友人、相棒、そして

 これはまだ、二人がコンビを組み始めて間もない頃のこと――。

「野郎ども! カニの大群のお出ましだぞ!」
 船上に、激しく打ち鳴らされる銅鑼の音と、男の野太い怒鳴り声が響き渡る。それを合図に、思い思いの武器を手にした男女が、喚声かんせいを上げながら次々に甲板へと躍り出た。
 甲板には既に、おびただしい数のカニの大群。黒く硬い甲羅を持つ攻撃的なそれは、『カニモドキ』と呼ばれる魔物だった。群島諸国の中でも南の海域にのみ生息し、特に海賊たちの本拠地である海賊島に近付けば近付くほど、その数は増す。
 そして今、魔物の大群に立ち向かうのは、その「海賊」たちであった。彼らは慣れた手つきで武器を振り回し、足下に群がる魔物たちを豪快に蹴散らして行く。
 筋骨隆々な男たちや、こんがりと日に焼けた肌が眩しい女たちの中に、〝二人〟はいた。
 一人は幅広の剣を自在に振るう、精悍な顔立ちの青年。
 もう一人は手に飛び道具を光らせる、端正な顔立ちの長身の青年。
 まったく異なる武器を手にしながらも、二人の青年は、息の合った攻撃で魔物たちを次々と打ち払っていった。やがて不利だと悟ったらしいカニモドキたちが退いていくと、剣を手にした青年――ハーヴェイが、軽く鼻を鳴らす。
「はっ! ザコどもが。人間様の船を占領しようとするなんざ、百万年はえーんだよ」
「それじゃあまるで、子供のケンカのセリフじゃないか。……雑魚とはいえ、過信はするなよ。油断していると怪我するぞ」
「なぁに言ってんだよ。こいつらとは戦い慣れてるし、攻撃パターンだってお見通し……」
「……じゃあ、あのでかいのは?」
 雑魚の群れに攻撃魔法をお見舞いした長身痩躯の青年――シグルドが、端正な顔をしかめて甲板の奥を指差した。カニモドキの群れの後ろに、〝何か〟がいる。しゅうしゅうと嫌な音を立てながら、のそりと巨体を揺らす〝何か〟が。
「……カニモドキの親玉か?」
「まったく別物かもしれない。……どっちにしろ、ヤバイんじゃないか?」
「……確かに、あんなにデカイのは見たことがねえな……」
 唖然とする二人の周囲でも海賊たちがざわめき、巨大な魔物の正体を見極めようと、懸命に目を凝らしている。甲板を鈍く揺らしながら、ゆっくりと近付いてくる〝それ〟は。
「……やっぱり親玉みたいだな」
「きっと、子供たちを殺された親が怒って出てきたんだ」
「こうなりゃやるしかねえな。大勢でかかればなんとかなるだろ!」
「しかし、普通の攻撃が効くかどうか……それに、何をしてくるか分からない。様子を見ながら戦ったほうがいいだろう」
「よし、じゃあ俺が先に行く。お前は後方支援を頼むぜ」
「ああ。……無茶はするなよ、ハーヴェイ」
 心配性のシグルドに片手を上げることで答え、ハーヴェイは、相棒の元から離れた。彼は海賊の男の中ではやや小柄なほうだが、剣士としての実力と、何者にも臆さない勇猛果敢さは随一だ。そして今も一気に先頭に躍り出た剽悍な青年は、いまだ戸惑う仲間たちを鼓舞するように右手の剣を天に向かって掲げ、高らかに叫ぶ。
「何ビビってやがんだてめえら! 我らがキカ海賊団に挑戦してこようって言うんだぜ、この大ガニは! 俺たちの船を乗っ取られてもいいのか! たかがカニなんぞに、この『グリシェンデ号』を奪われてもいいのか! 海の藻屑になりたくなかったら戦え! 腰抜け扱いされたくなかったら、おとこらしく戦え!!」
 大海に響き渡る勇ましい掛け声に、海賊たちは再び一丸となって喚声かんせいを上げた。海賊たちの一斉突撃により、『グリシェンデ号』が大きく揺れる。
 だが、後方で待機するシグルドだけは、
おとこって……女性もいるのに……」
 血気盛んな相棒の後ろ姿に、冷静にツッコミを入れているのであった。

