僕の一生のお願い

 キカ海賊団の名物美青年コンビであるシグルドとハーヴェイは、町での買い物を満喫していた。楽しそうに喋りながら店から店を渡り歩き、立ち寄った店の前でもまた、顔を見合わせて話し合う。今にも手を繋ぎそうなほどに仲睦まじいその様は、周りから見れば「買い物」と言うよりは「デート」そのものだ。
 彼らからやや離れた場所には、同じ海賊である男と少年がいた。そのうち、ずんぐりとした体型の男が、青年たちの姿がなるべく視界に入らないように背を向けて、何事かをぶつぶつと呟いている。
「……お父さん? どうしたんですか?」
 それまで辺りを見回していた少年が、目を丸くして父の顔を覗き込んだ。「お父さん」と呼ばれた男――ダリオは、血は繋がっていないが誰よりも大切にしている一人息子のナレオを振り返り、唾を飛ばさんばかりに怒鳴り散らす。
「……っかー! いつでもどこでもイチャイチャベタベタと! そんなに二人きりの世界に浸りたいんなら、よそでやれってんだ!!」
「お、お父さん……?」
「いいかぁナレオ、アイツらだけは絶対に見習うな。それと今は、赤の他人のフリをしろ。俺たちが恥をかくぞ」
「どうしてです?」
「おめえは、ああいうのを恥ずかしいと思わねえのか? 誰が見てようがお構いなしにイチャイチャしやがるヤツらをだ」
 ダリオの問いに、少年は首を傾げて青年たちを眺めた。――ナレオが出した答えは。
「だって、あのお二人はいつも仲がいいでしょう? 気の合う友達といたら楽しいし、こういう所に来たらはしゃいじゃうと思います! だから、全然恥ずかしいとは思いません!」
「……」
 無邪気に言ったナレオの目はきらきらと輝いていて、青年たちに釘付けだ。天を仰ぐ父に、可憐な少年は、とどめを刺すと同時に行動を起こしたのだった。
「いいなあ、本当に楽しそう……僕も一緒に買い物して来たいです! お父さんも行きましょう!」

