遠く離れていても

 双子ゆえか、「彼」が近くに来た気配は、配下の術士たちが騒ぎ出す前から分かる。
(ああ、帰ってきたか)
 ブルーはペンを走らせていた手を止め、椅子から立ち上がった。外界へ旅立っていた自身の片割れ、ルージュを迎えるために。

「ルージュ様だ! ルージュ様がご帰還なされたぞ!」
「ブルー様に、ルージュ様ご帰還の報告を!」
「……騒ぐな。もう知っている」
 術士たちが転がり込んでくる前にブルーは扉を開け、冷静にたしなめた。息を切らしている術士たちはハッと目を見開き、なるほど! と手を叩く。
「ブルー様とルージュ様は双子の兄弟であらせられるゆえ、我々が知らせなくとも先にお気付きになられるのですね」
「さすがは双子のご兄弟。やはり我らとは格が違いますな!」
「世辞はいい。お前たちは持ち場に戻れ」
「はっ!」
 来た時同様、ばたばたと慌ただしく去って行く術士たちを見て、ブルーは小さく溜め息を吐いた。
 彼らの年の頃は、おのれより少し若い十七、八くらいだろうか。『地獄』の住人たちの大襲撃から、よくぞ生き延びたものだ。あの襲撃でこのマジックキングダムの美しい街並みは見るも無残な姿になり果て、多大な犠牲者を出した。だが町も人も、完全に潰えたわけではない。己が在り、生き残りの術士たちがいる限り、復興はできる。悪しき慣習を断った、まったく新しい体制のマジックキングダムを造ることができるのだ。
 長く秘されてきた真実を知り、地下の『地獄』を封印した英雄・ブルーは、マジックキングダムの新たな指導者として生きることを決めた。
 一方で、一度は消滅したもののブルーの中で生きていたルージュは、奇跡的に再び肉体を得て甦り、ブルーとは異なる生き方を選んだ。新たな気持ちで各地を訪れ、さらに見聞を広める旅へ。身動きの取れないブルーの目となり耳となり、時々は帰ってくることを約束して旅立って行った。
 そんなルージュが、一年ぶりに帰ってきたのだ。きっと、多くの土産話があることだろう。たった一人の兄弟だ、こちらも話したいこと、聞きたいことは山ほどある。わずかにはやる気持ちを抑えながら、ブルーはルージュが執務室に来るのを待った。

