顕現、そしてはじまり

「源氏の重宝、膝丸だ。ここに兄者は来ていないか?」
 顕現して開口一番、審神者に向けられた言葉。「兄者」が誰であるのかということは知っていたが、この本丸に、まだ「兄者」に当たる刀剣男士は顕現していない。審神者は、無言で首を横に振る。
「兄者は……まだおらんのか。そうか……」
 露骨に肩を落とした膝丸を見て、審神者は、そういえば以前にも真っ先に相棒の所在を確かめた奴がいたなと、とある者の顔を思い浮かべた。

「膝丸さん、ですね。僕、堀川国広って言います。でも、どうして案内役に僕が選ばれたんだろう? 主さんは、僕たちが仲良くなれそうだからって言ってたけど……」
 不思議そうに首を傾げる堀川国広に、膝丸も首を捻る。
「……仲良く? 我らに共通点など見当たらないのだが」
「ですよね。うーん、そのうち分かるのかな。……あっ、そうだ。膝丸さんは、お兄さんを捜しているんですよね。僕にも、兄弟とは別に元の主が同じ相棒がいて……兼さ――こほん、和泉守兼定って言うんだけど、僕のほうが先に顕現したから、兼さんが本丸に来るのが待ち遠しくて。幸いすぐに来てくれたから今は毎日一緒にいるけど、片割れがいない寂しさは、よく分かります」
「おお、分かってくれるか! 俺と兄者は、ただの刀であった頃は長く分かたれていたからな。だがこの本丸に顕現すれば同じ主に仕えることになるゆえ、もう離れることは無くなるだろう。共に戦場を駆け巡り、寝食を共にできる日が待ち遠しい」
「分かる、分かるよ! 早くお兄さんが来てくれるといいね! 僕も兼さんが……」
「兄者が……」
 『兼さん』『兄者』を連呼してきゃっきゃと盛り上がる声が、廊下に響き渡る。何事かと部屋の中からそっと顔を出した加州清光と大和守安定が、部屋の前を通り過ぎて行く二振りの背中を目を丸くして見送り、やがて、小声で囁き合う。
「……あの緑髪の人、新しい刀……だよね? なんでもうあんなに堀川と仲良くなってるの?」
「なるほど……似た者同士、ってわけね。主のチョイス、センスあるぅ」
 二振りの話は止まらない。他の部屋の刀たちも同様に、堀川国広と膝丸の親密さに首を傾げたり、瞬時に納得したりしていた。

 「お兄さんが来た時のために」と膝丸には二人部屋が与えられたが、待てど暮らせど、兄は現れなかった。兄がいない寂しさや心細さは先輩刀たちが紛らわせてくれたが、「今日も兄者は現れなかったか……」と呟いて、一人ぼっちで眠りに就くのが常となっていた。
 ――そんな彼が顕現して、ちょうど一週間後。
 その日は何故だか落ち着かなくて、膝丸は、足早に鍛錬所の奥に設けられた祭壇へと向かった。落ち着かない気分なのは祭壇の前に跪いていた審神者も同じだったようで、「もしかすると、新しい刀が顕現するかもしれない。ただし、君の兄上とは限らないけれど」と前置きをした上で、手伝い札を手にした。一人と一振りは、緊張の面持ちで新刀剣男士誕生の瞬間を見守る。
 祭壇が神々しく輝き、桜吹雪が舞う中で、白を基調とした衣服を纏った白い髪の青年の姿があらわになって行く。予感していたとおり、新しい刀剣男士の顕現。しかも膝丸とよく似た容姿を持つ、彼の名は。
「源氏の重宝、髭切さ。君が今代の主でいいのかい?」
「……兄者……!」
 感激のあまりに目を潤ませている膝丸を、髭切は一瞬きょとんとしたものの、すぐに柔らかな笑みを浮かべて優しく見つめる。
「ああ、もう来ていたんだね。弟……弟の、ええと……」
「『膝丸』だ、兄者!」
 微笑ましい兄弟のやりとりも束の間、審神者は、早くも膝丸に同情したのだった。

