俺と兄者の夏祭りでーと

 梅雨が明けて本格的な夏がやってきたある日、本丸の景趣が「展望の間・海辺」に変わった。空と海の青に雲と砂浜の白、打ち寄せる波の音に子供の姿を取っている者たちが興奮し、保護者たちが止める間もなく駆け出して行く。中でも保護対象者の多い一期一振は「泳ぎたいのなら水着に着替えてからにしなさい!」と大声を出し、その後ろでは既に諦めたのか愛染国俊と蛍丸の保護者である明石国行が、「粟田口は人数が多くて大変やなぁ」と大きなあくびをしながら呟いた。愛染国俊と蛍丸もはしゃいではいるが粟田口の短刀たちよりは理性的で、服のまま海に入ろうとしている者を冷静に止めている。やはり保護者が普段からしっかりしているかそうでないかの差が大きいようだ。
「今年もこの季節がやってきたかー。清光もたまには海に入って泳げばいいのに」
「やだよ、日焼けしたくないし。それに海って、何がいるか分かんないじゃん。水の中で目も開けらんないし、泳ぐんなら屋内プールがいい。でっかいウォータースライダー、あれちょっと憧れなんだよねー」
「確かに。海にはウォータースライダーはないからね。あれ、僕も体験してみたいなあ」
 元の主が同じ加州清光と大和守安定がのんびり話しているところへ、おしどり夫婦ならぬおしどり兄弟として有名な髭切と膝丸がやってきた。彼らも外を見るなりおお、と声を上げ、小さき者たちを目を細めて見つめる。
「ふふ、子供たちは元気だねえ。主の判断一つで景色がころころ変わる仕組みは今もよく分からないけど、僕も海は好きだな」
「ああ、俺もだ。主もこの本丸もいまだに謎は多いが、いつも季節感を大事にしてくれる主には感謝している。やはり一年には、四季があってこそだ」
「だねえ。せっかく海辺の景趣になったことだし、砂浜で定番のスイカ割りでもする? もちろんお前が、だけど」
「俺が!?」
 いや、どう考えてもそうでしょ。と、加州清光と大和守安定が心の中でツッコミを入れた。この本丸の主である審神者や一部の刀剣男士から「不思議ちゃん」と言われている髭切にスイカ割りなんてやらせようものならスイカ以外のもの、下手をしたら弟の膝丸の頭をかち割りかねない。ビーチで大惨事を目撃する羽目になるのは絶対に御免だ。
 兄弟の会話は、なおも続く。
「あと、ばーべきゅー、だっけ? あれもいいよね。網の上で焼いた肉、最高に美味しかったなあ」
「忘れもしない……あの日兄者は俺が焼いた食材を根こそぎ食い尽くし、俺は他の仲間から食べ物を恵んでもらったことを。少しくらい残しておいてくれても良かっただろう……」
「ありゃ、まだ根に持ってるの? だって本当に美味しかったんだもの。お前は天才だよ、肉を美味しく焼く天才。そんな弟を持つことができて、僕は兄としてとても誇らしいよ」
「兄者……」
 いやいや、感極まってる場合じゃないって。そこは恨んだり怒ったりしていいとこでしょ。何あっさり言いくるめられてんの。またも加州清光と大和守安定が声には出さずにツッコんだ。一見髭切がボケで膝丸がツッコミという印象だが、膝丸のボケっぷりもなかなかのものだよなと、二振りは思う。
 彼らがサイレントツッコミに疲れてきている中、後から来た面々も次々に砂浜へと下りて行った。とりわけ「琉球宝刀組」は今にも桜吹雪が舞っているのが見えそうなくらいに喜んでおり、千代金丸がどこからともなく取り出した三線の演奏に合わせて北谷菜切が歌い出し、そんな兄たちを治金丸が体を左右に揺らしながら楽しそうに見守っている。
 砂浜はあっという間に刀剣男士で埋め尽くされ、いつの間にか水着に着替えた短刀たちが歓声を上げて海に入って行く。
 皆がそれぞれの場所で、思い思いに季節の移ろいを感じている。本格的な夏がやってきたのだ。

