紅衣の断罪者

 リビングに鳴り響いた玄関チャイムの音に、読書に耽っていたブルーは渋々といった様子でソファーから立ち上がった。共に暮らしている双子の兄弟・ルージュは今、IRPOの手伝いに行っていて留守にしている。普段来客対応を受け持っているルージュがいない間に誰かが訪ねて来ないことを願っていたのだが、そう上手くはいかなかったようだ。
 内心の不機嫌さを悟られぬよう、余所よそ行き顔と声音を作って玄関へと向かった。すると扉の向こうからは「お届け物です」と返ってくる。数日前にルージュがカタログで注文していた物だろうか。彼が何を頼んでいたかまでは覚えていないが、荷物を受け取ることくらいはできる。手早く済ませようとブルーが玄関扉を開けると、にこにこと朗らかな笑みを浮かべた配達員が大きな箱を抱えて立っていた。――いったい、あいつは何を買ったんだ? やや呆れながらも代金の確認をしようとしたその時――異変は起きた。
「うっ……!?」
 突如配達員がブルーに向けて箱を開くと、瞬時にして毒霧が立ち込めた。しまった、と思ったが、もう遅い。霧をまともに吸い込んでしまったために毒に侵され、視力までもが奪われる。たまらずその場にくずおれたブルーの頭上で、配達員を装った何者かの声と、近くに潜んでいたらしい仲間たちの声が飛び交う。
「やはり、ひそかに動向を探っていた甲斐があった。二人いると面倒なことになっていただろうからな」
「術を使わせるな! 睡眠ガスも吸わせておけ」
「御しやすそうなのは紅いほうだと聞いていたんだが、この青いほうも呆気なかったな。騒ぎにならないうちにさっさと退散するぞ」
 攻撃術を発動する間もなく睡眠ガスが吹き掛けられて、ブルーの意識はぷつりと途切れた。

 IRPOでのひと仕事を終えてオウミの自宅前へと戻って来たルージュは、空気中に漂う微かな異臭に眉を顰め、途轍もない胸騒ぎを覚えて反射的にドアノブに手をかけた。扉には鍵が掛かっておらず、その勢いのままにすんなりと開け放たれてしまう。
「ブルー!」
 片割れの名を呼んで室内に駆け込んだが、やはりの姿はなかった。気配すらない――嫌な予感は当たってしまったようだ。
(……微かに漂っていたあの匂いは、毒や睡眠状態を引き起こすものだろう。旅をしていた時に、何度も浴びたことがある。だが、術を使った痕跡はなかった。となると、ブルーはほぼ抵抗できずに連れ去られたことになる。僕が留守にしていたタイミングを狙った犯行……誰が、何のために……?)
 沸々と湧き上がる戸惑いや不安、怒りの感情。だがおのれとブルーは、敵同士であった頃から共鳴し合った「双子」である。融合・和解・再分離を経て一層絆が深まった今、片割れの〝気〟を辿ることはそう難しくはないはずだ。ルージュの紅い瞳に鋭い光が宿り、瞳と同じ色の法衣と長い銀の髪がゆらりと揺らめいた。

 眠りから覚めたブルーの目に飛び込んできたのは、見知らぬ白い部屋の天井だった。状況を把握するべく体を起こそうとしたが、手足が鎖で拘束されており、ほとんど身動きが取れない。
(やはりあれは夢ではなかったか。俺としたことが、しばらくの平穏な暮らしで気を抜き過ぎていたようだ。……鎖に術が施してある。『エナジーチェーン』……魔術の心得がある奴の仕業か。その上『サイキックプリズン』まで。これは、魔術の資質を持つ人間のみが使用可能な術だ。ということは、敵にキングダムの術士がいる、ということか……?)
「おや、お目覚めか。案外早かったな」
 鎖が擦れる音が聞こえたのだろう。不意に扉が開かれ、薄紫色の長いローブを纏った人物が姿を現した。男とも女ともつかない中性的な声で性別は分からず、フードを目深にかぶっているため、口元しか見えない。分かるのはすらりとした体躯の持ち主であることと、わずかに覗く肌が異様に白いことくらいだ。
(……こいつは術士だ。それも、かなり上位の。だが、それだけではない何かを感じる……この妙な気配は何だ?)
