出会い・中編2

 再会の日は、ほどなくしてやってきた。
 もっとも、ミドルポート領主お抱かかえの艦隊を率いるシグルドと、ミドルポート近海で売り出し中のハーヴェイが出会う機会などいくらでもあるわけで。今や、顔を合わせることが互いの無事を確かめるすべである。
 傍若無人に振る舞うハーヴェイに対して苛立ちと憤りを感じているシグルドと、シグルドの怒りをさらに煽り、彼と戦うことを楽しんでさえいるハーヴェイの二人は、既に立派な「好敵手」と呼べる間柄にまでなっていた。海に出れば、無意識のうちに互いの姿を探してしまう、という具合に。
 そんな彼らを何度となく見てきた人々の間でも、いつしかこんな噂が流れ始めた。「そう遠くはない日にミドルポートの海上で、雌雄を決する戦いが見られるだろう」と。

「気乗りのする仕事ではなかったが……ハーヴェイ、貴様の船であれば話は別、いままでの借りを返してやろう!」
 ミドルポート沖に、凛とした声が響き渡る。
 この日の二人の再会は、今までとはやや異なる雰囲気の中でのものだった。主の代行を務めたシグルドの元には、少し前に紋章砲の情報を求める旅人たちが訪ねてきたが、彼らには、何の情報も与えなかった。この直後に主の命令で、口封じのために旅人たちを追って海に出たところを、ハーヴェイの船と出くわしたのだ。
 彼の船には領主の館から追い返した旅人たちも乗っていたが、怒りの感情に支配されたシグルドにとって、もはやそんなことはどうでも良かった。ハーヴェイの仲間だというのなら、船ごと海に沈めるまで。非道なおこないの数々に嫌気が差し、かと言って主には逆らえないおのれに歯痒さを感じてはいたが、ハーヴェイという最大の敵の存在が、苦悩するシグルドを怒れる戦士へと変えて行く。
 突然のことに戸惑う旅人たちとは逆に、ハーヴェイは、どこか楽しそうな笑みを浮かべた。しっかりと舵を握り、慣れた様子で操りながら旅人たちへ、声を張り上げる。
「俺は売られたケンカは買う人間でね。ちょっとばかし揺れるかもしれねえから、どこかにつかまっててくれよ!」
 この言葉が終わると同時に船体が大きく揺れ、ハーヴェイの船は、荒々しくミドルポート艦に横付けされた。すぐさまタラップが掛けられて、二つの船が繋がる。
 シグルドは、離れた場所に立って気持ちを落ち着けた。感情に任せて飛び出して行けば、相手の思うつぼだ。ましてや今回は、かなり腕の立ちそうな者たちを連れている。
 対してこちらの戦力は、最近雇った傭兵が二人に、同船していた揉め事好きな海賊たち。ざっと見たところ、シグルド側は七人、ハーヴェイ側は八人と、こちらが一人少ない。
(落ち着くんだ……慎重に戦えば、勝ち目がないわけじゃない。たった一人の差じゃないか。それに、あいつはおそらく、バカ正直に真正面から突っ込んでくる。あいつがここに到達する間に態勢を整えた後、武器を投げて牽制しつつ『水の陣の玉』や紋章で攻撃すればいい……)
 だが、頭の中で思い描いていた策は、すぐに絶望的なものへと変わっていった。領主の館を訪ねてきた旅人たちが、予想していた以上に強い。見るからに腕の立ちそうな中年の剣士、小さな体で大きな両刃の武器を軽々と振り回す少年、先端に刃がついた長い杖を持った青年、ボウガンを乱射して、敵の動きを攪乱かくらんする女性。これではハーヴェイを足止めしたところで、彼らから集中攻撃されてしまう。
 焦りを感じ始めたところへ追い討ちをかけるように、数人の味方が海へと落ちて行った。あまり期待していなかったとはいえ、改めて戦力の差を思い知らされる。
 やがてハーヴェイが、目の届く範囲にまで駆け上がって来た。シグルドの顔を見るなり挑戦的な笑みを浮かべ、他には目もくれずに向かってくる。
 切れ長の瞳をさらに細めて冷たく睨みつけてくるシグルドを、ハーヴェイは真っ直ぐに見返した。二人の視線が絡み合い、船上に緊迫した空気が流れる。
(……あいつさえ海に叩き落としてしまえば、あとはどうなってもいい。俺一人が消えたところで、領主はなんとも思わないだろう。ここで敗北すれば、待つのは死のみ。館に戻ったところで、俺は……)
 だが、むざむざ命をくれてやるつもりもない。覚悟を決めたシグルドは、前方にだけ意識を集中した。『水の陣の玉』を素早く取り出すと、ハーヴェイめがけて投げつける。
「うわっ!?」
 相手が一瞬ひるんだ隙に、床を蹴って走り出した。スロープを駆け降り、足を止めて水滴を振り飛ばしている青年へ、鋭く煌めく刃を放つ。
「……ぐっ!!」
 シグルドが放った刃は、ハーヴェイの右腕に深々と突き刺さっていた。利き腕を負傷したハーヴェイが、たまらず剣を取り落として体を折り曲げる。
 苦痛に歪められていたその顔に、激しい怒りの表情が浮かんだ。左手で右腕を庇いながらも全身に凄まじい怒気をみなぎらせ、歯を食いしばって剣を拾い上げると、既に次の攻撃を行おうとしているシグルドを思いきり睨みつける。
「このやろう……!」
「利き腕をやられたんじゃ、まともに戦えないだろう。……これで終わりだ。おとなしく海に沈むがいい!」
 あと一撃で、確実に仕留めてやる。今度はハーヴェイの左肩を狙って、刃を構えた――その時。
「!?」
 シグルドを突如、雷が襲った。全身が痺れ、武器を持つどころかまったく身動きが取れなくなる。
 雷撃を放ったのは、4人の旅人の中の一人だった。神経質そうな青年が手にした長い杖の先端から、小さないかずちが飛び散っている。
 ――雷魔法の使い手か。これもまた、予想外だった。今回は、どこまでも運がないらしい。
 駆けつけた旅人たちによって応急処置を受けたハーヴェイが、いまだ痺れて動けないシグルドの後方に回る。こうなってしまっては、もうどうしようもない。
「ちゃんとしたお返しは、また後でだ。……でもとりあえず、一発殴らせろ」
 そう言うなりハーヴェイは、剣の柄でシグルドを床に叩き伏せたのだった。

