初めて会ったその時から

 さかずきのカードは手に入れたが、五か所の酒蔵でしこたま飲まされた酒が、まったく抜けない。ズキズキと痛む頭を押さえ、懸命に吐き気をこらえながら、ブルーたちはヨークランドの沼地を後にする。
「ウップ……まったく、色々とひでえ目に遭ったぜ。俺は生まれも育ちもヨークランドだけどよ、こんなに飲んだのは初めてだ。やっぱりほろ酔いくらいがちょうどいいんだなって、改めて思い知ったよ」
「出された酒はどれも上等で美味かったが、酒に慣れている俺でもすぐに酔いが回るほどの度数だった。また飲む機会があったとしても、がぶ飲みはするもんじゃないな。……しかし、あの状況でよく全滅せずに帰って来れたな。ヒック」
「ほんとだよね! でっかいイカ、すっごく強くて怖かったぁー! イカっておいしいけど、あのでっかいイカはおいしくなさそうだったよね」
「あんなの、きっと大味で美味しくないわよ……じゃなくて。ただでさえ歩きにくくて危険な場所に向かうっていうのに、あんなに飲ませて酔わせるなんて。ヨークランド人を見る目が少し変わったわ。一見のほほんとしているようで、旅人には厳しいんだなって」
「そりゃあ、誰にでもほいほいとカードを渡すわけにはいかないからなぁ。アレは試練だよ、試練。普段はみんな、見た目どおり温厚でのんびり屋だぜ。ま、田舎特有の保守的で閉鎖的なとこは少なからずあるかもしれないけどな」
「私はメカなので飲酒はできませんでしたが、そのおかげで酔うことがなく、平常通り戦うことができました。ですが長く沼地に滞在していたことにより、歩行に支障が出始めています。早急な整備が必要です」
「そりゃヤバいな。じゃあ、今日の宿はシュライクがいいかね。中島製作所の皆さんに頼めば、ちょちょいっと直してくれるだろ。なあ、ブルー?」
 親しげに呼びかけて笑顔で振り返ったリュートだったが、当のブルーは答えない。その顔は赤らんでいるどころか真っ青で、彼は眉間に皺を寄せながら、口元と腹を押さえている。
「お、おいおい、大丈夫かよブルー。飲んでる時は平然としてたクセして、一番ヤバそうじゃねえか」
「ちょっと、ここで吐かないでよ!? ヌサカーン、あなた医者でしょ。早く何とかしてあげて」
「……やれやれ、世話の焼ける術士殿だ。これはまた、個別の介抱が必要か」
 今にも倒れそうなブルーの体を支えつつ、すぐに酒が抜けたらしいヌサカーンは、うっすらと微笑んだ。――なんだか、ブルーの身に危険が迫っている気がする。リュートとメイレンはごくりと唾を飲み込み、ゲンは「何だ、つわりか?」と揶揄からかい、そんなゲンにクーンが「ツワリって何?」と尋ね、T二六〇が、ゲンの代わりに淡々と説明し出す。相変わらず騒がしい仲間たちを、ブルーは「なぜお前たちはそんなに元気なんだ」とでも言いたげに睨み、ヌサカーンは懐から謎の小瓶をいくつか取り出すと、ブルーとT二六〇以外の仲間たちに配り始める。
「いつでも元気な君たちには、これをやろう。いわゆる酔い止めというものだが、酒を飲み過ぎた後でも優れた効果を発揮し、二日酔いにもなりにくい、特製飲み薬だ。飲むといい」
「おー、さっすがヌサカーン! 助かるぜ。サンキューな!」
 今すぐ酔いから解放されたい一心で、小瓶を手渡された四人はさっそく蓋を開けると、中に入った液体をあおった。だがその直後、全員が「ブハッ」「ゴフッ」「オエッ」「ングッ」と一斉に嘔吐えずき、涙目になりながら激しく咳き込む。
「ぐわあああ! ぶえっ、ぐおおおおっ」
「な、何だこりゃあ!」
「何これぇっ! 苦くて臭くて、超マズいよぉ」
「『良薬は口に苦し』とは言うけれど、いったい、何をどうしたらこんな味になるわけ!? よく見たら色も凄いし……」
「だが、体は軽くなっただろう? 即効性を追求した結果、ファシナトゥールにしか咲かない草花まで摘みに行くことになったからな。……今回はこうなることを見越して特別に無償提供したが、常日頃の過度な飲酒による体調不良の場合は、相応の代金を支払ってもらう。つまり、そう安易に頼ってくれるなということだ」
 凄まじい味と色だったが、ヌサカーン特製の薬の効果は絶大で、四人の体調はみるみるうちに回復した。すっかり元通りになったのをいいことに、一行の紅一点でありお目付け役的な存在でもあるメイレンが、要注意人物たちに釘を刺す。
「……だって。分かった? ゲンさん、リュート」
「おう」
「えっ、俺も? ……あ、ハイ。ソウデスネ」
「ボク、やっぱりお酒キラーイ。甘~いジュースのほうが絶対いい!」
