おみ足をどうぞ
戦場から帰還し、靴を脱いで本丸内へと入る。
「はあ~、疲れたあ~」と口にした髭切は本当に疲れている様子で、これは部屋に戻ったら茶でも淹れて差し上げようと心に決めた直後、膝丸はふと視界に映ったものにぎょっとした。
見間違いではない。髭切の白い靴下の一部が、赤く染まっている。――足に、怪我をしている。兄も己 も、無傷で帰ってきたはずなのに。
膝丸はすかさず髭切に近寄り、「兄者」と呼んだ。「ん? 何だい?」と振り向いた髭切へ、膝丸は兄の足下を指差す。
「その足はどうしたのだ」
「足? ……ありゃ。血が出てるねえ」
「何か覚えは?」
「んー……最初はなんともなかったんだけど、途中からズキズキ痛み出した感じ。足の指に尖ったものが当たりっぱなしの状態というか」
「尖ったもの……靴下の中に何か入っているのか? とにかく、すぐに部屋に戻ろう。兄者、部屋まで歩けるか?」
心配そうに見つめてくる膝丸に、髭切はひらひらと手を振る。
「別に骨が折れているとかじゃないんだから、一人で歩けるよ。お前は本当に心配性だなあ」
髭切の歩き方はいつもどおりだが、大切な兄の足に何が起こっているのか気が気でない膝丸は、髭切がいつふらついてもすぐに抱きとめられるように、後ろにぴたりとくっつくようにして歩いた。
向かい合って床に座り、髭切が自らの靴下を脱ぐ。怪我をしているのは右足で、出血しているのは中指だった。髭切の素足を見た瞬間、膝丸は怪我の原因を一瞬で特定する。
「……爪だ」
「爪?」
「伸び過ぎた爪が、隣の指に刺さっていたのだ。兄者、顕現してから一度も足の爪を切っていないだろう。伸び放題になっているぞ」
「うん、足の爪は一度も切ったことがないねえ。道理で、いつも爪先に違和感があったわけだ」
のんびりと言う髭切に、膝丸は俯いてはあ、と溜め息を吐いた後、再び顔を上げる。
「ならば、俺が切ろう。兄者はそのままじっとしていてくれればいい」
「え? お前が切ってくれるの?」
「深爪でもしたら、余計に痛みが悪化するからな。今は人の身である以上、さらに面倒なことにもなりかねん。――足を。まずは、右足から」
爪切りを手にした膝丸が正座をし、真剣な顔で髭切を促す。どうやら、本気のようだ。相変わらず弟は僕のお世話が好きだよね、と思いながら、髭切は素直に右足を差し出す。
差し出された髭切の右足を恭しく手に取り、膝丸は長く伸びた爪を慎重に切り始めた。パチン、パチンと小気味良い音が室内に響き、適度な長さに切り揃えられた爪をやすりの部分で丁寧に整える。右足が終わると、次は左足。触れられている所から膝丸の手の温もりが伝わってきて、髭切の心もほんのりと温かくなる。
(……弟に触れられるとちょっと胸がドキドキして、なんだかいつも気持ち良くなっちゃうんだよなあ)
「終わったぞ。……うむ。我ながら、なかなかに美しく整えることができた。これで傷の手入れもすれば、完璧だな」
「うん、ありがとう。お前は器用だねえ」
「手の爪はともかく、足の爪切りは俺に任せてくれ。兄者がお望みであれば、加州清光殿のような〝ねいる〟も施してみせよう」
「あはは、頼もしいね。……終わったのなら、そろそろ足を離してくれないかな?」
髭切の言葉に、膝丸は慌てて兄の左足を解放した。自由になった髭切はよいしょ、と言って立ち上がり、手入れ部屋へと向かうべく襖を開ける。
「この程度の傷だったら、そんなに時間はかからないよね。たくさん体を動かしたからお腹が空いたし、手入れが終わったら食堂に行こうかな。お前も来るかい?」
「あ、ああ、もちろんだ。どこまでも兄者にお供する!」
「ふふ、大袈裟だなあ。今日の献立は何だろうねえ」
前を行く髭切の後に、膝丸が続く。今日も共にいられる幸せを噛み締めながら、二振りは部屋を後にしたのだった。
