こんな腐れ縁も、悪くはない
前方から聞こえた女性の叫び声に、コンビニから自宅へと帰るところだったレッドは、弾かれたように走り出した。角を曲がると一人の女性が数人の何者かに取り囲まれており、今にもバッグを引ったくられそうになっている。
「やめろッ!」
勢いよく飛び出して牽制すると、夜の闇に溶け込んでいた黒ずくめの者たちが一斉に振り返った。その身なりを見て、レッドは戦慄する。彼らは黒戦闘員――ブラッククロスの残党だ!
(やっぱりアイツらか! ……あっちは三人、こっちは一人。大丈夫だ、今の俺ならやれる)
ヒーローの力こそ剥奪されたが、旅の中で身に付けた戦い方を忘れたわけではない。全身に闘気を漲 らせたレッドは、奇声を上げて突進してきた黒戦闘員たちを目にも留まらぬ速さで叩き伏せ、蹴り飛ばした。動きの遅さやすぐに起き上がって来ないところを見るに、行き場をなくした下っ端どもなのだろう。地面に転がり呻き声を上げている哀れな黒戦闘員たちを一瞥してから、レッドは、その場にへたり込んでいる女性の元へと駆け寄る。
「大丈夫ですか? ケガは? 何か盗 られたりは?」
「は、はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「無事で良かった。……女性一人で人気 のない夜道を歩くのは危ない。なるべく明るい通りを選ぶか、できれば男性に同行してもらうことをお勧めします。あなたさえ良ければ、俺が家のそばまでお送りしますよ」
「そんな、悪いです。ただでさえ助けていただいたのに……」
「気にしないでください。俺は少し前まで各地を旅していて、多くの悪と戦ってきました。その中で身に付けた力が少しでも役に立つのなら、これ以上の喜びはありません」
「……」
女性がやや驚いた顔で、レッドを見つめる。そして。
「……あなたってまるで、噂のアルカイザーみたいね。もしかして、あなたがアルカイザーだったりして」
「えっ! い、いや、とんでもない。アルカイザーは憧れの人ではあるけど、俺はシュライクの治安を少しばかり守っているただの一般人に過ぎませんよ、ははっ……ささ、行きましょうか」
内心冷や汗を掻きながら、レッドは黒戦闘員たちが這 う這 うの体 で退散して行ったのを見届けると、身を屈めて女性に手を差し伸べた。彼女が何を思ったのかは分からないが、女性は素直にレッドの手を取って立ち上がり、服に付いた汚れを払う。
しばらく歩き続け、女性を無事家へと送り届けたレッドは、すっかり冷めて硬くなってしまった肉まんに齧 り付きながら再び帰路に就いた。
相手が小悪党だったとはいえ、今日もこの手で非力な一般人を助け、悪を滅することができた。説得する間もなく逃げて行ったあの黒戦闘員たちがこれを機に改心し、真人間になってくれることを願うばかりだが、一度堕ちた人間の更生が決して容易ではないことも知っている。ましてやブラッククロスのような巨大組織に属していた者ならば、下っ端とはいえ余計に難しいだろう。もしまた彼らと相まみえることがあれば、次こそは……などと考えながら歩いていると、不意に何者かが近くの電柱の陰から現れ、レッドの行く手を塞いだ。齧りかけの肉まんを慌てて袋の中に戻して身構えたレッドは、目の前に立った男を見て、ぽかんと口を開ける。
「お、おっさん!?」
「だーかーらー、おっさんって言うなっての。相変わらず礼儀のなってないガキだな」
「そっちこそ、ガキって言うな。……ヒューズ、なんであんたがここに?」
ヒューズと呼ばれた黒いスーツに茶髪の男は、ふーっとタバコの煙を吐き出すと、レッドにコンビニの袋を差し出した。怪訝な顔をするレッドへ、ヒューズは顎をしゃくってさらに袋を突き出す。
「肉まんのおかわりと缶コーヒーだ。さっき買ったばかりだから、まだ熱々だぜ。今回はお前の活躍に免じて、特別に奢ってやるよ」
「? なんで……」
「俺もコンビニにいたの、まったく気付いてなかっただろ。実は物陰からコッソリ見てたのさ。お前が劣勢になったら助太刀するつもりでいたんだが、その必要はまったくなかったな」
「なんだよ、見てたんなら最初から助けてくれたって良かっただろ! 俺は一般人なんだぞ!」
「剣技と体術を極めている時点で、お前はもう一般人じゃない。だがその有り余っている力を正義のために使って、ちゃあんとヒーローの志を貫き続けていることは充分称賛に値する。うん、偉い偉い」
そう言って自身も肉まんに齧り付いたヒューズを、レッドはジト目で見つめた。「このクソパトロール」と喉元まで出かかった言葉を飲み込んで袋を受け取り、短く礼を言った後にボトル缶コーヒーの蓋を開ける。以前、苦いのは苦手だと言ったことを覚えていてくれたのか、白っぽいパッケージのカフェラテだ。対してヒューズが手にしているのは、「BLACK」と描かれた黒い缶。こんなところでも大人と子供の差を見せつけられた気がして、レッドは思わず唇を噛む。
(いやいや、大人が全員ブラックコーヒー好きだとは限らないだろ。こんなふうに意識してる時点で、俺はまだまだガキなんだ)
温かいカフェラテと肉まんが、夜風で冷えた体に沁みる。しばし黙々と飲み食いしたところで、レッドは再びヒューズに尋ねた。
「……こんな時間なのに、なんであんたがシュライクにいるんだよ?」
「あー、ちょいと私用さ。ウチんとこのコンビニからは消えちまった気に入りのタバコが、ここではまだバリバリの現役でな。だから買い溜めしに来たってワケ」
