君は僕の、◯◯

 青く輝く湖が美しい風光明媚なリージョン、オウミ。街の中心部から離れた閑静な住宅街は今、新たな二人組の住人の話題で持ちきりだった。
 移住者自体は珍しくはなく、大抵の者はすぐに馴染むのだが、二人組の住人に特に女性たちが色めき立っている理由は、その見た目にあった。
 一人は長く淡い金髪を頭の高い位置で結った、少しツンとした印象の青い瞳の美青年。
 もう一人は解いた長い銀髪の、片割れよりは幾分柔和な雰囲気を持つ紅い瞳の美青年。
 彼らは髪と瞳、まとっている衣服の色こそ異なるが、まったくといっていいほど同じ顔立ちをしていた。――そう、話題になっている二人組の住人とは、美しい容姿を持つ双子の兄弟のことだったのだ。
 こんな二人を、女性たちが放っておくはずもなく。青年たちがオウミに住み始めた翌日から、さっそく“挨拶ラッシュ”が始まった。

「これ、うちからのお裾分けです。よろしければ、夕飯にどうぞ」
「いいんですか? ありがとうございます」
「今日は旦那が出張で帰って来ないのを忘れていたので、お料理を作り過ぎちゃって……良かったら、少し貰ってくださいません? お二人のお夕飯の足しにしていただけたらと」
「ありがとうございます。では、ありがたくいただきますね」
「お近づきの印に。わたくし、料理の腕には少しばかり自信がありますの。ああ、お鍋は明日返してくださればいいわ。手作りスイーツをご用意しますので、ぜひお二人でお越しくださいね」
「は、はあ……ありがとうございます。そうさせていただきます」
 三人目の来客から渡された二つ目の鍋を持って部屋へと戻ってきたルージュを見て、テーブルに並べられた料理入りの皿と一つ目の鍋を眺めていたブルーが苦い顔をする。
「……これはどう見ても、二人で食べ切れる量ではないぞ。三人目が来た時点で、なぜ断らなかった?」
「そう簡単には断れないよ。ご近所付き合いは大事だって言うから。食器の返却のこともあるし、頑張って食べるしかないね」
「俺たちは、多数の人間から施しを受けるほど飢えているように見えるのか……?」
「そういうことじゃないと思う。……三人目の人からは明日、手作りスイーツを用意して待ってるとまで言われたよ」
「随分と強引な奴だな。……それで? 誘いに乗ったのか?」
「今回はね。二人で来てほしいって話だったよ」
「……」
 ますます渋面を作るブルーを見て、ルージュは小さく溜め息を吐く。
「まあ、昨日の今日だからね。好意は素直に受け取っておこう。付き合っていくうちに、徐々にいい距離感を掴んでいけるはずだ。とりあえず明日のお宅訪問時は愛想良く、ね?」
「分かっている。……その好意とやらがエスカレートしなければいいんだがな」
 ブルーの遠慮のない呟きに、懸命に前向きな言葉を選んでいたルージュの不安が一気に増した。

