溺れ、堕ちる

「……っ……」
 懸命に声を抑えていても、体温の上昇とうっすらと赤く染まって行く肌の色の変化で、快感を覚えていることが伝わってしまう。
 その反面、妖魔であるヌサカーンにはまったくといっていいほど変化が見られず、おのれとろけるような口付けを交わしながらも、余裕の笑みさえ浮かべている。
 不公平だ、気に入らないという気持ちはあるが、体に力が入らず、押し退けることができない。だがわずかに身動みじろぎしたブルーの心情を汲み取ったのか、ヌサカーンはゆっくりと青年を解放した。混ざり合った唾液が糸を引き、二人の距離が空いた途端にそれはぷつんと切れて、ブルーの口元から顎を淫らに濡らす。
「……」
「フフ……なんとも扇情的だな。その顔、口付けだけでは足りないのではないか? お望みとあらば、口付け以上の快楽も教えるぞ?」
「要らん!」
 再び顔を近付けてきたヌサカーンから、ブルーは勢いよく後退った。手の甲で口を拭って頬を紅潮させ、碧眼を潤ませたまま睨みつけてくるその様まで、ヌサカーンには可愛らしく映ってしまう。
「いくら君が冷たい美貌を有していても、君は人間で、成人男子だ。今の口付けで、さぞ体も火照っているだろう。一人で処理できるのか? 見たところ感度は決して悪くはなく、不能というわけでも無さそうだが」
「放っておけば自然に治まる! もうこれ以上私に近付かないでくれ」
 口では拒絶しているが、平時よりも明らかに息が上がっている。これは迷っているな、とヌサカーンは思った。片割れを殺して完全な術士になるという宿命を背負う者としてストイックでいようとする心と、一度知ってしまった未知の快楽に流され、溺れてみたいという欲望。前者のみであればこうして己と二人きりになることは極力避けようとするはずだし、どんな手を使ってでも抵抗するだろう。だがそれをしないということは、つまり。
「――君は、何を恐れている?」
 唐突なヌサカーンの問いに、ブルーはびくりと身をすくませる。
「何……?」
「ここ最近の君は、私を恐れて仕方なく応じているだけではないように思うがな。先程の口付けは、魅了は一切していないぞ? にもかかわらず君は私の胸に縋りつき、自ら舌を絡めてきた。実に情熱的な口付けだった」
「!」
「私との戯れが〝やみつき〟になることを恐れているのか? ひと時の快楽に身を委ねたとて、君の旅の目的が変わるわけではあるまい。それとも……旅など辞めて、四六時中私と戯れることを選ぶか? 私は構わんぞ?」
「……それは絶対に無い。私は術の資質を集めて片割れをたおし、完全な術士となってキングダムに帰還する。旅の目的は変わらない」
 妖魔医師の淫靡な誘いをきっぱり断った青年の瞳に、強い意志の光が宿る。マジックキングダムに生まれた双子の事情を知っているヌサカーンにしてみれば哀れにすら映ったが、この青年が不安定で不完全だからこそ、行く末を見届けたいのだ。見事片割れを斃して『完全な術士』となるのか、敗北して消滅するのか。後者はやや惜しい気がするが、青年の片割れ・ルージュという青年の中に、ブルーはどのようにして生き続けることになるのか。己はその時、どうするか? その後は? 興味は尽きない。
 所有欲と好奇心、使命感と背徳感の狭間でそれぞれ揺れ動きながらもヌサカーンは妖しく微笑んでブルーを抱き寄せ、ブルーも今だけは本能に抗わず、この妖魔医師からもたらされる快楽を享受することにしたのだった。
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