TwitterSSまとめ3
【突然ですが、キスをしないと出られない部屋に閉じ込められました。】
「……キスをしないと出られない部屋?」
いつもどおり家でくつろいでいたはずが、突如放り出された、何もない真っ白な部屋。そして唯一の出入口らしき白いドアに貼り付けられた紙に書いてある文字を読み上げて、ルージュは目を丸くした。すぐ傍 にいたブルーも、同様の表情だ。
「……うーん、どうしようか」
「何だこれは!? どこのどいつがこんなふざけた真似を……こんなドア、術で吹き飛ばして――」
「それ、僕も一瞬考えた。でもどういうわけか術が一切使えなくなっているし、ドアノブもないから、こちらからはドアを開けられない。きっと、思い切り体当たりしても――」
そう言うなりルージュがドアに体当たりをしたが、思ったとおりドアはビクともせず、その体は虚しく弾き返されただけだった。そんなまさかとブルーが術の詠唱を始めようと構えたが、ルージュが言ったとおり、常ならば全身から立ち上るはずの魔力の奔流は、全く現れない。
「なっ……」
「やっぱり、術が使えなくなっているのは僕だけじゃなかったようだね。……どんな力が働いているのかは分からないけど、ここはおとなしく、この紙に書いてあることに従うしかなさそうだ」
そう言って真顔で振り返ったルージュを見て、ブルーの表情が引き攣 った。無意識なのか彼はじりじりと後ろに下がり、ついにはドア横の壁に背中をつける。
「ま、待て。俺たちは兄弟で、男同士だぞ。なのに、……キ、キスを、するなどと……」
「そういう間柄でも、人によってはすることがあるみたいだけどね。……キスと言ってもその形やシチュエーションは様々で、何も唇同士を合わせるものだけじゃないよ。それがこの空間を作った何者かに認められるかは分からないけれど、やってみる価値はある」
「……」
どうやらこの手のことは、ルージュのほうが詳しいらしい。自分はおろか他人の色恋沙汰にもまったく興味がなかったブルーは、経験はもちろん知識も皆無に等しく、改めて異なる人生を歩んで来たのだと思い知らされる。だからつい、思ったことが口を衝 いて出た。
「意外だな、お前がこの手のことに詳しいとは。もしや、経験があるのか」
「無いよ。ただ、昔読んでいた本の中にそういうシーンが出てきたり、通りすがりに見たことがあったり、テレビで流れていたり……君だって、何らかの形で見る機会はあったと思うんだけどなあ」
「……思い出せんな。街中でベタベタしている男と女なら何度か見かけたことはあるが、ろくに見なかった上に鬱陶しいとしか思わなかった」
「はは……僕も、君と似たようなものだったんだけどね。でも一緒にいた仲間たちが、そうじゃなかった。まじまじと見つめる人、冷やかす人、羨ましがる人……まあ、色々な反応を見てきたよ。さっき言ったとおりキスの形は様々だったし、唇同士以外のものを試してみよう。それならまだいいだろう? 悩んでいるだけじゃ、いつまで経ってもこの部屋から出られないよ」
確かに、こんなわけの分からない部屋に閉じ込められたままだなんて御免だ。悔しいことこの上ないが、今は紙に書いてある言葉に従うしかないのだろう。ブルーも、ようやく覚悟を決める。
「……分かった。どうするかは、お前に任せる。俺はどうすればいい」
「うん、じゃあ……少し僕のほうに来て、手を出して。手の平は下にして」
言われたとおりルージュに近付き、ブルーは右手を下向きに差し出す。ルージュはブルーと向かい合って立つとその手を取り、手の甲に恭 しく口付けた。口付けはほんの一瞬だったが、口付けられた場所がじんわりと熱く感じて、ブルーの頬もかっと熱くなる。
「……お前……本当に、未経験か? 手慣れているようにしか見えなかったぞ」
「だから、本当に無いって。正真正銘初めてだし、見様見真似だよ。……ドア、開かないな。と、いうことは……」
ルージュにじっと見つめられ、ブルーはぎくりと身を強張らせた。この部屋を作った何者かがまだ満足していないことは明らかだ。いったい、次はどうするというのか。
「きっと、お互いにしないと駄目なんだろうな。今のは、僕が君に一方的にしたものだったからね。だから、今度は君の番だ。僕の真似をしてもいいし、他に案があるんだったら、それを実行してもいい。君に従おう」
さあ、と全てを受け止めるが如く両手を広げるルージュを頼もしく思いながら、ブルーは必死に少ない記憶を手繰り寄せる。そして――ひとつ、思い出した。どこかの街にいた母子のことを。あまりにも慈愛に満ちたその光景に、ほんの少し目を奪われたのではなかったか。
「……お前の真似でも良かったのだろうが、全く同じというのも芸が無い。目を瞑れ」
「……え?」
「いいから、早くしろ」
ブルーに言われるままに、ルージュは目を瞑る。その直後、ブルーの手がルージュの前髪を掻き分けたかと思うと、額に温かいものが一瞬だけ押し当てられ、すぐに離れて行った。――額への、キス。ブルーのほうがよっぽど大胆じゃないかと、ルージュは思う。
「……はあ……君のほうが、よっぽど――」
頬を赤く染めながらルージュが呟き、それに対してルージュ同様頬を染めたブルーが答えようとした、その時だった。ガチャ、という音と共に貼られていた紙が一瞬にして入れ替わり、新たな言葉が現れる。
「……『尊いのでよし。よって、合格とする。おめでとう』……?」
「何が尊いのかは知らんが、やっと出られるようだな。出た先は、俺たちの家の玄関に繋がっているようだ。……まったく、何だったんだ……」
「本当に、何だったんだろうね。結局、この部屋の創造主も分からなかったし」
首を傾げながらもブルーとルージュは仲良く肩を並べ、開いたドアから自分たちの家へと戻って行ったのだった。
【天に響くリュート】※モンド視点/リマスターヒューズ編リュートルート準拠
今は亡き友・イアンとよく似た相貌の青年が、渾身の力を込めて剣技を繰り出した。私とこの基地で改めて対峙した時に見せた戸惑いの表情は、もう無い。常に微笑んでいるかのような細い目をかっと見開き、仲間たちと共に、私の操る機体を幾度も斬りつけてくる。
やがて彼らの度重なる攻撃によって機体は激しくショートした後その場に崩れ落ち、この身も朽ちるかと思われたが、私は死ねなかった。まだここで死ぬべきではないということなのか。
無様な敗北者となった私は、再びイアンの息子たちと向き合った。私を滅さんと立ち向かってきたワカツの残党にも私は殺されることはなく、IRPOの捜査官の口から私の処分が下された。トリニティからの保護という名目で、ディスペア監獄へ。イアンに会うのは、まだまだ先のことになりそうだ。
ワカツの残党――ゲンと呼ばれた男の提案で、祝杯を挙げようと、イアンの息子が背中に背負っていた楽器を取り出した。『リュート』――青年と同じ名を持ち、イアンも時折奏でていたそれ。陽気な旋律と共に青年が歌い出したのは、かつてイアンも歌っていた、ヨークランドの民謡。懐かしさのあまりに、私の視界がわずかに霞 む。
イアンは死んだが、彼の魂は確かに、息子の中に生きている。せめてこの青年は、精神を蝕まれることなく自由闊達に生きられるよう――そう願いながら、私はIRPOの捜査官に連れられ、その場を後にした。