「そんな理由で……」
「別にいいだろ。ま、それはそうとして……さっきの三人組は、お前がお嬢さんを家まで送っている間に近くにいた隊員がふん捕まえてIRPO送りにしといたっつーから安心しな。幸いお嬢さんに怪我はなかったし泣きながら反省の言葉を口にしていたようだから、ディスペア送りにまではならないだろう。単なるウソ泣きのウソ芝居じゃなけりゃいいんだがな」
さすがはベテランIRPO隊員、手際がいい。己 は襲われた女性を助けるだけで手一杯で、みすみす犯人たちを逃がしてしまったというのに。この男の下で働くのは嫌だと断ったものの、自分なりの正義を貫いて行く上で見習うべきところは多々あるなと、レッドは思う。
「その……悪いな。尻拭いさせちまって」
レッドが己の不手際を素直に詫びると、
「ハハッ。なぁに、こういう時のために俺たちがいるんだ。お前は腕っぷしこそ強いが、俺らみたいなネットワークは持ち合わせていないだろ。だからお前は、お前ができることを精一杯やればいいんだよ」
何でもないことのように答えたヒューズを見て、レッドは「クソッ、悔しいけどかっこいいな」という感想を抱いたと同時に、この男にはどうやったって敵わないのだと、改めて痛感させられる。
「っと、帰宅途中だったんだろ? なら、ここでお別れだな」
「ああ……そうだな。目的のタバコは買えたのか?」
「おう、バッチリだ。これだけ買っとけば、しばらくはケチらずに吸えるぜ」
「そっか。……このリージョンは、俺の生まれ故郷なのにさ。またあんたに世話になっちまったな」
「いいってことよ。お前も気を付けて帰れよ。じゃあな」
「……」
軽く手を上げ、ヒューズがその場から去って行く。そんな彼の背中を、気が付いたら追いかけていた。勝手に体が動いたのだ。
「おっさ――ヒューズ! 待ってくれ!」
「あ? なんだ、まだ何か……」
「バイト! アルバイトじゃダメか? 俺、明日からでもIRPOで働きたい!」
それからが、少し大変だった。
まず小此木家にてレッドの母と妹の藍子に事情を説明し、「お宅の烈人さんをしばらくこちらで預からせていただけませんか」と許可を取るところから始まった。藍子は強く反対したが、レッドの母は息子を静かに見つめ、「私はお前の意思を尊重するよ」「うちの息子が誰かの役に立つのなら」と、その背中を押した。だがそう言った彼女の瞳はうっすらと潤んでおり、そんな母や涙を浮かべてふるふると首を横に振る藍子を見て、レッドの決意は大いに揺らいだ。せっかく取り戻した家族との平穏な生活に再び別れを告げなければならないことと、非力な女二人を残していくこと。しかしそんなレッドの心配をよそに、ヒューズは「あんなことがあった後だ。お二人さんにはちゃぁんと後ろ盾がついてるさ」と笑った。レッドにはそれが何を表しているのか、すぐに分かった。間違いなく、ホークのことだろう。亡き父の古い友人であったという彼には感謝してもしきれないなと、レッドは思う。
「それじゃ母さん、藍子。ちょっと行ってくるよ。もしホークに会ったらよろしく言っといてくれよな」
「お兄ちゃん……やっぱり行っちゃうのね。でも、時々は帰ってきてね。ぜったい、ぜったいだよ?」
「私たちのことは心配しなくていいから、行っておいで。帰って来る前に連絡をくれれば、お前の好物をたんと作って待っているから」
「ああ、楽しみにしてるよ。それまで元気でな。――よし、行こう」
「……もういいんだな? じゃ、行くか」
母と妹に背を向けて、力強く歩き出す。ヒューズが軽く頭を下げたのは見えたものの、レッドが後ろを振り返ることは、もうなかった。
◇◇
「……はあ? 同室!?」
IRPO本部で手続きを済ませて戻ってきたヒューズから聞かされた言葉に、レッドは愕然とした。そんなレッドへ、ヒューズもやれやれと肩を竦める。
「俺もてっきりどこかの適当な相部屋に放り込まれるもんだと思ってたんだがな。何でも『君の部屋はほとんど使われていない上、小此木少年とはそれなりの付き合いがあると聞いている。ならば君が面倒を見てやるといい』だと。ったく……本部の年寄りどもめ、俺を何だと思ってるんだ」
レッドだけでなく、ヒューズにも予想外のことだったようだ。だが、本部の前で立ち尽くしていてもどうしようもない。仕方なく自宅へと向かう道を歩き始めたヒューズの後を、レッドも追う。
「言っておくが、これでも今回は特別なケースだぜ。お前がブラッククロスをぶっ倒した元ヒーローでなけりゃ、臨時隊員採用はまず無かった。だがあくまでも臨時は臨時で、正式な隊員じゃあない。だからいきなり個室が与えられることもなければ、給料だって安い。正式な隊員になりたければこの仕事を続けて経験を積んで、実力でのし上がるしかない……にもかかわらず、まさかIRPOに最も貢献しているといってもいいこのヒューズ様と同室のお許しが出るとはな。まあつまり、それだけお前は高く買われてるってことでもあるんだが」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺が『ブラッククロスを倒した元ヒーロー』って、なんで……」
慌てて突っ込むレッドに、ヒューズはニヤリと笑って言う。
