君と共に歩む道

「――夢を見た。『地獄』とよく似た場所で、お前に光の向こうへと導かれる夢を。覚えはあるか?」
「君が眠っている間、僕は毎日、君を呼んでいたよ。それがブルーの中で、今までの旅の経験をもとに視覚化されたんじゃないかな。ヌサカーンが言っていたとおり、僕は彼自身の力はもちろん、様々な条件が揃った中で蘇ったから」
「まさか、魔術空間に残っていたお前の思念や残骸を拾っていたとはな。あの妖魔、先のことをある程度予測した上に『地獄の君主』を倒すまで、自らの力を行使する機会を窺っていたわけか。つくづく油断ならん奴だ」
「でも、僕たちがこうして平和に話すことができているのは、間違いなく彼のおかげだ。上級妖魔の彼にとってはほんの戯れに過ぎなかったみたいだけど、彼には感謝してもしきれない。ブルーだって旅をしている間、何度も助けられたんだろう? だから、ちゃんと敬意を払わなきゃ駄目だよ」
「無礼な態度を取っているつもりはないんだがな。きちんと一目置いている」
「それならいいけど。――実は、他にも助けられていることがあるんだ。キングダムはまず間違いなく、『地獄』を封印した後に行方をくらました『完全な術士』を捜している。けれど、僕たちの所在は今、彼の力によって隠されている。効力が及ぶのはこの裏通り一帯と、クーロンの街中のみだけどね。この一週間、僕は色々なリージョンへ行っていたけど、極力滞在時間を短くしていたから、幸いまだ見つかってはいない。かと言って、いつまでもここに隠れているわけにもいかない……」
「……」
「ヌサカーンには温暖なオウミでの療養を勧められているけど、彼の庇護から離れれば、キングダムに見つかる危険は格段に高まる。あの国には『地獄』の恒久的な封印と、王国を復興・維持出来得るただ一人の“英雄”が必要だから、僕たちの今の状態を知ったら、再びの殺し合いを求めてくるだろう。
――真実を知ってしまった今、僕はキングダムに戻るつもりも、従うつもりもない。……君は?」
「……俺は――」

「まともに話はできたか?」
 少し時間を置いて部屋へと入ってきたヌサカーンが、二人を交互に見回した。話し疲れたのかブルーは再び眠りに落ち、ルージュはベッドのそばの椅子に座ったまま、眠るブルーを見つめている。
「はい、いくらかは。……オウミでの療養は承諾してくれましたが、キングダムの人間と出くわしたらどうするかは少し考えさせてくれ、と」
「……そうか」
「ブルーと“意識”を共有していた時は互いを理解し合えていると思っていたけれど、こうしてまた別々の人間に戻ってみると、心の内を知るのは難しいですね。……最初に予想したとおり彼はキングダムに戻って、王国の体制を正す選択をするんだろうか……」
 最後は独り言のように呟いてしばし口をつぐんだルージュだったが、気を取り直すように一息吐くと、ブルーから徐々にヌサカーンへと視線を移す。
「……でも、まずはブルーの回復が優先だ。今のブルーでは本領は発揮できないし、彼が本調子になるまでは、僕が守ると決めたのだから。
――僕は今までどおりあちこちを回るついでに、オウミで借りられそうな家を探そうと思います。長居はできないので、本当に少しずつになりそうですが。引き続き、ブルーをお願いします」
「分かった。……今日はもう休むといい。君にも、充分な休息と睡眠が必要だ」
 ヌサカーンの言葉にルージュは、おのれが思っていた以上に疲れていることに気付いた。ブルーが無事目を覚ましたという安堵感と今後への不安、どこへ行くにも気を張っていることによる気疲れが一気に押し寄せ、椅子の上で崩れ落ちそうになる。
「そう、ですね。そうします」
 よろよろと立ち上がり、もう一度ブルーを振り返る。そして、
「……おやすみ、ブルー。また明日」
 そっと囁き、部屋を後にした。

 ルージュが出かけている間、ブルーは懸命に体力の回復に努めた。眠る時以外はベッドには入らず身の回りのことは一人でこなし、時にはヌサカーンと共に家の外や下水道の魔物と戦闘を重ねることで、少しずつ勘を取り戻していった。
「だいぶ動けるようになったみたいだね。今のところキングダムの人間の姿も見ていないから、家探しは順調に進んだよ。――僕がいいと思った家は、2軒。明日、実際にブルーにも見てもらって、どちらがいいか一緒に決めてほしいんだ」
 ルージュの提案に、彼がオウミで買ってきた魚の惣菜をつついていたブルーが、口の中をからにしてから答える。
「俺はある程度静かな場所であれば、他に特にこだわりはない。あまりに不便では困るが」
「うーん、静かという条件は満たしていると思うけど、その分、2軒とも中心部からはやや離れているね。利便性が良さそうな場所はやっぱり人気らしくて、全然空いていなかったんだ。……まあ、ちょっとした運動になると思えば。あまり動かない生活をしていたら、体がなまってしまうしね」
「歩くのは苦ではないが、実際に住んでみなければ良し悪しは分からんからな。……近隣に厄介な奴がいないことを願うばかりだ」
「……確かに」
 新しい環境への期待と少しの不安を抱きながらも、二人は早めに眠りについた。

