凄まじい数の敵勢との戦闘によって皆が満身創痍だが、勝利は勝利。バラバラに散っていた仲間たちが、今回の出陣の部隊長を務める加州清光の元へと集まってくる。髭切・膝丸兄弟もそのうちの二振りで、まずは足元がふらついている兄に手を差し伸べようと、膝丸は気力を振り絞って髭切の元へと向かった。
 だが、その時だった。地に伏し消えかかっていた敵大太刀が起き上がり、突如髭切に拳を振るったのは。
「えっ」
 髭切の体はなすすべもなく吹き飛ばされ、背後の湖へと落下した。直後に敵大太刀の体は全壊し、その場で霧散する。
「兄者!!」
 膝丸は仲間たちの制止も聞かずに駆け出し、躊躇することなく湖に飛び込んだ。後先のことなど、考えている余裕はなかった。

(ああ……僕は、ここで溺れ死ぬのか)
 折れるのならまだしも、溺死とは。刀剣男士ともあろう者が、情けない最期だなぁ。ごぼごぼと、髭切の体は仄暗い湖底に向かって沈んで行く。
(弟、悲しむだろうな。……顔ははっきり思い出せるのにこんな時まで名前をど忘れするなんて、最後まで僕らしいというか)
 次第に意識が遠のいていく。水が冷たいのか体が冷たいのか、もう分からない。そろそろ息を止めるのも限界が来ている。一度息を吐き出したら最後、きっと人間と同じように醜くもがき苦しみながら死ぬのだろう。
 体の力を抜き、覚悟を決めた直後。頭上からごぼごぼと音がして、何者かが近付いてくる気配がした。しかし、その正体は分からない。
(……弟……? なんて、そんな都合のいいことはないよね。さっき倒し損ねた敵大太刀かな。もう、どうでもいい。もう……終わりだ)
 全てを諦め、ついに髭切は口を開けて息を吐き出した。そこに伸ばされる、力強い腕。ぼんやりとした意識の中でも敵意は感じず、むしろおのれを助けようとする強い意思が伝わってくる。
(……え? まさか、本当、に……)
 腰を掻き抱かれたかと思うと、眼前の相手は己の頬に手を添え――柔らかな何かを、唇に押し当ててきた。それが相手の唇であるということに思い至るまで、しばしの時を要した。
 相手が、息を吹き込んでくる。そのおかげで髭切の意識は徐々にはっきりとしてきて、今、己に口づけている相手が弟の膝丸であるということが分かった。彼は次に髭切の髪に指を差し入れるとさらに口づけを深め、再び兄の口内へ息を吹き込む。
 もう大丈夫、大丈夫だから、と髭切が膝丸の背をとんとんと叩くと、膝丸は金色こんじきの瞳を大きく見開いた後、安心したように微笑んだ。その笑顔に髭切は、なぜか胸が締めつけられるような感覚を覚えた。

「まったく! 髭切は仕方がないとして、膝丸! 勝手な行動は慎んでくれる!?」
「……すまなかった」
 腰に手を当てて怒る加州清光へ、膝丸は素直に謝った。見るに見かねた大和守安定が、彼らのフォローに回る。
「まあまあ、二人とも無事だったからいいじゃない。それに髭切さんがあんな状況に陥って、膝丸さんが助けに行かないと思う? 僕だって、清光が同じことになったら迷わず湖に飛び込んでたよ」
「ちょっ……安定、お前ね……」
「うむ! 俺も今剣が湖に落ちたら、迷わず飛び込むであろう!」
「ぼくもですよ! ……でも、もしいわとおしがみずのなかにおちたら、きんのいわとおしとぎんのいわとおし、ほんもののいわとおしをえらぶいべんとがはっせいするのですよね?」
「がはははは! また何かの絵本を読んだな?」
「……ズタボロだけど案外元気だね、あんたら。って、俺もか」
 何はともあれ、これで全員揃った。ずぶ濡れの髭切と膝丸がある程度服の水分を絞ったのを確認すると、六人は本丸へと帰還した。

「……僕たち、一線を越えちゃったんだねえ」
 手入れを終えて、それぞれが自室へと戻って行った後。自らの唇をさすりながら呟く髭切に、膝丸はびくりと肩を震わせる。
「あ、あれは決してやましい意味では……! 俺はただ、兄者をお助けしたい一心で……」
「別に怒ってるわけじゃないよ。お前が来てくれなかったら、僕は溺れ死んでいたからね。感謝してる。……に、しても」
「?」
 んー、としばし考え込んだ後、髭切はこう続ける。
「お前の唇の感触が、今も残ってる気がするんだよね。……ねえ、もう一回あれ、してみない?」
「なっ……!? なな、何を言い出すのだ兄者!」
「……嫌?」
 しゅん、と肩を落とした髭切を見た途端、膝丸の中で何かが弾けた。無理やり抑えつけていた彼の本心が、一気に爆発する。
「い、嫌などと……! むしろ兄者がお許しくださるのならば、どれだけでも!」
 そう言って膝丸は身を乗り出し、至近距離で兄を見つめた。髭切はふふ、とおかしそうに笑い、膝丸の首に腕を回す。
「なんだ、お前だってちゃんとしたかったんじゃない。……きす、しようか」
「あ、ああ。……では……、失礼、する」
 膝丸は髭切を抱き寄せると、その頬に手を添えて、そっと唇を合わせた。今度は、唇の感触のみを楽しむために。何度も重ね、時にむと互いの息が熱を帯び始め、口づけを交わすたびに甘い吐息が漏れる。徐々に荒々しく深くなるそれに思考が霞み、全身が火照り始める――。
 
 ああ、俺は、僕は、あなたと、お前と、ずっとこうしたかったのかもしれない。

 相手の頭や体に回した腕にいっそう力が入り、膝丸と髭切は時間を忘れて、ただひたすらに唇を貪り合ったのだった。
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