月、昇る

「なあ、山姥切よ。そろそろ休憩にしないか?」
 手にしていたくわを放り出し、体を伸ばして腰をとんとんと叩く三日月宗近に、相方である山姥切国広が、眉を顰めて溜め息を吐く。
「……またか。これで何度目だ」
「じじいの体に、やはり畑仕事はこたえる。刀剣男士はいくさに出てこそだというのに、これでは、いざという時に使い物にならん……」
「文句を言うな。そもそもこうなったのは、あんたが原因だろう。そんなあんたに付き合わされている俺の身にもなれ」
 吐き捨てるようにそう言うと、山姥切国広はそれきり背を向けて、畑仕事を再開した。疲れなど感じていないかのように力強く鍬を振り上げる後ろ姿を、三日月宗近はぼんやりと見つめた。

 あれから――『対大侵寇防人作戦』と呼ばれた大規模な戦いから、一週間。
 多くの刀剣男士たちは大阪城の地下の調査という名目で〝小判掘り〟へと繰り出していたが、三日月宗近には、いまだ本丸外への出陣や遠征の許可が下りていなかった。刀剣男士たちが主と仰ぐ審神者が、そう命じたからだ。
 『当面の間、本丸から出ることを禁止する。その間は、ひたすら内番に勤しむこと。なお、内番の内容は問わない』。山姥切国広はいわゆる「はじまりの一振り」であり、三日月宗近不在時の近侍も務めたことで、実質自宅軟禁状態の三日月宗近の「相方」、つまりお目付け役に選ばれた。審神者が三日月宗近をいたく気に入っていることは知っていたが、それだけに今回の件はかなりショックだったようで、こっそり盗み聞きしていた者たちの話によると、部屋の中からは審神者の涙声に加え、何度も「ほう・れん・そう!」という言葉が聞こえてきたらしい。同じ刀派のよしみなのか、ひそかに心配していたらしい今剣の「みかづきさまは、しばらくほうれんそうしかたべられないばつをうけるのですか?」という言葉にじわじわ来ていたのは秘密だ。
 それにしても……と、しばらくしてようやく正式に休憩を取ることにした山姥切国広は、最早やる気がないのか飽きたのか、少し離れた場所に座り込んで蟻の行列を眺めている三日月宗近をよそに、ぐるりと畑を見回した。
 実に様々な種類の作物が植えられ、実った、のどかな風景。季節によって収穫できる作物も異なり、それらは日々の食事に多分に生かされている。だが、細やかな四季の移ろいも感じられるこの本丸は、敵軍の襲撃と三日月宗近が何処いずこかへと姿を消したことによって、その姿を変えた。縁側から見える庭には、おそらくは三日月宗近の心象風景が具現化されたのであろう静謐な白月の景色が、押し寄せる敵軍を迎え撃つべく外へと出れば、緑溢れる自然とは真逆の、無機質なサイバー空間が広がっていたのだ。此処ここは、そして三日月宗近とはいったい何なのかと、改めて思う。
(……この本丸で最も古株のはずの俺でも分からないことばかりだ。三日月のことも理解したとは、到底言い難い。あいつは何をどこまで知っていて、何を背負っている……?)
「……ぶないぞ、これ、聞いているのか。山姥切よ、そこは……」
「うるさいぞ、何――」
 語尾の「だ」という言葉が発されることはなく。無意識のうちに歩き出していたらしい山姥切国広の体は、突如地面に開いた穴の底へと消えた。一瞬何が起こったのか分からずに彼が呆然としていると、辺りに軽快な笑い声が響き渡る。
「っははは! ひっさびさにどっきり大成功! だ。本当は三日月を落としたかったんだが、いや~さすがというか、いつも見事に躱されちまうなあ」
「……なっ……」
「はっはっは、俺はそう簡単には引っかからんぞ。いい加減、そろそろ諦めたらどうだ? ……警告はしたのだがなあ。心ここにあらずといった様子で、聞いてもらえなんだ。――して、大丈夫か?」
 上から覗き込んでくる三日月宗近の隣には、全身真っ白の男――落とし穴を掘った張本人である鶴丸国永がいた。やはりこいつか。山姥切国広の表情が、途端に険しいものへと変わる。
「……くそじじいが」
「おー怖っ。いったい、何をそんなに考え込んでいたんだ? 夕メシのことか? それとも……恋煩い、ってヤツか? 恋の悩みなら、喜んで聞くぜ?」
「どれも違う。……あんたは呑気でいいな」
 伸ばされた手は取らずに自力で落とし穴から出た山姥切国広は、所々に付着した土を払いながらぼそりと答えた。そんな彼へ鶴丸国永が突如身を寄せ、その耳元に低く囁く。
