お花見は、清く正しく美しく

「わ……! 見てくれ三郎サンラン、あんな所に桜の大木が」
 突如目の前に現れた桜の大木に、謝憐シエリェンはやや興奮気味に振り返った。そんな彼の少し後ろを歩いていた花城ホワチョンも、それまでじっと見つめていた謝憐の後ろ姿から大木へ、言われるままに視線を移す。
「実に見事だな。下手をしたら私より長く生きている木かもしれない。せっかくだから、少し花見でもして行こうか」
「兄さんがそう望むのなら」
 二人で木の下に座り、嬉しそうに桜を見上げている謝憐の横顔を、花城が再び見つめる。彼にとっては桜よりもかたわらの謝憐のほうがはるかに価値があり、この上なく美しく愛おしい存在なのだ。
 それぞれの〝花見〟を楽しんだ後、先に口を開いたのは花城だった。
「兄さん、今回はいつまで一緒にいられる?」
「……うん? 急にどうしたんだ?」
「できれば夜に、もう一度あの桜を見に行きたいな。どうやらあそこはちょっとした名所らしくて、夜になったら明かりが灯されるみたいなんだ。昼の桜もいいけど、夜桜も楽しみたいと思ってね」
「夜桜か。確かに三郎は昼の桜より夜桜のほうが好きそうだな。……いいよ。もし天界から呼び出しがあっても、夜桜を見終わるまでは君と一緒にいると約束しよう」
「ありがとう、兄さん。……でも、そうなると夜になるまで人界のどこかにはいないといけないから――」
 そう言うと、花城は瞬く間に謝憐と初めて出会った時の姿へと変化した。これで正しく「三郎」というわけだ。
「……三郎だ」
「フフ、本来の姿じゃいかにも人外、って感じだろう? けれどこの姿なら、人界にいてもさほど違和感はないはずだ。それじゃ、夜になるまでこの辺りの村か町でのんびり過ごそう」
 あと少しの間とはいえ、愛する人と共に居られる。そのことが、花城にとっては何よりも嬉しいのだ。

 二人は近くの町で本当にのんびりと過ごし、人々が寝静まる頃になってから、再び桜の大木へと向かった。あまりに遅い時間だと妖魔鬼怪に出くわす確率が格段に上がるため、人間たちは基本的に夜の外出は避ける傾向にある。だが幸い人間ではない謝憐と花城には、その必要がない。おそらくは恋人たちのデートスポットにもなっている名所をほぼひとり占め、ならぬふたり占めできるわけだ。
「……」
 ライトアップされている幻想的な桜の大木を見て、謝憐はしばし言葉を失った。なるほど、これは確かに花城がわざわざ見たいと言ったわけだ。明るいうちに見た桜はひたすら可憐で華やかだったが、今見ている夜桜は妖艶で、どこか危うさすら感じる。風に吹かれて、花々が妖しくざわめく――。
「……どうしたの、兄さん。夜桜はお気に召さなかった?」
「いや、そういうわけではないよ。とても綺麗だ……けど、綺麗も度を超すとそこはかとない怖さを感じるんだな、って。見惚れ過ぎていると、ここではないどこかへ連れて行かれそうで……」
「そう。――じゃあ、本当に連れて行ってしまおうかな」
 すぐそばで、声が聞こえた。耳元で吐息混じりに囁かれる低音、背後から包み込まれるような感覚。振り返らずとも、花城が「三郎」の姿から本来の姿に戻っていることまで感じ取れる。
 瞬時にして耳まで真っ赤に染まり、心臓が恐ろしく早く脈打っているためたまらずぎゅっと目を瞑った謝憐を見て、花城は思わずプッと吹き出した。それを聞いた途端に、謝憐は背後を振り返って花城に抗議の目を向ける。
「ま、また私を揶揄からかったね!? だから、そういう悪戯いたずらはやめなさいっ!」
「悪戯? 俺は本気なんだけどな。嘘も言っていない」
「とにかく、今後あやしい言動は禁止! 私たちは桜を見に来ているんだから、ちゃんと桜を愛でること。ほら、この饅頭マントウでも食べながら、清く正しい花見をしよう。……買って結構経っているから、ちょっと、いや、だいぶ硬くなっているけど……」
 すっかり硬くなった饅頭が、花城の口元に押し付けられる。だがほんのり温かいのは、謝憐のふところにずっと入っていたからだろう。今回の饅頭はいつぞやの〝食べかけ〟ではないが、愛しい人の温もりが残ったもの。笑顔でそれを受け取りかぶり付いた花城を見て謝憐も笑い、懐から取り出した自らの饅頭に花城と同様、やや控えめに齧り付いたのだった。
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