「そりゃあ、俺たちは天下のIRPOだからな。俺らの情報網を舐めんなよ。といっても、もちろん俺から本部の連中に告げ口したわけじゃない。どのタイミングかは分からんが、お偉いさん方も自力でお前に関する情報を掴んだんだろうさ」
「……」
「ま、もう終わったことだ。過去のことなんざ気にするな。お前は今でも桁外れに強い。現場に出る隊員はいつでも人手が足りてないしな。お前ほどの実力者が加わってくれるのは、こちらとしてもありがたい」
話しているうちに二人は、ヒューズの自宅らしき家の前に辿り着いた。入口に取り付けられた小さな機器にヒューズが顔を近付けたことで、ようやく扉が開く。
「さすがIRPO。ハイテクだな」
「生体認証、ってヤツさ。初めて見るか? これは精度が高めの『虹彩認証』だ。他の奴がいくら本人そっくりに化けたとしても、細かい部分のコピーまではまず不可能だからな。だがもしもの時のために、従来のカードとパスワード入力でも入れるようにはなってる」
「もしもの時?」
「職業柄、五体満足で帰って来られるとは限らないだろ。任務先で片目、もしくは両目を潰されたりしたら――」
「やっ、やめろよ。だいたいそんなことになったら、家に帰ってる場合じゃないだろ」
「ははっ、それもそうだ。……何もない部屋だが、入りな」
ヒューズの前を通り過ぎて彼の部屋へと入ったレッドは、そのあまりの殺風景さに目を丸くした。確かにこれは「ほとんど使われていない部屋」だ。唯一誰かが住んでいると分かる証拠があるとすれば、部屋の奥にあるベッドのシーツや毛布が乱れていることくらいだろう。
「……本当に、何もない」
「だから言っただろ。運良く帰宅できたとしてもだいたい夜か深夜で、どこかで適当に買ったメシを食ってシャワーを浴びて寝る以外やることがない。帰れない時はそのまま潜入先のホテルに宿泊だ。むしろそういう日のほうが多い」
「うへえ……じゃあこれからは、俺もそういう生活を送ることになるのか?」
レッドの問いに、後ろ手に扉を閉めたヒューズは少し考えてから答える。
「お前は臨時隊員だからな。その辺はできるだけ考慮はするが、場合によっては夜通し駆け回る羽目になることもある。一応覚悟はしておけ」
「分かった。……残業・休日・深夜手当は有り?」
「それはもちろん。さすがにそこまでブラックじゃない。まあ、しょっぱい額だがな」
しょっぱい額、などとけなしてはいるものの、彼はこの仕事にやり甲斐を感じていて、現場でこそ生き生きとする人間なんだろうなと、レッドは思う。やはり、IRPOに入るべくして入った男なのだ。
(って、感心してる場合じゃない。まさか、このおっさんの家に転がり込むことになるなんて……見たところそんなに広い部屋じゃなさそうだし、あれこれ共有しなきゃならないんだよな? まったく見ず知らずの人間と一緒に住めって言われるよりはマシだけど……いや、果たしてマシなのか……?)
つくづく、本部の人間が何を考えてこういった判断を下したのか分からない。さて、これからどうしたものかと立ち尽くしているレッドの前に、ヒューズが回り込む。
「ところで。夕飯は、実家で済ませたんだよな?」
「あ、ああ。もう食べた」
「風呂は?」
「まだだけど」
「あー、まだだったのね、了解。んじゃ、もうひとっ走りすっか」
「ひとっ走り?」
首を傾げたレッドに、ヒューズは人差し指を突き付けて続ける。
「お前の分の歯ブラシや下着、タオルを買い足すんだよ。いくら何でも俺と同じもんは使いたくないだろ」
「それもそうだな。絶対にごめんだ」
「なら、さっさと行くぞ。それくらいのもんなら全部コンビニに売ってるからな。今回は初回ってことで俺が全額負担してやるが、次からは自分の金で買うんだぞ」
そう言って身を翻し、再び外へと出て行くヒューズの後に、「サンキュ、分かった」と答えてレッドも続いた。
コンビニで必要なものを買い揃えて再びヒューズ宅に戻ってきた二人だったが、玄関扉を開けた途端にヒューズは「俺はもう少し出てくる。お前は先に風呂に入ってな」と言い残して去って行った。仮にも自分の家だというのになんて不用心な、いやそれだけ俺は信用されてるってことなのか? とレッドは思う。
他にすることがないので、素直にシャワーを浴びることにした。バスルームにはさすがに何も無いわけではなく、ビジネスホテルに置いてあるような質素なシャンプー類が並んでいたが、これを使ったらあのおっさんと同じ匂いになるんだよな……先にシャワーを浴びとけと言われたことといい、これじゃまるでこれから情熱的な一夜を過ごすカップルみたいじゃないか、などと考えてしまい、思わず身震いする。
(なっ、なに変なこと考えてるんだ俺は! あのおっさんに限ってそんなこと……たまたま、たまたまこういう流れになっただけだ。落ち着け俺)
おかしな思考を吹き飛ばすべく、水圧を最強にしたシャワーを頭から浴びた。シャンプーでがしがしと洗うといつも時間をかけてセットしている逆毛が落ちてきて、顔に張り付く。母や妹には髪を立てないほうが好評なのだが、昔から少年漫画の主人公のようなツンツンヘアに憧れがあり、また実年齢より幼く見られることがたびたびあったため、現在の髪型になったのだ。「鳥の巣」「サボテン」などと揶揄 されたことはあるものの、レッド自身はかっこいいと思っているし、気に入っている。初めて髪をツンツンにした時は、それだけで強くなった気がしたものだ。