「……考えても仕方のないことだってある。三日月本人の口から詳細が語られないのなら、今はまだそれを知る時ではない、ってことさ」
「!」
「ま、そう深く考えなさんな。今回の件は、少しは反省しているみたいだしな。今の俺たちにできるのは、そばで見守ることだけだ。――っと、内緒話はここまでにして……さあ、喜べ! 単調な作業に劇的な変化をもたらすべく、この俺も手伝いに来たぞ!」
「おお、それは助かる」
「帰れ」
 嬉しそうに顔を輝かせた三日月宗近とは対照的に冷たい一言を浴びせた山姥切国広だったが、いつの間に持ってきていたのか鶴丸国永が散水ホースを自らの足元に置いて水道の蛇口を捻ると、手にしたノズルからシャワー状の水が噴き出し、水しぶきの中に小さな虹が現れる。
「そら、お手軽虹の完成だ。こうやって、太陽に背中を向けて放水するのがポイントだぜ。……と、短刀ならこういうのも驚いたり喜んだりしてくれるんだろうが、保護者どもがなるべく俺に近付けないように目を光らせているのがなあ」
「それは、あんたの日頃の行いが悪いからだろう。自業自得だ」
 相変わらず容赦のない山姥切国広の言葉に鶴丸国永は一瞬口を尖らせたが、すぐに何かを閃いたらしくニヤリと笑い、彼はノズルの先端を二、三度回転させた。「ジョーロ」モードから「ストレート」モードへ――シャワー状から直線状へと変化した水が、山姥切国広の横顔に直撃する。
「――ッ!?」
「水砲兵、見参! なんてな。あっははは!」
「……鶴丸国永……ッ、……斬る!」
 怒りの形相で〝本体〟を鞘から抜いて走り出した山姥切国広から、鶴丸国永は軽やかに逃げ出した。二振りの姿はあっという間に見えなくなり、その場には、三日月宗近だけが残される。
「はっはっは、若い者は元気だな。……喉が渇いたな。茶でも飲むか」
 もちろん、たった一振りで畑仕事をする気など無い。お目付け役がいなくなったのをいいことに、三日月宗近はあくびをしながら本丸へと戻って行った。

「おや、三日月殿。畑当番は終わったのですか?」
 縁側に座って一息ついていた三日月宗近の元に、櫛を手にした小狐丸がやってきた。彼の問いに、三日月宗近は正直に答える。
「うむ。山姥切が鶴丸の度重なる悪戯いたずらに怒って、二人揃って姿を消してしまってな。よって、今日はしまいだ」
「……また何かしでかしたのですか。あの男の奔放ぶりには困ったものですね」
「まあ、見ていて飽きないがな。面白いやつよ」
「少しは被害に遭われた山姥切国広殿の心配をして差し上げてください。ここ最近、何かと苦労を背負い込んでいる彼が気の毒でなりません」
 隣に腰を下ろして溜め息混じりに言う小狐丸へ、三日月宗近は小さく笑う。
「ははは。お主は優しいな」
「優しいなどと。奔放なのは三日月殿、あなたも同じです。もっとも、今回ばかりは奔放の規模が違いましたが」
「ふむ……まだ根に持っているか」
「当然でしょう、ぬしさまのお心をあれだけ掻き乱しておいて。一部の者からは、軟禁ではなく監禁をという声も上がっていたのですよ。さらには、一発殴らせろと口にしていた者まで。……ぬしさまは我ら刀剣男士をとても慈しんでくださりますが、三日月殿を、殊更深く愛しておられる。そのことを今一度、よくよく自覚していただきたい」
「……」
 「人」である審神者から向けられる情というものを理解しているのかいないのか、三日月宗近は、曖昧な笑みを浮かべたまま沈黙した。一方で言いたいことを言った小狐丸は、三日月宗近がここにいる理由を察して手早く茶の準備に取り掛かる。
「――さて。酒ではありませぬが、労働の後の一杯といたしましょう。普段ならば気の利く短刀や脇差たちが用意してくれるのですが、今日はほとんどの者が出払っておりますゆえ、不肖、この小狐が。……どうぞ」
「やぁ、すまんな。俺も自分で茶を淹れようとしたことはあったのだが、急須ごと引っ繰り返してからは、一切触るなと言われてしまったのでな。はっはっは」
「……なぜあなたは戦以外のこととなるとそこまで無の……いえ、おっちょこちょいなのか……」
 そういえばこの人(刀)はくりやへ入ることも禁止されていたはずと、小狐丸は、小さく溜め息を吐く。馬当番や畑当番は回ってくるのに料理当番が一切回ってこないところを見ると、過去に何かやらかしたことがあるのだろう。燭台切光忠と歌仙兼定の二振りが厨の番人と化しているのは、そういうことなのかもしれない。
