泣き上戸の弟君
膝丸より一週間遅れて髭切が本丸にやってきた、次の日の夜。本丸の一角で、一部の仲間たちによる『兄弟揃っての顕現おめでとう会』が催された。メンバーは言い出しっぺの鶴丸国永を筆頭に、兄弟の隣人である鶯丸、酒宴の気配を目敏く嗅ぎつけた次郎太刀、次郎太刀の付き添いで来た太郎太刀、兄弟と縁のある岩融だ(今剣は子供だからという理由で呼ばれなかった)。
人の身を得てから初めて飲む酒だったが、兄弟のなかなかの飲みっぷりに、周囲の仲間たちが次々に囃し立てる。
「おっ、いい飲みっぷりだねえ。兄弟揃ってイケる口か?」
「きゃはは! 酒はたぁっぷりあるよぉ。じゃんじゃん飲め飲め~」
「さすがは髭切様に膝丸様。源氏の重宝は戦だけでなく、酒もお強いということか」
笑いながら酒を飲み続ける男士がいる一方で、酒慣れしていない鶯丸を、理性的な太郎太刀が気遣う。
「……俺は酒ではなく茶で良かったんだがな。部屋に酒の匂いが充満していて、少し気分が悪くなってきた」
「鶯丸殿、無理をなさらず。先に自室へ戻られてもいいのですよ。――次郎太刀、さすがに飲ませ過ぎではありませんか? 明日、もしご兄弟に出陣の命が下ったら……」
「だぁって二人とも、どんどん杯を差し出してくるんだもん。そりゃあ注ぐでしょ。アタシだって、まだちっとも飲み足りないし」
太郎太刀がなおも弟を窘 めようとした、その時。ガシャン! と派手な音を立てて、膝丸が机に倒れ伏した。酒宴に参加している男士たちはもちろん、鶴丸国永と肩を組み上機嫌で笑っていた髭切も、驚いて目を丸くする。
「……ありゃ。弟?」
「膝丸様!」
「ははっ、勝負あり、か。膝丸のほうが先に酔い潰れちまった」
「だから言ったでしょう。飲ませ過ぎだと」
「え、これ、アタシのせい?」
「……起きないな。これはまずいんじゃないか?」
「弟~?」
見兼ねた髭切が机に突っ伏している弟の肩を揺さぶると、膝丸は勢いよく体を起こした。その顔は耳まで赤くなっており、一気に酔いが回ったのだと分かる。
彼は髭切を真っ直ぐ見据え、少々おぼつかない口調で声を張り上げる。
「『膝丸』だ、兄者! 難しい名ではないだろう!」
「え、っと……肘、丸? お前も僕も何度も名前が変わったから、分からなくなっちゃうんだよねえ」
「肘ではなく、膝だ! 兄者の名同様、たった四文字ではないか。ならば、昔の俺の名は覚えているか?」
「うーん……なんだっけ。なんかたくさんあったよね」
髭切のあまりにも適当過ぎる返答を聞いて、膝丸は唖然とした後、その金色 の瞳がじわりと潤み出した。彼は目尻に涙を溜めて、涙声でぼやき始める。
「うぅっ……兄者は、いつも、そうだ。俺を可愛がっては、くださるが、名は覚えて、くださらない……」
「……ありゃ。泣いちゃった」
「おいおい髭切、可愛い弟を泣かせるなよ。膝丸が言うとおり、たった四文字じゃないか。お前たち初日からべったり一緒にいるってのに、なんで名前を忘れたりするんだ?」
「うーん、僕にもよく分からないねえ。なぜか弟の名前は忘れちゃうんだよね。たまに僕自身の今の名前も忘れちゃうけど。あはは」
「ぐすっ、兄者ぁ~……」
「……主役一人が脱落しちまったから、これにて宴はお開きだな。あとは兄弟水入らずにしてやろうか」
鶴丸国永の一言で、仲間たちも立ち上がって頷く。髭切はめそめそと泣いている膝丸を立ち上がらせてその肩を支えると、「これからも我ら兄弟をよろしく頼むよ」と言って廊下へと出て行った。後にはてきぱきと後片付けに勤しむ仲間たちが残された。
自室に戻ると、髭切は膝丸の顔中の涙をティッシュで拭い、鼻をかませた。まさか泣き上戸とはね、と小さく笑うと、膝丸は髭切にぎゅっと抱きついてくる。
「……嫌だ、離れないでくれ、兄者」
「はいはい、僕はここにいるよ。もう離れないから、心配しないで」
