出会い・後編1

 海賊たちが、海から引き上げられた二人の生存者を見下ろしてざわめいていた。当然、意識のない生存者たちには、まったく聞こえていない。
「なあ、あの事故の生き残りって、あいつらのことか?」
「ああ、あそこに転がってる二人だ。ひでえ怪我はしてるが、息はある。……しかし、あの事故でよく生き残ったもんだよ」
「スティールと決着をつけて帰ってきたら、エドガー様がご自分の部下にするって張り切ってたぜ。ちっさいほうは問題ないだろうが、でかいほうは手懐けるのに多少の時間が必要だっておっしゃってたな」
「黒い髪のほうは、〝ミドルポートの犬〟なんだろ? 海賊を取り締まるってのは表向きで、実際は、目についた船は根こそぎ沈めてるっていうぜ。そんな奴を助けちまって良かったのかよ?」
「もしここが密告されたら……」
「そんなことはさせんさ」
 すぐそばで聞こえた声に、男たちは一斉に姿勢を正した。
 一人の女が細い腰に片手を当てて、地面に寝かされ気を失っている青年たちをじっと見下ろす。その表情は、どこか虚ろだ。事情を知る周囲の者たちは、彼女を置いて出かけて行ってしまった二人の男が原因なのだと知っている。
 だが女は、気丈に振る舞った。長であるエドガーと彼の相棒であるブランドが不在の今、この『海賊島』を守らねばならないのは彼女だ。ましてや今回は、悪名高い海賊・スティールが相手である。無傷で帰って来られる可能性は、限りなく低い。
 それどころか、先ほどから嫌な胸騒ぎが――
 脳裏をよぎった最悪の結末に、女はきつく唇を噛んで高鳴る鼓動を抑えた。言いしれない不安に襲われて表情を強張らせる彼女を気遣い、ずんぐりとした体型の男、ダリオが心配そうに覗き込む。
「キカ姉、大丈夫ですよ。今までだって、アニキたちは……」
「……そうだな。エドガーとブランドは、必ず帰ってくると言った。スティールとの決着がついたら、島を挙げて勝利の美酒を浴びるほど飲むのだとも。……今の私にできるのは、怪我人の介抱だ。手伝ってくれるか?」
「もちろんでぇ! 野郎の介抱をキカ姉ばかりにやらせるわけにはいかねえ。アニキたちが戻ってくるまでにこいつらを叩き起こして、挨拶させましょうや!」
「……ダリオ。誰もがお前のように底無しの体力を持っているわけではないのだ。よって彼らはしばらく、私の管轄下に置く。肉体だけでなく、精神の回復にも日を要するだろうからな」
「ねえ、キカさん。私もお手伝いしていいかしら?」
 それまで、海賊島の長たちが使っている部屋で待機していた女性が、厚いとばりめくって遠慮がちに申し出た。彼女はミドルポート沖で出会った旅人たちの中の一人で、キカと同様、スティールと決着をつけるべく再び海へと出て行った男たちの帰りを待つ者だった。美しい顔に不安を抑えきれないといった表情を浮かべ、極度の疲れからか、顔色も優れない。
 しかし、背筋を伸ばしてしっかりと立つ気丈さはキカに負けず劣らずで、同じ気持ちを抱く女同士、否とは言わなかった。今は、少しでもこの不安を紛らわせたい。
「ああ、協力してもらえると助かる。これだけの怪我人を放ってはおけんからな。……もしかすると、決戦から帰ってきた男どもにも同じ処置を施さねばならないかもしれんぞ」
「……ですねえ。うちの男性陣も、向こう見ずな人ばかりだから……」
「こちらも同じだ。幾分冷静な判断ができるブランドがついているとはいえ、スティールが相手となると……」
「みんな、かなり張り切ってましたね。私のところなんて、一緒に待っているはずだった小さなご主人様までついていっちゃったみたいですし」
「あの少年か。連れ戻さなくていいのか?」
「連れ戻すも何も、行く手段がありませんもの。それに、私まで命令に背くわけにはいきませんからね。……ああ見えてもあの方は、まだ幼いながらけっこう場数を踏んでいるんですよ。実力は確かです」