 ――翌日。ブルーとルージュは、いよいよ揃ってオウミへ向かうことになった。
 ブルーが『リージョン移動』を手にするとゲートが開き、海中を思わせる空間の中にリージョン・サインが煌めく。オウミのリージョン・サインはこのリージョンの特徴である青い湖をそのまま球体にしたようなもので、「水の都」のシンボルそのものだ。ブルーは迷わず青い水の球体を選択し、二人の姿は瞬時にしてその場から消える。
「……何事もなければいいのだがな」
 見送ったヌサカーンは彼らが消えた空間を静かに見つめ、一人呟いた。

◇◇

「……まさか、二人でこの景色を見ることになるなんてね」
「……そうだな」
 街の中心部から居住区へと向かいながら、広く青い湖を眺める。水面に太陽光が反射してキラキラと輝く様は、とても美しい。湖から吹く風も心地良く、もうすぐこの風光明媚なリージョンに住むのだと考えて、二人は自然と心を弾ませる。
「でもオウミの一番の思い出といったら、やっぱり領主の館の地下での戦闘だな。巨大なイカが通路を塞いでいて……」
「やはりお前も体験していたか。奴の目の前で罠に嵌った時は腹立だしかったな。落とし穴に落下した途端に笑い声のようなものが聞こえてきた。その後全力で奴と戦ったが、とても苦戦した覚えがある」
「君もだったか。クラーケンとは違う個体みたいだけど、僕と当時の仲間たちもかなり苦戦を強いられて――」
「――やっと見つけた。だが、なぜ二人いる?」
 突如背後から聞こえた声に、和やかに思い出話に浸っていたブルーとルージュの顔が凍り付いた。ぎこちなく振り返った先には、一目で術士と分かる法衣をまとった三人の人物。彼らに囲まれて育ってきた二人が見間違えるはずはない――マジックキングダムの術士たちだ!
「……あ……」
「……っ!」
「久しぶりだな。確か、生き残ったのはブルーのほうだったか。君たちは決戦後に一人の完全な術士となり、『地獄』へと向かったはずだ。現在『地獄』は固く封印され、魔物の気配も消えている。初めは君たちごと封印を成し遂げたのかと思ったが、引き連れていた仲間たちも巻き込んだとは思えなくてな。その強大な魔力をもって『地獄』を脱出し、どこかで生きていると信じて捜し続けていたのだが……なぜまた、二人に分離している? これはどういうことだ?」
「いったい、どんな秘術を使ったのです?」
「まさか使命を放棄して、二人で仲良く暮らそうなどと言うのですか?」
 三人目の術士の言葉を聞いて、ルージュが先に動いた。再び迷いを見せたブルーを庇うように立ちはだかり、彼は険しい表情で言い放つ。
「……それの何が悪い。一人の人間を人為的に分け、双子となった人間たちが殺し合うように仕向けて、地下にあんなものを隠しておいて……その上まだ、キングダムの傀儡かいらいとなれと? 貴方たちに振り回される人生なんて、もう御免だ。これからは、僕たちの思うように生きる。ブルーとはごく普通の兄弟として、家族として生きて行くつもりだ」
「愚かな……本当にキングダムを裏切ると言うのか!」
「そういうことになるな。ともかく、僕はもうキングダムに戻るつもりも、貴方たちに従うつもりもない」
 ルージュの紅い瞳が燃えるように輝き、三人の術士たちを圧倒する。だが先頭に立つ術士は諦めず、今度はルージュの後ろにいるブルーに話しかけた。
「ブルー。決戦に勝利し、直接キングダムの惨状を目にした君ならば、どうすればいいか分かるな? 地下の施設では随分ご立腹だったようだが、少なくとも子供たちのことは護りたいと思うだろう? そのためには、人並み以上の強い魔力を持った術士が必要なのだ。キングダムを再建・復興し、『地獄』の封印を維持するための、唯一無二の存在が。再び封印が解け、無垢な子供たちが『地獄』の者どもに蹂躙じゅうりんされる様を、君は見たいのか?」
「……」
 無言つ無表情で俯いているブルーを、ルージュはやや不安そうに振り返る。
「……ブルー……」
「君はルージュのような愚か者ではないと信じているよ。さあ……忠実なる“英雄”よ、目の前の愚者を討ち、再び完全な術士となって我々の元へと戻って来るのだ。キングダムと、すべてのリージョンの未来のために!」
 ブルーを迎え入れるように両手を広げた術士を、“英雄”と呼ばれた青年は、青く冷たい双眸で睨み付けた。顔を上げた彼はゆっくりと足を踏み出し、おのれの前に立つ紅い青年と並ぶ。
「――断る」
「……何?」
「キングダムのしがらみから解放され、普通に生きたいと願うことが愚かだと言うのなら、俺も愚か者だ。さんざん人の運命をもてあそんだあげく、まだ俺たちにすがるだと? 貴方たちとて、キングダムの守護者たる人間だろう! 俺も、貴方たちの命にこれ以上従うつもりはない。これからは、おのれの生きたいように生きて行く。真の自分の人生を、取り戻す」