 カニモドキの親玉は、予想どおりの難敵だった。
 通常のカニモドキより硬いのはもちろん、繰り出してくる攻撃の一つ一つが強力で、巨大なハサミを一振りされただけで、周囲を取り囲んでいた何人もの海賊たちを弾き飛ばしてしまう。
(くそっ、これじゃあ近付くこともできねえじゃねえかよ!)
 士気を上げ過ぎてしまったのだろうか。味方が邪魔で、思うように攻撃を加えることができない。足元には、ハサミの一撃を食らってバランスを崩した仲間たちが転がっている。下手をすれば、自分も巻き添えだ。
 そうこうしているうちに巨大蟹は、無数の稲妻を孕んだブレスを吐き出した。直撃を受けた者が悲鳴を上げて倒れ、あるいはその場にうずくまり、武器を取り落として次々と離脱していく。仲間たちには悪いが、ようやくチャンスが巡ってきたようだ。
 大きなダメージを受けて動けない仲間たちの間を縫うように駆け抜け、ハーヴェイは、巨大蟹と対峙した。相手がハサミを持ち上げる前に体を低くし、下から勢い良く剣を振り上げて、掛け声と共に渾身の一撃を加える。そして今度は、上から下へ向かってもう一撃。電光石火の早技に、巨大蟹が上体を仰け反らせてひるむ。
 十字に斬りつけられた部分からは不気味な色をした体液が溢れ出し、同時に、鼻が曲がるような異臭が辺りに充満した。至近距離で臭いを吸い込んでしまったハーヴェイの意識が、一瞬飛びかける。その様子を見逃さなかった巨大蟹が、よろめくハーヴェイの体を切り裂こうとハサミを振り上げ――
「! ハーヴェイ!!」
 傷ついた仲間たちを治癒する回復魔法の詠唱中だったシグルドが、相棒の危機に冷静さを失う。即座に詠唱を止めて小さく舌打ちすると、その手に素早く飛刀を握り、
(――間に合え!)
 鋭く煌めく飛刀は、一直線に巨大蟹へと向かって行った。

 巨大蟹のハサミの一撃は、ハーヴェイの髪の一部をかすめただけにとどまった。シグルドの放った飛刀は敵の急所を見事に射抜いていたらしく、巨大蟹は大量の泡を吹きながら幾度か痙攣けいれんした後、ぴくりとも動かなくなった。その場に、しばらくの静寂が訪れ――立ち上がる気力のある者たちが、一斉に勝ち鬨を上げた。ほとんど使うことのなかった武器を放り出し、海賊たちは、男も女も入り混じってシグルドとハーヴェイを称える。
 しかし、当の本人たちはそれどころではないようで。気まずそうに頭を掻きながらシグルドを振り返るハーヴェイと、相棒が無事だったことに安堵の表情を浮かべ、彼の元へと歩み寄るシグルドだった。既に彼らには、互いの姿しか見えていないようだ。
「……わりぃ、助かった」
「だから無茶をするなと言っただろう。……まあとにかく、無事で何よりだ」
「けどよ。俺の一撃がなかったら、今のじゃ仕留められなかったぜ。奴に致命傷を与えた所に、ちょうどお前がとどめを刺した。これで万々歳じゃねえか」
「ふぅ……にしても、お前にはいつもヒヤヒヤさせられるよ。今回は間に合ったからいいものの……腕、やられてるじゃないか。すぐに治療するから待っててくれ」
「お? 全然気が付かなかったぜ。サンキュな」
 短い詠唱の後に、シグルドの手が青白く光る。傷ついた腕を差し出して素直に待つハーヴェイの頭上から『優しさの雫』が降り注ぎ、彼の全身を包み込みながら腕の傷を癒やしていった。傷は完全に塞がり、青白い光も消えて行く。
 そして二人は、なぜか周囲がしんと静まり返っていることにようやく気付いた。自分たちを囲む仲間たちの表情から笑顔が消え、先程と比べて、明らかに距離が開いていることも。
「……ん? どうしたんだ、みんな?」
「……?」
「! まさかアイツ、まだ生きて――死んでんじゃねーか。何なんだよ?」
「……俺たち、何かまずいことでもしたのか?」
「いや、むしろ俺たちは頑張った。一番頑張ったぜ? ……っあー! 何なんだよ、お前ら! 言いたいことがあるんだったらハッキリ言えよ!」
 しまいには怒り出すハーヴェイに、だが、答える者はなかった。