真新しいタオルで体を洗い、バスルームを出て真新しいバスタオルで全身を拭く。これまた新品のパジャマ兼ルームウェアに着替えて冷蔵庫から取り出したスポーツドリンクを呷 っていると玄関扉が開き、ヒューズが帰ってきた。彼はソファーに座っている少年を見るなり目を丸くし、片眉を上げつつ問いかける。
「……どちら様?」
「言われると思ったよ! この顔と声で分かるだろ? 俺だよ、俺!」
「詐欺電話かよ。まあ、まったく知らん奴が無断で俺の部屋に上がり込んでたら即逮捕案件だわな。……しっかし、髪型一つでずいぶん印象が変わるもんだなー。今のお前は、ちゃぁんといいトコのお坊ちゃんに見えるぜ。まるで別人だな」
まじまじと顔を覗き込んでくるヒューズからはタバコのにおいがして、少し煙たい。タバコ臭いと文句を言おうとして、レッドは固まった。まさかヒューズの手が伸びてきて、己の髪に触れるとは思わなかったからだ。
「……案外柔らかいな? もっとゴワゴワしてるかと思ったぜ。こりゃあセットにも時間がかかるだろうし、いっそこのままでいいんじゃねーの?」
「なっ……」
「もうすぐ二十歳 になるんだろ? なら、これを機にイメチェンってのはどうだ。熱血少年から落ち着いたオトナの男に……中身をすぐに変えるのは無理でも、まずは見た目から、ってな」
「……あんたは、そのほうが好みなのか?」
俺は何を言っているんだと、すぐに後悔した。だが一度口にしてしまった言葉は、取り消すことができない。あ、いや、別に変な意味じゃなくて……と動揺するレッドにヒューズも一瞬呆気にとられたようだったが、何を思ったのか腰を屈めてレッドと目線を合わせると、その額を軽く弾く。
「痛っ! 何するんだよ!」
「ばぁーか。好みとかそういう問題じゃなくて、ただの提案だよ、提案。真夜中や朝っぱらに緊急出動を命じられたら、悠長に髪をセットしてるヒマなんてないぞ。いくらお前が新人だからって、モタモタしてたら置いて行くからな」
レッドの額を指で突いて、ヒューズが離れて行く。荒々しいスキンシップにレッドは口を尖らせて額を擦 ったが、不思議と嫌ではなかった。男同士のスキンシップなんて大体そんなものだし、口には出さないが、ヒューズのことをかなり信頼しているからだ。ドライなようで根は熱く、突き放すようなことを言っても、最終的には力になってくれる。旅の最中 にも、どれだけ助けられたことか。まだまだ、その背中が大きく見えるほどだ。
そんなレッドの視線には気付かず、ヒューズは脱いだジャケットと外したネクタイを椅子に引っかけた。それから部屋の中をぐるりと見回し、ぼりぼりと頭を掻く。
「さて、と……お前さんの寝る場所はどうするかねえ。今日のところは、そのソファーでいいか?」
「ああ。別に、当分ここでいいよ」
「いくらお前でも、さすがにそういうワケにはいかないだろ。明日、折を見てお前専用のベッドを買いに行くぞ。……金額も金額だ、今回ばかりはしっかり上に請求してやる。面倒を見てやれって言ったのはあんたらだぜ、ってな……」
「うわ、悪い顔してる……」
黒い笑みを浮かべるヒューズに若干引いたレッドだったが、そういえば実家ではこの時間はもう寝てたな、と時計を見た途端に、眠気が押し寄せてきた。体は正直だ。
「お? 眠そうだな。寝ろ寝ろ。俺に遠慮して無理に起きてる必要なんてないぜ」
「悪い、いつもならとっくに寝てる時間だから……」
「寝れる時に寝とけ。寝不足で使い物にならないなんて、シャレにならんからな。……しばらくガタガタうるさいと思うが、諸々なるべく早く済ませるから我慢してくれ」
「俺は居候の身なんだし、そこまで気にしないよ。――それじゃ、明日からよろしく」
「おう、たっぷり働いてもらうぜ。じゃあな、ゆっくり休めよ」
「ああ。……おやすみ」
レッドが少しでも眠れるように配慮したのだろう、ヒューズが部屋の明かりを落とす。彼がシャワーを浴びるべく洗面所へと消えて行ったのを見届けてから、レッドはふう、と息を吐いてソファーに横たわった。
ヒューズが部屋に戻ってくるとレッドは既にすやすやと寝息を立てており、髪を下ろしていることもあってか、その寝顔は19という年齢の割に幼く見えた。体こそ逞しく腕っぷしも強いが、27歳のヒューズから見ればレッドはまだまだ「ガキんちょ」であり、庇護すべき未成年。ガキのお守りは苦手なんだがな……と頭を掻き、だがあまりにも無防備な寝姿に、ふ、と無意識に笑みが漏れる。
(なんだかんだ言って、俺はコイツを気に入ってるのかもな。じゃなきゃ、手元に置こうなんて思わない)
IRPOの同僚たちとはまた違う、特別な関係。少年の成長を見守る大人の立場から、その後は? この少年はどんなふうに成長し、どんな大人になるのだろう。いつの日か対等に並び立ち、互いを「相棒」と呼び、背中を預け合う日が来るのだろうか。
例え将来別々の道を歩んだとしても、レッドとの縁は続いて行く気がする。それを楽しみだと思ってしまった己に苦笑し、ベランダに出たヒューズは、夜風に目を細めながらタバコに火を点けたのだった。
――これは、世に蔓延 る悪と戦う一人のクレイジー捜査官と一人の熱血少年がコンビを組んでリージョン中を再び駆け回ることになる、前夜の話。
「やめろッ!」
勢いよく飛び出して牽制すると、夜の闇に溶け込んでいた黒ずくめの者たちが一斉に振り返った。その身なりを見て、レッドは戦慄する。彼らは黒戦闘員――ブラッククロスの残党だ!