兄者、兄者と何度も呼びながら縋り付いてくる膝丸の背を、髭切は優しく撫で続けた。長く離れていた過去のことを思い出しているのかもしれない、と思いながら。
翌朝――
人前で痴態を演じた記憶が蘇ったのか膝丸はなかなか布団から出て来ず、珍しく先に起きた髭切が宥 めすかしながら弟を引っ張り起こしたのだとか。
人の身を得てから初めて飲む酒だったが、兄弟のなかなかの飲みっぷりに、周囲の仲間たちが次々に囃し立てる。
「おっ、いい飲みっぷりだねえ。兄弟揃ってイケる口か?」
「きゃはは! 酒はたぁっぷりあるよぉ。じゃんじゃん飲め飲め~」
「さすがは髭切様に膝丸様。源氏の重宝は戦だけでなく、酒もお強いということか」
笑いながら酒を飲み続ける男士がいる一方で、酒慣れしていない鶯丸を、理性的な太郎太刀が気遣う。
「……俺は酒ではなく茶で良かったんだがな。部屋に酒の匂いが充満していて、少し気分が悪くなってきた」
「鶯丸殿、無理をなさらず。先に自室へ戻られてもいいのですよ。――次郎太刀、さすがに飲ませ過ぎではありませんか? 明日、もしご兄弟に出陣の命が下ったら……」
「だぁって二人とも、どんどん杯を差し出してくるんだもん。そりゃあ注ぐでしょ。アタシだって、まだちっとも飲み足りないし」
太郎太刀がなおも弟を
「……ありゃ。弟?」
「膝丸様!」
「ははっ、勝負あり、か。膝丸のほうが先に酔い潰れちまった」
「だから言ったでしょう。飲ませ過ぎだと」
「え、これ、アタシのせい?」
「……起きないな。これはまずいんじゃないか?」
「弟~?」
見兼ねた髭切が机に突っ伏している弟の肩を揺さぶると、膝丸は勢いよく体を起こした。その顔は耳まで赤くなっており、一気に酔いが回ったのだと分かる。
彼は髭切を真っ直ぐ見据え、少々おぼつかない口調で声を張り上げる。
「『膝丸』だ、兄者! 難しい名ではないだろう!」
「え、っと……肘、丸? お前も僕も何度も名前が変わったから、分からなくなっちゃうんだよねえ」
「肘ではなく、膝だ! 兄者の名同様、たった四文字ではないか。ならば、昔の俺の名は覚えているか?」
「うーん……なんだっけ。なんかたくさんあったよね」
髭切のあまりにも適当過ぎる返答を聞いて、膝丸は唖然とした後、その
「うぅっ……兄者は、いつも、そうだ。俺を可愛がっては、くださるが、名は覚えて、くださらない……」
「……ありゃ。泣いちゃった」
「おいおい髭切、可愛い弟を泣かせるなよ。膝丸が言うとおり、たった四文字じゃないか。お前たち初日からべったり一緒にいるってのに、なんで名前を忘れたりするんだ?」
「うーん、僕にもよく分からないねえ。なぜか弟の名前は忘れちゃうんだよね。たまに僕自身の今の名前も忘れちゃうけど。あはは」
「ぐすっ、兄者ぁ~……」
「……主役一人が脱落しちまったから、これにて宴はお開きだな。あとは兄弟水入らずにしてやろうか」
鶴丸国永の一言で、仲間たちも立ち上がって頷く。髭切はめそめそと泣いている膝丸を立ち上がらせてその肩を支えると、「これからも我ら兄弟をよろしく頼むよ」と言って廊下へと出て行った。後にはてきぱきと後片付けに勤しむ仲間たちが残された。
自室に戻ると、髭切は膝丸の顔中の涙をティッシュで拭い、鼻をかませた。まさか泣き上戸とはね、と小さく笑うと、膝丸は髭切にぎゅっと抱きついてくる。
「……嫌だ、離れないでくれ、兄者」
「はいはい、僕はここにいるよ。もう離れないから、心配しないで」
兄者、兄者と何度も呼びながら縋り付いてくる膝丸の背を、髭切は優しく撫で続けた。長く離れていた過去のことを思い出しているのかもしれない、と思いながら。
翌朝――
人前で痴態を演じた記憶が蘇ったのか膝丸はなかなか布団から出て来ず、珍しく先に起きた髭切が
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