「『酒は百薬の長』という有名な言葉がありますが、『されど多くの病気は酒から起こっている』と記載されている書物も存在しています。最近の研究でも、飲酒は適量よりもゼロであることが理想的だとする説が――」
「けっ、酒のない人生なんて考えられるか。酒を断って無駄に長生きするくらいなら、好きなように飲んで、適当な所で死ぬことを選ぶぜ」
 T二六〇の話を遮ってぼそりと呟いたゲンの背中を、リュートとメイレンが複雑な表情で見つめた。なんとなく気まずい雰囲気になった彼らをよそに、ヌサカーンはどこまでも冷静に、マイペースに話す。
「君たちは、先にシュライクへ向かうといい。私はブルーをてから合流する」
「へ? さっきの薬が効かないほどの重症なのか?」
「彼は、体調があまり優れない状態でこの試練に挑んだようだ。結果、余計に早く酔いが回り、体調もさらに悪化した。ならば酔いだけを回復させるのではなく、元々の体調不良の原因を調べねばならない。それにはやはり、私の病院での検査が適している」
「ええーっ、あの暗くてブキミな病院で? 普通の病院のほうがいいと思うけどなあ」
「こらっクーン、失礼でしょう! 確かに見た目はちょっとアレだけど、この人の腕は下手な人間の医者より信頼できるわ。見た目はちょっとアレだけど」
「いや、メイレンも結構失礼だよなあ? 同じこと二回言ってるし」
「とにかく、私たちは行く。ではな」
 そう言うなりヌサカーンは、ブルーと共に姿を消した。――なんだか、以前にもこういうことがあったような。残された仲間たちが顔を見合わせ、すぐにそれを思い出す。
「……そういや、旅が始まったばかりの時にもこんなことがあったよな? 確かシュライクの生科研で、ブルーが死にかけて……」
「あったな。で、今回もあの有様だ。まったく、ひ弱な術士様だ」
「ヌサカーンが腕の立つ医者で良かったわね。彼がいなかったら、ブルーは今頃この世にいなかったかもしれないわ」
「ほんとほんと! でもせんせーって、ブルーには特に優しい気がするんだよね。ブルーのこと、好きなのかな?」
「……」
 クーンの無邪気な一言に、一同が沈黙する。誰もが考えていながら、敢えて口にはしなかったというのに。澄んだ目できょろきょろと見回してくるクーンから、人間の大人たちは一斉に目を逸らす。
「……あー、そっか。モンスターは基本無性だし、妖魔も人間ほど性別を重視しないらしいから……」
「そもそも妖魔は、人間にそういう感情を抱いたりするのか? 単にあの兄ちゃんがしょっちゅう死にかけてるから仕方なく治療にあたってるだけじゃないか?」
「それももちろんあるだろうけど、ブルーは見た目がああだから、美しいものを愛する妖魔に気に入られていてもおかしくないわね。でも好意を抱いているというよりは、観賞用のペットとか人形みたいな目で見ているのかもしれないわ」
「そうなのかなあ。……ま、大丈夫だろ。ブルーが元気になって戻って来てくれりゃ、それでいいや。あの時みたいにさ」
「そうそう。今回も、信じて待ちましょう」
 それが、今の自分たちにできること。前回同様、無事戻って来てくれればそれでいい。スクラップからブルーについてきた五人の仲間たちは、わいわいと話しながらシップ発着場へと歩いて行った。

◇◇

 気が付けばブルーは、薄暗い部屋の中にいた。どう見ても病院ではないが、今は深く考えている場合ではない。懸命に吐き気と頭と腹の痛みを堪えているブルーへ、ヌサカーンは背後のベッドに座るよう指示する。
「洗面器が要るか?」
「それよりも、早く、薬を……」
 かなり切羽詰まっているようだ。ベッドに崩れ落ちるように腰掛け、必死に懇願してきたブルーの青白い顔を、ヌサカーンがしばし覗き込む。
「……ふむ。病ではないが、疲労の蓄積で体が弱り、各臓器の働きが低下しているようだな。そこへあれだけの量の飲酒だ、当然悪酔いもするだろう。ならばあの薬とあれと、先ほどの飲み薬の改良版を調合して……」
「改良、版?」
 息も絶え絶えに問うてくるブルーへ、ヌサカーンはてきぱきと体を動かしながら答える。
「君以外の四人に出した酔い止めは、味の調整をしていないものでな。調整をした薬は、あいにく在庫を切らしていたのだ。君の分もあるにはあったが、ただでさえ具合の悪い君に、酷く不味い薬を与えるわけにはいかなかったからな。仲間たちの目の前で盛大に噴き出したくはなかっただろう? ――さて、完成だ。飲むといい」