◇◇

「そしてここが、我らの部屋だ。……だいたいの構造は覚えたか? 兄者」
「うーん、なんとなくは。まあもし迷っても近くにいる刀にけばいいだろうし、いざという時は、お前もいるから」
「むう……そう言われて悪い気はしないが、常に兄者のそばにいられるとは限らないのだぞ。いくら主が我々兄弟を引き離さぬよう配慮してくれているとはいえ、いつ、何があってもおかしくはないのだ。もう少し、しっかりしてもらわねば困る」
 髭切を連れて本丸内を回って歩いた膝丸が、相変わらずふわふわしている兄の言動に不満を漏らす。そんな膝丸のお小言を聞いているのかいないのか、不意に髭切の人差し指が、膝丸の頬をつついた。突然の兄の奇行に、膝丸は何度か目を瞬かせる。
「人の体って面白いねえ。話す内容によって、ころころ表情が変わる。頬を膨らませるのは、怒っている時や拗ねている時、だっけ? ほっぺたって、柔らかいんだねえ」
「兄者……さては、真面目に聞く気が無いな?」
「お前こそ、肩に力が入り過ぎじゃないかい? 戦場ならまだしも、ここは本丸の中だよ。ここに流れるのんびりした空気みたいに、僕たちもゆったりと構えるべきだと思うんだけどなあ」
 そう言ってふにゃっと笑う髭切を見て、膝丸の体からも力が抜けて行く。長い長い年月が、兄をここまで大らかにさせたのだろうか。いや、それにしてもと、膝丸は咳払いをして背筋を正す。
「と、ともかく! 我々は源氏の重宝なのだ、日頃から相応の威厳というものをだな……」
「あ、何あれ。白いふわふわ……猫……じゃない、小さい、虎? この本丸、あんなのもいるんだ。誰のぺっとかは知らないけど、あれだけ小さかったらちょっとくらい撫でてみてもいいよね」
「兄者ぁ!」
 五虎退の仔虎を見るなりふらふらと歩いて行ってしまった髭切の背中へ、膝丸の悲痛な声が投げかけられた。

 これも審神者の計らいなのか、兄弟二振りが揃ったからと、髭切と膝丸に初の出陣の命が下った。膝丸は一刻も早く人の身で戦ってみたかったのだが、「まずは君に眠っている潜在能力を引き出すために、しばらくは内番に徹してもらう」と言われ、出陣の許可が下りなかったのだ。手合わせで大体の感覚は掴めたが、本丸内で仲間と打ち合うのと戦場で戦うのでは、まるで違う。むしろ手合わせも他の内番も未経験の兄にいきなり戦場で戦うことができるのだろうかと膝丸は心配し、人の身にいくらか慣れているおのれが補佐することを決めた。
 だが――戦場での兄は、人が変わったように勇ましかった。初めは刀本体を上手く振るうことができず、膝丸や共に出陣した先輩刀たちがサポートしたが、ある程度慣れてくると雄叫びを上げて単身敵へと立ち向かい、華麗に、そして勇猛に刀を振るって目の前の敵を見事にほふった。黒い灰となって消えて行った敵を冷たく見下ろす兄の横顔を見て、膝丸は、興奮にぞくぞくと身を震わせる。
(これだ、これが見たかったのだ。やはり兄者は、兄者だった。一見おっとりとしているように見えて、兄者も、『刀剣男士』の名に恥じぬ武人だったのだ)
 まだ戦いによる昂りを引きずっているのか、こちらを振り返った髭切の金の瞳はぎらぎらと輝いており、形の良い唇からも、鋭い牙のような歯が覗いていた。自身もよく似た容姿を持つというのに、きっと今の表情は対照的なのだろうと、膝丸は思う。
「……何を呆けているんだい? ここはいつ、どこから敵が攻めてくるか分からない戦場だというのに」
「あ、ああ、分かっている。気を抜いているわけではないのだが、本丸にいる時との差が……」
「そんなの当たり前だろう? 倒すべき敵を前にすれば、嫌でも刀剣男士の「戦う」という本能が呼び覚まされる。それは、ここにいる皆も同じはず」
「ええ、私共も同じですよ。本能には逆らえません。そして膝丸殿は今、若い者たちの言う〝ぎゃっぷもえ〟というものを味わっているようですな」
「ぎゃ……? ……何と?」
 小狐丸が発した聞き慣れない言葉に、膝丸が思わず訊き返した。当の髭切もこてんと可愛らしく首を傾げ、「……それ、何?」と近くにいた隊長の三日月宗近に問い、「うん、俺も分からん」と笑顔で返される。
「……さて。親玉も無事倒したことだ、そろそろ撤収するとしよう。行くぞ、今剣、岩融」
「はーい!」
「おお。やはり、髭切様と膝丸様は素晴らしい。とても初陣とは思えぬ戦いぶりであった。俺も負けてはいられぬな!」
 結局「ぎゃ云々」が何か分からぬまま、本丸へと帰還した。