「うん、美味い。やはりこの場所で茶を飲んでいる時が、最も落ち着く」
「ええ、私もです。それに今日は、鳥のさえずりがよく聞こえる……このように静かでのんびりとした時間も、良いものですな」
 常ならば少年の姿を持つ刀たちが駆け回っている今は誰もいない庭を眺め、鳥たちの声に耳を傾ける。櫛で髪を梳かし始めた小狐丸のかたわらで、その名のとおり中心に小さな三日月を抱く三日月宗近の夜空色の瞳は、全く別の光景を映し出していた。

 次々に湧いて来る時間遡行軍によって無残に荒らされた本丸、飛び交う怒号、激しい剣戟の音、そして――力尽きた刀剣男士が人型を保てなくなり、刀本来の姿で折れる、「死」の瞬間。〝破壊〟され地面に転がったモノの上を新たな敵の群れが走り抜け、さらに本丸を蹂躙して行く。仲間たちが仕留め損なった敵が奥の間へと押し寄せ、近侍であるおのれの健闘も虚しく、審神者の断末魔の叫びが本丸中に響き渡る……。
 この本丸は「大侵寇」によって、何度も壊滅した。何度も仲間たちが折れ、審神者が目の前で敵の手にかかる様を見てきた。己だけが折れる直前で振り出しに戻り、敗北する度に、無力感と絶望感を味わった。だから、京都・椿寺を本丸と偽り己が其処そこで囮となることで、残酷な運命を断ち切ろうとした。花咲き乱れるこの美しい場所で散るのも、悪くはない。俺一振り折れたところで、主には皆がいるから大丈夫。むしろ敵を引き寄せる俺がいなくなれば、真の本丸がああまで危機的状況に陥ることも無くなるだろう。それが今の俺にできることであり、己が果たすべき使命――。

「……殿! 三日月殿!」
「……月! 三日月宗近!」
 己を呼ぶ声が次第に大きくなり、荒廃した白黒の世界に、急激に色がついて行く。
 目の前にはいつもの本丸と、こちらを覗き込む仲間たち。鶴丸国永、小狐丸、山姥切国広――彼らの姿は鮮明で、誰かに両肩を掴まれて揺さぶられている感覚もある。確か、この顔触れは。
 目を瞬かせて顔を上げた三日月宗近を見て、三振りはほぼ同時に詰めていた息を吐き出した。やっと、帰って来た。しかし未だどこかぼうっとしている三日月宗近へ、彼の真正面に陣取ってその肩を掴んだままの鶴丸国永が、苦笑いを浮かべる。
「……大丈夫か? 珍しく小狐丸があたふたしていたから何事かと思ったら、君が突然何度呼びかけても反応しなくなったと聞かされて驚いたぜ。だがそういう心臓に悪い驚きは、さすがの俺でも要らないなあ」
「……鶴、丸……」
「私もおりますよ。山姥切国広殿も。つい先程まで、あなたと一緒にいた面々です」
「大侵寇の後遺症か? だがあの戦いは、俺たちの勝利という形で終わったんだ。あんただって掃討戦では、張り切って前線に出ていただろう。……あんたが見たことのない展開……新しい未来は、確かに続いている。俺たちは、この本丸は、生きてここに在る。だからこれ以上、不安にさせないでくれ」
「……うむ。そう、だったな。今回は、乗り越えることができたのだったな。都合のいい夢幻ゆめまぼろしなどではなく」
 安心したように目を閉じて静かに微笑む三日月宗近へ、鶴丸国永はニッと笑ってみせた。掴んでいた肩を一度軽く叩いてから手を離し、だが真正面には立ったまま、彼は続ける。
「夢でも幻でもなく、ちゃんと現実だぜ。ともかく、一人で何でも抱え込むなよ? 主もそれを望んでいる。一人で突っ走る前に『ほう・れん・そう』、だ。
……っと、そうそう、主から言付けを預かっているんだった。朗報だぞ」
 鶴丸国永の言葉に、三日月宗近が答えるより先に山姥切国広が怪訝な顔で尋ねる。
「……主から? いつの間に」
「君から逃げている時にな。ちょいと匿ってもらった代わりに、伝言を頼まれたのさ」
「匿ってもらった、だと……? 道理で、どこを捜しても見つからな……いや待て、そんな理由で主の部屋に入り込んだのか!?」
「ふふん、驚いただろう。主もいい驚きっぷりだったぜ? ……で、今度こそ本題だ。喜べ三日月! ようやく外出の許可が下りたぞ!」
「……!」
 「軟禁解除」の報に、やや俯き気味だった三日月宗近がハッと顔を上げ、小狐丸が、思わずおお……と小声で呟いた。一斉に皆の視線を集めた三日月宗近は、だがどこまでも冷静に、それを受け止める。