(やっぱりアイツらか! ……あっちは三人、こっちは一人。大丈夫だ、今の俺ならやれる)
ヒーローの力こそ剥奪されたが、旅の中で身に付けた戦い方を忘れたわけではない。全身に闘気を
「大丈夫ですか? ケガは? 何か
「は、はい、大丈夫です。ありがとうございます」
「無事で良かった。……女性一人で
「そんな、悪いです。ただでさえ助けていただいたのに……」
「気にしないでください。俺は少し前まで各地を旅していて、多くの悪と戦ってきました。その中で身に付けた力が少しでも役に立つのなら、これ以上の喜びはありません」
「……」
女性がやや驚いた顔で、レッドを見つめる。そして。
「……あなたってまるで、噂のアルカイザーみたいね。もしかして、あなたがアルカイザーだったりして」
「えっ! い、いや、とんでもない。アルカイザーは憧れの人ではあるけど、俺はシュライクの治安を少しばかり守っているただの一般人に過ぎませんよ、ははっ……ささ、行きましょうか」
内心冷や汗を掻きながら、レッドは黒戦闘員たちが
しばらく歩き続け、女性を無事家へと送り届けたレッドは、すっかり冷めて硬くなってしまった肉まんに
相手が小悪党だったとはいえ、今日もこの手で非力な一般人を助け、悪を滅することができた。説得する間もなく逃げて行ったあの黒戦闘員たちがこれを機に改心し、真人間になってくれることを願うばかりだが、一度堕ちた人間の更生が決して容易ではないことも知っている。ましてやブラッククロスのような巨大組織に属していた者ならば、下っ端とはいえ余計に難しいだろう。もしまた彼らと相まみえることがあれば、次こそは……などと考えながら歩いていると、不意に何者かが近くの電柱の陰から現れ、レッドの行く手を塞いだ。齧りかけの肉まんを慌てて袋の中に戻して身構えたレッドは、目の前に立った男を見て、ぽかんと口を開ける。
「お、おっさん!?」
「だーかーらー、おっさんって言うなっての。相変わらず礼儀のなってないガキだな」
「そっちこそ、ガキって言うな。……ヒューズ、なんであんたがここに?」
ヒューズと呼ばれた黒いスーツに茶髪の男は、ふーっとタバコの煙を吐き出すと、レッドにコンビニの袋を差し出した。怪訝な顔をするレッドへ、ヒューズは顎をしゃくってさらに袋を突き出す。
「肉まんのおかわりと缶コーヒーだ。さっき買ったばかりだから、まだ熱々だぜ。今回はお前の活躍に免じて、特別に奢ってやるよ」
「? なんで……」
「俺もコンビニにいたの、まったく気付いてなかっただろ。実は物陰からコッソリ見てたのさ。お前が劣勢になったら助太刀するつもりでいたんだが、その必要はまったくなかったな」
「なんだよ、見てたんなら最初から助けてくれたって良かっただろ! 俺は一般人なんだぞ!」
「剣技と体術を極めている時点で、お前はもう一般人じゃない。だがその有り余っている力を正義のために使って、ちゃあんとヒーローの志を貫き続けていることは充分称賛に値する。うん、偉い偉い」
そう言って自身も肉まんに齧り付いたヒューズを、レッドはジト目で見つめた。「このクソパトロール」と喉元まで出かかった言葉を飲み込んで袋を受け取り、短く礼を言った後にボトル缶コーヒーの蓋を開ける。以前、苦いのは苦手だと言ったことを覚えていてくれたのか、白っぽいパッケージのカフェラテだ。対してヒューズが手にしているのは、「BLACK」と描かれた黒い缶。こんなところでも大人と子供の差を見せつけられた気がして、レッドは思わず唇を噛む。
(いやいや、大人が全員ブラックコーヒー好きだとは限らないだろ。こんなふうに意識してる時点で、俺はまだまだガキなんだ)
温かいカフェラテと肉まんが、夜風で冷えた体に沁みる。しばし黙々と飲み食いしたところで、レッドは再びヒューズに尋ねた。
「……こんな時間なのに、なんであんたがシュライクにいるんだよ?」
「あー、ちょいと私用さ。ウチんとこのコンビニからは消えちまった気に入りのタバコが、ここではまだバリバリの現役でな。だから買い溜めしに来たってワケ」
「そんな理由で……」
「別にいいだろ。ま、それはそうとして……さっきの三人組は、お前がお嬢さんを家まで送っている間に近くにいた隊員がふん捕まえてIRPO送りにしといたっつーから安心しな。幸いお嬢さんに怪我はなかったし泣きながら反省の言葉を口にしていたようだから、ディスペア送りにまではならないだろう。単なるウソ泣きのウソ芝居じゃなけりゃいいんだがな」
さすがはベテランIRPO隊員、手際がいい。
「その……悪いな。尻拭いさせちまって」
レッドが己の不手際を素直に詫びると、