 ルージュはすぐには姿を現さず、しばらく間を置いてからやってきた。律儀な彼のことだ、迎えに出てきた術士たち一人一人に挨拶でもしていたのだろうと、容易に想像がつく。
「ブルー、ただいま。帰ったよ」
 自身と同じ声が扉の外から聞こえ、ブルーは「ああ、入れ」と素っ気なく答えた。ルージュが扉を開けると薄暗い部屋の奥にブルーが座っており、少しの時間でも無駄にするまいと言わんばかりに、淡々と職務に励んでいるのが見えた。彼の目の前には、処理すべき書類が山積みだ。
「……もう少し照明を明るくしなよ」
「……部屋に来て第一声がそれか」
 室内を見回してはあ、と溜め息を吐いたルージュに、ブルーもようやく手を止めて顔を上げた。その眉間には皺が寄っていて、とても兄弟との再会を喜んでいるようには見えない。だが少なくとも拒絶の意思は感じられないので、ルージュは真っ直ぐにブルーの側へと向かった。このリージョンの住人で今のブルーに無遠慮に近付くことができるのは、ルージュだけだ。
「ここで長話をするのもね。君の部屋に移動するかい?」
「そうだな。が、話しがてらお前が手伝ってくれるのであればこのままでも構わんが」
「嫌だよ、話しながら仕事なんて。僕は手紙を書くのは好きだけど、デスクワークは苦手なんだ」
「……」
 こいつ、更々手伝う気がないな。黙り込んだブルーにルージュは特に気にしたふうもなく、「さあ、行こう」と執務室を出て行く。
 簡素ではあるがブルーの私室として設けられた部屋に移動すると、ブルーはルージュを先に座らせ、普段休憩時に飲んでいる紅茶を淹れた。気を利かせた配下の術士たちが、外のリージョンで買ってきてくれたものだ。
「……順調?」
 ルージュがくと、ブルーは小さく首を横に振る。
「とは、決して言えんな。崩れた建物の修復は外から呼んだ連中に任せているが、地下の新生児処理施設から連れ出した子供たちの世話までは、さすがに任せられん。生き残った術士が少ないせいで、常に人手不足だ。俺は俺でやるべきことが多過ぎて、なかなか個々の件にまで手が回らない。俺がもう一人欲しいと思っているくらいだ」
 ブルーにちらりと一瞥されて、ルージュは苦笑した。暗に協力しろと言っているのだろう。しかし旅立ちを許可してくれたのは他ならぬブルーで、融合していた時の影響で、互いの性分はよく理解している。己が再び旅立つことも分かっているはずだ。ルージュもまた、小さく首を横に振って答える。
「別に僕は、生涯キングダムに戻らないと言っているわけではないよ。以前にも言ったけど旅の中で色々な人たちと接して多くの価値観を学んでからキングダムの、ブルーの役に立ちたいと思っているんだ。僕たちは非人道的な思考を押し付けられて育った、歪んだ人間だからね。新しいキングダムには、二度とあんな悪習を持ち込んではならない。僕だって正しいやり方で復興・繁栄して行くキングダムが見たいし、そんなキングダムで一生を終えたい。行き着く先は、君と一緒だよ」
「つまり、キングダムが完全に復興するのを待ってから戻って来るつもりか。無責任とも取れる発言だな」
「またそういうことを言う……僕自身が納得行くまで、さ。少なくとも、今はまだ充分に成長したとは言えない。幼い頃からの洗脳って、なかなか抜けないものだから」
「それだけ自己分析ができていれば充分な気もするがな。……俺は知っているぞ。多くの価値観を学びたいと言いながら、お前がバカラで豪遊していることを。女にも頻繁に言い寄られているそうだな?」
 やや不機嫌そうに言うブルーにルージュは一瞬目を丸くし、再びの苦笑の後に肩をすくめる。
「どこでそれを……そうか、ヒューズが君に話したのか。まったく……バカラで偶然儲けたのは事実だけど、僕に近づいてくる女性のほとんどは、間違いなくお金だけが目当てだよ。誰とも付き合うつもりはないし、いつも適当にあしらってる。身の程は、ちゃんとわきまえているよ」
「俺への手紙には、女のことは一言も記されていなかった。ヒューズは時折ここに来るからな、その時に聞かされた。俺が日々キングダム復興のことで頭を悩ませている裏で、お前という奴は……」
「だから、ただ遊び歩いているわけじゃないんだって。それに何事も経験、って言うじゃないか。キングダムの復興が落ち着いたら、その時は二人で世界を廻ろう。ね?」
 両手を合わせて可愛らしく首を傾げてみせたルージュだったが、ブルーの眉間の皺が消えることはなかった。