 翌日。
 一人目と二人目の女性に食器を返却し、更なる料理の“お裾分け”を丁重に断った二人は、料理の腕には自信があると豪語していた三人目の女性の家へと向かった。
 彼らは終始にこやかに応対し、約束通り女性の手作りスイーツをいただいた上、たくさんの土産を持たされて帰宅した。土産をテーブルに置いた直後、ブルーとルージュは、ほぼ同時にソファーに崩れ落ちる。
「つ、疲れた……ね? 断れる雰囲気じゃなかっただろう?」
「……ああ。初対面にもかかわらず、あんなに押しの強い女は初めてだ。お前が一緒でなければ、取り繕うことをやめていたかもしれん」
「それはまずいよ。君が本性をあらわにしたら、僕の印象まで最悪になってしまう」
「おい、それはどういう意味だ」
 ブルーがルージュを軽く睨んだ直後、玄関の呼び鈴が鳴った。二人は反射的にびくりと体を震わせ、青い青年がたまらず声を上げる。
「今度は何だ!」
「しっ、外に聞こえるよ。――はい」
「あ~俺だ、IRPOのヒューズだ。……その声は、礼儀正しいほうのルージュだな?」
 「礼儀正しいほう」。その言葉に、ブルーが露骨に顔をしかめる。そんな彼を置き去りにして、玄関へと歩いて行ったルージュは扉を開けた。そこには名乗った通りの男・ヒューズと、妖魔隊員のサイレンスの姿があった。
「ヒューズに、サイレンス! よくここが分かったね」
「よう、ルージュ。元気そうだな。ブルーもいるんだろ?
――ふふん、IRPOの情報網を舐めてもらっちゃ困る……っていうのは半分ウソで、俺だけの力じゃこんなに早くは捜し当てられなかったがな。ヌサカーンとの古い付き合いが功を奏したってワケだ。君になら、ブルーとルージュの居所を教えても問題はないだろうってさ」
「そうか、ヌサカーンが……」
 ヒューズとルージュが話している後ろから、すぐにブルーも姿を現した。だが彼は腕を組み、壁に寄りかかりながらヒューズを不機嫌そうに見つめる。
「……『礼儀正しいほう』ではなくて悪かったな」
「ブルー、お前も元気そうで何よりだ。……が、まったく……相変わらず可愛げのない態度を取りやがって。ちっとはルージュを見習え。そんなだから、なかなか人が寄り付かないんだぞ」
「別に構わん。わざわざ人気取りなどするつもりもないからな」
「やれやれ……せっかく容姿に恵まれてるってのに、もったいないこった。お前らのその見た目じゃあ、女子が放っておかないだろうに。聞けば、俺たちがここに来る直前まで近所のご夫人の家に揃って上がり込んでたって話じゃないか。なあ、サイレンス?」
「……」
 どうやら三人目の女性の家から出てきた所を、サイレンスに目撃されていたらしい。だがやましいことは一切無いので、二人は素直に認めて頷く。
「ああ。いただいた料理が入っていた鍋の返却ついでに、手作りの菓子をご馳走されてね。でも、本当にそれだけだよ。家に上がるように言ってきたのは彼女のほうだし、そもそも、旦那さんも子供さんもいる人だし」
「相手が既婚者だろうが未婚者だろうが、色恋沙汰には興味がない。そういう話がしたいのなら、他を当たれ」
「そうは言うがなぁ。お前ら、一生二人きりで暮らしていくつもりか? そりゃ今までのことを考えたらしばらくはそれでもいいかもしれないが、ある日突然どっちかが恋に落ちて、どこかの女と家庭を持つようになる可能性だってあるんだぜ。これから先、出会いがないとは言い切れないワケだ――グフッ!? おいコラ、サイレンス! 脇腹にエルボーするたぁ何事だ!」
「……! ……」
 突如ヒューズの脇腹に肘打ちをお見舞いしたサイレンスが、わずかに怒っているような仕草を見せた。彼の言わんとしていることを理解できる者は、基本的にIRPOの隊員だけだ。
「……何? 『彼はここに来る前に酒を飲んでいた上ナンパに失敗した腹いせから、いつも以上にお節介になっている、許してほしい』? よ、余計なことを言うんじゃねえ! それに、判断力が鈍るほどは酔ってねえよ! 俺は本心からブルーたちの将来を心配してだな……」
「……」
「『……もういい、邪魔をした』? って、勝手に仕切るな! 引っ張るな――」
 サイレンスはまだわめいているヒューズの腕を掴み、軽く一礼して去って行った。再びしんと静まり返った玄関で、ブルーとルージュはしばし茫然と立ち尽くす。
「……何をしに来たんだ、あいつは」
「かつての仲間の一人として、僕たちの様子を見に来てくれたんだろうけど……何かもっと大事な用があって来たんじゃなかったのかな?」
「そうは見えなかったぞ。サイレンスが言っていたとおり、ただのお節介だったのだろう。……本当に、余計なお世話だ。色ボケ男め」
 苦々しく呟いて部屋へと戻って行くブルーの後ろ姿を、ルージュの視線が追う。
(……ブルーや僕に別のパートナーができる可能性なんて、考えたこともなかったな……)
 衣服の色と同じ紅い瞳が、戸惑いと不安に揺れた。

 それからも、近所の女性たちからの“挨拶ラッシュ”は続いた。時には少し遠くの家からもやって来て、美しい青年たちにおのれの顔と名前を覚えてもらおうと、各々おのおのがアピールして帰って行った。
「……こうも頻繁に女共が押し寄せて来るとは。そろそろ居留守を使ってもいいのではないか? もしくは、本当に留守にするか」
 げんなりした様子のブルーに、引き続き来客の相手をしていたルージュも、力ない笑みを浮かべる。
「物凄い勢いで僕たちのうわさが広まっているみたいだね。どうやら、挨拶回りには行かなかった遠くの家からも人が来ていたようだよ。……にしても、今日もたくさん食べ物を貰ってしまったね。主菜は豊富だけど主食になるようなものがないし、今から買い物に行こうか」
「それはいいな。何なら、ここ以外のリージョンへ行ってもいいぞ」
 ルージュの提案に、ソファーに座っていたブルーが即座に賛同して立ち上がる。家の周りに誰もいないことを確認すると、二人は早足で商店街へと向かった。

