マンハッタン・デート

「……本当に、それでいいのか?」
 共に旅をした仲間たちが去って行く中、一人引き返してきたリュートの問いに、ブルーは頷く。
「ああ。もう、決めたんだ」
「でもよ、お前は……お前たちは、充分過ぎるほど充分に務めを果たしただろ。だからもう、ここの奴らの言いなりになる必要なんてねえんだ。さんざん振り回された分、これからは、胸張って自分の人生を生きていい。何か他にやりたいことはないのかよ?」
 普段は糸のように細い目をいっぱいに開いてさとしてくるリュートへ、ブルーはふ、と息を吐き出して、静かに微笑んだ。今までにない穏やかな笑顔を目の当たりにして、リュートは二の句が継げなくなってしまう。
「どんなに非情で自分勝手なリージョンだろうと、ここは俺たちが生まれ、育った故郷だ。それに俺たちは、マジックキングダムの術士であることに誇りを持っている。だからこそ俺はこの手でキングダムを復興させて、残された子どもたちの成長を見守りながら、正しいやり方で術士たちを導きたい。これが俺のやりたいことであり、俺の生き方だ」
「ブルー……」
 真っ直ぐな瞳。揺るがない、強い意志。ブルーが自ら考えて決めたことに、反対する権利などない。リュートは目を伏せ、ひと呼吸置いてから再び口を開く。
「……そっか。これからは自由に生きてみたい、改めて旅に出たいって言うんだったら、とことん付き合おうって思ってたんだけどな。お前が自分で決めたことだったら、これ以上俺からは何も言えねえや」
「実はその件で、ルージュとは少し揉めた。あいつは新たな気持ちで各地をまわって見聞を広め、多くの価値観を学んでからキングダムに戻りたいと考えていたようだ。確かにそれも、一理ある。だが俺は、今すぐにでもキングダムを元どおりに……いや、昔以上に美しく、つ開かれたリージョンにしたい。これはきっと、完全な術士となり、キングダムの全てを見てきた俺にしかできないことだと思う」
「……」
 ブルーとリュートの話がひと区切りついたと思ったのか、生き残りの術士たちが二人の元へと歩み寄ってくる。――いよいよ、別れの時が近付いている。これからも会おうと思えば会うことはできるだろうが、復興が軌道に乗り、ブルーやルージュが人生のほとんどを過ごしたという魔術学院が再建すればまず間違いなくブルーは校長に選出され、ますますマジックキングダムから離れられなくなるだろう。だがそれは、彼自身が選んだ道。自分たちの旅は終わり、これからは別々の場所で、それぞれの人生を歩むことになるのだ。
(……うん。実行するなら、今しかないな)
 何かを決意したリュートが顔を上げたのと、術士たちがブルーに呼びかけたのは、ほぼ同時だった。
「最後の術士よ、ご友人との話は終わったか? では、そろそろ……」
「いや、まだ終わっちゃいない。明日の朝まで、おたくのとこの英雄殿を少し借りるよ」
「……え?」
「なっ……!?」
 ざわめく術士たちをよそに、リュートはブルーの腕をいつになく強引に引っ張ると、急激にその場から遠ざかった。一瞬何が起こったか分からず数歩歩かされたところでブルーがようやく我に返り、リュートの手を振り払おうとする。
「おい、リュート! 何のつもり――」
「理由は後で話すから、とにかく移動! 目的地は、マンハッタン」
 しばし戸惑ったブルーだったが、リュートのことだから何か考えがあるのだろうと急かされるままに『ゲート』を開き、二人の青年は、一瞬にしてその場から姿を消した。後には、唖然とした表情の術士たちが残された。

