±15cm

 ハーヴェイには、どうしても克服できないコンプレックスがある。それは、年齢の割に低い背丈だ。
 筋肉のつき具合は決して悪くはなく、腕力や体力にも自信はある。外見が女のようだとか、そういう類の心配はない。
 問題は、とにかく背丈だ。下手をすれば成人前の少年より低いかもしれない身長のせいで、どんなに力が強くても、剣技が優れていても「小柄」だと言われてしまう。さらに不幸なことに、彼は「海賊」である。海賊の男たちには大柄な者が多いため、周りを囲まれると、その中に埋もれて見えなくなってしまう。男たちの荒々しいスキンシップによって揉みくちゃにされ、次々と押し寄せる筋肉の波で呼吸困難に陥り、解放される頃にはぐったりしているという有様だった。
 そして今も、酔っ払った男たちからようやく逃れたところだ。実は意外と柔らかい赤茶の髪まで乱されて、すっかりボロボロになってしまった。これではまるで、筋肉ダルマたちに襲われて命からがら逃げて来た後のようで、なんとも情けない。
(くそっ……やっぱり背が低いのは不利だ。なんで成長止まっちまったんだよ……!)
「……ハーヴェイ? 今から帰るのか?」
 正面から声を掛けられ、ハーヴェイは、弾かれたように顔を上げた。俯いたまま乱れた髪を直していたために、目の前に立つ相手に気付かなかったのだ。
「またひどく揉まれたみたいだな。頭が凄いことになってる。……俺は、たった今終わったところなんだ。最近、ペンを持つような仕事はほとんど任されることになってしまってな。おかげで肩が凝って……」
 笑いながら言う青年の端正な顔は、頭一つ分上にあると言ってもいい。彼は細身のくせに、身長がハーヴェイより15cmも高いのだ。横幅はともかく、上背だけは数十人もの男たちを上回る。やっぱり悔しい。
 しかし、ここで八つ当たりしても仕方がない。何とかこらえて、長身の青年――シグルドを見上げると、ハーヴェイは左腰に手を当てて、相棒を軽くねぎらった。
「ごくろーさま。……けどよ、少しは他の奴にも回したらどうだ? どうもお前って、面倒事を全部引き受けてる気がするんだよな」
「じゃあ、お前に半分頼んでもいいか?」
「パス! 俺は例外!」
「……」
 手をひらひらと振って横を通り過ぎて行くハーヴェイの後に、苦笑いを浮かべたシグルドが続く。
 いつもどおり揃って部屋へと戻って行く二人の後ろから、冷やかしの口笛大合唱が聞こえてきた。

 部屋に入るなりハーヴェイは、豪快にベッドへダイブした。
 乱暴に脱ぎ捨てた靴が壁に当たって床に落ち、中途半端に外してあった右肩と左腕の装身具が、ベッドの上から床に転がり落ちる。
 溜め息と共に、シグルドはそれらを拾い集めた。本人が動く気配がないので、代わりに棚の上へと置きに行く。
 突っ伏したままの相棒のそばに歩み寄り、シグルドは静かに腰を下ろした。共にいる時間が長いと、相手の感情の動きにも敏感になってしまうらしい。
「……で。何をねてるんだ?」
「……ねてなんかねえよ」
「あからさまじゃないか。何も言わずに突っ伏すなんて」
「……疲れたんだからしょうがねえだろ」
「俺には根掘り葉掘りくくせに。……まあ、俺は誰かさんと違って、無理強いはしないからな。これ以上は追求しないでおこう。お前もいい大人なんだし」
 あっさりと話を切り上げたシグルドが、ベッドから立ち上がる気配。既にこちらに背を向けている相棒へ、顔を上げたハーヴェイは、らしくもなくうめくように呟いた。
「……せめてあと、5センチあれば」
「……何?」
「5センチあれば、人生変わってただろうな。……ちくしょう。なんでお前はそんなに背が高いんだよ」