「ハハッ。なぁに、こういう時のために俺たちがいるんだ。お前は腕っぷしこそ強いが、俺らみたいなネットワークは持ち合わせていないだろ。だからお前は、お前ができることを精一杯やればいいんだよ」
何でもないことのように答えたヒューズを見て、レッドは「クソッ、悔しいけどかっこいいな」という感想を抱いたと同時に、この男にはどうやったって敵わないのだと、改めて痛感させられる。
「っと、帰宅途中だったんだろ? なら、ここでお別れだな」
「ああ……そうだな。目的のタバコは買えたのか?」
「おう、バッチリだ。これだけ買っとけば、しばらくはケチらずに吸えるぜ」
「そっか。……このリージョンは、俺の生まれ故郷なのにさ。またあんたに世話になっちまったな」
「いいってことよ。お前も気を付けて帰れよ。じゃあな」
「……」
軽く手を上げ、ヒューズがその場から去って行く。そんな彼の背中を、気が付いたら追いかけていた。勝手に体が動いたのだ。
「おっさ――ヒューズ! 待ってくれ!」
「あ? なんだ、まだ何か……」
「バイト! アルバイトじゃダメか? 俺、明日からでもIRPOで働きたい!」
それからが、少し大変だった。
まず小此木家にてレッドの母と妹の藍子に事情を説明し、「お宅の烈人さんをしばらくこちらで預からせていただけませんか」と許可を取るところから始まった。藍子は強く反対したが、レッドの母は息子を静かに見つめ、「私はお前の意思を尊重するよ」「うちの息子が誰かの役に立つのなら」と、その背中を押した。だがそう言った彼女の瞳はうっすらと潤んでおり、そんな母や涙を浮かべてふるふると首を横に振る藍子を見て、レッドの決意は大いに揺らいだ。せっかく取り戻した家族との平穏な生活に再び別れを告げなければならないことと、非力な女二人を残していくこと。しかしそんなレッドの心配をよそに、ヒューズは「あんなことがあった後だ。お二人さんにはちゃぁんと後ろ盾がついてるさ」と笑った。レッドにはそれが何を表しているのか、すぐに分かった。間違いなく、ホークのことだろう。亡き父の古い友人であったという彼には感謝してもしきれないなと、レッドは思う。
「それじゃ母さん、藍子。ちょっと行ってくるよ。もしホークに会ったらよろしく言っといてくれよな」
「お兄ちゃん……やっぱり行っちゃうのね。でも、時々は帰ってきてね。ぜったい、ぜったいだよ?」
「私たちのことは心配しなくていいから、行っておいで。帰って来る前に連絡をくれれば、お前の好物をたんと作って待っているから」
「ああ、楽しみにしてるよ。それまで元気でな。――よし、行こう」
「……もういいんだな? じゃ、行くか」
母と妹に背を向けて、力強く歩き出す。ヒューズが軽く頭を下げたのは見えたものの、レッドが後ろを振り返ることは、もうなかった。
◇◇
「……はあ? 同室!?」
IRPO本部で手続きを済ませて戻ってきたヒューズから聞かされた言葉に、レッドは愕然とした。そんなレッドへ、ヒューズもやれやれと肩を竦める。
「俺もてっきりどこかの適当な相部屋に放り込まれるもんだと思ってたんだがな。何でも『君の部屋はほとんど使われていない上、小此木少年とはそれなりの付き合いがあると聞いている。ならば君が面倒を見てやるといい』だと。ったく……本部の年寄りどもめ、俺を何だと思ってるんだ」
レッドだけでなく、ヒューズにも予想外のことだったようだ。だが、本部の前で立ち尽くしていてもどうしようもない。仕方なく自宅へと向かう道を歩き始めたヒューズの後を、レッドも追う。
「言っておくが、これでも今回は特別なケースだぜ。お前がブラッククロスをぶっ倒した元ヒーローでなけりゃ、臨時隊員採用はまず無かった。だがあくまでも臨時は臨時で、正式な隊員じゃあない。だからいきなり個室が与えられることもなければ、給料だって安い。正式な隊員になりたければこの仕事を続けて経験を積んで、実力でのし上がるしかない……にもかかわらず、まさかIRPOに最も貢献しているといってもいいこのヒューズ様と同室のお許しが出るとはな。まあつまり、それだけお前は高く買われてるってことでもあるんだが」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺が『ブラッククロスを倒した元ヒーロー』って、なんで……」
慌てて突っ込むレッドに、ヒューズはニヤリと笑って言う。
「そりゃあ、俺たちは天下のIRPOだからな。俺らの情報網を舐めんなよ。といっても、もちろん俺から本部の連中に告げ口したわけじゃない。どのタイミングかは分からんが、お偉いさん方も自力でお前に関する情報を掴んだんだろうさ」
「……」