◇◇

「……それで? どういうことだ?」
 買い物客で賑わうマンハッタン・ショッピングモール。ここへ来るのは初めてではないものの、術の資質を得るのには無関係なリージョンであり、またブルーが人混みを嫌うことから、全員で訪れたのは一度きりだった。もうここへ来ることなどないだろうと思い込んでいたからか、殊更に仏頂面で問うてきたブルーへ、リュートはニッと笑ってみせる。
「以前、お前に話したことがあっただろ。『この旅が終わったら一日時間を作って、思いっきり飲んで、遊んで、夜通し騒ごう』って。それを、今日実行するんだよ」
「……本気でやるつもりなのか」
「当然! 俺たちはまだ若い。『ある程度キングダムが落ち着くまで』なんて言ってたら、何十年先になるか。その頃にはお前も俺もすっかりジジイになってロクに歩けなくなっちまうか、どうかするとどっちかが先にくたばっちまう可能性が高い。だから、今やるんだよ。今しかない。お前はもちろん、お前ん中の旅好きのルージュのためにもな」
「……」
「ってことで、まずはゲーセンがいいかな。シュライクにもあるけどあっちよりこっちのほうが最新式だし、規模もでかいんだ。面白いもんがたくさんあるんだぜ~」
「なっ、勝手に……おい、引っ張るな!」
 またも腕を掴んできたリュートの手を振り払い、ブルーは少々苦い顔をしながらも、三歳年上の青年の後に続いた。

 クレーンゲームにシューティングゲーム、レースゲームに音楽ゲーム。どれもこれも初体験で双方共に失敗続きだったが、プライドの高いブルーには、それが我慢ならなかったらしい。彼をゲームセンターへと誘ったリュートよりもはるかにムキになり、成功するまで決してその場から立ち去ろうとはしなかった。元々物覚えのいいブルーは回を重ねるごとに上達し、クレーンゲームではカゴが獲得した景品でいっぱいになり、その他のゲームでは、いつの間にかギャラリーが集まるほどの高得点を叩き出した。背後から囃し立てられて得意げな顔をしているブルーを、やや置いてけぼりな気分を覚えながらも、リュートも一緒に褒め称える。
「……すっかり人気者になっちまって。お前、俺よりはるかにエンジョイしてたなあ」
「楽しんだわけではない。劣っているおのれに耐えられなかっただけだ」
「劣ってるって、ただの遊びじゃないか。もっと気楽に考えろって。――さぁて、次はメシだ。といっても俺はお上品な店は苦手だからな、気軽に入れるイタメシ屋をチョイスさせてもらうぜ。クーロンのルーファスの店と、どっちがウマいかな?」
 イタメシ屋の「メシ」は「飯」という意味で間違いないのだろうが、「イタ」とは果たして、何のことを指すのだろうか。そんな疑問を抱きながらも、二人は次なる場所へと向かった。

「う~ん、ウマかった! パスタの汁が服に飛んじまったけど、満足だあ」
「汁ではなくソースと言え。それにああいう店で出されるパンはかぶり付くものではなく、手で少しずつ千切って食べるものだ。同席していて恥ずかしかったぞ」
「なんだよ~、カジュアルな雰囲気のレストランだったんだから、細かいことはいいだろぉ」
「良くない。俺に恥を掻かせるな」
 顰め面をしながらも、ブルーはリュートと肩を並べて歩く。
 それからも二人は、様々な店を巡った。本屋に長居したブルーが、早々に飽きて休憩スペースで熟睡してしまったリュートを叩き起こしたり、雑貨屋でリュートが妙な物を買ってブルーに「意味が分からない」と言われたり、服屋で普段は着ないような服を試着して、「思ったとおり似合わんな」「え、意外とイケてるんじゃね?」と互いに評価し合ったり。広大なマンハッタンを一日で回りきることなど到底無理な話だったが、彼らは二十代の若者らしく、大都会での一日を満喫した。外がすっかり暗くなってから高層ビルの展望台へとやってきた二人は、しばしの間、眼下に広がる夜景を楽しむ。
「……はあ、さすがに疲れたなあ。明日は筋肉痛に悩まされる一日になりそうだ。もう既に脚がプルプルしてるけど」
「……」
「でも、今日一日、楽しんでくれたかい?」
「……まあな。悪くはなかった」
「素直じゃないなあ。そこはちゃんと『楽しかった』って言ってくれよ。――それじゃラストは、都会ならではのミュージックバーで。俺も存在は知ってたけど、入るのは初めてだから楽しみだよ」
「ミュージックバー? 俺は特に音楽には……」
「まあまあ、そう言うなって。とにかく幅広いジャンルの音楽が聴けるし、良質な酒も飲めるんだ。とびっきりオトナな夜を過ごそうぜ」
 内なるルージュに「お前はどう思う?」と伺えば、「僕は興味があるよ。せっかくだから、最後まで彼との時間を楽しまなきゃ」と返ってくる。ブルー自身はあまり気乗りがしなかったが、リュートのことは信頼しているし、新しい世界に触れることで己の視野が広がることもある。――ルージュの言うとおり、最後まで付き合うとするか。そう決めて、ブルーはリュートに従うことにした。

