仮初めのアイドル術士と妖魔医師の悪癖

「ご苦労。その恰好でステージに立ったのは何度目だ?」
 突如控え室に現れたヌサカーンの一言に、つい先程までアイドルとしてステージに立ち見事なパフォーマンスを披露していたブルーが、汗を拭いつつ眉を顰める。
「……いくらあなたが妖魔とはいえ、ノックもせずに入ってくるのは非常識だと思うのだが」
「おや、これは御挨拶だな。ひと仕事終えた君のために、ドリンクを差し入れに来たというのに」
 そう言ってヌサカーンは、ブルーに一本のペットボトルを差し出した。それはごく普通の有名スポーツドリンクで、一見変わった所は見られない。少し迷ったもののそれを受け取ったブルーは、キャップを回して「カチッ」と音がしたのを確認すると、渇いた喉に中身を流し込んだ。きちんと新品だった上、よく冷えていて美味い。青年がごくごくと音を立ててペットボトルをあおる様を、妖魔医師が観察するように見つめる。
 あっという間に中身を飲み干してから、ブルーは改めてヌサカーンに視線を遣った。ヌサカーンは壁に凭れかかってうっすらと微笑んでおり、相変わらず何を考えているか分からない。だが差し入れがありがたかったことは確かなので、とりあえず礼を言うことにする。
「冷たい飲み物を差し入れてくれたことについては礼を言う。助かった。だが、なぜわざわざここに? 私に火急の用事でも?」
 ブルーの問いに、ヌサカーンは不意に壁から体を離したかと思うと滑るようにブルーの目の前へと移動し、その両肩を掴んだ。そして、
「なに、単に私が来たいと思ったから来ただけだ。ステージ上の君は君を慕う多くのファンのものだが、今の君は――」
「……っ!」
 首筋に顔を埋められ、ブルーはびくりと体を震わせた。妖魔とは異なる温もりと微かな汗の匂いがヌサカーンを昂らせ、彼は欲望のままに青年の白い首筋に舌を這わせる。
「っは……や、め……」
「普段の法衣もいいが、華美で幾分無防備なこの衣装も悪くはないな。そして、人間特有の高い体温と発汗作用。実にそそられる」
「なっ……何を考えている! また私を揶揄からかって――んっ……」
「しかも、以前よりいい声でくようになった。これはこの先にも大いに期待できる」
 またこの男の悪癖が出た、とブルーは思った。おのれが妙に気に入られていることは自覚しているが、それもこれも、元はと言えば己の未熟さが原因だ。もっと頑健で個別に世話になる機会が少なくなれば、ここまで固執はされないだろう。ゆえに剣術あたりを身に付けようとしたこともあったが、既に前衛の剣士として活躍する仲間が二人もいるため、ならば己はひたすら術を極めようと思ったのだ。
 ヌサカーンの不埒な唇と指が、ブルーの鎖骨から胸のラインをなぞる。ブルーが必死に声を押し殺して耐えていると、ひとしきり味わって満足したのか、ヌサカーンがゆっくりと離れて行った。彼のせいでわずかに火照った体を鎮めながら、ブルーは妖魔医師をキッと睨み付ける。
「……いつもいつも、何のつもりだ」
「私は、自らの本能に忠実になったまで。体の疼きを鎮めたいのならば、私の家で続きをするか?」
「誰がするか! 用が済んだのなら出て行ってくれ。あなたがいては、着替えることもできない」
 怒っていても上級妖魔である己への礼儀を忘れないブルーに感心しながらも、ヌサカーンは「これは失礼。では、また後で」と妖しく微笑んで姿を消した。ようやく一人きりになったブルーは、他の誰かが訪ねてくる前にと、急いで着替え始める。
 着慣れた術士の法衣を纏い建物の外へと出れば、女性を中心とした多くのファンたちが黄色い声を上げながら待ち構えていて――再び〝アイドル〟の顔へと変化したブルーは、人好きのする笑顔を振りまきながら、少し離れた所で待つ仲間たちの元へと向かったのだった。
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