 話しているうちに、意気投合したらしい。女たちの間に親密な空気が流れるのを、男たちは何とも言えない気持ちで見守る。
 青年たちをベッドまで運んでもらい、その間に、怪我の治療に慣れている者を何名か呼びつけた。彼らが引き上げて行った後は、女二人が付きっきりで看病に当たることとなった。

 ダリオを始め、どこまでもキカに忠実な海賊たちは、近海の見張りを任された。海賊とは敵対関係にあるミドルポート艦隊に属していた青年に、追っ手がかかるかもしれないからだ。しかも、船一つの指揮を任されるほどの地位に就いていたと言うのだから、彼が事故に巻き込まれて行方不明になったという知らせは、既に領主の元まで届いているはずだ。表沙汰にはされていない『機密』を知っているであろう青年の口封じのため、今頃は関係者が血眼ちまなこになって捜しているに違いない。
 面倒な肩書きを持つ人間をかくまうことに異を唱える者も少なくはなかったが、キカはまったく取り合わず、一切後悔もしていなかった。この時の選択は、彼女にはもちろん、二人の青年にとっても正しかったと言えるだろう。

 真っ暗だった世界が徐々に明るさを取り戻し、無音だった世界に、微かな波音が響く。
 最初に見たものは、ごつごつとした岩と――そこから吊り下げられている、小さな明かりだった。見慣れない光景にハーヴェイは、翠色の瞳を瞬かせる。
 体のあちこちが、途端にずきずきと痛み出す。痛みの連続に顔をしかめながらも、自分が置かれている状況を把握するため、全身に力を込めた。かろうじて手の指は動いたが、横たわっているらしい体は途轍もなく重く、起き上がることはかなわない。
(俺、生きてたのか。……でも、ここはどこなんだ……?)
 海の底に沈みかけていたところを何者かに救助され、怪我の手当てを施されたのは分かる。幸いにも意識はしっかりしているので、自分の名前は言えるし、今までのことだってきちんと覚えている。おのれと同時に海へ投げ出された、もう一人の存在のことも。
「……いッ……!!」
「その怪我じゃ、急に体を動かすのは無茶よ。……思ったより早いお目覚めね、烈火の海賊さん」
 体を起こそうとするも、やはり失敗に終わってしまったハーヴェイの横から、聞き覚えのある声がした。痛みのあまり涙目になりながら首をひねると、少し離れた所に、青灰色の服をまとった女性が座っていた。小さな椅子に腰掛けて俯いている美しい横顔は暗く、声にも張りがない。
 痛みがある程度引いたところで、今度は時間をかけて、ゆっくりと半身を起こした。そうして初めて、自分の怪我の状態を知った。一度は失敗したが、この大怪我で半身を起こすことができるおのれの体力に、我ながらつい感心してしまう。
 だがすぐに、明るくてきぱきとしているはずの彼女の様子が気になった。きたいことも山積みだ。
「セネカ、だっけか? 会って間もないのに、ずいぶん世話かけちまったな。わりぃ。……で、ここはどこなんだ? あんたの仲間は? ヤツは……スティールはどうなった?」
「ほんとにね。本来の目的を忘れていなくなっちゃった時は、心底呆れたわ。
――ここは『海賊島』よ。スティールの攻撃で仲良く海に落ちたあなたたちは、ここのリーダーさんたちに拾われて、運び込まれたってわけ」
「海賊島? ここのリーダー? ……ま、まさか……『海賊王エドガー』のアジトか!」
「そう。あなたたちが運び込まれてからすぐに、彼はブランドって人と一緒に海に出て行ったんだけどね。私の仲間もみんな。だからここに残っているのは、私とキカさんだけ」
「ブランドはエドガーの相棒で、キカ……っていったら、確か双剣の使い手の女海賊だよな。……そのキカが今、ここにいるんだな? ここで待ってりゃ会えるか?」
