出会い・中編1

 あれから、数日後――
 不足してきた物資を補給するため、ハーヴェイは単独でミドルポート港に降り立った。どう見ても海賊であるハーヴェイが簡単に入港できたことからすると、意外にも港周辺の警備は手薄らしい。
 とがめられもしなかったことにいささか拍子抜けしながらも、周囲の人々に混じって店々を見て回る。交易が盛んなためか品数は豊富だが、持ち金が少ないために必要最低限の物しか買えないのが残念だ。
 すぐに船に戻るのはつまらないので、交易所に立ち寄ってみた。わずかに余った金で適当な物を見繕ろい、再び歩き出した――その時。こちらに向かって歩いて来る青年を見て、ぎょっとした。
 艶やかな黒髪に端正な顔、グレーを基調とした服に身を包んだ、長身痩躯の男。数日前に戦った、ミドルポート艦を率いていた青年だ。ああまで容姿の整った男はそうそう見たことがないので、間違いようがない。
 彼はまだ、ハーヴェイの存在に気付いていないようだった。港に停泊している船を見回して苦い表情になり、近くにいた男と話し始める。
 気付かれる前に逃げるべきか、あえて話しかけてからかってやろうか。迷っていると、二人組の若い女性が足を止めて、青年の横顔を見つめた。うっとりと頬を染めて頷いた彼女たちは、溜め息混じりに囁き合う。
「やっぱり、いつ見ても素敵よね~。どこかの海賊に負けたって聞いたけど、素敵なことに変わりはないわ」
「シグルドさんは、ミドルポートの華よ。領主様にお仕えしているご身分なのに、私たちみたいな一般人にも気さくに応じてくださる。あれだけハンサムな方なのに、浮いた噂はまったく聞かない……でも、そこがいいのよね」
「恋人はいらっしゃらないのかしら?」
「いらしたとしても、よっぽど綺麗な方じゃないと並んで歩くことはできないでしょうね。……できれば、ご結婚はなさらないでほしいわ。お相手の女性に嫉妬してしまいそうだもの……」
 ミドルポートの華。
 領主に仕える身分。
 そして「シグルド」という名。
 端麗な容姿も幸いして、少なくとも女性には好感をもたれているらしい。ここで喧嘩を売ろうものなら、彼に好意を寄せる女性たちから袋叩きにされかねない。ここミドルポートは、活動の拠点となる街だ。よって、これからも頻繁に通うことになる。だから今日は、面倒なことにならないうちに退散するか。そう決めて、身を翻した時だった。
「きっ……貴様、ハーヴェイ! 何故お前がここにいる!?」
 あっさり気付かれてしまったらしい。小さく舌打ちして振り返ると、シグルドが怒りの形相でこちらを指差していた。周囲の人々が、何事かと目を丸くしていることにも気付いていないようだ。
 だがハーヴェイにとっては、これも名前を売り込む良い機会だった。人々の注目が集まる中、〝ミドルポートの華〟との再会を喜ぶことにする。
「よう! 数日ぶりだな、シグルドさんよ」
「な、馴れ馴れしく呼ぶな、海賊風情が! 貴様、海だけにとどまらず、港まで荒らす気か!?」
「ぎゃんぎゃんうるせえ奴だな……ま、わざわざ大声で俺の名前を呼んでくれたのはありがたいが。……いくらなんでも、港までは荒らさねえよ。ありがたく使わせてもらうだけだから安心していいぜ」
「ふざけるな! 海賊などに使われてたまるものか。さっさと出て行け!」
「でもここ、あっちこっちに海賊がいるぜ? けど、港を荒らそうとする奴なんていない。店にとっても、俺たちは大事な客の一人ってわけだ」
「客だと? ……だが、貴様ら海賊が払っているその金は、どこから手に入れたものだ? 商船を襲って奪った金だろう。我々の元には毎日のように、海賊に襲われ身ぐるみはがされたという報告が舞い込んでくる。そのたびに我々は……」
「被害に遭ったって連中は、でかい船に乗ってた金持ちだけのはずだ。しょぼい船を襲ったって、ロクな収穫がねえからな。だから、ここら辺で稼がせてもらってるのさ」
「……くっ……」
 軽い調子で言ったハーヴェイは、悔しげに唇を噛むシグルドに背を向けた。片手を上げて肩越しに、ややからかいを含んだ声で言い放つ。
「領主のやり方はいけ好かないが、街はキレイで気に入ってるぜ。……また海で会ったらよろしくな、シグルド」
「――っ!!」
 一度ならず、二度までも!!