 燭台切光忠が切ってくれたスイカを持って縁側に座った髭切と膝丸は、先客の三日月宗近ら三条の者たちと軽く挨拶を交わした。じっとしていてもじわじわと滲み出す汗を拭っていると、気を利かせた今剣が扇子でぱたぱたと兄弟を扇ぎ始める。
「……今剣は暑くないのか?」
 膝丸の問いに、今剣は両手を広げてくるりと回ってみせた。雪のように白い肌には汗ひとつ浮かんでおらず、動作も機敏だ。
「さっき、岩融といっしょにかきごおりをたべたのです! だから、いまのぼくたちはむてきですよ!」
「かき氷かぁ、いいねえ。ちなみに、何をかけて食べたんだい?」
 髭切からも問われて、今剣は得意そうに胸を張る。
「ぶるーはわいっていう、あおいこおりみつです! だから、ぼくのしたもまっさおに!」
 そう言って今剣はべっ、と舌を出してみせた。お約束だ。
「ははは、先程から誰彼構わず舌を見せて回っていてな。失礼した。今剣よ、後でちゃんと歯を磨くのだぞ」
「……はぁーい」
 岩融の言葉に、今剣は渋々といった様子で返事をする。どうやら、歯磨きはあまり好きではないらしい。実に子供らしいなと膝丸は思ったが、ふと日頃から「歯磨きって面倒臭いよね」とぼやいている兄者と同じだな、兄者は大人だがと、髭切をちらりと横目で見遣った。おのれがいなければ、ずぼらな兄はとっくに虫歯になっていただろう。源氏の重宝が虫歯に悩まされるなどなんとも情けない話だが、当の髭切は弟の視線には全く気付いておらず、嬉しそうにスイカにかぶり付いている。せっかくの冷えたスイカがぬるくなってしまうのはもったいないので、膝丸も兄に続いた。黙々とスイカを食べる兄弟へ、お茶を飲み干した石切丸が声を掛ける。
「これから数日間の出陣は、よほどのことがない限り最近顕現した刀が中心になるらしいよ。だから主いわく、私たちのような古株には束の間の夏休みを満喫してほしい、と。私はいつもどおり本丸でのんびり過ごすことができれば充分だけれど、君たちは何かやりたいことはあるかい?」
「やりたいこと? うーん……」
「……」
 しばし顎に手を当てた揃いのポーズで考え込んだ兄弟だったが、何かを思いついたのか、膝丸がはっと顔を上げた。そして、
「……俺は、ある。以前から考えていたことが」
「おや。膝丸さんはあるんだね」
「お? 何だい?」
「兄者と相談したいこともあるのだ。部屋に戻ってから話そう」
 多くは語らず、残りのスイカを一気に食べた膝丸が立ち上がった。何やら自分も関係しているらしいと、髭切も手早くスイカを食べ終えて立ち上がる。
「では、失礼する」
「邪魔したね」
「いえいえ。兄弟仲がいいのはいいことだよ。お互いに、貴重な夏休みを楽しもう」
「めいいっぱいたのしみましょうね!」
 三条の者たちに別れを告げ、膝丸と髭切は自分たちの部屋へと戻って行った。

「――夏祭りに、行ってみたいのだ」
 向かい合って座った膝丸から告げられた意外な言葉に、髭切が目を丸くする。
「夏祭り?」
「ああ。だがこの本丸で行われるものではなく、人間たちの世界の夏祭り、だ。よって、まずは主の許可を得なければならない。むろん、兄者からも」
「主は分かるけど、僕も? 何の許可が要るって言うんだい?」
「いや……俺の勝手で兄者を巻き込もうとしているのだ。兄者が否と言えば、この話は無かったことに……」
 さすがの髭切も、膝丸が言わんとしていることは分かった。つまり弟は、己と一緒に人間界の夏祭りに行きたがっている。しかも、二人きりで。
 一瞬で、答えが出た。自身も夏祭りに興味があるのはもちろん、兄として可愛い弟の可愛い頼みを聞き入れない理由など、どこにあるというのか。
 珍しくもじもじそわそわしている膝丸を、すっくと立ち上がった髭切が見下ろした。何事かと座ったまま見上げてくる膝丸へ、髭切は言う。
「ほら、立って。主の所に行くんだろう?」
「え……なっ、兄者は……」
「僕がそんな楽しそうなことを断るとでも? 大丈夫。二人で行くと言えば、きっと駄目とは言われないよ」
「兄者……!」
 膝丸が、ぱあっと顔を輝かせて立ち上がる。普段はしっかり者でキリッとしているが、こういうところはやっぱり「弟」なんだなと、髭切は微笑ましい気持ちになった。