「……」
 急に黙り込んでしまったセネカの顔をよく見ると、彼女の瞳は潤んでいた。このアジトを治める海賊王たちに純粋な憧れを抱いて明るく話していたハーヴェイだが、さすがに表情を改めて、声の調子を落とす。
「……何があったんだ?」
「スティールは、もういない。もう誰も、あいつに苦しめられることはないはず。……でも傷痕は、あまりにも大き過ぎた……」
 セネカが、嗚咽おえつこらえるように肩を震わせ、顔を背ける。
 一瞬の間の後に、か細い声で告げられた言葉は、ハーヴェイにとっても充分に衝撃的なものだった。
「――今、この部屋の外で、エドガーさんの葬儀が行われているの。今朝、浜辺にエドガーさんの遺体が納められた棺と遺品が置いてあって……ブランドさんは行方不明。おそらく彼が残していったものだろうって、海賊の人たちが言ってた。私の仲間も、帰ってきたのは空が明るくなり始めてからだった。みんな大怪我をしていて、……その中に、ウォルター様のお姿はなかった。それで、キリル様は精神的にも……」
「……」
 群島にその名を轟かせ、多くの海賊たちの憧れのまとであった海賊王・エドガーの死。彼の最高の相棒であり、良き理解者でもあったというブランドも、消息を絶ってしまった。後で聞いた話だが、彼を慕っていた部下の一人もスティールとの戦いに参加しており、共に行方が分からなくなったらしい。これでは、いくら悪名高いスティールを倒したところで、あまりにも報われない。
 しばらく、沈黙が続いた。彼女にかける慰めの言葉が見付からなかったし、何よりハーヴェイ自身が、呼吸を整えるのに時間を要したからだ。
 やがて、セネカがゆっくりと立ち上がった。その瞳にはもう、涙はない。彼女は気丈にも微かに笑顔を浮かべると、ハーヴェイの心の中を見透かしたかのように言った。
「シグルドさんは、別の部屋に寝かされてるわ。あなたよりさらにひどい怪我をしてるし、意識はまだ戻らないのに、ひどくうなされているって。元の身分上、みんなかなり警戒してるみたい。海に捨てて来いなんていう声もあるそうよ。
……もう……これ以上の犠牲は見たくない。もしできれば、あの人を助けてあげて。何も知らない彼が、キカさんを傷つけてしまうかもしれないし……それは、絶対に避けなきゃ駄目」
「俺の顔を見たら、ある意味元気になりそうな気もするけどな。まあ、努力はしてみるぜ。……あんたたちは、これからどうするんだ?」
「もう少し残って、キカさんを元気付けてあげたいけど……キリル様のためにも、群島から距離を置くつもり。しばらく戦いとは無縁な生活を送る予定よ」
「そっか。キリルは将来が楽しみだし、早く復帰できることを祈ってるぜ。……頑張れよ。もしまたどこかで会えたら、力になってやる」
「ありがとう、あなたも頑張ってね。……今度こそ、一人で突っ走らないでよ?」
「あー……そん時までに覚えてりゃあな」
「……んもう」
 ようやく自然な笑顔を取り戻したセネカを見送ってから、ハーヴェイは、再びその身をゆっくりと横たえた。自由に寝起きするには、まだまだかかりそうだ。少し半身を起こして話していただけでも、非常にだるい。
 今日はおとなしく寝ているしかなさそうだが、自力で地に足を付くことができるようになればすぐにでも部屋の外へ出て、真っ先にシグルドの元に駆けつける気でいた。仲間を一気に二人も失ったキカに心無いことを言う前に、セネカから聞いたことを伝えるために、何よりキカという女海賊がどんな人物であるのかを、この目で見るために。
 スティールとの決戦で相討ちになった大海賊に、行方知れずとなったその相棒に、――そしてキリルと彼の仲間たちに、思いを馳せずにはいられなかった。
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