 リュートが言ったとおりミュージックバーでは様々なジャンルの曲が流れ、客を飽きさせない工夫がされているなとブルーは思った。酒が入って上機嫌になっているせいもあるのだろうが、見知らぬ客と親しげに話しているリュートを横目で見ながら、ブルーは静かにグラスを傾ける。
(……俺も疲れているな。まだあいつほど飲んでいないにもかかわらず、少し眠気が)
「おうブルー、大丈夫か~? 眠いんならそろそろ宿屋に向かうか?」
 他の人間と話していても、常にブルーのことを気にかけていたらしい。額に手をやり目を瞑った彼を見て、リュートが気遣わしげに覗き込んでくる。
「……俺のことは気にしなくていい。お前はまだ話し足りないだろう」
「何言ってるんだよ。今日の主役はお前だぜ? 俺はまたいつでも来れるけど、お前はそういうわけにいかないだろ。――ってワケで悪いな、連れが限界みたいだからここでサヨナラだ。またいつか会えるといいな」
 すっかり仲良くなった初対面の客たちに別れを告げ、リュートはブルーの背をぽんぽんと叩いた。促されたブルーも素直に立ち上がり、リュートと共に店を後にする。
「……すまんな。俺のせいで……」
「急にしおらしくなったな。気にすんなって。大丈夫だ、俺も今ベッドに入ったら三分以内に寝れる自信があるぜ。英雄殿のレンタルは明日の朝までって約束だし、昼前までにはちゃあんとお返ししないとな」
「……」
 再び軽く背を叩き、肩を組んできたリュートから、ブルーは今度は逃れなかった。逃れ難かったのだ。

 宣言どおりリュートはベッドに横になるなり寝息を立て始め、先にシャワーを浴び終えたブルーに「せめて入浴を済ませて、寝巻に着替えてから寝ろ」と揺り起こされて、目を擦りながらバスルームへと消えて行った。
 それから、数十分後。リュートがバスルームから出ると、普段は高く結い上げられている長く美しい髪を解き、きちんと寝巻に着替えて本を読んでいるブルーの姿があった。男だけど「イケメン」って言うより「美人」だよなあ、男だけどと、リュートは思う。
「なんだ、まだ起きてたのか。てっきり先に寝ちまってるかと」
「――リュート」
「ん?」
 読んでいた本を閉じ、ブルーはベッドから立ち上がってリュートと向かい合った。タオルで頭を拭きながら何事かと目を瞬かせるリュートへ、ブルーは改まった表情で口を開く。
「俺に羽を伸ばす機会をくれたこと、感謝する。これからもお前と会って話をするくらいは可能だろうが、今日のようにキングダムの外に出て自由に時間を使うことは難しくなる。……お前がいてくれて、良かった」
「な、何だよ急に。らしくないな。……あ、もしかしてまだ酔ってんな? 明日でしばらくお別れだから、寂しくなっちまったかい?」
「……」
 しゅん、と俯いたブルーを見て、リュートは細い目を丸く見開いた。こんなブルーは、見たことがない。
「……え? まさかの図星?」
「――だ」
「んん?」
「……こんな感情を抱くなんて、思わなかったんだ。すぐにでもキングダムを復興したいと言ったのは、他ならぬ俺だというのに。それなのに今は、今日が終わってほしくない、まだこのリージョンに居たい、もうしばらくキングダムに帰りたくないと思っている。明日になれば、俺たちの旅は本当に終わる。もう二度と苦楽を、寝食を共にすることはない。全員でリージョン中を旅することは、もう無い」
「ブルー……」
 いつにないブルーの本心の吐露に驚きながらも、リュートは親友を穏やかに見つめ、やがてその頭を、次に細い体をそっと抱き寄せた。突然のことにブルーは一瞬体を強張らせたが、ぽんぽん、と頭や背を優しく叩かれて、次第に全身の力が抜けて行く。
「――いいんだよ、それで。俺だってめちゃくちゃ寂しいし、正直言うとお前たちに酷い宿命を負わせたマジックキングダムなんざほっといて、またみんなで一緒に旅をすればいいとすら思ってた。でもあそこはお前たちの生まれ故郷だ、そういうワケにはいかないんだよな。完全に見捨てることなんて、できないよな」
「……」
「明日が来れば、俺たちは離ればなれだ。俺にもゲンさんたちにも、それぞれの人生がある。でもな、これが今生の別れってわけじゃない。時々は、頑張ってるお前の顔を見に行くよ。できるだけゲンさんたちも誘ってさ。で、キレイにまともに復興したマジックキングダムで、酒でも酌み交わそう。思い出話をして、近況を話し合おう。なんたって俺たちは、あの地獄から全員で生還したんだ。だから、絶対に大丈夫だ」
「……っ」
 リュートの力強い言葉に、ブルーの視界が急激にぼやけ始める。ついに耐え切れなくなって微かな嗚咽を漏らした年下の美しい青年を、リュートは揶揄からかったりすることはせずに、幼子をあやすようにただただ抱きしめ続けた。