【私の愛しい美しき花】※百合の日/妖魔エンドアセルス×寵姫ジーナ
「ジーナ。この花を、君に」
妖魔王アセルスから差し出されたのは、純白の大きな百合の花束。百合が放つ独特の甘い香りは、常に薔薇の香りと薔薇そのものに彩られたこのファシナトゥールには、あまりにも不釣り合いだ。
「まあ……これを私に? ありがとうございます。とても綺麗……ですが、この花はどこで?」
「私の命で、ラスタバンが人間界の花屋で調達してきてくれたんだ。ただでさえここは年中薔薇まみれなんだ、薔薇ばかりでは飽きるだろう? 君には、可憐な百合の花もよく似合うと思ってね」
「飽きるだなんて、そんな。アセルス様からの贈り物ならば、どんなものでも嬉しいです」
百合の花束を抱えてはにかんだように微笑んだジーナへ、アセルスも満足したように微笑む。
「気に入ってくれたようで良かった。私の見立てどおり、とてもよく似合っているよ、ジーナ。さすがは、私の特別な人だ。――では、私も美しい花を存分に楽しむとしようか」
「あっ……アセルスさ、ま……」
急激に距離を詰めてきたアセルスに手首を掴まれ、ジーナの手から花束が落ちる。
重なる唇、ゆっくりと重なって行く体。甘く濃厚な花々の香りが立ち込める耽美なる空間に、二人の熱い吐息が響き渡った。
【あの城は何だ? -Side Blue-】
「……? あれは……城……?」
ブルーの呟きに、仲間たちが一斉に彼と同じ方角を見遣った。――確かに、ある。周囲の近代的な建物にそぐわない、唐突感に溢れた城が。だが、その城の正体が瞬時に分かったブルー・クーン・T260以外の仲間たちは、やや気まずそうに顔を背けて口を噤 む。
「わあ、ホントだ~お城がある! カッコイイ! やっぱり、王様とかお姫様とかが住んでるのかな!?」
「まさか、シュライクに城があるとは。だがこのリージョンは、王制ではないはず。それなのに、なぜ……」
「ブルー様がおっしゃるとおり、少なくとも現在のシュライクは王制ではありません。門番がいる様子も無し。いったい、何のために建てられたものなのでしょうか」
無邪気にはしゃぐクーンと不思議そうに首を傾げるブルー、冷静に分析するT260。そして当然、ブルーの口からはお決まりの言葉が飛び出す。
「気になるな。行ってみよう」
「わぁー! 待った待った!」
ブルーの語尾とリュートの遮る声が重なり、ブルーが露骨に顔を顰める。
「……何だ」
「あ、あの城は、俺たちみたいなのが行く場所じゃないんだよ。術の資質に関するものとか、そういうのは絶対にねえから!」
「ハッキリ言やぁいいだろ。あそこは、男と女が――」
「ゲンさんは黙っててくれ! ……仮に行ったとしても俺たち全員では入れないし、時間の無駄になるだけだから。な? メイレン」
「え、ええ、そうね。私たちが求めているようなものはなんにもないわ。本当に、時間の無駄になるだけよ」
「……なーんか、あやしいなぁ。ぜったい何か隠してるよね?」
クーンのジト目に、メイレンが「大人に向かってそんな顔をするんじゃありません!」と注意し、「時間の無駄」と聞いて興味が無くなったのか、ブルーは〝謎の城〟に背を向ける。
「資質に関するものが無いのならば、いい。無駄足を踏んでいる暇はない。生命科学研究所へ行くぞ。今日こそ最深部に辿り着く」
そう言ってスタスタと歩き出したブルーの後に、様々な反応を示しつつ仲間たちも続いた。
この日の夜――
やはり気になったのか、ブルーは宿を抜け出して酒を調達しに行こうとしていたゲンを呼び止め、〝謎の城〟の正体について尋ねた。
あまりにもあっけらかんと答えてみせたゲンに、ブルーは「汚らわしい」「そんな場所なのにもかかわらず、なぜ城の外観をしているのか」と渋い顔をし、一つ〝大人〟になったのだった。
【あの城は何だい? -Side Rouge-】
「……? あれは……城……?」
ルージュの呟きに、仲間たちが一斉に彼と同じ方角を見遣った。――確かに、ある。周囲の近代的な建物にそぐわない、唐突感に溢れた城が。だが、その城の正体が瞬時に分かった仲間たちは、やや気まずそうに顔を背けて口を噤む。
「おかしいな……シュライクって、王制だったっけ? 古墳の名前には武王や済王ってついているけど、少なくとも今は、王制じゃないよね?」
「……あー……もちろん王制じゃ、ないけどさ……」
まさにシュライク出身であるレッドが言葉に詰まり、ヒューズが、おいおいマジかよ、といった様子で肩を竦 めた。アニーに至っては、信じられないものでも見るかのようにルージュの顔を凝視している。
「じゃあ、何だろう……? 個人が趣味で建てた邸宅か何かかな? だとしたら、このシュライクにおいて、あまり趣味がいいとは言えないと思うけど」
「……マジモンかよ。カマトトぶってる感じじゃねえな。まあ、マジックキングダムにそういうトコはないんだろうけどよ……」
「……信じられない。箱入りにも程があるでしょう」
ヒューズとアニーの言葉に、ルージュはきょとんとした顔で彼らを見つめ、レッドは顔を引き攣らせながらも、ルージュのフォローに入る。
「あそこは、なんていうか、その……ルージュみたいなマジメな奴が行く所じゃないんだ。術の資質に関するようなものなんて無いし、俺たちが行っても無駄足になるだけさ」
「それは、どういう……?」
「変にぼかさないで、ハッキリ教えてやりなよ。ここには大人しかいないんだから」
焦れたアニーに、やれやれと溜め息を吐きながら、最年長のヒューズが答える。
「――あの城はな。ラブホテルっつって、愛し合う男と女が心行くまでイチャイチャする場所なのさ。本当に、ただそれだけの場所だ。……な? 俺たちには縁のない場所だろ?」
「……」
ぽかんとしているルージュの横で、このメンバーの中で最年少のレッドは、赤面しながら身を縮こまらせた。アニーが言うとおりはっきり教えてやったのに、ルージュのこのどこか分かっていないような反応は大丈夫なのだろうかと、皆が少し心配になる。
「……ったく、マジックキングダムの一般常識ってのはどうなってるんだよ。お堅くてミステリアスなリージョンだとは思ってたが、まさかここまでとはなあ。レッドみたく、恥じらいやしねえ」
「う、うるさいな。俺のことはどうだっていいだろ。……ルージュ?」
「……うん? ああ、ごめん。世の中には、まだまだ知らないことがたくさんあるんだな、と思って。愛し合うのなら家でだってできるはずなのに、どうしてそのラブホテル、だっけ? という所にわざわざ行くんだい?」
「……何なの? この22歳」
恥じらいもせず相変わらずピュアな目で見つめてくるルージュへ、三人は、揃って頭を抱えたのだった。
【酒は飲んでも飲まれるな】
「おう、ブルー。お前さんも眠れないのか? ならどうだ、たまには一緒に飲まないか」
宿の外で夜空を見上げながら一人酒を呷 っていたゲンに声を掛けられ、まさか先客がいるとは思わなかったブルーは、顔をわずかに顰めながらも応じる。
「……貴方こそ、いつもこんな時間まで飲んでいるのか?」