 目の前にいるのは一人のはずなのに、まるで、複数人に見下ろされているような感覚。そのくせ人特有の〝温度〟を感じさせないあまりにも無機質な佇まいに、言い知れぬ不気味さを感じる。
 警戒心を露わにするブルーへ、謎の人物がゆっくりと近付いてきた。今のブルーに抵抗するすべはなく、またこの者の正体や実力、目的が不明である以上はおとなしくしているしかなさそうだ。
 謎の人物はブルーのすぐそばまでやって来てその場にしゃがみ込むと、優しく囁くように語りかける。
「君は対決で生き残って地獄を封印したほうの術士だね? しかしなんらかの方法で君たちは再び分かたれ、故郷を捨て、兄弟二人で生きて行くことを選んだ。……類稀なる才を持ちながらそれを生かすことなく、揃って凡人に成り下がるなんてね。本来ならば半人前に戻った君たちになど、興味はないのだけれど」
「……お前は……」
 謎の人物の全身から魔力のオーラが立ち上り、ローブが揺らめく。その袖からたおやかな手が現れ、ブルーの頭上にかざされた。――魔力が、吸い取られている! それに気付いた瞬間ブルーは歯を食いしばり、バックファイアによるダメージを受けること覚悟で適当な初級術を発動しようとする。
「おっと、させないよ。君はここで僕に全ての魔力を捧げ、凡人以下の抜け殻になるんだ。君の次は、もう一人。半人前となった君たちの魔力を貰い受けることなど、今の僕には造作もない」
「貴様……っ」
 手足を拘束する鎖にさらに強い魔力が込められ、ブルーの詠唱は即座に中断された。かつてない屈辱感と絶望感にブルーの顔は青褪め、謎の人物が口元にニィ、と笑みを浮かべる。
「それぞれは半人前でも、二人分の魔力を吸い上げれば最強の術士に近付くことはできるだろうね。もちろん、君たちが融合していた時の『完全な術士』には遠く及ばないだろうけれど。――彼はマジックキングダム生まれの純粋な〝双子〟だから、血肉や魂は上物中の上物だ。魔力が尽きれば用は無くなるから、あとはお前たちの好きにしていいよ」
 謎の人物が言い終えるやいなや再び扉が開き、異形の者たちが一斉に部屋へとなだれ込んできた。その全てが最強クラスのモンスターで、例えブルーの術力が完全な状態であっても、一人では到底殲滅はできないだろう。
 無抵抗のまま全魔力を奪われ、茫然自失となったブルーに、飢えたモンスターの群れが迫る。
(……俺はこんな得体の知れない奴に翻弄されたあげく、モンスターどもに食われて死ぬのか。俺の、俺たちの人生は、まだ始まったばかりだというのに)
 『完全な術士』になるため一度はあやめたものの、とある妖魔の手によって再び蘇り、今やたった一人の〝家族〟にまでなったルージュの顔が思い浮かぶ。――崩壊した故郷を復興し、残された子供たちを守り育てるという責務を放棄した俺たちにはやはり、人並みの幸福を得ることは許されないのか。ルージュと共に、新たな人生をもっと謳歌したかった――じわりと滲んだブルーの視界いっぱいに、獲物を前にして目を爛々と輝かせたモンスターたちの姿が映る。

 それらは突然宙に浮かんだかと思うとぐるりと反転し、硬い床に頭から叩きつけられた。
 直後、倒れ伏したモンスターたちの向こう側にいる謎の人物の周囲に八本の空気の槍が現れ、その体を串刺しにしながら壁に縫い止める。
「ぐは……っ!?」
「追跡をかわすための結界は張られていたようだが、不完全なものだった上にお前の配下たちが扉を閉めずにいたことで、容易に辿ることができた。恨むのなら低能な配下たちと、愚かなお前自身を恨むんだな」
 空術『リバースグラビティ』『ヴェイパーブラスト』を続けざまに発動したと思われる人物が、部屋の出入り口に立っていた。長い銀の髪に紅い瞳、鮮やかな赤色の法衣を纏った青年――他でもない、ブルーの双子の兄弟・ルージュだ!