 審神者から拍子抜けするほどあっさり外出許可を貰い、再び部屋に戻った膝丸と髭切は、うきうきと軽装に着替えた。財布は膝丸が管理することにして、二振りはさっそく転送装置の前へとやってくる。
「それで? どの時代のどこに行くんだい?」
「主が設定したのは……202X年7月2X日の東京。この日は主にとって特別な日らしく、かの隅田川花火大会も開催されていたようだ。……この日に何があったんだろうな?」
「さあ? まあ、いいじゃない。こっちはこっちで目一杯楽しんで来ようよ。主へのお土産も忘れずにね」
「そうだな。現金も当時のものに変換済みで、『でじたるかめら』と『すまーとふぉん』も持った。もう一台の『すまーとふぉん』は、兄者が持っていてくれ。万が一はぐれた時に、連絡を取り合うためだ」
「ええ……これ、どう使うの?」
「ここを押してこうすれば、俺に電話をかけられる。写真や動画も撮れるようだが、より綺麗な画質で楽しみたいのなら、こちらの『でじたるかめら』を使うといいらしい。どちらも高価だから壊したり無くしたりしないようにと、念を押された」
「へえ~、色々便利なものがあるんだねえ。うまく使えば思い出を形にして残して、後から振り返ることもできるわけだ。文明の利器、利用しない手はないってことか」
「ああ。……そろそろ行こう。花火をいい場所で見るためには、早めの場所取りも必要らしいからな」
 膝丸が転送装置を操作すると、眩い光が兄弟を包み込む。膝丸と髭切の二振りは、瞬時にして西暦202X年夏の東京へと飛んだ。

◇◇

 本来ならば二振り――というより刀剣男士そのものが人目を引く容姿をしているのだが、審神者が事前に何らかの「魔法」をかけたらしい。今の膝丸と髭切は人間たちにはただの〝モブ〟に見えており、しかし自身や互いにはいつもどおりの姿に見えるという、なんとも不思議なことになっていた。試しに写真を一枚撮ってみたが、やはり普段どおりだった。本当に人間たちにのみ有効な「魔法」のようだ。 
 審神者の心遣いに感謝しつつ少し歩くと屋台が見えてきて、二振りは自然と早足になった。まずはたこ焼きを一パック買い、半分こする。そこからさっぱりした冷やしキュウリを挟んでイカ焼き、じゃがバター、お好み焼き、やきそば……と食べ、ある程度腹が満たされたところで水分補給にと、「電球ソーダ」なるユニークなドリンクを買った。髭切はもう少し食べたかったようだが、屋台は何も食べ物ばかりではないし、主から貰った小遣いにも限りがあると兄に言い聞かせ、膝丸は食べ物以外の屋台に目を向ける。
「ヨーヨー釣りか。いいな。軽装にも合う上、我々の髪や服の色に似ている風船がある。白と黒か、黄と緑の風船を狙おう」
「いいね。でもどうせなら欲張って、二つずつ取っちゃおうか」
 二振りは初めてとは思えない手捌きでそれぞれのイメージカラーの水風船を手に入れて店主を驚かせ、近くのお面屋で白と黒の狐面を買って頭に身に付けた。最後に立ち寄った射的でも彼らは見事な腕前を発揮し、そのせいでせっかく〝モブ〟に見えているというのに人々の注目と拍手喝采を浴びる羽目になってしまい、愛想笑いをしながらその場から足早に去る。
「はあ……危なかったあ。『何かされてます?』って、まさかここからずっと未来の世界で刀剣男士やってます、なんて言えないもんねえ」
「銃は専門外だが、的に攻撃を当てるのは慣れているからな。むろん、本物の銃を使う陸奥守吉行殿には敵わんが。……日が傾いてきた。屋台巡りはこれくらいにして、そろそろ場所取りをしたほうがいいかもしれんな」
「そうだね。……あ、じゃあそこの屋台で最後。らむね飲みたい」
「分かった。これだけ暑いと、こまめな水分補給は欠かせないからな」
 よく冷えたラムネを買い、膝丸と髭切はスマートフォンで検索して出てきた穴場スポットへと移動し始めた。迫力のある花火が見たいのはやまやまだがそのような場所は混雑必至なので、ならば多少迫力を犠牲にしてでも落ち着いて鑑賞できる場所にしよう、という意見で一致したのだ。