「その時の気分だな。さっさと寝る時は寝るし、眠れない時はこうして一杯やってから部屋に戻る。まあ、せっかくだからちょいと付き合え。ヨークランドでの飲みっぷりからするに、少なくとも下戸じゃあないだろ?」
酒を注いだ杯を差し出されて、ブルーは素直に受け取った。ゲンが悲しい過去を背負っていることは知っているし、年上の戦士として、一目も置いている。眠れなくて宿の外に出て来たのは己 も同じだし、たまには付き合ってやってもいいだろうと、杯の酒を一気に飲み干す。
「おっ、いいねえ。野郎とはいえ、美人と飲む酒ってのはなかなか乙なもんだ。安酒でも数倍美味く感じる」
そう言ってゲンが杯に更に酒を注ぐと、ブルーは一瞬の躊躇の後、再びそれを飲み干した。ゲンは大いに喜んですっかり上機嫌になり、ブルーの肩を少々乱暴に抱き寄せる。
「わはは、涼しい顔してやりやがる。こりゃあ愉快だ! 酒はまだあるぞ。今夜は気分がいい、俺のとっておきも開けてやろう」
「いや、私はこれ以上は……」
「つれないことを言うな。今夜はとことん付き合え」
がっちりとホールドされた上、間近で酒臭い息を吹きかけられて。これはゲンが満足するまで逃げられないなと、ブルーは悟った。
そして、翌朝――
『ブルーとゲンが、なぜか宿の外で寄り添って眠っている』とヌサカーンから聞かされて、二人がいつまでも姿を現さないことを心配していた仲間たちは、驚いて外へと飛び出した。
彼らの周りには数本の酒瓶が転がっており、昨夜二人の間に何があったのかをすぐに察したメイレンは、まだ子供のクーンには聞かせられないようなことではなかったにしろ、明らかにゲンに巻き込まれたのであろうブルーに同情しつつ彼らを叩き起こすと、目を吊り上げて説教を始める。
「ゲンさん! 俗世間に疎い純な青年を巻き込んで何をやっているの! ブルー、あなたは柄にもなくゲンさんに気を遣い過ぎよ。嫌なら嫌ってはっきり拒めばいいの。戦いの時以外はただの酔っ払いオヤジなんだから、遠慮なんて要らないわ」
「……甲高い声で怒鳴るな。頭に響く……」
「まあまあ、メイレン。ブルーだって、たまには思いっきり飲みたい時もあるだろうさ。二日酔いだったら、ヌサカーンが何かいい薬を処方してくれるって」
「安易に私を頼られても困るのだが」
「オトナって、どうしてお酒を飲まないと寝られないの? お酒って、臭いだけなのに」
「……犬っ子は何も悩みが無さそうで羨ましい限りだ。俺たち大人には、飲まなきゃやってられん理由が色々あるのさ。いつか、お前にも分かる日が来る……」
「そこ、綺麗にまとめようとしない!」
「ブルー様とゲン様の血中アルコール濃度……――mg。未だ、酒気は抜けていないものと思われます」
好き勝手に話す仲間たちの声が飛び交う中で、ブルーは、必要に迫られた時以外は酒は極力口にしないと心に誓い、ずきずきと痛む頭を押さえたのだった。
【夏のある日の一幕】
「……あれだけ種類があったんだから好きな物を選べば良かったのに、色で選んでしまうのは、やっぱり長年染み付いた思考の癖なのかな」
『氷』と描かれた旗が下げられた屋台から出て飲食スペースへと向かう中、赤いシロップのかかったかき氷を見つめながら、ルージュがぽつりと呟いた。彼の隣を歩くブルーが手にしているのは、水色のシロップがかかったかき氷だ。
「俺は単純に、あの中ではラムネ味とやらに興味があったから選んだだけなんだがな」
「僕は一番人気だっていういちご味が無難かと思って選んだんだけど……結局、自分たちのカラーを意識したチョイスになってしまったね。何かに誘導された感じ」
そう話しながら席に着き、二人はさっそくかき氷の頂上をスプーンで掬って口に運んだ。その途端、シロップの甘さと氷の冷たさが口の中いっぱいに広がり、かき氷初体験の青年たちは、目をきらきらと輝かせる。
「なるほど……確かにこれは優れものだ。アイスクリーム以上に体が冷える。今日みたいな暑い日に食べるにはうってつけだね」
「ふむ……アイスクリームよりすっきりしていて、こちらのほうが好みだな。ラムネ味とやらも、悪くない」
「かき氷のシロップって、実はみんな同じ味らしいよ。それぞれが違う味に感じるのは、香料と色によるものなんだって。だから目を瞑って食べたら、どの味も見分けがつかないかもしれないね」
「……」
知識が増えるのはいいことだが、今聞きたくない話だったと、ブルーは思った。だが目の前のルージュは、そんなことは気にしていないのかひたすらかき氷を食べ進めている。なかなかのハイペースで食べているにもかかわらず、冷たいものを一気に摂取した時特有の頭痛を起こしていないのが不思議で、少し羨ましい。
頭痛に見舞われないように適当に気を紛らわせながら食べていると、隣の席で賑やかに喋りながらかき氷を食べている男女カップルが目についた。男性の大声と女性の甲高い笑い声に二人が思わず顔を顰めた矢先、突如カップルが顔を近付け、舌を出し合って大笑いし出す。
カップルの舌は、それぞれ緑色と黄色に染まっていた。――と、いうことは。
「……じゃあ、今の僕たちの舌も……」
「……この液体、そんなに強力なものなのか」
「僕は赤色だから少し恐ろしげに見えるだけだろうけど、君の舌は真っ青になっているはずだよね。面白そうだから、ちょっと見せてよ」
「誰が見せるか! ……お前は俺と同じ顔で、恥じらいもなくみっともない顔をするな!」
一瞬べっ、と赤く染まった舌を出したルージュを見て、だがブルーは決して真似をしなかった。そんなブルーの反応は予測済みだったのかルージュは軽く笑ってまた順調に食べ始めたが、色々な不安を覚えたブルーが青いかき氷を食べ終わるのには、それなりの時間を要した。
そして、帰宅後。
一人洗面所に篭って鏡で己の舌の色を確認し、懸命に口をゆすいでいるブルーを、背後からひそかに見守るルージュの姿があったのだった。
【ルージュという人】
「少し出かけてくる」と言ったきりなかなか戻って来ないルージュに不安を覚え、レッドは宿を飛び出した。あいつは綺麗だから、どこかで何者かに絡まれたり襲われたりしているのではないか。俺も一緒について行けば良かった。そんなことを考えながら、街中を捜し回る。
やがて裏通りに入った途端にひどい悪臭が漂い始め、レッドは軽い吐き気を覚えた。だが、ここで引き返すわけにはいかない。勇気を出して、彼は歩を進める。
開けた場所にルージュはいた――が、彼の足元には、目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。ほとんど原型を留めていない、いくつもの死体。飛び散った肉片や血しぶき、地面に広がる血溜まりと濃い血の匂いに、レッドは戦慄する。
「……ルー、ジュ、お前……」
「レッド、捜しに来てくれたんだ。心配をかけたね。でも、僕は大丈夫。……こいつら、僕が店を出た途端にいきなり襲って来たんだ。だから返り討ちにしたまでだよ。さ、帰ろうか」
事も無げに言ってのけたルージュを見て、レッドはこの一見穏やかな口調と性格の美しい青年に、途轍もない恐怖心を抱いたのだった。
【赤と青の歩み寄り】※再会 -Red- の後の時間軸