 ルージュはブルーを一瞥しただけで、すぐに視線を謎の人物へと戻した。彼は前進しつつ印術『魂のルーン』を発動して自身の全能力を高め、まず、起き上がろうとしているモンスターたちを魔術『ヴァーミリオンサンズ』で一掃した。そこから間髪を入れず威力が格段に上がった空術『ヴェイパーブラスト』を謎の人物に再び打ち込むと、その衝撃での者の口や体から黒い血が噴き出し、頭部を覆っていたフードが捲れ上がったことで素顔が明らかになる。
「!」
 現れたのは鮮やかな金髪に金色こんじきの瞳、雪のように白い肌――かつて『地獄』で見た〝天使〟に瓜二つの顔だった。だがその美しい顔を憎しみに歪め、自身から溢れ出た黒い血で染まっている様は、ひどく陰惨だ。
 〝天使〟は凶悪な笑みを浮かべながら、驚くべきことを口にする。
「ふっ、ふははっ……! もう一人の術士よ、君は自分が何をしたか分かっているのか? 君たちほどの術士ならば薄々気付いているとは思うが、僕のこの体には、君主様の復活のために尊い犠牲となった術士たちの魂と力が宿っている。つまり君がこの体を傷つけるたびに、君たちの同胞は耐え難い苦痛と悲しみに苛まれ――」
「それがどうした」
「……何?」
 〝天使〟の言葉を遮ったルージュが魔術『エナジーチェーン』を発動し、その体をきつく締め上げた。彼は魔力の鎖を介して〝天使〟から魔力を奪い返しながら、あざけるように言う。
「所詮はただの盗人か。相応の魔力をその身に宿したとて、中身が伴っていなければ意味がない。魔術だけは何人もの術士を殺したことで上位術を習得したようだが、資質を持たないお前には発動できても一度きり、等の制約があるはずだ。……見たところ、お前が使用可能な上位術は『サイキックプリズン』のみ。そして我らの同胞がお前の内でどれだけ苦しもうと、今の彼らは生身の人間ではない。よって、お前ごとあの世へ送るだけだ」
「何、だと……お前に、憐憫の情というものは、ないのか……! その上、たかが半人前に過ぎない貴様が、何故……」
「何故だろうな。お前を見ていると、無限に力が湧いてくる」
 耐え切れずに崩れ落ちた〝天使〟をルージュは冷たく見下ろし、苦痛と屈辱に歪んだその顔を蹴り飛ばすと、倒れた勢いで床に打ち付けられた横顔を思いきり踏みつけた。それでも反撃しようと〝天使〟は詠唱を始めたものの、自身の魔力がいつの間にかからになっていることに気付いて、歯軋りする。
「ば、馬鹿な……僕は最も多くの術士たちを食い、最も君主様の近くに在り、復活の儀式を成功させ、あの楽園が封印される前に唯一地上へと脱出為果しおおせた、大いなる存在だ。それなのに……」
「己の力量を見誤ったな。――魂ごと吹き飛べ。『インプロージョン』!」
 ルージュが魔術『インプロージョン』を発動すると〝天使〟は結界に閉じ込められ、みるみるうちに圧縮されて行くその内部で爆発が起こった。儚く美しい容姿にはあまりにも不似合いな断末魔の叫びが響き渡り、飛び散った肉片は一瞬で灰と化した後、跡形もなく消え去る。
「……」
 爆風が治まり、真っ白な部屋に静寂が訪れてから、ルージュは改めてブルーに視線を向けた。彼と視線が合うとルージュの険しかった表情は徐々に和らいで行ったが、当のブルーはさっと目を逸らし、気まずそうに顔を背けてしまう。
「……大丈夫かい? ブルー」
「……」
「――『ヴォーテクス』。よし、これで君を苦しめていた全てのマイナス効果は消えた。怪我は……していないみたいだね。毒で体力を少し消耗したくらいか。『スターライトヒール』は僕には使えないから、はい、これ」
 すぐ側までやってきたルージュに神酒を差し出されたが、ブルーはそれをすぐには受け取らなかった。不思議そうに目を瞬かせたルージュへ、緩慢な動作で身を起こしたブルーは暗い表情で呟く。
「……何も、できなかった。さぞお前は、俺を軽蔑しているんだろう」
「軽蔑? とんでもない。あんな奴が現れるなんて想像もしていなかったし、もしいつもどおりに僕が対応していたら、連れ去られていたのは僕のほうだっただろう。平和な日々続きで、気が緩み過ぎていたのかもしれないね。今回みたいなことが今後ないとは限らないし、これからは用心しよう」