 両拳をきつく握り締めて、シグルドは、怒鳴り出しそうになるのを懸命にこらえた。激しい怒りを抑え込んだその顔は、湯気が出そうなほどに真っ赤だ。
 ハーヴェイは、港の隅に繋いであった小舟へと身軽に飛び乗った。彼の首に巻かれた赤いスカーフが、見る者の目にくっきりと焼き付く。
 敵でありながら、ハーヴェイの存在は、暗澹あんたんとした日々を送るシグルドの胸をこの上なく波立たせるのだった。

 組む仲間を変えたために、ミドルポートから遠く離れた海域を暴れ回っていたハーヴェイは、数日ぶりにミドルポート近海へ戻って来た。足を伸ばした割には収穫が少なく、多くの上流階級者が暮らすミドルポートがいかに裕福であるかを改めて実感する。
 ある程度予想はしていたが、案の定、見覚えのある戦艦が速度を上げて向かってきた。舳先へさきに立つのは、もちろんあの青年、シグルドだ。
 背筋を伸ばして姿勢良く立つ長身を見上げると、切れ長の瞳に鋭く睨まれる。それに応えるように、ハーヴェイは不敵な笑みを浮かべて胸を張り、真っ直ぐに相手を見返した。明るい翠色の瞳が、戦いを前にして爛々と輝き始める。
「よう、色男! 元気だったかぁ?」
「……性懲りもなく、まだうろついていたか。目障りな……」
「やっぱり、ここら辺が一番稼げるんでね! またひと儲けさせてもらうぜ!」
「ふざけるな! これ以上、貴様らにのさばられてたまるか!」
 シグルドの言葉が終わるや否や、ハーヴェイと行動を共にしている海賊たちが喚声かんせいを上げて、ミドルポート艦へと乗り込んでいった。海賊たちの素早い突撃に、ミドルポート艦の甲板上はあっという間に戦場と化す。
 ハーヴェイが敵艦の甲板に降り立つと同時に、シグルドの手から刃が放たれた。それを剣で弾いている隙に、前方からひんやりとした空気が流れてくることに気付く。
「!?」
 顔を上げると、シグルドの全身が青白く光っていた。その右手がいっそう強い輝きを放ち、青年の頭上に『水の紋章』の刻印が現れる。
 勢い良く後方に飛び退ったハーヴェイの前に、氷の塊が出現した。すべてを避けることはできず、肌を刺すような冷気が全身を覆い、痛いくらいの冷たさに体が痺れる。たまらず剣を取り落としかけるハーヴェイへ、煌めく刃が容赦なく襲いかかる。
「うわっ!」
 仲間の海賊に、思いきり突き飛ばされていた。甲板に転がるハーヴェイの体に生ぬるい海水がかけられ、麻痺状態から解放される。海水臭いなどと、文句を言っている場合ではない。
「わりぃ、助かった!」
「早く逃げるぞ! 本気でヤバイ!」
「ヤバイ? ……何がだよ?」
「あそこを見ろ! あの船は……」
 切羽詰まった仲間の声に、頭を振って水を飛ばしながら前方を見遣る。
 大きな船の形の、不気味な黒い影。ここから距離はあるが、それはゆっくりと、だが確実にこちらへと近付いてきているのが分かった。ゆらゆらと揺れるいくつもの船灯が、なんとも不吉だ。
 この場にいる全員が、ただ茫然と船影を見つめた。いつもの不敵な笑みを消したハーヴェイが、珍しく険しい表情で独り言のように呟く。
「……スティールだ。奴の縄張り内で争ったから、怒って出てきたんだ」
「スティール? ……ここ最近、お前たちをもおびやかしている海賊のことか?」
 常に険のある話し方をしていたシグルドだが、誰もが恐れる海賊の名を聞いて目を丸くし、思わずき返した。ハーヴェイもまた、それを素直に受けて答える。
「ああ、間違いない。奴と出くわしたが最後、妙な力で船ごと消されるらしい。当然、死体も……何もかも」
「……」
「のんびり話してるヒマはねえ! とっととずらかるぞ、ハーヴェイ!」
 青ざめた海賊たちが、ミドルポート艦に横付けしていた海賊船へと戻って行く。
 我に返ったシグルドが、仲間たちの後に続くべく身を翻したハーヴェイの背に向かって怒鳴った。