リビングルームに、玄関チャイムの音が響き渡る。ソファーに座って本を読んでいたブルーがやや億劫そうに立ち上がって応じると、ドアの外から聞こえてきたのは、意外な声だった。
「あー、ルージュ? 俺だ、レッドだよ。ちょうどオウミに用事があったから、ついでに立ち寄ってみたんだけど――」
礼儀正しい青年を装って返事を返したブルーだったが、来客の正体を知るなり、彼は途端に顔を顰めた。よりにもよって、ルージュが不在の時に。しかも、「ついで」だと? この居住エリアは、町の中心部からはかなり離れている。明らかに「ついで」ではないだろうという思いを隠さずに、ブルーは玄関のドアを開けた。露骨に不機嫌そうな顔で姿を現したブルーに、レッドはぎょっとする。
「……あれ? あんた、ブルーだよな。じゃあ、さっきの声も? えーと、ルージュは……」
「あいつは今、いない。何の用だ」
「いない? あんたたち、いつも一緒ってイメージがあったのに、そんなこともあるんだな。うーん、困ったな。久しぶりにちょっと話したいと思ってたんだけど」
「……」
相変わらず睨むような視線を向けてくるブルーに、だがレッドはめげなかった。ブルーにはもう「赤」を嫌う理由はないはずだし、キグナスで初めて会った時と比べたら、格段に雰囲気も柔らかくなっている。それはやはり、ルージュとの生活が上手くいっているからだろう。ならば歩み寄るチャンスはあるはずだと、レッドは毅然とブルーを見つめ返す。
「きっと、すぐに帰ってくるよな? なら、ここで待ってるから」
「それはやめろ。お前を外で待たせたとあっては、あいつに何を言われるか分かったものではない。……気は進まないが、中に入れ。茶の一杯くらいは出してやる」
そう言ってブルーは身を翻し、家の中へと消えて行った。まさかの返答に、レッドは目を白黒させながらもそれに従う。
きちんと整頓された室内を見回すレッドに、ブルーはソファーの向かい側に置いてある椅子に座って待つよう指示した。ブルー自身はキッチンへと入り、宣言したとおり、飲み物を用意し始める。
(……もしかしてブルーって、ああ見えてルージュの尻に敷かれてるのか? それとも、単にルージュには甘いだけなのかな)
ルージュだけでなく、ブルーのことももっと知りたいと思いながらその後ろ姿をしばし眺めていると、当のブルーが、二人分のカップをトレイに載せて戻ってきた。漂ってくる匂いからするに、紅茶のようだ。
「ありがとな。……うん、いい匂いだ。茶葉から淹れてるなんて、本格的だな。俺は飲んでも、粉末のお手軽なヤツばっかりだからさ。たまにはこういうちゃんとしたのも飲まないとな」
「……」
「お、このクッキーも美味い。真ん中にジャムが入ってて、ちょっとオシャレだし。藍子が喜びそうなヤツだ」
「……」
「あ。藍子は、俺の妹のことな。変わった名前だと思っただろ? 俺の本名も、小此木烈人っていうんだ。でもみんなレッドって呼ぶし、俺も普段はそれでいいと思ってる。そのおかげで、ルージュにも親近感を持ってもらえたしな。ルージュは自分の名前にちょっとコンプレックスがあるみたいだけど。普通、女性につける名前だよねって言ってたっけ。確かに、口紅って意味だもんな」
「……」
ブルーは無言のままだったが、以前、ルージュと二人で京の温泉旅館に行った時のことを思い出していた。名前で女性と勘違いされ、女物の浴衣と羽織を用意されて憤っていたルージュのことを。あれは傑作だったなと、今でも思う。
相槌すら打たず無表情でソファーに座って紅茶を飲んでいるブルーを、レッドは顔色を窺うように見つめた。自分だけ一方的に話し続けることに、さすがに居心地が悪くなったからだ。
「……ところでルージュは、あんたを置いてどこに行ってるんだ? 一緒に行けない理由でもあったのか?」
質問されたら、答えるしかない。ブルーはカップを置くと、渋々といった様子で口を開く。
「IRPOの助っ人として呼ばれた。ルミナスのオーンブルで事件があったらしく、それにはオーンブル踏破者であり、陰術に精通している優れた術士が必要だということで、ルージュに声が掛かった。俺たちにはIRPOに助力してやる義理はないはずだが、あいつは自分の力が役に立つならと、二つ返事で引き受けて出て行った。だがあいつのことだ、今日中には帰ってくるだろう」
「なるほど。ははっ、ルージュらしいな。IRPOなら報酬もいいだろうし、ちょっと危険なアルバイトって感じだな。でも俺も、ルージュなら大丈夫だって信じてるぜ。一緒に旅をしてた時も、ずいぶん助けられたしな」
朗らかに笑うレッドを見て、ブルーの表情がわずかに和らいだ。レッドは、ルージュが親友だと公言している男。己とは徹底的に合わない人種だと思っていたが、存外好青年なのかもしれないと、少しだけ考えを改める。殊更に嫌う必要は無さそうだ。
だからルージュが戻って来るまでの間、少しくらいなら話し相手になってやってもいいと思った。人当たりがいいように見えて己以上に冷徹な部分も持ち合わせているルージュが信じる、この青年と。歩み寄る努力は、するつもりだ。
そんなブルーの心境の変化を知ってか知らずか、レッドは共に旅をしていた時のルージュの思い出話を始めた。融合していた時に互いの記憶は共有していたので、彼らが経験したこと自体は知っているものばかりだったが、自分たちより三歳年下であるというこの青年が、その時々でルージュにどんな感情を抱いていたのかという話はなかなかに興味深く、自然とブルーは聞き役に回り、まだまだぶっきらぼうではあったが、ときおり相槌を打つことすらあった。それに気を良くしたのか、レッドの話は止まらない。――そんな中で。
(……レッド、来てたんだ。ブルーも追い返したりせずに、家の中に入れてくれたのか。でも、どうして僕の話で盛り上がっているんだろう。レッドの声が外まで聞こえてる……)
無事〝少し危険なアルバイト〟を終えて帰ってきたものの、やや引き攣った顔で玄関扉の前に立ち尽くすルージュの姿があったのだった。
【花見酒に酔いしれて】※まとめ2に収録の「希望の桜」から約1年後
「今年も『希望の桜』が咲いた」とゲンから告げられ、ブルーとルージュは、期待に胸を膨らませた。ゲンの隣には当然のようにリュートもいて、今回は、二人とも荷物を持っている。
「……その荷物は何だ?」
「レジャーシートにちょっとした食いもんと、貴重なワカツ産の酒だよ。今年は景気づけに花見酒でもしようかって、ゲンさんと話してたんだ。悪くない話だろ?」
「結局、何かと理由をつけて酒が飲みたいだけだろう。まったく……旅をしていた時と何も変わっていないな」
ブルーの呆れ声にリュートが頭を掻き、ゲンがわははと笑う。そして、
「さて、行くか。ブルー、頼む」
ゲンの言葉でブルーがゲートを開き、四人は一瞬にして、ワカツへと移動した。
多少の酒では酔い潰れない自信があったし、何かを食べながらの飲酒だったら、悪酔いなどしないと思っていた――が。
「……ブルー、大丈夫?」
酒との相性が悪かったのかすぐに酔いが回り、ブルーは、早々にシートの上に横たわる羽目になっていた。ルージュの心配そうな声にも、呻 き声を上げることしかできない。