「あっ! ……ルージュ!?」
 店で買い物をしている最中に背後から声を掛けられて、ルージュが振り返る。そこにいたのは中性的な雰囲気を漂わせる緑髪の少女、アセルスだった。そばにはメサルティムもいるが、彼女たちの表情は、どこか引きっている。
「アセルス! メサルティムも。二人とも、元気そうだね」
「ええ、おかげさまで。……ですがルージュ様、あなたは……」
「そうだよ。あの人――オルロワージュをたおしてから、君は姿を消した。その後間もなく、麒麟と時の君が何者かにたおされたと知って、術の資質を集めていた君たちが関わっていると思った。そのすぐ後にマジックキングダムが壊滅して、“一人の完全な術士”が帰郷したと――その術士は金の髪に青い法衣をまとっているっていううわさを聞いて、ルージュはいなくなってしまったんだと知ったんだ。なのに、どうして……」
「……」
 アセルスたちが、ルージュとブルーを交互に見つめる。ブルーは無表情で少女たちを見下ろしていたが、やがてルージュが、ゆっくりと口を開く。
「とりあえず、僕は本物だよ。安心して。……まあ、僕たちにも色々あってね。話せば長くなるし、こんな場所で話すことでもないから、今度、僕たちの家に遊びにおいでよ。そちらの話も聞きたいしね」
「そうだね。そうさせてもらうよ。……取り急ぎ報告すると、あの人をたおしたことで闇の迷宮は消滅したから、白薔薇を救い出すことができたよ。でも、どれだけ呼びかけても深く眠ったままで……」
「……そう。早く目覚めるといいね」
 死んだと思っていたかつての仲間と再会できた喜びからかアセルスの話は止まらず、そんな彼女に、ルージュは穏やかな表情で相槌を打っている。買い物も中断されてすっかり蚊帳の外となったブルーは、二人の話が終わるのをただ待つしかない。
 それぞれが旅をしていたのだから、それぞれに異なる仲間がいるのは当然のことだ。おのれにも、旅の最後までついてきてくれた仲間たちがいる。口にはしなかったが、友情さえ感じた者もいたくらいだ。
 ふと、ヒューズの言葉を思い出す。『ある日突然どちらかが恋に落ちて、女と家庭を持つ可能性だってある。これから先、出会いがないとは言い切れない』。ルージュは、このアセルスという少女のことをどう思っているのだろう? 随分親しげに話しているが、この二人の間には、どんな感情が存在しているのだろうか?
(……何だ、このもやつきは)
 いつまで待たせる気だと話を中断させれば済むことなのに、なぜかそれができない。理由の分からないモヤモヤを胸に抱えながら、青い青年は、無言でその場に立ち尽くした。