 怪我の治療のため、いったん船に戻って態勢を立て直す。
 ほどなくして、意識を取り戻したシグルドが姿を現した。明らかに腹の虫がおさまらない、といった様子だ。それを見たハーヴェイが、楽しげに声を掛ける。
「よう、色男さん! いつもの威勢はどこいったんだい!?」
「くっ……! そちらの方が、手勢が多いからだろう!」
 悔しそうなシグルドの言葉を聞いて、ボウガン使いの女性が「1人しか違わなかったと思うんだけど」と小さく呟いた。その隣で、雷魔法の使い手である青年が頷く。
 だが当然、このやりとりは二人の青年の耳には届いていなかった。それどころか、
「来い! ハーヴェイ! 一対一だ! ケリをつけてやる!」
「わりぃ、ちょっくら行って来る!」
 ハーヴェイは軽く片手を上げると、大張り切りでミドルポート艦へと走って行った。残された旅人たちは全員、呆気に取られている。
「むぅ……」
「あのヒト……目的、忘れてますよね……?」
 もちろんこの呟きも、好敵手との戦いに燃える青年たちには届いていない。
「それじゃ、約束どおり……さっきの続きだ!」
「今度こそ、海に叩き落としてやる! 覚悟しろ!!」
 ハーヴェイは楽しそうな顔をしているが、シグルドの表情は、相変わらず怒りに満ちている。
 これまで、何度も屈辱を味わわされてきた。ミドルポートでは若きエリート軍人としてその名を馳せていただけに、同年齢のあの男にこっぴどく負かされた時の悔しさは、相当なものだった。
 さらにハーヴェイは我が物顔で港をうろつき、道行く人々に顔と名前を売り込んでいたので、『領主の所のシグルドが、駆け出しの海賊に負け続けているらしい。ミドルポート艦隊の実力はその程度のものか』とまで囁かれる始末。シグルドのプライドは、ハーヴェイという一人の男によってずたずたに傷つけられてきたのだ。
 だが、それも今日で終わりだ。容赦はしない。……相討ちでもいいから、この男をこの手で。
 半ば捨て身の覚悟で、刃を投げた。この攻撃をかわしている間に『水の陣の玉』で動きを鈍らせ、そこへ刃をもう一度投げつければ、多少は弱らせることができるだろう。よくよく見てみると、その動きは粗削りで、正確さに欠けているのが分かる。
 対してシグルドの攻撃は、ほぼ正確に狙った所へと飛んで行く。細やかな動きでハーヴェイを翻弄し、じわじわと体力を削っていけば――そう考えたところで、周囲の異変に気付いた。
 大きなものが、風を切る音。
 こちらへと向かってくる、複数の巨大な光。
 空気中に含まれる、火薬の匂い。
 轟音と共に、二つの船はいくつもの「光の弾」に襲われた。甲板に次々と撃ち込まれるそれは、通常の戦艦が搭載しているものより遥かに大きく、凄まじい破壊力を持つ「砲弾」――。
「うわッ!!!」
「だ、誰が撃ってる!?」
 大きくバランスを崩したことでかわしきれなかった刃が、ハーヴェイの右頬を切り裂いた。傷口から鮮血が飛び散り、痛みに顔をしかめるが、血相を変えたシグルドの視線は、沖の方へと向けられている。シグルドの顔が、何かの姿を認めてはっきりと青ざめた。
「しまった!! ヤツだ、ヤツが来た!」
「なにぃ!? スティールか……うわッ!!!!」
 二人の視界が、真っ白な光に覆われる。まるで、空から太陽が落ちてきたかのように。
 目に、耳に、全身に、凄まじい衝撃が走った。直後に浮遊感――そして、冷たい水の感触。

(……いてぇ……体中がビリビリする……ここ、海の中だよな……俺は今、どうなってる……? 手と足が胴体にくっついてんのかも、分かんねえよ……ヤバい……今ここで意識を手放したら、もう……)
 目を開けると、海水が沁みてひりひりと痛んだ。閉じようとして、だが、再び開く。一瞬見えた光景を、もう一度確かめるために。
(……あれ、は……シグルド……?)
 その顔は白く、まるで眠っているかのように見えたが、額や胸から血を流して海中を漂う姿には、生気がまったく感じられない。
(……まさか……死ん、で……?)
 あれほど俺を目のかたきにしていた男が、こんなにあっさりと。俺はまだ、かろうじて生きてるってのに。
(まだ勝負はついてないだろ、悔しくないのかよ……? それとも、俺ももうじき意識をなくして、仲良くあの世に旅立っちまうのか……?)
 薄れ行く意識の中でハーヴェイは、心の中でシグルドへ語りかける。それが、海の中での最後の記憶となった。
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