「もう……飲ませ過ぎだよ、ゲンさん。断らずに飲み続けていたブルーにも原因はあるけど。なんだか嫌な予感がしたから、僕は遠慮しておいて良かったよ。リュートはぐっすり寝ちゃってるし」
「あまりにもいい飲みっぷりだったから、ついガバガバ飲ませちまった、すまん。桜と酒の両方に酔っちまったんだな」
「うう……地面の凹凸が痛い……」
寝心地の悪さにもぞもぞと体を動かすブルーを見て、ルージュが何かを思いついたらしい。不意に彼は自らの太腿をぽんぽんと叩くと、ブルーに声を掛ける。
「それなら君の酔いが醒めるまで、膝枕をしてあげようか? 座っていてもゴツゴツしているのが伝わってくるし、寝転がっていたら、なおさら痛いよね」
「……だがその間、お前は身動きが取れなくなるだろう。いいのか?」
「少しの間なら構わないよ。僕たち、兄弟だろう? 困っている時は助け合わないと」
「分かった。ならば、少し膝を借りる」
そう言ってブルーは、ルージュの立てていないほうの膝(正確には太腿だが)に頭を横たえた。この兄弟、健全な関係のようでいて時々距離感がバグってんなと、ゲンは思う。
「お前たち、本当に仲がいいな。互いの命を狙い合っていた時の反動か?」
「そうかもしれない。僕たちはこの世でたった一人の兄弟で、家族だから。今は、毎日がとても楽しいよ。ね? ブルー」
「……ああ」
ルージュに見下ろされても、悪い気はしない。己と共に在ることで、ルージュが笑っていてくれるなら。吹き抜ける心地良い春風に、そして伝わってくるルージュの温もりに、ブルーは、もうしばらく身を任せることにしたのだった。
「……キスをしないと出られない部屋?」
いつもどおり家でくつろいでいたはずが、突如放り出された、何もない真っ白な部屋。そして唯一の出入口らしき白いドアに貼り付けられた紙に書いてある文字を読み上げて、ルージュは目を丸くした。すぐ
「……うーん、どうしようか」
「何だこれは!? どこのどいつがこんなふざけた真似を……こんなドア、術で吹き飛ばして――」
「それ、僕も一瞬考えた。でもどういうわけか術が一切使えなくなっているし、ドアノブもないから、こちらからはドアを開けられない。きっと、思い切り体当たりしても――」
そう言うなりルージュがドアに体当たりをしたが、思ったとおりドアはビクともせず、その体は虚しく弾き返されただけだった。そんなまさかとブルーが術の詠唱を始めようと構えたが、ルージュが言ったとおり、常ならば全身から立ち上るはずの魔力の奔流は、全く現れない。
「なっ……」
「やっぱり、術が使えなくなっているのは僕だけじゃなかったようだね。……どんな力が働いているのかは分からないけど、ここはおとなしく、この紙に書いてあることに従うしかなさそうだ」
そう言って真顔で振り返ったルージュを見て、ブルーの表情が引き
「ま、待て。俺たちは兄弟で、男同士だぞ。なのに、……キ、キスを、するなどと……」
「そういう間柄でも、人によってはすることがあるみたいだけどね。……キスと言ってもその形やシチュエーションは様々で、何も唇同士を合わせるものだけじゃないよ。それがこの空間を作った何者かに認められるかは分からないけれど、やってみる価値はある」
「……」
どうやらこの手のことは、ルージュのほうが詳しいらしい。自分はおろか他人の色恋沙汰にもまったく興味がなかったブルーは、経験はもちろん知識も皆無に等しく、改めて異なる人生を歩んで来たのだと思い知らされる。だからつい、思ったことが口を
「意外だな、お前がこの手のことに詳しいとは。もしや、経験があるのか」
「無いよ。ただ、昔読んでいた本の中にそういうシーンが出てきたり、通りすがりに見たことがあったり、テレビで流れていたり……君だって、何らかの形で見る機会はあったと思うんだけどなあ」
「……思い出せんな。街中でベタベタしている男と女なら何度か見かけたことはあるが、ろくに見なかった上に鬱陶しいとしか思わなかった」
「はは……僕も、君と似たようなものだったんだけどね。でも一緒にいた仲間たちが、そうじゃなかった。まじまじと見つめる人、冷やかす人、羨ましがる人……まあ、色々な反応を見てきたよ。さっき言ったとおりキスの形は様々だったし、唇同士以外のものを試してみよう。それならまだいいだろう? 悩んでいるだけじゃ、いつまで経ってもこの部屋から出られないよ」
確かに、こんなわけの分からない部屋に閉じ込められたままだなんて御免だ。悔しいことこの上ないが、今は紙に書いてある言葉に従うしかないのだろう。ブルーも、ようやく覚悟を決める。
「……分かった。どうするかは、お前に任せる。俺はどうすればいい」
「うん、じゃあ……少し僕のほうに来て、手を出して。手の平は下にして」
言われたとおりルージュに近付き、ブルーは右手を下向きに差し出す。ルージュはブルーと向かい合って立つとその手を取り、手の甲に
「……お前……本当に、未経験か? 手慣れているようにしか見えなかったぞ」
「だから、本当に無いって。正真正銘初めてだし、見様見真似だよ。……ドア、開かないな。と、いうことは……」
ルージュにじっと見つめられ、ブルーはぎくりと身を強張らせた。この部屋を作った何者かがまだ満足していないことは明らかだ。いったい、次はどうするというのか。
「きっと、お互いにしないと駄目なんだろうな。今のは、僕が君に一方的にしたものだったからね。だから、今度は君の番だ。僕の真似をしてもいいし、他に案があるんだったら、それを実行してもいい。君に従おう」
さあ、と全てを受け止めるが如く両手を広げるルージュを頼もしく思いながら、ブルーは必死に少ない記憶を手繰り寄せる。そして――ひとつ、思い出した。どこかの街にいた母子のことを。あまりにも慈愛に満ちたその光景に、ほんの少し目を奪われたのではなかったか。
「……お前の真似でも良かったのだろうが、全く同じというのも芸が無い。目を瞑れ」
「……え?」
「いいから、早くしろ」
ブルーに言われるままに、ルージュは目を瞑る。その直後、ブルーの手がルージュの前髪を掻き分けたかと思うと、額に温かいものが一瞬だけ押し当てられ、すぐに離れて行った。――額への、キス。ブルーのほうがよっぽど大胆じゃないかと、ルージュは思う。
「……はあ……君のほうが、よっぽど――」
頬を赤く染めながらルージュが呟き、それに対してルージュ同様頬を染めたブルーが答えようとした、その時だった。ガチャ、という音と共に貼られていた紙が一瞬にして入れ替わり、新たな言葉が現れる。
「……『尊いのでよし。よって、合格とする。おめでとう』……?」
「何が尊いのかは知らんが、やっと出られるようだな。出た先は、俺たちの家の玄関に繋がっているようだ。……まったく、何だったんだ……」
「本当に、何だったんだろうね。結局、この部屋の創造主も分からなかったし」
首を傾げながらもブルーとルージュは仲良く肩を並べ、開いたドアから自分たちの家へと戻って行ったのだった。
【天に響くリュート】※モンド視点/リマスターヒューズ編リュートルート準拠
今は亡き友・イアンとよく似た相貌の青年が、渾身の力を込めて剣技を繰り出した。私とこの基地で改めて対峙した時に見せた戸惑いの表情は、もう無い。常に微笑んでいるかのような細い目をかっと見開き、仲間たちと共に、私の操る機体を幾度も斬りつけてくる。
