僕の大好きな人たち

 とある日の、夜。
 キャラバン内を走り回り、目的の人物をようやく見つけたナレオは、その場でぴたりと足を止めた。
 捜していたのは、ハーヴェイとシグルドの二人。彼らは一緒にいることが多いので、双方に用事がある時でも、大抵は一人分の捜索で済む。
 そして今も二人は、仲間たちが集まっている場所から少し離れた所で、身を寄せ合っていた。
 シグルドは大きな岩に寄りかかり、静かな微笑を浮かべて相棒にときおり相鎚を打ち、ハーヴェイは長身の相棒の肩に身を預け、身振り手振りを交えつつ穏やかな表情で話をしている。
 二人の表情は普段からは考えられないほどに柔らかく、まだ子供であるナレオの目にも、それは限りなく甘く映った。果たして邪魔をしてもいいものかと少々迷ったが、意を決して声を掛ける。
「シグルドさん、ハーヴェイさん! お話し中にごめんなさい」
「ああ? ……なんだ、ナレオか。どした?」
 相棒の肩から身を離したハーヴェイは、嫌な顔一つせずにナレオを迎えた。シグルドも気分を害した様子はまったく無く、まだ幼さの残る少年に笑顔を向ける。
 いつもと変わらぬ様子の二人に安堵して、ナレオは、二人の青年に用件を述べた。
「お父さんが、久々にハーヴェイさんの手料理が食べたいからすぐに呼んで来いって。それでシグルドさんも一緒だろうから、どうせなら一緒に連れて来い、だそうです」
「……」
「……」
 ナレオの言う「お父さん」とは、二人が煙たがっている先輩海賊・ダリオのことだ。元は敵同士であったシグルドとハーヴェイが、とある事情で海賊島に来る前からダリオは、海賊の頭領であるキカの忠実な部下として働いている。それゆえに彼はおのれが先輩であることを事あるごとに主張し、直接の後輩に当たるハーヴェイを何かとこき使うのだ。シグルドの直接の上司はキカなのであまり強くは出られないようだが、彼がハーヴェイと行動を共にするようになってからは、揃って呼び出すことが多い。ダリオいわく、「ハーヴェイにはない細やかさや几帳面さがあるから、そばにいると便利」。何とも失礼な話である。
 途端にしかめっつらになった青年たちに、ナレオは続ける。
「ハーヴェイさんが作る卵焼きが、色と形は悪いけど絶品なんだ、って。あと、マッサージが意外と上手ですっごく気持ちいいんだって言ってました。だから今日は、僕も一緒にご馳走してもらえばいいって言われたんです」
「……あの野郎~……さりげなくケチをつけたあげく、いつまでも俺を召使い扱いしやがって」
「お前の作るものは、見かけこそ大雑把だが味はそこそこだと思うぞ。……自分だけでは断られることを想定して、ナレオをダシにしたか。あいつなりに考えたようだな」
「っつーか、なんでナレオに頼まねえんだ? そろそろ、簡単な料理とマッサージくらいはやらせてもいいだろ? ナレオのほうが、文句一つ言わずにやってくれるだろうによ」
「僕は、もうちょっと力をつけてからじゃないとダメだって言われました。だから今、一生懸命鍛えてます! 早くお父さんみたいにたくましくなりたいです」
「逞しく、ねえ……」
 苦笑するシグルドとハーヴェイに、ナレオは真剣に頷いた。可憐な少年の「ダリオ化(ハーヴェイ談)」は、どうあっても止められないらしい。
 細い腕を持ち上げ、懸命に力瘤ちからこぶを作ろうとしている少年の頭に優しく手を置いて、シグルドはハーヴェイに視線を投げた。ナレオが、目を瞬かせて青年たちを交互に見上げる。
「……で、どうする?」
「めんどくせーなあ……ナレオのことがなかったら、絶対に断ったのによぉ」
 そうぼやいたハーヴェイは、再び相棒の肩に寄りかかった。寄りかかられたシグルドも、静かに相棒を見下ろすのみだ。
 そんな青年たちを見たナレオの頭の中に、ふと疑問が湧き上がってきた。
 以前、シグルドに「ハーヴェイをどう思っているのか」と尋ねたことがあったが、本人からは「ライバルだ」という答えが返ってきた。その場では納得したつもりだったのだが、やっぱりちょっと違うんじゃないかな、と思う。
 戦闘に参加するようになってから、仲間たちの話を聞く機会も増えた。周囲の大人たちは、子供のナレオの耳に「大人の話」が入らないように気遣っているようだったが、それにも限界がある。必ずどこかから漏れ聞こえてくるものだし、同世代の少女が、目を輝かせて真実を尋ねに来るのだ。「あなたはあの二人の近くにいるんだから、本当のコトを知ってるはずよね」と。
 何より今は、ナレオ自身が真実を知りたかった。だから、いつの間にか飲み物を手にしている青年たちに少年は、真剣な顔で問う。
「……あの。僕、前から気になっていたことがあるんです」
「お? なんだ、深刻な顔して」
「悩み相談か? 俺たちで良ければ聞くぞ」
「いえ、違うんです。悩みとかじゃなくて、疑問というか」
「なんだよ、もったいつけるなって。いつもハキハキしてるお前らしくねえぞ」
 ハーヴェイが、飲み物をあおりながら先を促す。シグルドは飲み物をナレオにも分けてやるべく、小さなコップに中身を注いでいるところだ。
 二人が焦れて怒り出すのは嫌なので、単刀直入に訊く事にした。
「――シグルドさんとハーヴェイさんって、恋人同士なんですか?」
 ぶはっ!!
