膝丸、滝行に行く
「……兄者。本当に、いいのだな……?」
「うん。……来て、膝丸 。お前の全てを、僕にちょうだい」
「ああ、兄者……この日をどれだけ待ち侘びていたか。今、この膝丸の全てをあなたに――」
「……っ!?」
真っ先に視界に飛び込んできたのは、見慣れた部屋の天井。傍 らではつい先程まで組み敷いていたはずの兄がすやすやと寝息を立てていて、己 は夢を見ていただけなのだと分かった。――なんと不埒な夢を見てしまったのだろうか。体を起こした膝丸は片手で顔を覆い、はあー……と溜め息を吐く。
兄である髭切に兄弟以上の感情を抱いているのは事実で、その想いが日に日に膨らんでいる自覚はあったが、兄に嫌われたくない、軽蔑されたくないという思いから、それを表に出さないよう必死に抑え込んできた。だが、とうとうあのような夢を見るまでに俺は。これは由々しき事態なのではないか? 髭切の寝顔から視線を逸らし、膝丸は布団から這い出て障子を開ける。
時刻は早朝、庭にはこれから鍛錬に向かうと思われる山伏国広と同田貫正国の姿。彼らを見るなり膝丸ははっと閃き、素早く靴を履いて外へと飛び出す。
「山伏国広殿! 同田貫正国殿!」
「おお、これは膝丸殿。良い朝であるな。どうなされた?」
「俺も、あなた方の鍛錬に同行させていただきたい!」
「あ? 鍛錬っつっても、俺らはこれから滝行に行くんだぜ? それでもいいのか?」
「尚更いい! 頼む!」
「……どうするよ? 山伏」
少し困ったように相棒の判断を仰ぐ同田貫正国へ、山伏国広は上体を反らしてカカカカカ! と豪快に笑う。
「うむ、良かろう! 貴殿も我らと共に、修行に励もうぞ!」
「感謝する!」
綺麗な角度で頭を下げ、膝丸は修行・鍛錬好きの男たちについていくことにした。
専用の白装束に着替え、山伏国広から滝行の説明を聞いた膝丸は、ひととおりの作法を終えてから滝の前に進み、水に身をつけた。滝つぼに入ると水の冷たさや衝撃による苦しみが襲ってきたが、同田貫正国曰く「あんたは初心者だから、比較的水の勢いが緩やかな滝を選んでやった」らしい。何より、滝行への同行を申し出たのは他ならぬ自分だ。ここでしっかり雑念や煩悩を吹き飛ばさなければ、兄に合わせる顔がない。
(……心頭滅却、心を無に……!)
やがて体が慣れてきたのか水に打たれる感覚だけが残り、徐々に苦しさが消えて行くのを感じた。――なんだか、清々しい気持ちになってきたぞ。これで穢れは浄化されただろうか。俺は源氏の重宝・膝丸、源氏の惣領刀である髭切の弟。そう、「弟」なのだ――。
滝行を終えた己を労ってくれた二振りに礼を言い、全身を拭きながら元の装束に着替える。髪はしっとりと濡れたままだったが、頭は冷えたしわずかに昂っていた体の熱も冷めた。これで良かったのだと膝丸は己に言い聞かせながら、山伏国広たちと共に帰路に就いた。
本丸に帰ってくるなり通りかかった仲間から「髭切さんがあなたを捜してましたよ」と聞かされて、膝丸は早足で自分たちの部屋へと向かった。眠っていた兄に何も告げずに行方をくらましたのだ。それは心配もするだろう。
「兄者!」
庭に出てきょろきょろと辺りを見回している兄の姿を認めるなり駆け寄ると、髭切は「おお、弟」と声を上げた。「膝丸だ、兄者」と突っ込むまでがセットだ。
「心配をかけてすまない。少し、出かけていた」
「まったく、どこに行ってたんだい? 出かけるなら一言言ってから……あれ? なんで髪が濡れてるの?」
尤 もなツッコミだ。膝丸は一瞬言葉に詰まり、だが正直に打ち明けることにする。
「……山伏国広殿、同田貫正国殿と共に、少し滝行に」
「滝行? なんでまた」
「まあ、その……一度体験してみたくなったというか、な。悪くは、なかったぞ」
「そうなの? ……まあともかく、濡れたままではいけないね。いつもお前にやってもらってるから、たまには僕が乾かしてあげる。どらいやーを持ってくるから、そこに座って待ってて」