「……まさか、そのことでねていたのか……?」
「だあっ、うるせえな! どうせお前には一生分かんねえだろうけどな! 俺にとっては、深刻な悩みなんだよ!!」
「……」
「あっ、てめっ……! 今、笑ったな? 笑いやがったな!?」
「……笑ってない」
「絶対笑った! じゃあ、なんで顔を背けやがる!」
「……すまん、やっぱり、笑……っ」
「!!」
 息も絶え絶えに「笑う」宣言をしてしまったシグルドは、口元を手で覆って体を震わせ、声を殺して笑い始めた。相棒の非情な仕打ちに、ハーヴェイの顔色はいったん青ざめてから真っ赤に染まる。話さなければ良かったと後悔しても、もう遅い。
「くそっ! もうお前には悩みなんか話さねえ! 見損なったぜ!!」
「っはは……悪かったよ、もう治まったから。でも、深刻に悩むようなことじゃないと思うぞ? 海賊の男の中では小柄なほうかもしれないが、一般の男としては平均的なはず。背が高くても、高いなりに悩みがあるさ」
「……よくあちこちで頭ぶつけてるよな、お前」
 すぐに平静を取り戻したハーヴェイに呆れたように言われ、シグルドは苦笑を浮かべながら、自らの額に手を当てた。そして、
「そうそう。ちょっと考え事なんかして歩いてたら、激痛と同時に星が飛ぶ。高過ぎるのも問題だよ。あと5センチ低かったらちょうど良かったのにと思ってる。……俺の身長を、お前に5センチ分けられたらな」
「貰えるものなら貰いたいぜ。女なら多少小さくても可愛いで済むけどな、男にとってはマイナスだ。俺たちの場合、身長差があり過ぎるから余計に目立つんだろうけどな……」
 シグルドが手を下ろすのと入れ代わりに、ハーヴェイが自らの頭に手を当てる。わずかに口を尖らせて面白くなさそうな顔をしているハーヴェイに、シグルドは穏やかな口調で慰めの言葉をかけた。
「だが、お前には優れた剣技と機敏さがある。自由に動くには、少し小柄なほうが断然有利だ。腕力に体力、それに足の速さだって、お前のほうがずっと優れている」
「ま、どんなに願ったところで、いきなり伸びたり縮んだりするわけでもねえからな。無いものねだりをするくらいだったら、今持ってる長所を最大限に生かすまでだ」
「それなら、最初から悩む必要なんてなかったじゃないか。……さて。落ち着いたところで、一杯付き合ってくれないか? いくら強くなくても、酒を一滴も口にしない海賊なんて〝らしくない〟だろうからな」
 穏やかに微笑んで、シグルドは棚の中からお気に入りの酒瓶と二人分のグラスを取り出した。相棒の柔らかい声を聞いていると、先ほどまで昂っていた心が、次第に落ち着いて行く。
 テーブルに酒瓶とグラスを置いたシグルドの肩に、立ち上がったハーヴェイが体重を預けて頭を押し付ける。――15cmの身長差も、悪いことばかりではない。
「……どうしても不便だったら、お前を座らせればいいもんな」
「どうせ、力ではお前に敵わないからな。下手にあらがっても、俺が後で筋肉痛に悩まされるだけだ」
「じゃあ、本気で抵抗したことがあったのかよ」
「いや、最近は無い。お前と仲が悪かった頃は、本気だったんだがな」
 ハーヴェイの頭の上から、シグルドの囁くような声が聞こえる。それがとても心地良くて、ハーヴェイは、しばらく相棒に寄りかかって目を閉じた。寄りかかられていることによって動きを封じられてしまったシグルドは、困った顔をしながらも、相棒の気が済むまで好きにさせておくことにする。
 頭一つ分下にある赤茶色の柔らかい髪からは、潮風と太陽の香りがした。
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