◇◇

「シグルドさーん、ハーヴェイさーん!」
 自分たちを呼ぶ幼い声に、仲良く肩を並べて品物を物色していたシグルドとハーヴェイが、同時に振り返った。片手を大きく振って走り寄ってくるナレオを見て、青年たちはわずかに首を傾げる。
「どうした? 何かあったのか?」
「ダリオはどこに行っちまったんだよ?」
「お父さんも呼んだんですけど、なんだかあんまり気が進まないみたいで。……あ、僕も一緒にお買い物していいですか? 見たいものがあるんです」
「ああ、いいぜ。アイツといるのが楽しくねえんだろ?」
「いや、ある意味楽しい奴なんだが……どうしたんだろうな?」
 三人揃って、自分たちが原因なのだとはまったく気付いていない。なんとも気の毒な話である。
 だがもう後ろを振り返ることはせず、ナレオは、大好きな青年たちと一緒に店巡りを始めた。青年たちも年少者であるナレオには甘いので、快く買い物に付き合ってやることにする。
 やがて気を取り直したのか、ダリオが追いついてきた。海賊の男らしく、くよくよ悩まないのが彼の長所だ。
「なんだよ、歩き疲れたのか?」
「そんなんじゃねえ! 俺はな、おめえらに気を遣って……」
「気を遣う? 何にだよ?」
「……」
 あれだけ「イイ雰囲気」を醸し出しておいて、まったく自覚していないらしい。ハーヴェイはもちろん、子供らしくはしゃぐナレオの相手をしているシグルドも、おそらく同じだろう。
 黙り込んでしまったダリオの顔を訝しげに覗き込んだハーヴェイだったが、その視線はすぐにナレオたちへと移った。少年は店頭に並ぶ品を指差して、シグルドと楽しそうに話していたが。
「あっ……」
 何かに気付いて、ナレオが小さく声を上げる。
 少年の視線の先には、通りを歩く親子連れの姿があった。ナレオよりずっと幼い子供が父親の肩に担がれ、上機嫌な声を上げている。ごく普通の、ありふれた光景だ。
 だが、ナレオの目は親子連れに釘付けだった。シグルドとハーヴェイが、同時にダリオを振り返る。
「……なあ、ダリオ」
「……肩車、してほしいんじゃないのか?」
「な、何言ってやがんでぇ。ナレオはもう、そこまで幼くは……」
「してやれよ。まだまだ甘えたいんだと思うぜ?」
「子供にとって、肩車は父親の役目みたいなものだろうからな」
 青年たちに促されて、覚悟を決めたダリオがナレオの横に並んだ。咳払いをして上半身を反らせ、懸命に父親の威厳を保とうとする。
「……ナレオ。たまには、子供らしいワガママだって……」
「……お父さん」
「お、おう。何だ?」
「お父さんには、いつも良くしてもらってると思います。だから僕は、大きくなったらお父さんみたいな海賊になりたいと思ってます」
「そうか」
「はい。……でも」
「?」
「肩車は、頼めません。……だって今の僕は、お父さんより背が高いから」
「!!」
 容赦のない息子の言葉に、ダリオはそのまま後ろに引っ繰り返った。さすがのシグルドとハーヴェイも、今回ばかりは心底ダリオに同情する。
「……ナレオ……そりゃあ、言っちゃいけねえ一言だと思うぜ……?」
「事実では、あるんだがな……」
「あーあ、目ェ開けたまま気絶してら。よっぽどショックだったみたいだな」
「そりゃショックだろう。ましてやナレオは、これからもっと大きくなるんだからな。……この調子だと、ハーヴェイより大きくなるんじゃないか?」
「なっ……! てめっ、シグルド! 俺の背のことは言うなっていつも言ってんだろ!!」
「っと、すまん。だがこう見えても俺だって、高過ぎる身長に悩んだことだって……」
「……あの。シグルドさん」
 またもや二人の世界に入ろうとしている青年たちへ、ナレオが遠慮がちに声を掛けた。ややねた様子のハーヴェイは、倒れて動かないダリオの脇腹を足でつついている。
「何だ?」
「実は僕……一度、シグルドさんに肩車をしてもらいたいなあって思ってたんです。シグルドさんは背が高いから、肩車をしてもらったら眺めがいいんだろうな、って」
「……俺が?」
 シグルドが目を丸くして自らを指差し、ハーヴェイはダリオの腹を蹴るのをやめて、目を瞬かせた。まったく予想していなかったことだ。
「本当に、一回だけでいいんです。……だめですか?」
「……いや、他ならぬお前の頼みだ。俺でいいって言うんなら……」
 とことん、ナレオには甘いらしい。めったに我儘わがままを言わない少年に頼まれたら、駄目だとは言えないシグルドだった。それは、ハーヴェイも同じなのだが。
 すらりとした長身を屈めて、シグルドは、肩越しにナレオに手招きする。
 ナレオは、少し恥ずかしそうに辺りを見回してから足を踏み出した。おずおずと身を預けてくる少年の細い脚を、シグルドは軽く叩いてやってから持ち上げる。
「……わあ……!」
「あまりはしゃぐと落ちるから、気を付けてな。……眺めはどうだ?」
「すごい、高いです! 地面があんなに下に! シグルドさんからだと、いつもこんなふうに見えるんですね!」
「ああ。人ごみに入った時は遠くまで見渡せるから、便利かもしれないな」
 ナレオを肩に乗せたまま、シグルドがぎこちなく歩き出す。少し後ろに、ハーヴェイが腕を組んで立っていた。その表情は、どこか複雑そうだ。
 いつの間にか目を覚ましたダリオが、脇腹を蹴られた仕返しとばかりにハーヴェイの脇腹を小突いて冷やかした。その口調には、からかいが混じっている。
「なんだぁ? ヤキモチか?」
「なんでそうなるんだよ! ……俺の背がもう少し高かったら、とは思うけどよ」
「ま、まあ、それは同感だ。せめて、人並みの父親の背があったらなぁ」
「身長の問題って、けっこう深刻だよな……あっ、おい! 今ナレオが落ちそうになったぞ!? 気を付けろよ!」
「僕は大丈夫です! しっかり掴まってますから! ……シグルドさん、ありがとうございます。もう大丈夫です。満足しました」
「そうか。肩車なんて初めてだから、うまくしてやれなくてすまんな」
「いいえ、とんでもないです。僕がうんと小さかった頃に、お父さんや他の人たちに時々してもらったことを思い出して、つい懐かしくなっちゃって。もう肩車をしていただく年でもないのに、すみません」
 ナレオを地面に下ろしてから、シグルドは、少年を穏やかな表情で見下ろした。16という年齢の割には幼さの抜けないナレオだが、出会った頃に比べて格段に背が伸びて、言動もしっかりしている。そんな彼の成長をそばで見守ることができて嬉しいと、シグルドは思う。
「さて、買い物の続きをするか。見たいものがあるんだろう?」
「はい!」
 ナレオが張り切って一行の先頭に立ち、その後に、シグルドが続く。
 彼らの後方には、いつになくはしゃぐナレオに相棒を取られた気持ちになって複雑な表情を崩さぬままのハーヴェイと、「へっ、どう見てもヤキモチじゃねえか」と後輩をジト目で見つめるダリオの姿があったのだった。
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