やがて彼らの度重なる攻撃によって機体は激しくショートした後その場に崩れ落ち、この身も朽ちるかと思われたが、私は死ねなかった。まだここで死ぬべきではないということなのか。
無様な敗北者となった私は、再びイアンの息子たちと向き合った。私を滅さんと立ち向かってきたワカツの残党にも私は殺されることはなく、IRPOの捜査官の口から私の処分が下された。トリニティからの保護という名目で、ディスペア監獄へ。イアンに会うのは、まだまだ先のことになりそうだ。
ワカツの残党――ゲンと呼ばれた男の提案で、祝杯を挙げようと、イアンの息子が背中に背負っていた楽器を取り出した。『リュート』――青年と同じ名を持ち、イアンも時折奏でていたそれ。陽気な旋律と共に青年が歌い出したのは、かつてイアンも歌っていた、ヨークランドの民謡。懐かしさのあまりに、私の視界がわずかに
イアンは死んだが、彼の魂は確かに、息子の中に生きている。せめてこの青年は、精神を蝕まれることなく自由闊達に生きられるよう――そう願いながら、私はIRPOの捜査官に連れられ、その場を後にした。
【私の愛しい美しき花】※百合の日/妖魔エンドアセルス×寵姫ジーナ
「ジーナ。この花を、君に」
妖魔王アセルスから差し出されたのは、純白の大きな百合の花束。百合が放つ独特の甘い香りは、常に薔薇の香りと薔薇そのものに彩られたこのファシナトゥールには、あまりにも不釣り合いだ。
「まあ……これを私に? ありがとうございます。とても綺麗……ですが、この花はどこで?」
「私の命で、ラスタバンが人間界の花屋で調達してきてくれたんだ。ただでさえここは年中薔薇まみれなんだ、薔薇ばかりでは飽きるだろう? 君には、可憐な百合の花もよく似合うと思ってね」
「飽きるだなんて、そんな。アセルス様からの贈り物ならば、どんなものでも嬉しいです」
百合の花束を抱えてはにかんだように微笑んだジーナへ、アセルスも満足したように微笑む。
「気に入ってくれたようで良かった。私の見立てどおり、とてもよく似合っているよ、ジーナ。さすがは、私の特別な人だ。――では、私も美しい花を存分に楽しむとしようか」
「あっ……アセルスさ、ま……」
急激に距離を詰めてきたアセルスに手首を掴まれ、ジーナの手から花束が落ちる。
重なる唇、ゆっくりと重なって行く体。甘く濃厚な花々の香りが立ち込める耽美なる空間に、二人の熱い吐息が響き渡った。
【あの城は何だ? -Side Blue-】
「……? あれは……城……?」
ブルーの呟きに、仲間たちが一斉に彼と同じ方角を見遣った。――確かに、ある。周囲の近代的な建物にそぐわない、唐突感に溢れた城が。だが、その城の正体が瞬時に分かったブルー・クーン・T260以外の仲間たちは、やや気まずそうに顔を背けて口を
「わあ、ホントだ~お城がある! カッコイイ! やっぱり、王様とかお姫様とかが住んでるのかな!?」
「まさか、シュライクに城があるとは。だがこのリージョンは、王制ではないはず。それなのに、なぜ……」
「ブルー様がおっしゃるとおり、少なくとも現在のシュライクは王制ではありません。門番がいる様子も無し。いったい、何のために建てられたものなのでしょうか」
無邪気にはしゃぐクーンと不思議そうに首を傾げるブルー、冷静に分析するT260。そして当然、ブルーの口からはお決まりの言葉が飛び出す。
「気になるな。行ってみよう」
「わぁー! 待った待った!」
ブルーの語尾とリュートの遮る声が重なり、ブルーが露骨に顔を顰める。
「……何だ」
「あ、あの城は、俺たちみたいなのが行く場所じゃないんだよ。術の資質に関するものとか、そういうのは絶対にねえから!」
「ハッキリ言やぁいいだろ。あそこは、男と女が――」
「ゲンさんは黙っててくれ! ……仮に行ったとしても俺たち全員では入れないし、時間の無駄になるだけだから。な? メイレン」
「え、ええ、そうね。私たちが求めているようなものはなんにもないわ。本当に、時間の無駄になるだけよ」
「……なーんか、あやしいなぁ。ぜったい何か隠してるよね?」
クーンのジト目に、メイレンが「大人に向かってそんな顔をするんじゃありません!」と注意し、「時間の無駄」と聞いて興味が無くなったのか、ブルーは〝謎の城〟に背を向ける。
「資質に関するものが無いのならば、いい。無駄足を踏んでいる暇はない。生命科学研究所へ行くぞ。今日こそ最深部に辿り着く」
そう言ってスタスタと歩き出したブルーの後に、様々な反応を示しつつ仲間たちも続いた。
この日の夜――
やはり気になったのか、ブルーは宿を抜け出して酒を調達しに行こうとしていたゲンを呼び止め、〝謎の城〟の正体について尋ねた。
あまりにもあっけらかんと答えてみせたゲンに、ブルーは「汚らわしい」「そんな場所なのにもかかわらず、なぜ城の外観をしているのか」と渋い顔をし、一つ〝大人〟になったのだった。
【あの城は何だい? -Side Rouge-】
「……? あれは……城……?」
ルージュの呟きに、仲間たちが一斉に彼と同じ方角を見遣った。――確かに、ある。周囲の近代的な建物にそぐわない、唐突感に溢れた城が。だが、その城の正体が瞬時に分かった仲間たちは、やや気まずそうに顔を背けて口を噤む。
「おかしいな……シュライクって、王制だったっけ? 古墳の名前には武王や済王ってついているけど、少なくとも今は、王制じゃないよね?」
「……あー……もちろん王制じゃ、ないけどさ……」
まさにシュライク出身であるレッドが言葉に詰まり、ヒューズが、おいおいマジかよ、といった様子で肩を
「じゃあ、何だろう……? 個人が趣味で建てた邸宅か何かかな? だとしたら、このシュライクにおいて、あまり趣味がいいとは言えないと思うけど」
「……マジモンかよ。カマトトぶってる感じじゃねえな。まあ、マジックキングダムにそういうトコはないんだろうけどよ……」
「……信じられない。箱入りにも程があるでしょう」
ヒューズとアニーの言葉に、ルージュはきょとんとした顔で彼らを見つめ、レッドは顔を引き攣らせながらも、ルージュのフォローに入る。
「あそこは、なんていうか、その……ルージュみたいなマジメな奴が行く所じゃないんだ。術の資質に関するようなものなんて無いし、俺たちが行っても無駄足になるだけさ」
「それは、どういう……?」
「変にぼかさないで、ハッキリ教えてやりなよ。ここには大人しかいないんだから」
焦れたアニーに、やれやれと溜め息を吐きながら、最年長のヒューズが答える。
「――あの城はな。ラブホテルっつって、愛し合う男と女が心行くまでイチャイチャする場所なのさ。本当に、ただそれだけの場所だ。……な? 俺たちには縁のない場所だろ?」
「……」
ぽかんとしているルージュの横で、このメンバーの中で最年少のレッドは、赤面しながら身を縮こまらせた。アニーが言うとおりはっきり教えてやったのに、ルージュのこのどこか分かっていないような反応は大丈夫なのだろうかと、皆が少し心配になる。
「……ったく、マジックキングダムの一般常識ってのはどうなってるんだよ。お堅くてミステリアスなリージョンだとは思ってたが、まさかここまでとはなあ。レッドみたく、恥じらいやしねえ」