「はあ~、疲れたあ~」と口にした髭切は本当に疲れている様子で、これは部屋に戻ったら茶でも淹れて差し上げようと心に決めた直後、膝丸はふと視界に映ったものにぎょっとした。
見間違いではない。髭切の白い靴下の一部が、赤く染まっている。――足に、怪我をしている。兄も
膝丸はすかさず髭切に近寄り、「兄者」と呼んだ。「ん? 何だい?」と振り向いた髭切へ、膝丸は兄の足下を指差す。
「その足はどうしたのだ」
「足? ……ありゃ。血が出てるねえ」
「何か覚えは?」
「んー……最初はなんともなかったんだけど、途中からズキズキ痛み出した感じ。足の指に尖ったものが当たりっぱなしの状態というか」
「尖ったもの……靴下の中に何か入っているのか? とにかく、すぐに部屋に戻ろう。兄者、部屋まで歩けるか?」
心配そうに見つめてくる膝丸に、髭切はひらひらと手を振る。
「別に骨が折れているとかじゃないんだから、一人で歩けるよ。お前は本当に心配性だなあ」
髭切の歩き方はいつもどおりだが、大切な兄の足に何が起こっているのか気が気でない膝丸は、髭切がいつふらついてもすぐに抱きとめられるように、後ろにぴたりとくっつくようにして歩いた。
向かい合って床に座り、髭切が自らの靴下を脱ぐ。怪我をしているのは右足で、出血しているのは中指だった。髭切の素足を見た瞬間、膝丸は怪我の原因を一瞬で特定する。
「……爪だ」
「爪?」
「伸び過ぎた爪が、隣の指に刺さっていたのだ。兄者、顕現してから一度も足の爪を切っていないだろう。伸び放題になっているぞ」
「うん、足の爪は一度も切ったことがないねえ。道理で、いつも爪先に違和感があったわけだ」
のんびりと言う髭切に、膝丸は俯いてはあ、と溜め息を吐いた後、再び顔を上げる。
「ならば、俺が切ろう。兄者はそのままじっとしていてくれればいい」
「え? お前が切ってくれるの?」
「深爪でもしたら、余計に痛みが悪化するからな。今は人の身である以上、さらに面倒なことにもなりかねん。――足を。まずは、右足から」
爪切りを手にした膝丸が正座をし、真剣な顔で髭切を促す。どうやら、本気のようだ。相変わらず弟は僕のお世話が好きだよね、と思いながら、髭切は素直に右足を差し出す。
差し出された髭切の右足を恭しく手に取り、膝丸は長く伸びた爪を慎重に切り始めた。パチン、パチンと小気味良い音が室内に響き、適度な長さに切り揃えられた爪をやすりの部分で丁寧に整える。右足が終わると、次は左足。触れられている所から膝丸の手の温もりが伝わってきて、髭切の心もほんのりと温かくなる。
(……弟に触れられるとちょっと胸がドキドキして、なんだかいつも気持ち良くなっちゃうんだよなあ)
「終わったぞ。……うむ。我ながら、なかなかに美しく整えることができた。これで傷の手入れもすれば、完璧だな」
「うん、ありがとう。お前は器用だねえ」
「手の爪はともかく、足の爪切りは俺に任せてくれ。兄者がお望みであれば、加州清光殿のような〝ねいる〟も施してみせよう」
「あはは、頼もしいね。……終わったのなら、そろそろ足を離してくれないかな?」
髭切の言葉に、膝丸は慌てて兄の左足を解放した。自由になった髭切はよいしょ、と言って立ち上がり、手入れ部屋へと向かうべく襖を開ける。
「この程度の傷だったら、そんなに時間はかからないよね。たくさん体を動かしたからお腹が空いたし、手入れが終わったら食堂に行こうかな。お前も来るかい?」
「あ、ああ、もちろんだ。どこまでも兄者にお供する!」
「ふふ、大袈裟だなあ。今日の献立は何だろうねえ」
前を行く髭切の後に、膝丸が続く。今日も共にいられる幸せを噛み締めながら、二振りは部屋を後にしたのだった。
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