「ま、もう終わったことだ。過去のことなんざ気にするな。お前は今でも桁外れに強い。現場に出る隊員はいつでも人手が足りてないしな。お前ほどの実力者が加わってくれるのは、こちらとしてもありがたい」
話しているうちに二人は、ヒューズの自宅らしき家の前に辿り着いた。入口に取り付けられた小さな機器にヒューズが顔を近付けたことで、ようやく扉が開く。
「さすがIRPO。ハイテクだな」
「生体認証、ってヤツさ。初めて見るか? これは精度が高めの『虹彩認証』だ。他の奴がいくら本人そっくりに化けたとしても、細かい部分のコピーまではまず不可能だからな。だがもしもの時のために、従来のカードとパスワード入力でも入れるようにはなってる」
「もしもの時?」
「職業柄、五体満足で帰って来られるとは限らないだろ。任務先で片目、もしくは両目を潰されたりしたら――」
「やっ、やめろよ。だいたいそんなことになったら、家に帰ってる場合じゃないだろ」
「ははっ、それもそうだ。……何もない部屋だが、入りな」
ヒューズの前を通り過ぎて彼の部屋へと入ったレッドは、そのあまりの殺風景さに目を丸くした。確かにこれは「ほとんど使われていない部屋」だ。唯一誰かが住んでいると分かる証拠があるとすれば、部屋の奥にあるベッドのシーツや毛布が乱れていることくらいだろう。
「……本当に、何もない」
「だから言っただろ。運良く帰宅できたとしてもだいたい夜か深夜で、どこかで適当に買ったメシを食ってシャワーを浴びて寝る以外やることがない。帰れない時はそのまま潜入先のホテルに宿泊だ。むしろそういう日のほうが多い」
「うへえ……じゃあこれからは、俺もそういう生活を送ることになるのか?」
レッドの問いに、後ろ手に扉を閉めたヒューズは少し考えてから答える。
「お前は臨時隊員だからな。その辺はできるだけ考慮はするが、場合によっては夜通し駆け回る羽目になることもある。一応覚悟はしておけ」
「分かった。……残業・休日・深夜手当は有り?」
「それはもちろん。さすがにそこまでブラックじゃない。まあ、しょっぱい額だがな」
しょっぱい額、などとけなしてはいるものの、彼はこの仕事にやり甲斐を感じていて、現場でこそ生き生きとする人間なんだろうなと、レッドは思う。やはり、IRPOに入るべくして入った男なのだ。
(って、感心してる場合じゃない。まさか、このおっさんの家に転がり込むことになるなんて……見たところそんなに広い部屋じゃなさそうだし、あれこれ共有しなきゃならないんだよな? まったく見ず知らずの人間と一緒に住めって言われるよりはマシだけど……いや、果たしてマシなのか……?)
つくづく、本部の人間が何を考えてこういった判断を下したのか分からない。さて、これからどうしたものかと立ち尽くしているレッドの前に、ヒューズが回り込む。
「ところで。夕飯は、実家で済ませたんだよな?」
「あ、ああ。もう食べた」
「風呂は?」
「まだだけど」
「あー、まだだったのね、了解。んじゃ、もうひとっ走りすっか」
「ひとっ走り?」
首を傾げたレッドに、ヒューズは人差し指を突き付けて続ける。
「お前の分の歯ブラシや下着、タオルを買い足すんだよ。いくら何でも俺と同じもんは使いたくないだろ」
「それもそうだな。絶対にごめんだ」
「なら、さっさと行くぞ。それくらいのもんなら全部コンビニに売ってるからな。今回は初回ってことで俺が全額負担してやるが、次からは自分の金で買うんだぞ」
そう言って身を翻し、再び外へと出て行くヒューズの後に、「サンキュ、分かった」と答えてレッドも続いた。
コンビニで必要なものを買い揃えて再びヒューズ宅に戻ってきた二人だったが、玄関扉を開けた途端にヒューズは「俺はもう少し出てくる。お前は先に風呂に入ってな」と言い残して去って行った。仮にも自分の家だというのになんて不用心な、いやそれだけ俺は信用されてるってことなのか? とレッドは思う。
他にすることがないので、素直にシャワーを浴びることにした。バスルームにはさすがに何も無いわけではなく、ビジネスホテルに置いてあるような質素なシャンプー類が並んでいたが、これを使ったらあのおっさんと同じ匂いになるんだよな……先にシャワーを浴びとけと言われたことといい、これじゃまるでこれから情熱的な一夜を過ごすカップルみたいじゃないか、などと考えてしまい、思わず身震いする。
(なっ、なに変なこと考えてるんだ俺は! あのおっさんに限ってそんなこと……たまたま、たまたまこういう流れになっただけだ。落ち着け俺)
おかしな思考を吹き飛ばすべく、水圧を最強にしたシャワーを頭から浴びた。シャンプーでがしがしと洗うといつも時間をかけてセットしている逆毛が落ちてきて、顔に張り付く。母や妹には髪を立てないほうが好評なのだが、昔から少年漫画の主人公のようなツンツンヘアに憧れがあり、また実年齢より幼く見られることがたびたびあったため、現在の髪型になったのだ。「鳥の巣」「サボテン」などと