「っはー、疲れたあ」
 部屋に戻るなり畳に寝転がった髭切を、膝丸がやれやれといった様子で見下ろす。
「兄者。行儀が悪いぞ」
「行儀だなんて。この部屋には僕とお前しかいないのに、何を気にする必要があるのさ。お前だって、初陣で疲れただろう? こういう時くらい、ちょっとは体の力を抜きなよね」
「うおッ!?」
 唐突に足を引っ張られてバランスを崩した膝丸は、無様に尻餅をついた。直後に、髭切の楽しそうな笑い声。己より高めでどこか幼さすら感じさせる声に、怒る気すら失せた膝丸は、片手で顔を覆う。
「……兄者……」
「あはははは! ……でもこれで、目線が同じくらいになったね。お前の顔、もっとよく見せてよ」
「……?」
 急に何を言い出すのだ。咄嗟に返す言葉が思いつかずに固まっていると、寝転がっていた髭切がよいしょ、という声と共に体を起こし、尻餅をついたままの体勢でぽかんとしている膝丸の顔を両手で包み込んで、自らの眼前に引き寄せる。
「!?」
「……うん。やっぱり、鏡で見た僕の顔とよく似ているね。髪の色は違うけど、目の色は同じだ。でも、お前のほうがちょっとゴツゴツしてるというか、キリッとしてるというか。性格が顔に出てるのかなあ」
「あ、兄者。近い」
「でも、ほっぺたは柔らかかったな。僕のほっぺたも……結構柔らかいねえ。動物の牙みたいな歯もそっくりだし、僕たち、本当に兄弟なんだねえ」
 ぺたぺたと顔中を触られ、膝丸は、くすぐったそうに肩を縮めた。だが、不思議と嫌ではない。触れられるのも、間近で見つめられるのも。やがて膝丸も徐々に全身の強張りを解いて行くと、髭切の顔をじっと見つめ返す。
「……当然だろう。兄者は一見たおやかで優美に見えるが、戦場では、益荒男そのものだ。弟として、誇りに思うぞ」
「そういうお前こそ、いい戦いぶりだったよ。初陣だったから他の戦慣れしている刀たちには全然敵わなかったけど、この調子でどんどん経験を積めば、『誉』を貰うことだって夢ではなくなるね」
「ああ。兄者と肩を並べて戦場を駆けることは、人の身を得てからの夢の一つだったのだ。勝手も分かったことだ、次の出陣が楽しみだな」
「そうだねえ。また一緒に出陣させてくれればいいんだけど」
 兄が己の顔から手を離して遠ざかって行ったことをほんの少し寂しく思いつつ、膝丸が二人分の座布団を用意するべく立ち上がった――その時。
「はーい、みんなー! 夕食の時間だよー!」
 カンカンカンと何かを叩く音と共に、よく通る男の声が廊下に響き渡った。周囲の部屋の襖が一斉に開き、刀たちがどたどたと廊下に出て行く音がする。
「おお、もうそんな時間か。行くぞ、兄者」
「夕餉かあ。何かを食べるのって初めてだから、楽しみだなあ」
 膝丸の後に続いた髭切は、これまた初めての体験に胸を躍らせた。