「ごめん。つい話し込んでしまって」
 シップ発着場の方角へと向かって行ったアセルスたちを見送ってから、ルージュはかたわらのブルーに謝った。ブルーはいまだ消えない胸のモヤモヤを表に出さぬよう、努めて冷静に答える。
「別にいい。人当たりのいいお前のことだ、女子供に懐かれるのも道理だろう」
「アセルスはただの“女子供”じゃないよ。元々は僕たちと同じ人間だったけど、今は亡き魅惑の君・オルロワージュの血を受けたこの世でただ一人の『半妖』なんだ。その血のせいで数奇な運命に翻弄されて、大切な人を失って、魅惑の君を自らの手でたおして自由を得たはずの今もなお、新たなファシナトゥールの君主になることを求められている。そんな彼女に関わった身としては、行く末が気にならないわけがないだろう」
「……ふん、随分とあの娘にご執心だな。そのうち家に呼ぶ約束まで取り付けて、相当感化されたと見える」
 半ば吐き捨てるように言ってそれきり黙ってしまったブルーにルージュは再度謝ろうとしたが、ふと違うことに思い当たり、明らかに不機嫌そうなその横顔を凝視する。
(……あれ? まさかとは思うけど、……嫉妬、されてる……?)
 自分だけ蚊帳の外だったことに対してはもちろん、おそらくは、異性であるアセルスと親密に話していたことに対しても。――これはすぐに、誤解を解かなければならない。こんなことでブルーと険悪になるのは御免だ。ルージュは手早く買い物を済ませると、既に店を出て歩き出しているブルーに、小走りで追いつく。
「待ってくれ、ブルー。僕は別に、アセルスに恋愛感情を抱いているわけではないんだ」
「!」
 前を行く青年の肩がぴくりと震えたのを、ルージュは見逃さなかった。彼はそのまま前方へと回り込み、真正面からしっかりとブルーを見据える。
「……やっぱり誤解しているね。今言ったことは本当だよ。彼女は見た目が子供だから妹のように思っている部分はあるけど、恋愛対象としては見ていない。そもそも、女性にそんな感情を抱いたことはない」
「……突然何を……」
「完全な術士を目指すには、不要な感情だった。君もそうだっただろう?
……ヒューズはあんなことを言っていたけど、僕は、僕たちの間に他人は介入してほしくないと思ってる。かつての仲間と普通に交流する分には構わないし僕もさせてもらうけど、もし君が他の誰かと新たな人生を歩むなんてことになったら……仕方がないことだと身を引くことはできるかもしれないけれど、きっと、祝福はできない」
「……!」
「……我儘わがままを言ってごめん。僕、おかしなことを言っているよね。でもブルーが機嫌を損ねてしまったのは、僕とよく似たことを思っていたからなのかと自惚うぬぼれてしまって……」
 次第に声が小さくなり、自信なげに俯いたルージュを、今度はブルーが正面から見据えた。対照的な性格に見えて根は同じなのだなと改めて感じ、やがて、自らの思いをぎこちなく口にする。
「お前……穏やかな態度の裏で、そんなことを考えていたのか」
「……本当にごめん。何なら、聞かなかったことにしてくれても……」
「何度も謝るな。……お前の言ったことは、図星だ」
「……え?」
「それに、自惚うぬぼれなどではない。やはり、俺とお前は似た者同士だな。再び二人に分かれても、考え方がほぼ同じだとは」
「ブルー……じゃあ、君も……!」
「……ああ。お前の口から真実を聞かされたのだから、これ以上は何も言うまい。……もういいだろう。皆まで言わせるな」
 顔を背け、再び早足で歩き出した青い青年が、紅い青年を追い越して行く。
 ブルーが自分と同じ気持ちでいてくれたことが、こんな自分でも受け入れてもらえたことが、途轍とてつもなく嬉しい。一度も振り返らずに前を行くブルーの後ろに、ルージュはどこかうきうきとした足取りで続いた。

 自宅に着くと、ルージュの喜びはますます抑えられなくなった。家に入ればブルーと二人きり、他人の目を気にする必要もない。こんな感情を誰かに抱くのは初めてで――それは、よりにもよって実の兄弟に対してだったが――この溢れんばかりの喜びと愛おしさを、不器用な彼になんとかして伝えたい。店で買った食材をテーブルの上に置くと、早くもソファーに座って一息ついているブルーの隣に、ルージュはほとんど距離を空けずに腰掛ける。
「……近い。もう少し離れて座れ」
「ふふ。こんなに嬉しくて幸せな気持ちになるなんて、生まれて初めてだ」
 体を傾けて寄りかかってきたルージュにブルーは一瞬身を強張らせたものの、押し退けようとはしなかった。服越しにルージュの重みと温もりを感じながら、ブルーは、いつもより声を和らげて答える。
「……大袈裟だな。俺はお前の自由を奪い兼ねん狭量な男だぞ」
「それを言うなら、僕だって。もしあの時の立場が逆で、君が仲間の誰かととても親しげにしていたら……さらにそれが女性だったら、絶対に一人でやきもきしていたと思う。話が終わった途端に、どういう仲なのかいたりしてね。僕のほうが、よっぽど狭量かもしれないよ。
……これからもずっと、二人で穏やかに暮らして行きたい。君が隣にいてくれれば、他に何も要らない。僕にとって君は、……も、同然の――」
「俺が、何だ? ……おい、ルージュ?」
 ブルーが隣を見ると、ルージュはおのれに寄りかかったまま、目をつむってうとうととし始めていた。ルージュもまたブルーの体温を感じて、安心しているのだ。まるで子供のような彼に呆れたと同時に今まで感じたことのない愛おしさが込み上げ、真っ直ぐに座っていたブルーもそっと、ルージュへと体重を預けて寄り添う。
「……子供か」
 ブルーの小声の呟きに、ルージュが小さく笑う。
「……ふふ。ブルーの体温を感じていたら、急に眠くなってきてしまって。今日も、色々あったから……少し、眠らせて」
「本当に、少しだけだからな」
 ブルーの囁くような返答を聞いて間もなく、ルージュは本格的にすやすやと寝息を立て始める。そんな彼につられるようにブルーにも睡魔がやってきて、やがて二人は、揃って深い眠りに落ちて行ったのだった。
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