 そこは穴場といっても有名なスポットではあるらしく、中でも人気の場所は既にほぼ人で埋まっている状態だった。それでも全く空いていないわけではなく、わずかな隙間を見つけると、二振りはすかさず腰を下ろした。花火大会開始まではまだ時間があるので、その間に互いが合間合間にスマートフォンで撮っていた写真を見ることにする。
「む……兄者、いつの間にそんなに撮っていたのだ」
「お前だって結構撮ってるじゃない。しかも景色や屋台で買ったものじゃなくて、僕の写真ばかり」
「兄者こそ、俺の写真が多……結構な確率でぶれているのは何故なんだ」
「かめら初心者だからさ、動くものの写真を撮るのは苦手なんだよ。それに引き換え、お前は写真を撮るのが上手いねえ。全然ぶれてない」
「兄者は戦の時以外はゆったりとしているからな、撮りやすかった。……しかしこれだけ見ると、盗撮していたようで少々後ろめたい気持ちになるな……乱藤四郎殿が言っていた『じどりぼう』とやらを借りていれば、もっと二人で写った写真を撮ることもできただろうに」
「地鶏? ……こうして『すまーとふぉん』を持ってくっつけば、なんとか二人で撮れないかなあ」
 突如顔を寄せてきた髭切に、膝丸はどきりとする。同じ部屋で暮らし、ほとんど同じものを食べているはずなのに、この人はなぜ微かに甘い匂いがするのだろう。己が兄に抱いているほのかな感情が、そう感じさせるだけだろうか。意識してはいけないと思えば思うほど、余計に意識してしまう。
(……そうだ。俺が兄者と二人きりの遠征を望んだのは……)
「はーい、撮るよー。かめらを見てー笑ってー」
 そんな膝丸の想いをよそに髭切は弟の頬をむにっと引っ張ると、そのまま写真を撮ってしまった。頬を引っ張られた感覚と直後に聞こえたシャッター音で我に返った膝丸は、慌てて髭切のスマートフォンの画面を覗き込む。
「あはは、変な顔」
「なっ……兄者! ぼんやりしていた俺が悪いとはいえ、これはあんまりだ! さすがに撮り直させてくれ」
「ええ~、これはこれで面白いから残しておいてもいいと思うけどな……って、即削除かあ。もったいない」
「勘弁してくれ。……では、今度は俺のかめらで撮るぞ」
 膝丸の合図で、髭切が再び顔を寄せてくる。平常心、平常心と心の中で唱えて、膝丸は撮影ボタンを押した。己は真顔だが、髭切は柔らかな笑みを浮かべている。通常運転だ。
「うん、やっぱりお前は上手に撮るねえ。でも、もうちょっと楽しそうな顔をすればいいのに」
「俺は意識して笑顔を作るのが苦手なのだ。これでも楽しんでいるのだぞ、本当だぞ?」
「はいはい。……それにしても、なかなかの量だね。お前と僕の写真を合わせたら、あるばむを一冊作れるんじゃない?」
「作れるものなら作りたいな。作り方は、本丸に帰ったら主にいてみよう」
「そうだね。これから始まる花火も上手く撮れるかな?」
 他愛もない話をしているうちに日が沈み、未だ明るい夕空にうっすらと夜の気配が漂い始めた頃、いよいよ花火大会は始まった。最初の一発が打ち上がった直後、あちらこちらからわあっと歓声が上がる。
「始まったね。……うーん、分かってはいたけど、ここからだとやっぱり迫力はいまいちだねえ。でも花火のそばに見える光ってるあれ……なんて言うんだっけ? も見えるし、こうして座ってのんびり見られるのはいいかも」
「あれは『すかいつりー』だな。『東京たわー』に並ぶ東京の新しい象徴、らしい。朝から来ていれば、立ち寄ることができたかもしれないな」
「そっかあ、いずれ行ってみたいねえ。『東京たわー』のほうは、ほんの一時期本丸からも見えたことがある気がするけど」
「ああ。確か、今年の初めのことだな。あの時も花火が打ち上がっていて、本丸中が沸き立っていた。……多少離れた場所から見ても、やはり花火はいいものだな」
「うん。……綺麗だね」
 連続で打ち上げられる花火を見て髭切は囁くように答え、不意に膝丸に寄り添った。己の肩にそっと頭を預けてきた兄に、膝丸の心臓がどくん、と跳ね上がる。
「あ、兄者……!?」
「……いいよねえ、こういうの」
「な、何がだ?」
「お前と二人きりで遠征して、色々見て回って、こうして寄り添って、一緒に花火を見てる。いいなあって、思ってさ」
「兄者、それは……」
 膝丸がおそるおそる髭切に目を遣ると、髭切はふふふ、と小さく笑った。彼は、そのまま続ける。
「お前が僕と二人だけで人間界の夏祭りに行きたいって言った時、僕は本当に嬉しかったんだよ。ああ、お前もそれを望んでいたんだな、って。……『でーと』って言うんだよね? こういうの。今日はそれができた、特別な日だ。さすがの僕でも、忘れられない一日になったよ」
「……」
「でもお前は僕に遠慮して、直接それを言うことができなかった。だから『自分の勝手』に僕を巻き込むということにして、僕が嫌だと言えば、即引き下がるつもりだった。……可愛いお前からの『でーと』のお誘いを、僕が拒否するわけがないだろう?」
「兄者……」
 兄の言葉が、全身に沁み渡る。今すぐにでもそのしなやかな体を抱きしめてしまいたい衝動に駆られたが、ここは外で、多くの人の目もある。髭切はどうか分からないが、少なくとも膝丸には公衆の面前で堂々とイチャつく度胸はない。
 そんな弟の心境を察したのか髭切は手元を探り、すぐに辿り着いた膝丸の手に、自らの手を重ねた。膝丸はわずかに身を固くしたが、少し間を置いた後に手を動かして髭切の手の上から己の手を重ね返し、どちらからともなく指を絡め合う。
 しっかりと手を繋ぎ、寄り添って互いの温もりを感じながら、華麗に打ち上がる花火を二振りで見上げる。今は、それだけで充分だった。