「髭切さん……だったかな? 君が食事をするのは、確か今回が初めてだよね。とにかく、まずはよく噛んで食べること。そうすれば、自然と〝味わう〟こともできるから」
 膝丸同様、黒を基調とした少し風変わりな衣服を纏い、右目を黒い眼帯で覆った男――燭台切光忠が、新入りである髭切に優しく食事の手ほどきをする。
「あ、ちなみにテーブルに並んでいる料理の数々は、僕と歌仙くんの力作だよ。気に入ってもらえるといいな」
「へえ……君、料理ができるんだ? ええと……」
「燭台切光忠殿だ、兄者。本丸を案内した時にも説明したが、くりやに関しては、主に彼と歌仙兼定殿が取り仕切っている。料理当番も別にいて、そのうち我らにも回ってくると思うが、だいたいは彼らが傍に居てくれるから安心していいとのことだ。両者が不在の場合は、自分たちでなんとかしなければならないが」
「ふうん……よく噛んで食べると、味わうことができる。僕の好物って何だろう、苦手なものって何だろう。それも食事を繰り返すうちに分かるようになるのかな?」
 髭切の質問に、燭台切光忠は愛想良く返答する。
「そうだね。好き嫌いはなるべく無いほうがいいけど、何度食べても美味しく感じられないと思ったものが、苦手なものになるかな。あと、どれだけの量を食べれば満腹になるか、濃い味と薄味のどっちが好きかっていうのも、追々分かるようになるよ。例えば歌仙くんは、薄味で純和風の料理を好む人。僕は、味付けの濃いものも洋風のものも、どんと来いだけどね」
「なるほど……つまり弟が美味しいと思ったものでも、僕には合わないということが有り得るわけだ。人の味覚って、複雑なんだなあ」
「でも、だからこそ奥深くて、追究のし甲斐があるんだよね。……っと、話が長くなってしまったね。初めての食事、楽しんで!」
 ウィンクとガッツポーズで送り出され、膝丸はやや面食らいながらも小さく頭を下げた。「なんというか、ずいぶん〝はいから〟な人だねえ」と小声で呟いた髭切に、膝丸も頷く。
「……さて、ではいただくとしよう。兄者、燭台切光忠殿が言っていたことは覚えているな?」
「うん、『よく噛んで食べる』、だろう? ええと、確か食べる前は両手を合わせて……」
「「いただきます」」
 二振りの声が綺麗に重なり、膝丸は慣れた様子で、髭切はぎこちなく箸を使って、料理を口に運んだ。口の中いっぱいに〝味〟が広がり、髭切は、きらきらと目を輝かせる。
「おお……これが『食べる』ってこと。なんだかとても気持ちがふわふわしているから、きっとこれは〝美味しい〟んだろうね」
「美味いものを食べると、人は幸せな気分になれる。我らは人間ではないが、人の身を得た今、五感の機能は人間とほぼ変わらないはずだ。よく食べ、よく眠ることでこの身は活動することができる。どちらかを疎かにすれば、本来の力が発揮できなくなってしまうのだ」
「睡眠が必要っていうのは、ちょっと不便だねえ。ただの刀だった頃は、必要のないものだったし。それによって、一日の活動時間が短くなってしまうわけだろう?」
「睡眠は睡眠でまた、食事とは違う充足感が得られるのだ。腹が満たされ、体を風呂で清めれば、自然と眠気もやってくる。兄者も、すぐに理解できるはずだ」
「ふうん……お前は、すっかり人の身に馴染んでいるねえ。うんうん、じゃあ『眠る』のも楽しみにしておこう。〝夢〟も見られるかもしれないしね」
 そう言いながら二口目をつまもうとして、食材に逃げられた。む、と口を尖らせた髭切を、膝丸が慌ててフォローする。
「箸の持ち方は……こんな感じだ、兄者。俺も決して上手いほうではないが、やってはいけない持ち方、使い方というものも存在するらしい」
「んん……こう?」
「惜しいな。もう少し、指を……」
 膝丸が髭切に身を寄せ、兄の手に自らの手を重ねる。伝わってくる、肌の温もり。絡み合う指。どくん、と心の臓が跳ね上がった感覚に、二振りは驚いて顔を見合わせる。
「――ッ!?」
「!?」
「……あ……すまん、兄者。驚かせるつもりは……」
「あー、うん……びっくりしたあ。こういうの、『口から心臓が飛び出る』って言うんだっけ? でも、なんで今ので僕もお前もそんなに驚いてしまったのかな」
「……」
 返答に窮し、膝丸は口をつぐむ。顔が熱い。早鐘のような胸の鼓動がうるさい。なぜか兄の顔をまともに見られず、重ねていた手をそろそろと離す。
(……兄者に顔を触れられた時は温かな気持ちになったというのに……なぜ今、俺はこんなに動揺している? なぜ、兄者まであんなに驚いたのだ……?)
「人の体って、凄いなあ。極度に驚くと、こんなに胸がドキドキするんだ。僕は割と冷静なほうだと思ってたけど、まさか弟にしてやられるとはね。……弟?」
 無邪気に顔を覗き込んでくる髭切に、膝丸は小さく咳払いをして視線を戻す。
「膝丸だ、兄者。……それで、先程の続きなのだが……」
 無理やり己を落ち着かせた膝丸は、今度は兄の体には一切触れずに手本を示してみせた。一方で髭切も弟の手指の形を懸命に真似ながら、心の中で弟とのスキンシップについて反芻する。
(……さっき顔に触れた時は、あったかくて優しい気持ちになったのになあ。弟も、どこか嬉しそうだったし。手に触れられた時だって、びっくりする状況じゃなかったはずなんだけど。まだ、胸のドキドキが治まらない……なんなんだろ、これ)
 治まる気配のない早い鼓動に戸惑いながらも徐々に平静を取り戻して行った二振りだったが、彼らの近くの席で一部始終を目撃していたにっかり青江は、テーブルに頬杖をついき、にやにやと意味深な笑みを浮かべる。
「うーん、青春だねぇ、甘酸っぱいねぇ。膝丸さん、ずっとお兄さんが来るのを待っていたものねぇ。大好きなお兄さんのことがやっぱり色々な意味で大好きだって気付くのも、時間の問題じゃないかな。もちろん、髭切さんのほうも。無自覚両片想いっていうのも初々しくて、僕は好きだなぁ」
「こら、お行儀が悪いよ、にっかりさん。食べ物を口に入れながら喋らない、頬杖をつくのはやめて、足も組まないで。ちゃんと前を向いて食べる」
 同じテーブルについている石切丸に注意されて姿勢は正したものの、にっかり青江は、ようやく箸の使い方が分かってきたらしい髭切と、それを我が事のように喜んでいる膝丸を、妖しく微笑みながら見つめたのだった。
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