「う、うるさいな。俺のことはどうだっていいだろ。……ルージュ?」
「……うん? ああ、ごめん。世の中には、まだまだ知らないことがたくさんあるんだな、と思って。愛し合うのなら家でだってできるはずなのに、どうしてそのラブホテル、だっけ? という所にわざわざ行くんだい?」
「……何なの? この22歳」
恥じらいもせず相変わらずピュアな目で見つめてくるルージュへ、三人は、揃って頭を抱えたのだった。
【酒は飲んでも飲まれるな】
「おう、ブルー。お前さんも眠れないのか? ならどうだ、たまには一緒に飲まないか」
宿の外で夜空を見上げながら一人酒を
「……貴方こそ、いつもこんな時間まで飲んでいるのか?」
「その時の気分だな。さっさと寝る時は寝るし、眠れない時はこうして一杯やってから部屋に戻る。まあ、せっかくだからちょいと付き合え。ヨークランドでの飲みっぷりからするに、少なくとも下戸じゃあないだろ?」
酒を注いだ杯を差し出されて、ブルーは素直に受け取った。ゲンが悲しい過去を背負っていることは知っているし、年上の戦士として、一目も置いている。眠れなくて宿の外に出て来たのは
「おっ、いいねえ。野郎とはいえ、美人と飲む酒ってのはなかなか乙なもんだ。安酒でも数倍美味く感じる」
そう言ってゲンが杯に更に酒を注ぐと、ブルーは一瞬の躊躇の後、再びそれを飲み干した。ゲンは大いに喜んですっかり上機嫌になり、ブルーの肩を少々乱暴に抱き寄せる。
「わはは、涼しい顔してやりやがる。こりゃあ愉快だ! 酒はまだあるぞ。今夜は気分がいい、俺のとっておきも開けてやろう」
「いや、私はこれ以上は……」
「つれないことを言うな。今夜はとことん付き合え」
がっちりとホールドされた上、間近で酒臭い息を吹きかけられて。これはゲンが満足するまで逃げられないなと、ブルーは悟った。
そして、翌朝――
『ブルーとゲンが、なぜか宿の外で寄り添って眠っている』とヌサカーンから聞かされて、二人がいつまでも姿を現さないことを心配していた仲間たちは、驚いて外へと飛び出した。
彼らの周りには数本の酒瓶が転がっており、昨夜二人の間に何があったのかをすぐに察したメイレンは、まだ子供のクーンには聞かせられないようなことではなかったにしろ、明らかにゲンに巻き込まれたのであろうブルーに同情しつつ彼らを叩き起こすと、目を吊り上げて説教を始める。
「ゲンさん! 俗世間に疎い純な青年を巻き込んで何をやっているの! ブルー、あなたは柄にもなくゲンさんに気を遣い過ぎよ。嫌なら嫌ってはっきり拒めばいいの。戦いの時以外はただの酔っ払いオヤジなんだから、遠慮なんて要らないわ」
「……甲高い声で怒鳴るな。頭に響く……」
「まあまあ、メイレン。ブルーだって、たまには思いっきり飲みたい時もあるだろうさ。二日酔いだったら、ヌサカーンが何かいい薬を処方してくれるって」
「安易に私を頼られても困るのだが」
「オトナって、どうしてお酒を飲まないと寝られないの? お酒って、臭いだけなのに」
「……犬っ子は何も悩みが無さそうで羨ましい限りだ。俺たち大人には、飲まなきゃやってられん理由が色々あるのさ。いつか、お前にも分かる日が来る……」
「そこ、綺麗にまとめようとしない!」
「ブルー様とゲン様の血中アルコール濃度……――mg。未だ、酒気は抜けていないものと思われます」
好き勝手に話す仲間たちの声が飛び交う中で、ブルーは、必要に迫られた時以外は酒は極力口にしないと心に誓い、ずきずきと痛む頭を押さえたのだった。
【夏のある日の一幕】
「……あれだけ種類があったんだから好きな物を選べば良かったのに、色で選んでしまうのは、やっぱり長年染み付いた思考の癖なのかな」
『氷』と描かれた旗が下げられた屋台から出て飲食スペースへと向かう中、赤いシロップのかかったかき氷を見つめながら、ルージュがぽつりと呟いた。彼の隣を歩くブルーが手にしているのは、水色のシロップがかかったかき氷だ。
「俺は単純に、あの中ではラムネ味とやらに興味があったから選んだだけなんだがな」
「僕は一番人気だっていういちご味が無難かと思って選んだんだけど……結局、自分たちのカラーを意識したチョイスになってしまったね。何かに誘導された感じ」
そう話しながら席に着き、二人はさっそくかき氷の頂上をスプーンで掬って口に運んだ。その途端、シロップの甘さと氷の冷たさが口の中いっぱいに広がり、かき氷初体験の青年たちは、目をきらきらと輝かせる。
「なるほど……確かにこれは優れものだ。アイスクリーム以上に体が冷える。今日みたいな暑い日に食べるにはうってつけだね」
「ふむ……アイスクリームよりすっきりしていて、こちらのほうが好みだな。ラムネ味とやらも、悪くない」
「かき氷のシロップって、実はみんな同じ味らしいよ。それぞれが違う味に感じるのは、香料と色によるものなんだって。だから目を瞑って食べたら、どの味も見分けがつかないかもしれないね」
「……」
知識が増えるのはいいことだが、今聞きたくない話だったと、ブルーは思った。だが目の前のルージュは、そんなことは気にしていないのかひたすらかき氷を食べ進めている。なかなかのハイペースで食べているにもかかわらず、冷たいものを一気に摂取した時特有の頭痛を起こしていないのが不思議で、少し羨ましい。
頭痛に見舞われないように適当に気を紛らわせながら食べていると、隣の席で賑やかに喋りながらかき氷を食べている男女カップルが目についた。男性の大声と女性の甲高い笑い声に二人が思わず顔を顰めた矢先、突如カップルが顔を近付け、舌を出し合って大笑いし出す。
カップルの舌は、それぞれ緑色と黄色に染まっていた。――と、いうことは。
「……じゃあ、今の僕たちの舌も……」
「……この液体、そんなに強力なものなのか」
「僕は赤色だから少し恐ろしげに見えるだけだろうけど、君の舌は真っ青になっているはずだよね。面白そうだから、ちょっと見せてよ」
「誰が見せるか! ……お前は俺と同じ顔で、恥じらいもなくみっともない顔をするな!」
一瞬べっ、と赤く染まった舌を出したルージュを見て、だがブルーは決して真似をしなかった。そんなブルーの反応は予測済みだったのかルージュは軽く笑ってまた順調に食べ始めたが、色々な不安を覚えたブルーが青いかき氷を食べ終わるのには、それなりの時間を要した。
そして、帰宅後。
一人洗面所に篭って鏡で己の舌の色を確認し、懸命に口をゆすいでいるブルーを、背後からひそかに見守るルージュの姿があったのだった。
【ルージュという人】
「少し出かけてくる」と言ったきりなかなか戻って来ないルージュに不安を覚え、レッドは宿を飛び出した。あいつは綺麗だから、どこかで何者かに絡まれたり襲われたりしているのではないか。俺も一緒について行けば良かった。そんなことを考えながら、街中を捜し回る。
やがて裏通りに入った途端にひどい悪臭が漂い始め、レッドは軽い吐き気を覚えた。だが、ここで引き返すわけにはいかない。勇気を出して、彼は歩を進める。