 気が付けばブルーは、ベッドに横たわっていた。部屋の窓からは、カーテン越しに光が射し込んでいる。朝が来たのだ。
 隣のベッドの青年は、いまだ夢の中。彼の呑気な寝顔を見た途端、昨夜の記憶が甦る。
 リュートの優しさと温もりに甘えて「まだ帰りたくない」「別れたくない」と駄々をこねたあげく、子供のように泣いた。だが覚えているのはそこまでで、きちんとベッドで眠っていたということは、リュートが寝かしつけてくれたのだろう。あまりの醜態にブルーは赤面してから青褪めたが、同時に己はようやく〝人間らしく〟なったのだなとも思う。それもこれも共に旅をした仲間たちの、そして何より、何かと親身に接してくれたリュートのおかげだ。
 少しの間、口を開けて寝ているその顔を見つめていたが、準備に時間がかかるのは明らかに己のほうなので、リュートはもう少し寝かせておくことにした。顔を洗って歯を磨き、法衣とアクセサリーを身に付けて、髪を結う。鏡に映った顔は、いつもどおり。大丈夫、目は腫れていない。
「……ん、んん~……あれぇ? もう朝かぁ」
 ブルーの準備が終わったところで、リュートが目を覚ました。振り返ったブルーは凛としていて、昨夜のような弱々しさは感じられない。男だけど相変わらずキレイだよなあ、男だけどと、リュートは再び思う。
「ふああ~おはよう、ブルー……って、準備万端じゃないか。俺も早く着替えないとだな」
「正式にキングダムに帰還するのに、寝坊などしていられんからな。術士たちは、俺が帰ってくるのを待ち侘びているはずだ。お前だって、ゲンたちが待っているだろう」
「うん……そうだな。クーロンで、待っててくれてる」
「ならば、さっさと着替えることだ。シップ発着場までは送ってやる」
 こちらに背を向けて自身が眠っていたベッドに腰掛けたブルーを、リュートはしばし無言で見つめる。マジックキングダムへ帰れば人々は彼を「完全無欠の大英雄」と崇め、ブルーも期待に応えるだろう。だが彼は二十二歳とまだ若く、内に脆さを抱える一人の人間。だから俺たちくらいは、本当のブルーを覚えていてやらなきゃな。そう心に決めて、リュートも朝の準備に取り掛かり始めた。

「それじゃ、俺はここで。諸々落ち着いたら、必ず遊びに行くからな」
「ああ。……色々と、世話になった。まずはシップ発着場を使えるようにするところからだが……お前たちなら、いつでも歓迎する。ゲンたちにもそう伝えておいてくれ」
「ん。……そろそろ出発か。じゃあな、ブルー。元気で」
「お前もな」
 観光客と思しき者たちが、そしてリュートが、順番にシップへ乗り込んで行く。それを見送ったブルーはひと呼吸置いた後、万感の思いを込めて「ありがとう」と口にした。小声ではあったがリュートの耳にはしっかり届き、彼はとびきりの笑みを浮かべて片手を上げる。
 やがてリュートを乗せたシップが動き出し、リージョンの海へと消えて行く。シップが完全に見えなくなるとブルーは思いを振り切るように身を翻し、故郷へ帰るべく『ゲート』を開いたのだった。
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