「……そうか。主は、許してくれたか」
「完全にお許しくださったわけではないのでしょうが、あれから、もう一週間。使わない刀は錆びる……それを考慮されてのことでしょう。――山姥切国広殿。任務、お疲れ様でした」
 小狐丸に労われ、七日間にわたって三日月宗近のお目付け役を務めた山姥切国広は、ふ、と短く息を吐き出す。
「本当にな。だが、あんたたちまで残る必要はなかっただろうに」
「あー……俺は、ちょくちょく遠征には行っていたぞ? 土産もいくつか渡した。何日も篭りっきりじゃあ、さすがに退屈かと思ってな」
「私は同じ三条の者として、三日月殿のお話し相手にと。ぬしさまも、それを望まれました。刀の本分を忘れるくらいに戦とは無縁の日々を過ごしましたが、今日からは、晴れて自由の身ですね。いつでも出陣できるよう、しっかり準備を整えておきましょう」
 仲間たちの心遣いに、じんわりと感謝の念が湧き起こる。日々をそれなりに楽しく過ごすことができたのは、日頃から親しくしている者たちが傍に居てくれたから。小狐丸が言っていた「ぬしさまは、あなたを深く愛しておられる」という言葉の意味も、今なら少し理解できた気がする。
 ――俺は「大侵寇」を乗り越え新たな道を歩み出したこの本丸の一員であり、主に、そして〝友〟に大切に想われている。皆にはまだ話せないことも、俺自身が分かっていないことも多いが、俺は決して、一人ではない――。
(……全てが、愛おしい。この本丸も、主も、我が同朋も。もう二度と、うしないたくはない……が、またいつ、何が起こってもおかしくはない。それを防ぐには、やはり強くならねばならぬ。多くの刀たちが成長し、滅びの結末を変えたように……俺も立ち止まらず、今こそ未来へと進まねばならぬ)
 心は決まった。やおら立ち上がった三日月宗近を、雑談をしていた三振りが不思議そうに見つめる。
「……三日月殿? どうされました?」
「なに、主に礼を言いに行くついでに、少し話がしたくなってな。……とはいえ、さすがにこの恰好では失礼だろうからな、戦装束に着替えたい。誰か、手伝ってくれるか?」
 外出禁止令が出されてから現在までずっと内番衣装を着て過ごしていた三日月宗近の頼みに、彼の隣に座っていた小狐丸が素早く応じる。
「では、私が。幸い、着付けは慣れておりますゆえ。三日月殿と語らうことができるとあれば、ぬしさまもきっと、お喜びになるでしょう」
「……三日月は律儀だなあ。俺なんて、この恰好のまま主の部屋に侵入しちまったっていうのに」
 やや気まずそうに頭を掻く鶴丸国永を呆れ顔で一瞥した山姥切国広だったが、すぐに視線を三日月宗近へと戻した途端、彼は何かに気付いた。
 常にどこか憂いを帯びていた表情は今、とても晴れやかで、背筋も、いつも以上に伸びている気がする。まるで月が厚い雲の中から顔を出し、夜空と地上を明るく照らし出すかのように――外出禁止令が解かれたことに対する喜びだけではない何かを感じ取り、山姥切国広は、三日月宗近の横顔を凝視する。
(……ああ、あんたも、ようやく……)
「……君も感じ取ったか。三日月が、ようやく前に進もうとしていることを」
 三日月宗近本人には聞こえないように小声で囁いて身を寄せてきた鶴丸国永へ、山姥切国広は素直に頷く。
「……ああ。主への話というのも、おそらくは……」
「だろうな。主も、今回ばかりは駄目とは言えないだろう。俺たちはただ、行く末を見守るのみさ。主と共に、新生・三日月宗近の帰還を楽しみに待とうじゃないか」
 小狐丸と共に部屋の奥へと消えて行った三日月宗近の後ろ姿を、鶴丸国永は微かな笑みと共に、山姥切国広は、至極静かな表情で見送った。

 小狐丸の手を借りて戦装束へと着替えた三日月宗近は、審神者と向かい合って座り、しばらく語り合った。久方振りによく話し、よく笑い、すっかり和んだところで、不意に三日月宗近が姿勢を正す。表情も、柔らかな笑顔から真面目なものへ。審神者の顔つきも、同様に変化する。
「して――主よ、頼みがある」
 よく通る声と真っ直ぐな視線に、審神者はついに「その時」が来たのだと自身も背筋を正し、愛する美しい刀の視線を、正面から受け止めたのだった。
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