そう言って部屋の奥へと消えて行った髭切に、膝丸は微かな驚きと喜びに打ち震えて素直に従ったわけだが、髪を乾かすといった行為により兄の手がそこかしこに触れ、せっかく吹き飛ばしてきたはずの雑念や煩悩が再び復活してしまったのは言うまでもない。
「うん。……来て、
「ああ、兄者……この日をどれだけ待ち侘びていたか。今、この膝丸の全てをあなたに――」
「……っ!?」
真っ先に視界に飛び込んできたのは、見慣れた部屋の天井。
兄である髭切に兄弟以上の感情を抱いているのは事実で、その想いが日に日に膨らんでいる自覚はあったが、兄に嫌われたくない、軽蔑されたくないという思いから、それを表に出さないよう必死に抑え込んできた。だが、とうとうあのような夢を見るまでに俺は。これは由々しき事態なのではないか? 髭切の寝顔から視線を逸らし、膝丸は布団から這い出て障子を開ける。
時刻は早朝、庭にはこれから鍛錬に向かうと思われる山伏国広と同田貫正国の姿。彼らを見るなり膝丸ははっと閃き、素早く靴を履いて外へと飛び出す。
「山伏国広殿! 同田貫正国殿!」
「おお、これは膝丸殿。良い朝であるな。どうなされた?」
「俺も、あなた方の鍛錬に同行させていただきたい!」
「あ? 鍛錬っつっても、俺らはこれから滝行に行くんだぜ? それでもいいのか?」
「尚更いい! 頼む!」
「……どうするよ? 山伏」
少し困ったように相棒の判断を仰ぐ同田貫正国へ、山伏国広は上体を反らしてカカカカカ! と豪快に笑う。
「うむ、良かろう! 貴殿も我らと共に、修行に励もうぞ!」
「感謝する!」
綺麗な角度で頭を下げ、膝丸は修行・鍛錬好きの男たちについていくことにした。
専用の白装束に着替え、山伏国広から滝行の説明を聞いた膝丸は、ひととおりの作法を終えてから滝の前に進み、水に身をつけた。滝つぼに入ると水の冷たさや衝撃による苦しみが襲ってきたが、同田貫正国曰く「あんたは初心者だから、比較的水の勢いが緩やかな滝を選んでやった」らしい。何より、滝行への同行を申し出たのは他ならぬ自分だ。ここでしっかり雑念や煩悩を吹き飛ばさなければ、兄に合わせる顔がない。
(……心頭滅却、心を無に……!)
やがて体が慣れてきたのか水に打たれる感覚だけが残り、徐々に苦しさが消えて行くのを感じた。――なんだか、清々しい気持ちになってきたぞ。これで穢れは浄化されただろうか。俺は源氏の重宝・膝丸、源氏の惣領刀である髭切の弟。そう、「弟」なのだ――。
滝行を終えた己を労ってくれた二振りに礼を言い、全身を拭きながら元の装束に着替える。髪はしっとりと濡れたままだったが、頭は冷えたしわずかに昂っていた体の熱も冷めた。これで良かったのだと膝丸は己に言い聞かせながら、山伏国広たちと共に帰路に就いた。
本丸に帰ってくるなり通りかかった仲間から「髭切さんがあなたを捜してましたよ」と聞かされて、膝丸は早足で自分たちの部屋へと向かった。眠っていた兄に何も告げずに行方をくらましたのだ。それは心配もするだろう。
「兄者!」
庭に出てきょろきょろと辺りを見回している兄の姿を認めるなり駆け寄ると、髭切は「おお、弟」と声を上げた。「膝丸だ、兄者」と突っ込むまでがセットだ。
「心配をかけてすまない。少し、出かけていた」
「まったく、どこに行ってたんだい? 出かけるなら一言言ってから……あれ? なんで髪が濡れてるの?」
「……山伏国広殿、同田貫正国殿と共に、少し滝行に」
「滝行? なんでまた」
「まあ、その……一度体験してみたくなったというか、な。悪くは、なかったぞ」
「そうなの? ……まあともかく、濡れたままではいけないね。いつもお前にやってもらってるから、たまには僕が乾かしてあげる。どらいやーを持ってくるから、そこに座って待ってて」
そう言って部屋の奥へと消えて行った髭切に、膝丸は微かな驚きと喜びに打ち震えて素直に従ったわけだが、髪を乾かすといった行為により兄の手がそこかしこに触れ、せっかく吹き飛ばしてきたはずの雑念や煩悩が再び復活してしまったのは言うまでもない。
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