 ぼとっ、ばしゃっ!!
 ハーヴェイが盛大に飲み物を噴き出す音と、シグルドの手から飲み物の容器が落ちて、中身がぶちまけられる音がした。ナレオとシグルドが飲むはずだった液体は、みるみるうちに地面に吸い込まれて行く。匂いからするに、酒ではなくジュースらしい。ナレオが来たことで、急遽用意したものだったのだろう。
 激しく咳き込んでしばらく答えられそうにないハーヴェイに代わって、明らかに引きつった表情のシグルドが、やっとのことで口を開く。
「……誰が、そんなことを……」
「いろんな人たちが噂してます。だってお二人は、ライバルとは思えないほど仲がいいから。リタさんも言ってました。〝あんなにくっつきたがるのは、愛し合ってるからよ〟って」
「あ、愛……」
「あのなぁ! 変な噂を鵜呑みにすんなよ! そんな話を信じるなって!!」
 酔っているわけではないのに、二人の顔は耳まで真っ赤だ。違うのなら、どうしてこんなに動揺しているのだろう――そう思わずにはいられない。
「違うんですか?」
「……ああ。確かに俺はこいつといつも一緒にいるし、多少ベタベタしてることは認める。だが、それだけで恋人だっていうのはおかしいだろ。心を許せる奴とのスキンシップは当然のことじゃねえか」
「親愛の情の表し方というのは人それぞれで、ハーヴェイのようにスキンシップの激しい人間もいる、ということだ。それで皆、おそらく勘違いしたんだろう。俺も最初は戸惑ったからな。……そういうわけで、ナレオ。お前は妙な噂に振り回されたら駄目だぞ」
「お前だって成長してもっと立派な海賊になったら、生涯の相棒に恵まれるかもしれないぜ?」
「! は、はい! がんばって、立派な海賊になります!」
 「立派な海賊」という言葉に反応した少年は、無意識に表情を引き締めて姿勢を正す。――今回は、うまく丸め込まれてしまったナレオであった。

 「もう少ししたら行く」という返事をもらい、ダリオの元へと引き返したナレオは、まったく同じ質問をぶつけた。
「お父さん。シグルドさんとハーヴェイさんって、恋人同士なんですか?」
 ブハーッ!!