 それからも二人は、色々な話をした。
 ブルーはルージュの見聞きしたものを時に羨ましく思い、時に復興のヒントになるのではないかと考え、ルージュはブルーの奮闘ぶりを聞いて「こうしたらもっと君の負担が減るんじゃないか」と提案したりと、様々な意見交換をした。こんなにじっくりと話したのは初めてで、気が付けば外はすっかり暗くなっていた。「少し外に出て体を動かそうか」とのルージュの言葉に、ブルーも同意する。
 広場中央の噴水はほぼ元通りに修復されており、夜でも術士たちや外のリージョンから復興の手伝いに来ている者たちの憩いの場となっていた。彼らはブルーとルージュを見るなり姿勢を正して挨拶し、邪魔をしてはいけないとばかりにそそくさと立ち去って行く。これは僕じゃなくてブルーに対しての遠慮なんだろうなと、ルージュは思う。
「夜風が心地いいね」
「ああ」
「学院にいた頃も、よくこうして夜風に当たっていたよ。夜の闇に紛れて、月の満ち欠けや星々を観察するのが好きだった」
「俺も同じだ。ときおり研究室から天文機材を持ち出しては、夜空の月や星を眺めていた。今も、晴れた日の夜にはそうしている」
「同じく。……僕たちって一見正反対のようだけど、本質はやっぱり似ているんだろうね。離れて育っていても、キングダムの教えを受けた術士であることに変わりはないから」
「今となっては忌々しく思えるがな。だがキングダムが崩壊し、全てが明るみに出たおかげで目を覚ますことができた。地獄の住人の襲撃が無かったら今頃俺たちはキングダムの傀儡のまま生き続け、新たな悲劇を生み出し続けていただろう。歴代の〝作られた〟双子たちと同じように」
 ルージュがブルーに目を向けると、ブルーもまた、ルージュを見た。本来ならば、隣に並び立っているはずのない相手。術士としては半人前に戻ったものの、それ以上に大切なものができた。今はまだ別々の道を歩んでいるが、これからは殺し合うことも反目し合うこともなく、手を取り合って生きて行くことができる。自分たちが造り出す、新しい故郷で。
 しばし無言で見つめ合った後、ふ、と小さく微笑んでルージュが口を開く。
「……そうだ。地獄から生還して僕が再び肉体を得てから、今日でちょうど一年。だからこそ、帰ってきたんだけれど。せっかくだから、星空の下で君と語らいながら一献傾けるのもいいんじゃないかと思ってね。とっておきの酒を用意してあるんだ」
「酒? まさか、ヨークランドで俺が杯のカードを得る際にさんざん飲まされた酒ではあるまいな」
「違う違う。マンハッタンで買った、青いカクテルと紅いカクテルだよ。二人で飲むのにぴったりだろう? 一年前はこんなふうに語り合ったり飲んだりしている暇なんてなかったからね。だから今夜は、じっくり楽しもう」
 そう言ってルージュは荷袋の中から二本のカクテルと二つのカクテルグラスを取り出すと、青いカクテルを注いだグラスをブルーに差し出した。ブルーがそれを受け取ると、ルージュは自身のグラスに紅いカクテルを注いで持ち上げる。
「じゃあ……まずは、再会を祝して。そして君と僕、キングダムの新しい未来に――乾杯」
「――乾杯」
 ブルーもグラスを持ち上げ、どちらからともなく頷く。それぞれの瞳と法衣の色に合ったカクテルを飲みながら、二人は満天の星空の下で、心行くまで語り合った。

 酒に酔ったというよりは話し疲れて部屋へと戻り、ブルーは自身のベッドで、ルージュは一人掛けの椅子を借りて眠った。
 窓が近かったためにいち早く朝の光を感じて目を覚ましたルージュは、まだ眠っているブルーを見てなんとなく安堵した反面、彼を起こすか起こすまいか悩んだ。寝ているところをわざわざ起こすのは悪い気がするし、だからといって黙っていなくなれば、次の帰還時にねちねちと文句を言われるに違いない。しばし悩んでいると当のブルーがうっすらと目を開け、眉間に皺を寄せながらルージュをじっと見つめた。しかも、何か言いたげだ。
「ああ、起きたんだ。おはよう、ブルー」
「……」
「……何?」
「……もうつのか?」
 どこか不満そうな表情のブルーへ、ルージュは苦笑して小さく頷く。
「うん。昨日だけで、おそらく一年分くらいは話したからね。悔いはないよ」
「そうか。一日くらいは滞在するものだと思っていたんだがな」
「僕はまだ、旅の途中だから。まだまだ挑戦してみたいこともあるしね。また何か有用な情報があったら、手紙に書いて送るよ。……それじゃ。次に会う時まで、元気で」
 身を翻した途端に手首を掴まれ、ルージュは驚いて振り返った。見れば背後に立ったブルーが真剣な表情でルージュを見据えており、自分の近くへ来るようにと手招く。
 素直に従って近付いてきたルージュの体を、ブルーは自身の腕の中に抱き込んだ。突然のブルーからの抱擁にルージュは戸惑ったが、すぐにその意味に気付いてブルーの背に腕を回し、しっかりと抱きしめ返す。
「――ルージュ。お前の旅の無事を祈る。帰りたくなったら、いつでも帰って来るといい。それまで、達者でな」
「――ああ。今よりもっと成長して、必ずまた帰ってくるよ。ブルーとこれからのキングダムに、幸多からんことを」
 互いの温もりを噛み締めてから、抱擁を解く。ルージュはブルーに背を向けその場でゲートを開くと、一切振り返ることなく姿を消した。残されたブルーはゲートが消えた後もしばらく立ち尽くしていたが、部屋の外に響く慌ただしい靴音を聞いて現実に引き戻され、襟を正すとマジックキングダムの現指導者として、執務室へと戻って行った。

 数年後――
 ブルーの側には常にルージュの姿があり、美しく聡明で仲睦まじい双子の兄弟が治めるマジックキングダムは壮麗ながらも以前より遥かに開かれ、種族を問わず多くの者たちが行き交う唯一無二の魔法王国として発展して行ったという。
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