 努めて明るい声で話すルージュからようやく神酒を受け取ったブルーだったが、術士としてのプライドを傷つけられたこともあってか完全に術力を取り戻してからも、彼はどこか浮かない顔で自らの考えを口にする。
「……あいつは、本来ならば『完全な術士』を狙っていたようだな。だが俺たちはヌサカーンの手によって再び二人に分かたれ、術士としても半人前に戻った。当ては外れたが、奴は一人ずつからでも魔力を奪えば結果的に己を強化できると考えた。その身に膨大な魔力を蓄え、機が熟した時に再び『地獄』の封印を解き、君主を復活させることを目論んだのだろう。しかし、そう事は上手く運ばなかった。それなりの魔力を蓄えたはずのあいつが『サイキックプリズン』以外の上位術を習得できなかったのは、奴の内で無理やり生かされていた術士たちがせめてもの抵抗を示したからではないかと俺は思う。奴と戦っていたのは、お前だけではなかったんだ」
「……」
「だからといって、お前が奴ごと術士たちを消し去ったことが間違っていたとは思わない。術士たちも、あんな形で生き長らえたいとは思っていなかっただろうからな。俺がお前の立場でも、同じ選択をしていた。――それにしても」
 話しているうちにいくらか気が晴れたのか、立ち上がってルージュと向かい合ったブルーが、意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「今回の件で、よく分かったぞ。普段いくら人格者を取り繕っていても、お前の本性は苛烈で残忍だということを。俺ばかりが悪く言われがちだが、お前も俺とそう変わらん、とな」
「っはは……なんたって僕は、性悪と名高い君の双子の兄弟だからね。似た者同士なんだよ。それに身内が傷つけられたら、怒って当然じゃないか。幸い、手加減のいらない相手だったしね」
「ふん……まあ、今回ばかりは俺に落ち度がある。……すまなかったな」
 小声で謝罪と感謝の言葉を口にしたブルーに、ルージュは穏やかな笑みを浮かべて答える。
「どういたしまして。さあ、帰ろうか」
 部屋の外に出ると一瞬でどこかの森の中へ飛ばされたが、『ゲート』は問題なく開くことができた。すぐさまオウミに移動し、自宅へと続く道を歩いている最中さなかに、ルージュがやや遠慮がちに切り出す。
「……ブルー。相談があるんだけど」
「何だ?」
「近日中に、玄関チャイムを変えないか? 音だけするものじゃなくて、扉を開ける前に来客の顔が見えるタイプのものに。あんなことがあった後だし、いい機会だと思って。どうかな?」
「……そんなものがあるのか?」
「あるんだよ。レッドの家がそうだったから。彼いわく、それに変えたおかげで怪しい奴を玄関先で追い返すことができるようになったらしい。たまに来る胡散臭い訪問販売を追い払うこともできるし、悪い話じゃないと思うんだ」
 ルージュの話に、ブルーは少し考えてから首を縦に振る。
「そうだな、いいだろう。だが、そんな金はあるのか?」
「もちろん。僕個人の買い物は君より多い自覚はあるけど、大抵のものは日々の生活に役立てているし、決して一人でお金を使い込んでいるわけでもないからね。余裕は充分に持たせているつもりだよ」
「そうか。ならば今後の生活を快適に保つためにも、俺も半額出そう。どのリージョンに売っている?」
「シュライクとマンハッタンになら確実に売っているだろうね。今日はゆっくり休むとして、明日にでも見に行こうか」
 自宅前に到着し扉を開けると、何日もかけて二人で作り上げてきた温かな室内の光景が視界に入ってくる。まだまだ家具は少なくやや物足りなくも感じる部屋だが、今後も共に暮らすうちに、理想の空間が出来上がって行くだろう。兄弟水入らずの新生活は、まだ始まったばかりなのだ。
「……うん、やっぱり家に帰ってくるとホッとするね」
「……ああ」
 術を極めることよりもっと大切なものを見つけ手に入れた、二人の青年。――今、僕たちは、俺たちは、とても幸せだ。
 部屋に入るなりさっそくソファーに沈み込んだブルーへ「紅茶でも淹れる?」とルージュが尋ねると、ブルーは深く息を吐き出しながら、「頼む」と答えたのだった。
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