 ヌサカーンから手渡された小瓶は濃い茶色で中に入っている液体の色までは分からないが、少なくとも、良い匂いではなかった。だが今は、目の前のこの男を信じるしかない。覚悟を決めて、ブルーは小瓶の中身を呷った。そして。
「……不味い」
「まあ、薬だからな。美味くはないだろう。だがしばらく安静にしていれば、効き目を実感できるはずだ」
 そう言ってヌサカーンはブルーから離れ、古めかしい薬箪笥の前へと移動した。そこから複数の薬材を取り出すと、これまた古めかしくよく使い込まれた様子の薬研で磨り潰し始める。
「……」
 静まり返った室内にゴリゴリという音が響き、粉々にされた薬材の匂いが漂う。干からびた生き物の死体のようなものも見えた気がするが、詳しくは聞かないほうがいいだろう。
 時間が経つにつれて意識がはっきりとし始め、視界もクリアになった。――やはりここに来るのは、初めてではない。薄暗い室内を照らすアンティーク調の明かりに、一人暮らしにしては大き目のサイズのベッドに、見覚えがある。
(……思い出した。ここはクーロン裏通りの病院の手前にある、奴の〝自宅〟……また俺におかしなことをしようとしているわけではあるまいな)
 ヌサカーンには、二度の前科がある。一度目は、初めてブルーをここへ連れ込んだ時。生命科学研究所で死にかけたブルーの命を救いはしたが、二人きりになったのをいいことに口説いた上、魅了して襲った。青年のあまりにも初々しい反応を見て彼は上半身を触れるだけに留めたが、この件でブルーは、ヌサカーンのことを使える医者ではあるが危険人物として認識するようになった。
 そして二度目は、ブルーが頻繁に悪夢を見て寝不足気味になっていた時。この時はほぼ強制的に連れ込まれたもののよく眠れる薬を処方してもらい、無事熟睡できたところまでは良かったが、目を開けた途端ヌサカーンの顔が間近にあり、おまけに自らの体も彼の腕の中だったという衝撃的な目覚めだった。やはり、この男は危険だ。三度目はないよう、自分の身は自分で守らねばならない――と思っていた矢先に、これだ。自身の虚弱さが恨めしい。
「おや、緊張しているな。まるで初めて男の部屋にやってきた生娘のようだ」
「誰が娘だ。それにここに連れて来られたのは、もう三度目だぞ」
「君が三度も私に頼らねばならない事態に陥るからだろう」
「ぐっ……」
 容赦がない上、何も言い返すことができない。むすっとそっぽを向いたブルーへ、ヌサカーンは特に気にしたふうもなく声を掛ける。
「回復したようだな。私はこれから出かけるが、君も来るか?」
「出かけるとは、どこへ?」
「薬の材料の調達に。ここにいても退屈かと思ってな」
「確かに。だが、同行してもいいのか? 知られては困ることもあるのでは?」
「企業秘密的なことか? フフ……むしろ、私の仕事を知る機会だと思えばいい。君に損はあるまい?」
「……」
 少なくとも、この部屋に二人きりで篭るよりは遥かにマシだろう。そう考えて、ブルーは首を縦に振った。

「おお、先生! 今日は何をお求めだい?」
「して、そちらの方は……? 助手を雇われたのですか?」
「にしても、綺麗な方ですなあ。もしや〝イイ人〟ですかい?」
「ついに……ついに先生が、愛人を連れて来なすった……!」
 見た目も種族もバラバラな怪しい者たちから親しげに呼びかけられ、この妖魔医師がそれなりに慕われているらしいということは分かったが、「助手」だの「愛人」だのと好き勝手言われることが気に入らなかった。だが当のヌサカーンは妖しく微笑むのみで、肯定も否定もしない。おのれに好奇の目を向けてくるギャラリーが煩わしくて、ブルーの眉間に、次第に皺が寄って行く。
「……あらぬ誤解を受けているようだが。せめて否定はしてくれ」
「それでは芸が無い。敢えて何も教えぬほうが、想像の余地があるだろう? また、「嘘から出たまこと」という言葉もあるように――」
「私はあなたの助手にも愛人にもなるつもりはない!」
 ヌサカーンにとってブルーの返答は予想どおりのものだったが、怪しい者たちは、照れから来る言葉だと取ったらしい。彼らはニヤニヤと笑いながら(メカはボディを揺らしながら)、口々に囃し立てる。
「ははーん、さては照れてるね? いやあ、若いねえ」
「あなたは、実に聡明な顔立ちをしていらっしゃる。あなたならば、きっと先生の良き助けとなりましょう」
「おまけに美人ときたもんだ。美男で一流の腕を持つ先生と美人で賢い助手がいる病院だなんて、どこも何ともなくても通い詰めちまいますな。ワハハ」
