君が目覚めるその時まで

 指が動いた感覚が、あった。次いで、まぶたが軽くなった感覚も。
 ゆっくりと、目を開ける。最初に視界に映ったのは、薄暗い部屋の天井。全身に伝わる心地良い感触で、おのれがベッドに寝かされていることはすぐに理解した。
 だが、どこか違和感がある。何かが足りないような――何が足りない? ここはどこだ? 何があった? “僕”は今、どんな状況に置かれている?
「目が覚めたかね」
 ドアが開き、黒髪に白衣の人物が部屋に入ってきた。端正な顔立ちに眼鏡をかけた、異様に肌の白い長身の男。確か彼は、ヌサカーンという名だったか。ブルーがそう呼んでいたから。――ブルーは? ブルーの“意識”はどこにある?
 勢いよく上半身を起こし、自らの姿を見回して、唖然とした。
 まとっているのは紅い法衣、そして銀の髪。この身は魔術空間での決戦時に敗れ、消滅したのではなかったか。青い法衣に金の髪を持つ双子の兄弟・ブルーと意識だけを共有し、瓦礫の国と化した故郷、マジックキングダムの地下に隠されていた「地獄」へと赴き、「地獄の君主」と呼ばれるモノと永き死闘を繰り広げ、その果てに意識が吹き飛ぶほどの力を解放したのではなかったか――。
「……どういうことだ? 僕は……僕たちは……」
「見たとおり君は紛れもなく『ルージュ』で、『ブルー』とは別個体の人間だ。ここは私の病院の隣にある建物の一室で、ブルーは別の部屋で眠っている。「地獄の君主」との戦いと崩れ行く地獄からの帰還時に、諸々の力を使い果たしたのだ。目覚めるには、相当な時間を要するだろう」
「それは分かります。問題は、なぜ僕が再びこの身を得たのか。再び二人に分かれたのか。僕の体はブルーとの決戦後に消滅したはずなのに。もしや、貴方が関係しているのですか?」
 ルージュの問いに、ヌサカーンは妖しく目を細め、ひと呼吸置いてから答える。
「その通り。魔術空間に残されていた君の思念、抜け落ちた幾本もの髪、体から流れ出た血液や体液を採取したのは私だ。だが、それだけでは君の再生は不可能だった。君と同じ遺伝子を持つブルーの存在、地上以上の魔力に溢れた「地獄」という空間の存在。そして「地獄の君主」戦後、ブルーが内なる君と共に残りの力を振り絞って放った全魔力、等々――複雑で様々な条件が揃って、ようやく私の力を行使することができたのだ。何、ほんの戯れだよ」
「……」
 上級妖魔は、そんなこともできるのか。心の中でそう呟いたものの何と口にしていいか分からず、ルージュは口をつぐんだ。故郷に秘められていた真実を知ってから、たった一人の兄弟を本気で殺そうとしたことを後悔し、またブルーのほうも、おのれあやめたことを悔いていた。そんな自分たちにこの妖魔医師は、今度は殺し合うことなく普通の兄弟、家族として生きて行く機会を与えてくれたのだ。ここは感謝の言葉を述べるべきなのだろう。妖魔には、人間の倫理観など通用しないことも知っている。
「……ありがとう。ブルーに会わせてもらっても?」
「ああ。顔を見るだけならば構わんよ」
 ベッドから出て、しっかりと床に足をつける。間違いない、おのれの体そのものだ。青年が靴を履き終えるのを見届けてから、ヌサカーンは奥の部屋へと入って行った。その後に、ルージュも続いた。

 ルージュが眠っていた部屋と同じくらい薄暗く質素な部屋で、ブルーは眠っていた。顔は青白く、やつれているようにも見える。ルージュが近付いても、目を覚ます気配はない。
「……ブルー」
 ベッドのそばに屈み、ブルーの手におのれの手をそっと重ねる。その温度の低さにやや驚いたが、冷たいというわけではなく、硬直もしていない。生きている。今はそれだけで良かった。
「……君が目覚めたら、最初に何て言おう。死んだはずの僕がいることに、君はさぞかし驚くだろう。そして、何て言うんだろうね。仲良くやれるだろうか。
でも……既にきっと、キングダムは僕たちのことを血眼になって捜している。あの国には永遠に地下の「地獄」を封印し、王国を復興・維持出来得るただ一人の“英雄”が必要だから。再び二人に分かれた僕たちを見て、キングダムはまた、僕たちに殺し合いをさせるんだろうか」
「君は、そんな故郷に戻りたいと思うか?」
 ヌサカーンの言葉に、ルージュは「いいえ」と首を横に振った。そして再び、でも……と続ける。
「……ブルーは、分かりません。彼は僕より真面目で真っ直ぐで、他に道を知らない。だから、目覚めるのが待ち遠しいと同時に……少し、怖いんです。早々に、別々の道を歩むことになるんじゃないかって。キングダムを見捨てることを責められたら、僕は何も言えない。どれだけ非情な国でも、生まれ故郷であることに変わりはないから」
「ふ……今は患者としてブルーを保護しているが、彼がある程度動けるようになったら、あとは好きにするといい。私としては、温暖なオウミあたりでの療養を勧めるがね。仮にマジックキングダムに戻るとしても、目覚めてすぐは使い物にならないだろう。それだけ彼は、消耗しているからな」
「オウミ、か……確かに、あそこはいい療養地になりそうですね。ブルーが無理をしないように、僕がしっかり見張っていないとだな」
 僕自身も蘇生したばかりで、まだ絶好調というわけではないけれど。そう付け加え、ルージュはブルーの手を離して立ち上がった。そして、
「また来るよ、ブルー。――君が目覚めるまで、僕がキングダムから、君を守ってみせる」
 力強い言葉を残し、ヌサカーンと共に部屋を後にしたのだった。
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