「そもそも貴様らがこの辺りをうろついていなければ、こんなことにはならなかったんだ! ……海賊のくせに、命を惜しんで逃げ回るだけか。この腑抜けどもめ!」
「……ッの野郎……言わせておけば!!」
 床を蹴って、ハーヴェイはシグルドに飛びかかった。振るわれた拳からは間一髪で逃れたものの、胸倉を掴まれ、乱暴に引き倒される。
 倒れた勢いで後頭部をしたたかに打ちつけ、シグルドの目の前に星が飛んだ。長身の青年の上に馬乗りになったハーヴェイは、相手の胸倉を掴んだまま、息がかかるほどに顔を近付けてまくし立てる。
「海賊をバカにするのもいい加減にしろよ。てめえらがやってることのほうが、よっぽど非道なんだよ! なんなら、群島中に言いふらしてやろうか? ミドルポート艦隊はちっぽけな船でも容赦なく襲って、宝を根こそぎ奪ったあげく、証拠を揉み消すために船を沈めてるって。それを、俺たち海賊のせいに見せかけてるってな! これのどこが、『海の平和と秩序を守るため』なんだよ? はっ、笑わせんじゃねえ!」
「う、うるさい! 黙れ……!」
「へえ、マズイことをしてるって自覚はあるわけだ。ご主人様に逆らう勇気がないだけで。てめえのほうが、よっぽど腑抜けじゃねえか。なんとか言ったらどうなんだよ、ああ!?」
「……」
 こうしている間にも、黒く巨大な船影はじわじわと近付いてくる。
 いまだ敵艦に残っているハーヴェイに退却をうながす海賊たちの呼び声と、徐々に荒れてきた海の様子に、さらに不安を煽られる。荒波に船は大きく揺れ、シグルド側の仲間たちがバランスを崩して尻餅をついた。そのまま、派手に転がっていく者もいる。
 唇を噛んで黙り込むシグルドの胸から手を離したハーヴェイは、素早く立ち上がって駆け出した。仲間たちの待つ船までは、かなりの距離がある。このまま飛び移ろうとしても、荒れ狂う海にまっさかさまだ。泳ぎには自信があるとはいえ、この状態の海に飛び込むのは無謀でしかない。
 周囲を見回し、無造作にくくりつけてあったロープに目をつける。帆柱にロープを手早く巻きつけて、積み重ねられた木箱の上に飛び乗った。垂らしたロープを握って海を見下ろすハーヴェイを、頭を押さえてふらふらと立ち上がったシグルドが、本気で制止する。
「やめろ、無謀だ! ここからでは……」
「このままなら、な。――そこから動くなよ」
「……何?」
 言葉の意味が分からずきょとんとするシグルドの目の前で、ハーヴェイは、高く跳躍した。
 ロープにぶら下がって助走をつけ、戸惑い立ち尽くすシグルドの両肩に飛び乗った後、全身をバネにして大きく飛び上がった。その身をジャンプ台にされた青年は、周囲のあらくれたちと同じように大きくバランスを崩し、派手に尻餅をつく。
「……なっ……」
「じゃあな! 勝負の続きがしたかったら、ここでくたばるんじゃねえぞ!」
 大声で叫んでロープから手を離したハーヴェイの体は、空中で何度か回転した後、荒波に流され続ける海賊船へと見事に着地した。ゆっくりと立ち上がったハーヴェイは、茫然とこちらを見つめたまま動かないシグルドに向かって、いつもの不敵な笑みを浮かべてみせる。
 その笑みを見た瞬間、シグルドの頭に、かっと血が上った。海水に濡れた体で胸倉を掴まれて馬乗りされたため、服のあちこちにシミがついている。
 怒りのあまり、声が出ない。怒鳴りたくとも相手はみるみるうちに遠ざかっていき、スティールの船の影までもが、完全に見えなくなった。なんとか逃げ切ることができたらしい。

 ミドルポートに近付くにつれて波は穏やかになり、やがて、多くの船が停泊する港がうっすらと見えてくる。
 深呼吸を繰り返しても怒りは治まらず、体の力を抜こうとしても、自然と拳を作ってしまう両手がわなわなと震える。
 この日、領主の館に戻る道中でのシグルドの顔は、彼を慕う女性や子供たちをおびえさせ、この上なく不安にさせたのだった。
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