真新しいタオルで体を洗い、バスルームを出て真新しいバスタオルで全身を拭く。これまた新品のパジャマ兼ルームウェアに着替えて冷蔵庫から取り出したスポーツドリンクを
「……どちら様?」
「言われると思ったよ! この顔と声で分かるだろ? 俺だよ、俺!」
「詐欺電話かよ。まあ、まったく知らん奴が無断で俺の部屋に上がり込んでたら即逮捕案件だわな。……しっかし、髪型一つでずいぶん印象が変わるもんだなー。今のお前は、ちゃぁんといいトコのお坊ちゃんに見えるぜ。まるで別人だな」
まじまじと顔を覗き込んでくるヒューズからはタバコのにおいがして、少し煙たい。タバコ臭いと文句を言おうとして、レッドは固まった。まさかヒューズの手が伸びてきて、己の髪に触れるとは思わなかったからだ。
「……案外柔らかいな? もっとゴワゴワしてるかと思ったぜ。こりゃあセットにも時間がかかるだろうし、いっそこのままでいいんじゃねーの?」
「なっ……」
「もうすぐ
「……あんたは、そのほうが好みなのか?」
俺は何を言っているんだと、すぐに後悔した。だが一度口にしてしまった言葉は、取り消すことができない。あ、いや、別に変な意味じゃなくて……と動揺するレッドにヒューズも一瞬呆気にとられたようだったが、何を思ったのか腰を屈めてレッドと目線を合わせると、その額を軽く弾く。
「痛っ! 何するんだよ!」
「ばぁーか。好みとかそういう問題じゃなくて、ただの提案だよ、提案。真夜中や朝っぱらに緊急出動を命じられたら、悠長に髪をセットしてるヒマなんてないぞ。いくらお前が新人だからって、モタモタしてたら置いて行くからな」
レッドの額を指で突いて、ヒューズが離れて行く。荒々しいスキンシップにレッドは口を尖らせて額を
そんなレッドの視線には気付かず、ヒューズは脱いだジャケットと外したネクタイを椅子に引っかけた。それから部屋の中をぐるりと見回し、ぼりぼりと頭を掻く。
「さて、と……お前さんの寝る場所はどうするかねえ。今日のところは、そのソファーでいいか?」
「ああ。別に、当分ここでいいよ」
「いくらお前でも、さすがにそういうワケにはいかないだろ。明日、折を見てお前専用のベッドを買いに行くぞ。……金額も金額だ、今回ばかりはしっかり上に請求してやる。面倒を見てやれって言ったのはあんたらだぜ、ってな……」
「うわ、悪い顔してる……」
黒い笑みを浮かべるヒューズに若干引いたレッドだったが、そういえば実家ではこの時間はもう寝てたな、と時計を見た途端に、眠気が押し寄せてきた。体は正直だ。
「お? 眠そうだな。寝ろ寝ろ。俺に遠慮して無理に起きてる必要なんてないぜ」
「悪い、いつもならとっくに寝てる時間だから……」
「寝れる時に寝とけ。寝不足で使い物にならないなんて、シャレにならんからな。……しばらくガタガタうるさいと思うが、諸々なるべく早く済ませるから我慢してくれ」
「俺は居候の身なんだし、そこまで気にしないよ。――それじゃ、明日からよろしく」
「おう、たっぷり働いてもらうぜ。じゃあな、ゆっくり休めよ」
「ああ。……おやすみ」
レッドが少しでも眠れるように配慮したのだろう、ヒューズが部屋の明かりを落とす。彼がシャワーを浴びるべく洗面所へと消えて行ったのを見届けてから、レッドはふう、と息を吐いてソファーに横たわった。
ヒューズが部屋に戻ってくるとレッドは既にすやすやと寝息を立てており、髪を下ろしていることもあってか、その寝顔は19という年齢の割に幼く見えた。体こそ逞しく腕っぷしも強いが、27歳のヒューズから見ればレッドはまだまだ「ガキんちょ」であり、庇護すべき未成年。ガキのお守りは苦手なんだがな……と頭を掻き、だがあまりにも無防備な寝姿に、ふ、と無意識に笑みが漏れる。
(なんだかんだ言って、俺はコイツを気に入ってるのかもな。じゃなきゃ、手元に置こうなんて思わない)
IRPOの同僚たちとはまた違う、特別な関係。少年の成長を見守る大人の立場から、その後は? この少年はどんなふうに成長し、どんな大人になるのだろう。いつの日か対等に並び立ち、互いを「相棒」と呼び、背中を預け合う日が来るのだろうか。
例え将来別々の道を歩んだとしても、レッドとの縁は続いて行く気がする。それを楽しみだと思ってしまった己に苦笑し、ベランダに出たヒューズは、夜風に目を細めながらタバコに火を点けたのだった。
――これは、世に
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