「裏通りにひっそりと建つ病院で繰り広げられる、美形医師と美人助手の禁断の恋……くーっ、たまらんなあ」
「何なんだ、あなたたちは!」
 散れ! と言わんばかりに怪しい者たちを威嚇するブルーを見て、ヌサカーンは、まるで毛を逆立てて怒っている猫のようだなと思う。これは堪忍袋の緒が切れた青年が本性を現す前に退散したほうが良さそうだと、妖魔医師は怪しげな薬と引き換えに、必要なものを手早く購入する。
「さて、次のリージョンへ向かうとするか」
「まだ何か買うのか」
「リージョンごとに入手できるものが異なるからな。君の出身地であるマジックキングダムでも、高品質つ希少な材料が手に入る。今日のところは立ち寄る必要はないが」
「ついて来いと言われても困る。私の事情は知っているだろう」
「もちろん覚えているとも。……君と初めて出会った日のこともな」
「?」
 小声で呟かれた後半部分が聞き取れず首を傾げたブルーだったが、ヌサカーンは「行くぞ」とだけ言って、まるでダンスにでも誘うかのようにブルーに手を差し出した。妖魔の能力の一つである瞬間移動は、ブルーが使うことができる『ゲート(リージョン移動)』よりもはるかに融通が利く。よってヌサカーンについていくには、彼の手を取るしかない。
 渋々といった様子で伸ばされた手を取り、ヌサカーンはブルーと共に姿を消した。彼らを見送った怪しい者たちは、「あの先生にも大切なものができたんだなあ」「妖魔と人間じゃ寿命差ってもんがあるが、その辺はどうするつもりなんだろうねえ」「やっぱり、ゆくゆくは寵姫にしちまうんじゃないかい」などと、しばらくの間語り合った。

 どのリージョンでも己に対する反応は似たようなもので、再びヌサカーンの自宅へと戻ってきたブルーは、人混みで揉みくちゃにされた後のような疲れを感じて近くの椅子に座り込んだ。はあ……と深く溜め息を吐いたブルーへ、ヌサカーンは購入した材料を仕分けしつつ話しかける。
「おや、お疲れのようだな」
「当たり前だ。こんなことなら、留守番していたほうがマシだった」
「ほう? 君は外デートより家デート派か」
「何がデートだ。私たちはそのような間柄ではないだろう」
 冷たく言い放ったブルーの眼前に、片付けを終えたヌサカーンが立つ。そして。
「神経がささくれ立っている君には、リラックス効果のある茶でも淹れよう。なに、ただのハーブティーだ。おかしな薬など入れんよ」
「ハーブティー? キングダムにいた頃は度々飲んでいたが、ここにもそんなまともなものがあるのか」
「失礼な。まあ、だがそういった物言いのほうが本来の君らしくはあるな。つまりそれだけ君が私に心を許し始めてくれている証拠だと――」
「なぜそうなる!」
 ブルーの白い肌が耳まで一気に紅潮するさまを、ヌサカーンが愉快そうに見つめる。
 この青年はまったく気付いていないようだが、己とブルーが初めて出会った日とは、彼が病院を訪ねてきたあの時にあらず。今から数年前、マジックキングダムを訪れた際に立ち寄った図書館に、青年はいた。そこかしこに散らばっている魔術学院の生徒たちと同じ制服を纏っていたものの、その美貌や全身から立ち上る魔力は群を抜いており、一瞬で目を奪われた。青年の周囲には人がおらず、またちょうど彼の頭上からは光が差し込んで、その姿を照らし出していたのだ。
 欲しい、と思ったが、すぐに思い留まった。迂闊に手を出して余計な騒ぎを起こしたくはないというのはもちろんあるが、一人本を読み耽っている美しい青年を、できるだけ長く見ていたいと思ったからだ。
 そしてヌサカーンには、予感があった。これだけの魔力にこれだけの存在感を放っているこの青年が、一つ所に留まったまま生を終えるわけがない、と。特に優れた術士はより己の力を高め、より故郷の発展に貢献するためマジックキングダムから旅立ち、必ずクーロンへとやってくる。その時はきっと、そう遠くはない――。
(……意外とすぐだったな。しかも、自ら私の元へとやってきた。結果的に彼は秘術の資質を得ることを選んだが、私は彼にとって不可欠な存在となることができたのだから万々歳というわけだ)
 見目麗しく、行く末を見届けたいと思う数少ない存在。視線を逸らしていまだむくれているブルーに背を向け、ヌサカーンはつい最近買い揃えた真新しい二客のティーセットを取り出すと、青年の髪色とよく似た色のハーブティーを淹れるべく動き始めたのだった。
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