「ったく……何だってんだよ。あれは〝凄いじゃないか、二人とも〟って顔じゃなかったぞ。野郎どもは目を逸らしやがるし、女どもは、いきなり赤くなりやがる。だったら、正直にかっこよかったです、とか言えってんだ」
「そういうのとは少し違う気がするんだがな。そもそも、普段の彼女たちの大胆さから考えると……」
「分っかんねえな~。……キカ様にいたら分かるかな」
「いや……船に乗り合わせていなかったわけだから、キカ様には分からないと思うぞ」
「それもそうだよな~……」
 『グリシェンデ号』は海賊島に無事戻り、巨大蟹によって壊された箇所は、下っ端の海賊たちが修理にあたっている。頭領のキカは用事で海賊島のアジトに残っていたので、この件については後日、部下から聞くこととなったのだった。
 そして現在、波も穏やかな昼下がり。ハーヴェイとシグルドの二人は修理の邪魔にならないよう、『グリシェンデ号』の片隅でくつろいでいた。周囲には人の姿が見当たらず、本当に二人きりという状態だ。
 シグルドがへりに寄りかかり、潮風に目を細めて海を眺めている。その隣に並んで肘をつき、同じように海を眺めていたハーヴェイが、大きなあくびを一つ。思い切り伸び上がって両手を下ろした後、その体重をシグルドへと預ける。
「……考えたんだけどよ。あの連携攻撃、けっこう使えるんじゃねえ?」
「あの連携、って……あんなに危なっかしいのがか?」
「危なっかしくなんかねえよ。今度はうまくやれる! 俺が近距離で相手を弱らせた後に、お前がとどめの一撃。大抵の奴は、完全にノックアウトだ」
「まあ、あのでかいのにも効いたぐらいだからな……やってやれないことはないと思うが……」
「今度は、俺がタイミングを見計らって相手から離れる。俺が退いたら、お前が武器を投げればいい。……どうだ、これでバッチリだろ?」
「やってみる価値はありそうだな。後で練習してみるか?」
「そうだな、ひと眠りした後にでも。……眠い」
「眠い? ……って、このまま寝るつもりか?」
「どうせアジトの中もバタバタしてんじゃねえか。……ここのほうが、静かで居心地がいい」
 そう言うとハーヴェイは、つい今しがた樽の上に腰掛けたシグルドの膝の上へ、強引に頭を乗せた。身動きが取れなくなってしまったシグルドが、困り果てた顔でハーヴェイを見下ろす。
「……これじゃあ、俺が動けないじゃないか」
「アジトが落ち着くまで、ここにいりゃいいだろ。……あ、ちょっと待て。頬に……」
「?」
 睫毛が。ハーヴェイの指が、シグルドの頬へと伸ばされる。それと同時に。

 がっしゃーん。

 凄まじい音と共に、白いカップが転がってきた。
 音のしたほうを見遣ると、そこには盆を持っていたままの恰好で立ち尽くしている、若い女海賊の姿。落としたカップと盆を拾おうともせずに、彼女の目は、二人の青年に釘付けだ。
 シグルドの頬に付いていた睫毛を取り除いた後、ハーヴェイは、ごく自然に彼女の元へと歩み寄って行った。いつもは凛々しく吊り上がった目が、わずかに丸くなっている。
「……落としたぜ? 大丈夫か?」
「あ……は、はい。大丈夫、です……」
「……俺の顔がどうかしたか?」
「い、いえ! な、何でもないんです、ごめんなさい! ……あの……ありがとうございました……!!」
「えっ、おい!? こぼしたのも、ちゃんと拭いてけよー!」
 耳まで真っ赤になった女海賊は、盆とカップを拾うと、全速力で走り去って行った。またもや、理由も分からずに取り残された二人は――。
「……何なんだよ、感じ悪りぃな!」
「まさか、こんな所に俺たちがいるとは思わなかったんだろう。……彼女には、悪いことをしたな。あとで一言謝っておくか」
「だからって、あんなに驚くことはねえだろ? ……何かみんな隠してやがるな。気に入らねえ」
「そう怒るな。彼女は確か、俺よりさらに後に来た新人だ。先輩が落ち着いた態度で接してやらないと、後輩が怖がって寄ってこないぞ」
 相変わらず、真の理由には気付いていないのであった。

 こうして、仲間たちからしてみれば目も当てられない二人の〝日常〟が始まったのである。
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