「……!」
 ルージュがやや高揚した様子でブルーに目をると、視線を返したブルーも小さく頷いた。――交渉決裂。二人は術士たちと対峙し、三人の術士たちは、冷たく目を細める。
「……どうあっても我々に背き、故国を裏切ると言うのだな。残念だよ」
「ああ……私たちの希望が……」
「矯正しますか?」
「致し方あるまい。――我らが英雄に、粛正を」
「我らが王国に、栄光と繁栄を」
「我らが王国に、永遠なる安寧を」
 先頭に立つリーダー格の術士とブルーがほぼ同時に放った魔力の鎖が激しくぶつかり合い、不快な音を立てた。しかしすぐに魔力で勝るブルーの鎖が術士の鎖を打ち破り、押し負けた術士を襲う。
「ぐあっ!」
「リーダー! 今、マヒを解きます! ……杯!」
「……くっ、ヴァーミリオン――」
「――サイキックプリズン」
「うああっ!」
 部下の術士の攻撃術は即座にルージュが阻み、その間にブルーが、直後にルージュも詠唱もそこそこに、素早く次の術を発動した。
「超風!」
「ヴァーミリオンサンズ!」
「うわあああ――」
 吹き飛ばされ、巻き上げられ、三人の術士たちはなすすべもなく地面に叩きつけられた。魔力においても素早さにおいても、まったく敵わない。双子ゆえの魔力の高さもあるが、二人は数えきれないほどの実戦経験を積んだ身だ。改めて力の差を見せつけられ、地に倒れ伏したリーダー格の術士は、顔と両手を上げて降参の意を示した。
「まいった! やはり我々と君たちでは、あまりにも力が違い過ぎる。これ以上やり合うのはやめよう。ここで我々が命を落としたら、キングダムを守護する者が本当にいなくなってしまう」
「……今のが貴方たちの本気だったというのか? これでは先が思いやられるな。今の俺たちは、完全な術士ではないというのに」
 蔑むように見下ろしてくるブルーとルージュへ、のろのろと起き上がったものの膝をついているリーダー格の術士が、切実に頼み込む。 
「そう思うのなら、キングダムに戻って来てくれ。この際、片方だけでもいい。また魔物が現れでもしたら、とてもじゃないが我々だけでは対処ができん」
「しつこいぞ。断ると言っている。……だが」
 言葉を区切ったブルーは、かたわらに立つルージュと三人の術士たちを交互に見回した。そして、
「もしキングダムに危機が迫った時は、ルージュと共にすぐに駆け付けよう。これも、おのれの生きたいように生きることの一環だ。だから今しばらくは、そっとしておいてほしい。――これなら異論はないな? ルージュ」
「ああ、それなら構わない。その時はキングダムのために、僕たちの魔力を存分に役立てると約束しよう。ただし、必要以上の介入はしない。それは覚えておいてくれ」
「……分かった。だが我々は、いつでも君たちを歓迎するよ。我々にとって君たちは紛れもなく“英雄”であり、王国の、子供たちの救世主なのだから。――さらばだ、ブルー、ルージュ」
 マジックキングダムの術士たちはゲートを開き、少々名残惜しそうに故郷へと帰って行った。そんな彼らを、二人は無言で見送る。
「……とりあえず一件落着、か。これで心置きなくリージョン間を移動できるし、オウミに住むことができる」
「あっさり引き下がってくれて助かったな。下手に意地を張られていたら、殺してしまっていたかもしれん。奴らにはキングダムの再建と復興、子供たちを護り育てるという大切な務めがある。……もしお前が蘇生していなければ、俺はキングダムへ戻ってあの国の悪習を絶ち、復興と発展のために生涯を捧げていただろう」
 ブルーの言葉に、ルージュは目を見開いてその横顔を見つめる。
「……君は、本当はそうしたかったのかい?」
「俺は、そんな生き方しかできないと思っていた。だが今は、お前が隣にいる。お前は俺と普通の兄弟として、家族として生きたいと言った。その……俺も、お前と共に生きるというのも、悪くはないと思ってな」
「!」
 照れ臭くなったのか、わずかに頬を染めて顔を背けてしまったブルーを見て、ルージュはなぜか両拳を握り、ぎゅっと目を閉じて唇を引き結んだ。頬も紅潮し、彼はやや上擦った声で呟く。
「……初めて、嬉しさのあまりに人に抱きつきたいと思った」
「やめろ! もしやったらインプロージョンを食らわせるぞ!」
 驚いて大声を上げるブルーへ、ルージュが声を立てて笑う。まるで新生活の門出を祝うように、穏やかな太陽の光が彼らの行く道を照らしていた。
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