 満たされた気持ちのまま花火大会が終わり、人々が次々に去って行く中、膝丸と髭切もゆっくりと立ち上がった。そろそろ、本丸帰還の時間だ。まだまだ甘い気分に浸っていたかったが、そういうわけにもいかない。二振りは人がいなくなった場所へ移動し、膝丸が帰還専用の携帯型転送装置を取り出す。
「……やり残したことはないか? 兄者」
「うん。……あ。花火撮るの忘れてた」
「はっ!」
 二振りで顔を見合わせ、声を上げて笑う。
「なんだ、お前もちゃんと笑えるじゃない」
「む……ゴホン! つい兄者につられてしまったではないか」
「いいんだよ、つられても。僕たちは源氏の重宝ではあるけど必要以上に気負わないで、戦場以外の場所では自然体でいればいい。なんたってお前は、僕の弟なんだからね」
「そう言われてもな……これは俺の性分なのだから仕方が……」
「――でも、そんな生真面目な所も含めて好きだよ、膝丸・・
「!!」
 膝丸。兄者が今、俺の名を。それだけでも奇跡だというのに、さらりと「好き」だと。最後の最後にこれかと、膝丸はその場にへたり込みそうになる。
「……兄者……帰還を前にして、それはずるいぞ……」
「あはは。帰りたくなくなっちゃった?」
「少し……いや、それは駄目だ。主に迷惑をかけるわけにはいかない。俺たちの帰りが遅いと、余計な心配までかけてしまう」
「それもそうか。……好きだよ、膝丸。またいつか、今日みたいに『でーと』しよう」
「……ああ。俺も……好きだ、兄者。また二人で遠征できる日を、楽しみにしている」
 髭切はふわりと、膝丸ははにかんだように笑う。しばし見つめ合って頷いた後に膝丸が携帯型転送装置を操作すると二振りは眩い光に包まれ、一瞬でその場から消えた。

 その日の夜――審神者に帰還報告諸々を済ませて部屋に戻った膝丸と髭切はぴたりと布団をくっつけ、手を繋ぎ、体を寄せ合って眠った。
 己の温もりに安心して眠っている兄を至近距離で見つめながら、膝丸はふ、と小さく息を吐く。
(兄者を好いているのは俺だけかと思っていたが、兄者も俺と同じだったと知ることができただけでも、今日は大収穫だった。だがそれを知ったがゆえに、おかしくなってしまいそうだ。……あなたのことが、ますます好きになって行く。この気持ちに、いずれ歯止めが効かなくなりそうで)
 このまま兄の寝顔を見守っていたいという甘く満たされた気持ちの一方で、この人のことをもっと知りたい、この人にもっと触れたいという欲望が、沸々と湧き上がる。後者を懸命に抑え込みながら膝丸は目を瞑り、自らにも睡魔が訪れるのをじっと待つことにしたのだった。
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