 どっかりと胡座をかいて酒を呷っていたダリオが、盛大に噴き出した。後輩のハーヴェイに酷似した反応だ。
 ぎょろりとした目をさらに大きく見開いて、ダリオは全身を掻き毟りながら怒鳴った。
「なっ、ナニ言ってやがる! 奴らは野郎同士だ、そんな関係なわけ、ねえだろうがっ!! ……なんだって、いきなりそんなこと言い出すんだ!?」
「お父さん、あまり唾を飛ばさないでください。……戦闘に参加するようになってから、色々な人とお話しするようになって……その中で、お二人の噂を聞くようになったんです。僕も今、とても気になってます。……僕、ぼく……! シグルドさんもハーヴェイさんも大好きだから、お二人のことをもっと知りたいんです!!」
 目を見開いたまま、ダリオは石のように固まった。その手から酒瓶が滑り落ち、瓶から中の酒がどぼどぼと溢れ出す。周囲に酒の匂いが満ち溢れ、ナレオは思わず鼻を押さえた。そんな少年に背を向けて、ダリオは頭を抱えながら情けない声で嘆き始める。
「ああぁぁぁ……! なんだって俺の息子までもが野郎に……! いくらこの島に女が少ねえからって、何も野郎に走るこたぁねえだろぉ、野郎に!!」
「お……お父さん……?」
 おそるおそる声を掛けてくるナレオに、ダリオは物凄い形相で振り返った。ぎょっとしてたじろぐ息子の肩を荒々しく掴んだダリオは、血走った目で言い聞かせる。
「い、いいか! お前は俺の大事なひとり息子なんだ、おかしな道に走ったりするな! だいたい、シグルドとハーヴェイはもう……い、いや。とにかく! あの二人はやめろ、絶対にやめとけ! 虚しい思いをするのはおめえだぞ!!」
「おかしな道って何ですか? ……でも今の話だと、シグルドさんとハーヴェイさんって、やっぱり」
「だあぁぁっもうおめえは気にすんな! 誰だぁっ、うちのナレオに変なことを吹き込んだのは!!」
「お父さん、また唾が……」
 このままでは、父の酒臭い唾にまみれてしまう。唾が飛んで来ない距離まで避難してから、ナレオは、こちらへと近付いてくる人の気配に振り返った。
 約束どおりハーヴェイとシグルドがやって来たものの、彼らは揃って複雑な表情を浮かべていた。ダリオの声があまりにも大き過ぎて、今までの会話は聞こえてしまっていただろう。何とも気まずい。
「……シグルドさん、ハーヴェイさん……」
「こんな時間にぎゃあぎゃあ騒ぐなよ。しかも、ロクでもねえ話ばっかりしやがって」
「ダリオ。お前が騒ぐと、俺たちまで叱られかねないんだ。海賊をよく思わない人々もいるんだし、無用な騒ぎを起こすのは控えてくれ」
「バカ野郎! 元々はてめえらのアヤシイ関係が原因だろうが!!」
「うるせえ! だからそんなんじゃねえっつってんだろ!!」
「二人とも、大声を出すな! もう寝ている人もいるんだぞ」
 互いに今にも掴みかからんとしているダリオとハーヴェイの間に割って入り、シグルドが小声で懸命に仲裁する。それを見ていたナレオは、というと。
「……僕は、素敵なことだと思います。シグルドさんもハーヴェイさんも、一緒にいる時、とても幸せそうだから。僕も、お二人が仲良くしていると嬉しいです。どんな関係であっても、ずっとずっと一緒にいてほしいです!」
「ナ、ナレオ……」
「……」
「……」
 無邪気に言い放つ息子にダリオはあんぐりと口を開け、当のシグルドとハーヴェイは、荒っぽい海賊たちの中にあって純真なままの少年を、目を細めて見つめる。きらきらと目を輝かせているナレオの頭に手を置いて、ハーヴェイは、いつもどおりの不敵な笑みを浮かべた。そして、
「嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。……よし、そんなお前には今度、ハーヴェイ様特製オムレツを作ってやる。俺流だが、最初に食わせたシグルドには結構好評だったんだぜ」
「ほんとですか! うわ~、楽しみだな~!」
「俺は毒見役か。少し焼き過ぎではあったが、初めてにしては、あれはなかなか美味かったな」
「今日はこんな時間だし材料も揃ってねえから、ダリオの指定どおりただの卵焼きだがな。ダリオ、ナレオの分まで食うんじゃねえぞ。父親が息子の成長を妨げてどうする」
「う、うるせえ! 食っても食っても腹が減るんだから仕方がねえだろ!!」
「だからって、ナレオやハーヴェイの分をくすねるのはどうかと思うぞ。またキカ様から晩飯抜きの刑を食らいたいのか?」
「……」
 シグルドの言葉に、ダリオは刑を食らった時のことを思い出したのかすっかり黙り込んでしまい、ナレオは、調理の準備を始めたハーヴェイを後ろからうきうきと見守っている。
(……言い争いをしたり、時にケンカに発展してしまうこともあるけれど……僕はやっぱり、この人たちが好き。毎日が、すごく楽しいんです。僕も、この人たちみたいな強くて優しい海賊になりたい)
 海賊を悪く言う人もいるけれど、今の僕は、とても幸せ者だ。卵の焼ける良い匂いを嗅ぎながらナレオは夜空を見上げ、将来に思いを馳せたのだった。
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