その感情の名は

 あかの法衣の青年が放った術が、青の法衣の青年の胸を貫いた。
 噴き出す鮮血、くずおれる体。勝敗は、決した。だが敗れた青年が倒れた直後、その体は光に包まれ、勝利した青年の中へと吸い込まれていったのだ。

 青の術士・ブルーに協力していた仲間たちは、悲しみに包まれながらも紅の術士・ルージュに引き続き同行し、〝二人〟の行く末を最後まで見届けることを誓った。僕は、ブルーを手にかけた張本人なのに。彼はいい仲間に恵まれたのだなと、ルージュは思う。
 崩壊した故郷を目の当たりにし、すぐにでも先へと進みたかったが、一度外のリージョンに出てしっかり準備を整え、一晩休んだほうがいいという仲間たちの提案に、ルージュも同意した。急いては事を仕損じる――万が一僕が死ぬようなことがあれば、僕の内に宿ったブルーの魂も消滅することになる。それだけは、避けねばならない。

 その男は、突然目の前に現れた。鍵を掛けた部屋の中にいるにもかかわらず、だ。
「あなたは……」
 ブルーの記憶を辿る。名はヌサカーン、上級妖魔。クーロン裏通りで病院を営んでいる、病気好きの変わり者。限りなく胡散臭いが、腕は確か。
「……僕に何か御用でしょうか?」
 そう尋ねたが、ヌサカーンはしばらくの間、無言でルージュを見つめた。そういえばこの人はスクラップの仲間たちと話している間、一切声を発さなかった。彼はいったい何を考え、何をしにおのれの元へやってきたのだろうか。
(殺気は感じないけど、友好的な雰囲気でもない。まるで、品定めでもされているような――)
「やはりこうなったか。実力は充分だったはずだが、君の心身の脆さが災いしたな」
 この言葉で、すぐに分かった。この妖魔医師は、『僕』を見ていない。案の定、内なるブルーが唇を噛みしめ、己の後ろからヌサカーンを睨み付けているような感覚があった。痛い所を突かれたのだろう。そして「やはり」ということは、以前から危ぶんでもいたのだろう。再びブルーの記憶を辿ると、彼らの間にはただの仲間以上の、特別な感情が存在していたのだと知る。――それならば。
(ブルー。彼とは、君が接するべきだ。しばらく僕の体を貸すから、自分の正直な気持ちを伝えるといい。これから何が起こるか分からないんだ、せっかくの機会を無駄にしてはいけない)
 気を利かせたルージュが後退し、ブルーを前へと押し出す。背を押されたブルーはしばし戸惑ったものの、ヌサカーンの静かな視線を受けて、やがて意を決したように正面から向き合った。まるで、叱られる前の子供の心境だ。
「……わざわざ無様な敗者を笑いに来たか」
 それでも強がりを言えば、ヌサカーンは目を細め、ゆっくりと近付いてきた。思わず後退あとずさったが背後のベッドのふちにぶつかり、青年は、逃げ場を失う。
 片手が伸びてきて、青年の髪のひと房に触れた。てのひらからさらりと流れ落ちる銀糸を見て、妖魔医師はぽつりと呟く。
「違う。私が話しているのは確かに君だが、容れ物はやはり、明確に違う。眩いほどの金糸にサファイアのような瞳は、永遠に失われてしまった」
「……」
「何一つ残さず死んでしまったものを蘇らせることは不可能だ。……私はもう二度と、〝君〟に触れることはできないのだな」
 ヌサカーンの手が、今度は青年の頬に触れる。だが今、彼が触れているのはあくまでも『ルージュ』であって、『ブルー』ではない。
 この男にこうして触れられることは、妙な気はしたが決して嫌いではなかった――青年の表情がだんだん切なげなものへと変わり、その手が妖魔医師の頬に伸ばされた。人間のような温もりのない、青白い肌。やや遠慮がちに触れてきた青年に、その表情に、男の眼鏡の奥の漆黒の瞳がわずかに見開かれる。
「まさか、惜しんでくれているのか? 妖魔であるあなたが、一人の人間の死を。暇つぶしの玩具を失った程度のことではないのか?」
「……」
「私が至らなかったばかりに、あなたには何度も世話をかけた。にもかかわらず、このざまだ。魂こそルージュと共に在るが、私は死に、肉体も消滅した。それが事実だ。だからこれからは私ではなく、ルージュに力を貸してやってほしい。あなたの力は、間違いなくあいつの助けになる」
「……」
 これが最後のやりとりになるかもしれない。黙したままの妖魔医師へ、青年は申し訳なさそうに付け加える。
「そろそろルージュにこの体を返さなければ。……何も返すことができず、すまない。それどころか、この先もルージュに同行してほしいなどと……」
「元よりそのつもりだ。私自身、マジックキングダムというリージョンそのものに関心があるからな。君たちについていけば、さぞ興味深いものが見られるだろう。
――君との旅は、少なくとも退屈ではなかった。見返りも充分とは言えないが、貰った。君は私の心の中に深く刻まれた、数少ない人間だ。君が〝彼〟の中に生き続ける限り、私は君たちを見守ろう。共に、行く末を見届けよう」
「……感謝する。きっと、ルージュも――」
 気が付けば、青年の体は妖魔医師の腕の中にあった。壊れ物を扱うかのような柔らかな抱擁に、青年は目を閉じ、しばしヌサカーンに身を任せる。
 この感情に名前をつけるならば、〝 〟――だがそれにしてはどこか不確かで、陳腐ですらあるかもしれない。けれどもうしばらくは、このままで。君を、あなたを放したくない。それだけは確かだった。
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