「半妖」? では、この違和感の正体は。己が死の淵から生還できたのは。
「半、妖……? 私が?」
「そうだ。あの場で君を救うには、そうするしかなかった。あと少し遅ければ、失血死していただろうからな。……安心しろ、魔術の資質は消えていない。君は相反する術を使いこなすことができる『完全な術士』ゆえ、妖魔の証である妖術の資質も得た。が、平時は人間とほぼ変わらん。よって完全体となってから資質を得た心術も、引き続き使うことができる。つまり人間であった頃より、君は確実に強くなっている」
「……」
「そして先ほど私の魅了が効かなかったのは、君の中に私の血が流れているからだ。だが私以外の妖魔、とりわけ上級妖魔からの精神攻撃への耐性は無い。『妖魔化』を行い、妖魔としての力を高めれば防ぐことはできるがな」
「妖魔、化……」
 何でもないことのように淡々と語るヌサカーンに、驚きが隠せない。己がこの男に妙に気に入られていることは知っていたが、まさかここまでされるとは思っていなかった。本来ならば身を挺して救ってくれたことに改めて感謝の言葉を述べるべきなのだろうが、とてもではないがそんな気は起こらない。暗い顔で俯いたブルーは、シーツをきつく握り締める。
「……なぜ、半妖などという半端者にした? 人間からも妖魔からもさげすまれるであろう存在に」
「半端者、か。確かに、そう言う者もいるだろう。だが私としては、君が人間だった頃に身に付けた力を失わぬよう、最大限の配慮をしたつもりなのだがな」
「配慮でこれか。……私はもう、二度と人間に戻ることはできないのか?」
「方法は、ただひとつ。――私を殺すといい。私が消滅すれば君の中に流れる私の血は浄化され、再び人間に戻ることができる」
「!」
 ヌサカーンの言葉に、ブルーは弾かれたように顔を上げた。人間に戻る方法が無いわけではなかった。だがそうするには、幾度となく己を助けてくれた目の前の男をたおさなければならない。本人が言うのだから、真実なのだろう。
 しかし、そんなことができるわけがない。いくら妖魔の力を得たと言っても己がこの男に敵うわけがないし、恩を仇で返すような真似をしたくはない。何より彼は、共に旅をした「仲間」の一人だ。多少の情はある。
「……できるわけがないだろう」
 呻くように呟いて目を逸らしたブルーの横顔を、ヌサカーンは静かに見つめた。元々色白の美しい青年ではあったが、妖魔の血が入ったことによって、よりいっそう肌の白さと美しさに磨きがかかっている。まさしく、とある人間の男が言っていた「ドストライク」という言葉が当てはまるだろう。この美貌が、半永久的に保持されるのだ。
 ヌサカーンはベッドに腰掛けると、妖しく微笑みながらブルーの淡い金の髪のひと房を手に取った。そして。
「瀕死の君が、私に絶好の機会をもたらした。これで君の美貌は、私が死なない限り永遠に保たれる。――さあ、長い時を共に生きよう。半人半妖ならではの生き様を見せてくれ。今後も私に、様々な表情を魅せてくれ」
 おそらくこれからの人生に、この男の存在は不可欠なのだろう。切っても切れない関係になってしまったのだ。妖魔医師の手が己の頬を撫で、髪に口付けるのを、ブルーは複雑な思いで見つめたのだった。
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