開けた場所にルージュはいた――が、彼の足元には、目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。ほとんど原型を留めていない、いくつもの死体。飛び散った肉片や血しぶき、地面に広がる血溜まりと濃い血の匂いに、レッドは戦慄する。
「……ルー、ジュ、お前……」
「レッド、捜しに来てくれたんだ。心配をかけたね。でも、僕は大丈夫。……こいつら、僕が店を出た途端にいきなり襲って来たんだ。だから返り討ちにしたまでだよ。さ、帰ろうか」
事も無げに言ってのけたルージュを見て、レッドはこの一見穏やかな口調と性格の美しい青年に、途轍もない恐怖心を抱いたのだった。
【赤と青の歩み寄り】※再会 -Red- の後の時間軸
リビングルームに、玄関チャイムの音が響き渡る。ソファーに座って本を読んでいたブルーがやや億劫そうに立ち上がって応じると、ドアの外から聞こえてきたのは、意外な声だった。
「あー、ルージュ? 俺だ、レッドだよ。ちょうどオウミに用事があったから、ついでに立ち寄ってみたんだけど――」
礼儀正しい青年を装って返事を返したブルーだったが、来客の正体を知るなり、彼は途端に顔を顰めた。よりにもよって、ルージュが不在の時に。しかも、「ついで」だと? この居住エリアは、町の中心部からはかなり離れている。明らかに「ついで」ではないだろうという思いを隠さずに、ブルーは玄関のドアを開けた。露骨に不機嫌そうな顔で姿を現したブルーに、レッドはぎょっとする。
「……あれ? あんた、ブルーだよな。じゃあ、さっきの声も? えーと、ルージュは……」
「あいつは今、いない。何の用だ」
「いない? あんたたち、いつも一緒ってイメージがあったのに、そんなこともあるんだな。うーん、困ったな。久しぶりにちょっと話したいと思ってたんだけど」
「……」
相変わらず睨むような視線を向けてくるブルーに、だがレッドはめげなかった。ブルーにはもう「赤」を嫌う理由はないはずだし、キグナスで初めて会った時と比べたら、格段に雰囲気も柔らかくなっている。それはやはり、ルージュとの生活が上手くいっているからだろう。ならば歩み寄るチャンスはあるはずだと、レッドは毅然とブルーを見つめ返す。
「きっと、すぐに帰ってくるよな? なら、ここで待ってるから」
「それはやめろ。お前を外で待たせたとあっては、あいつに何を言われるか分かったものではない。……気は進まないが、中に入れ。茶の一杯くらいは出してやる」
そう言ってブルーは身を翻し、家の中へと消えて行った。まさかの返答に、レッドは目を白黒させながらもそれに従う。
きちんと整頓された室内を見回すレッドに、ブルーはソファーの向かい側に置いてある椅子に座って待つよう指示した。ブルー自身はキッチンへと入り、宣言したとおり、飲み物を用意し始める。
(……もしかしてブルーって、ああ見えてルージュの尻に敷かれてるのか? それとも、単にルージュには甘いだけなのかな)
ルージュだけでなく、ブルーのことももっと知りたいと思いながらその後ろ姿をしばし眺めていると、当のブルーが、二人分のカップをトレイに載せて戻ってきた。漂ってくる匂いからするに、紅茶のようだ。
「ありがとな。……うん、いい匂いだ。茶葉から淹れてるなんて、本格的だな。俺は飲んでも、粉末のお手軽なヤツばっかりだからさ。たまにはこういうちゃんとしたのも飲まないとな」
「……」
「お、このクッキーも美味い。真ん中にジャムが入ってて、ちょっとオシャレだし。藍子が喜びそうなヤツだ」
「……」
「あ。藍子は、俺の妹のことな。変わった名前だと思っただろ? 俺の本名も、小此木烈人っていうんだ。でもみんなレッドって呼ぶし、俺も普段はそれでいいと思ってる。そのおかげで、ルージュにも親近感を持ってもらえたしな。ルージュは自分の名前にちょっとコンプレックスがあるみたいだけど。普通、女性につける名前だよねって言ってたっけ。確かに、口紅って意味だもんな」
「……」
ブルーは無言のままだったが、以前、ルージュと二人で京の温泉旅館に行った時のことを思い出していた。名前で女性と勘違いされ、女物の浴衣と羽織を用意されて憤っていたルージュのことを。あれは傑作だったなと、今でも思う。
相槌すら打たず無表情でソファーに座って紅茶を飲んでいるブルーを、レッドは顔色を窺うように見つめた。自分だけ一方的に話し続けることに、さすがに居心地が悪くなったからだ。
「……ところでルージュは、あんたを置いてどこに行ってるんだ? 一緒に行けない理由でもあったのか?」
質問されたら、答えるしかない。ブルーはカップを置くと、渋々といった様子で口を開く。
「IRPOの助っ人として呼ばれた。ルミナスのオーンブルで事件があったらしく、それにはオーンブル踏破者であり、陰術に精通している優れた術士が必要だということで、ルージュに声が掛かった。俺たちにはIRPOに助力してやる義理はないはずだが、あいつは自分の力が役に立つならと、二つ返事で引き受けて出て行った。だがあいつのことだ、今日中には帰ってくるだろう」
「なるほど。ははっ、ルージュらしいな。IRPOなら報酬もいいだろうし、ちょっと危険なアルバイトって感じだな。でも俺も、ルージュなら大丈夫だって信じてるぜ。一緒に旅をしてた時も、ずいぶん助けられたしな」
朗らかに笑うレッドを見て、ブルーの表情がわずかに和らいだ。レッドは、ルージュが親友だと公言している男。己とは徹底的に合わない人種だと思っていたが、存外好青年なのかもしれないと、少しだけ考えを改める。殊更に嫌う必要は無さそうだ。
だからルージュが戻って来るまでの間、少しくらいなら話し相手になってやってもいいと思った。人当たりがいいように見えて己以上に冷徹な部分も持ち合わせているルージュが信じる、この青年と。歩み寄る努力は、するつもりだ。
そんなブルーの心境の変化を知ってか知らずか、レッドは共に旅をしていた時のルージュの思い出話を始めた。融合していた時に互いの記憶は共有していたので、彼らが経験したこと自体は知っているものばかりだったが、自分たちより三歳年下であるというこの青年が、その時々でルージュにどんな感情を抱いていたのかという話はなかなかに興味深く、自然とブルーは聞き役に回り、まだまだぶっきらぼうではあったが、ときおり相槌を打つことすらあった。それに気を良くしたのか、レッドの話は止まらない。――そんな中で。
(……レッド、来てたんだ。ブルーも追い返したりせずに、家の中に入れてくれたのか。でも、どうして僕の話で盛り上がっているんだろう。レッドの声が外まで聞こえてる……)
無事〝少し危険なアルバイト〟を終えて帰ってきたものの、やや引き攣った顔で玄関扉の前に立ち尽くすルージュの姿があったのだった。
【花見酒に酔いしれて】※まとめ2に収録の「希望の桜」から約1年後
「今年も『希望の桜』が咲いた」とゲンから告げられ、ブルーとルージュは、期待に胸を膨らませた。ゲンの隣には当然のようにリュートもいて、今回は、二人とも荷物を持っている。
「……その荷物は何だ?」
「レジャーシートにちょっとした食いもんと、貴重なワカツ産の酒だよ。今年は景気づけに花見酒でもしようかって、ゲンさんと話してたんだ。悪くない話だろ?」
「結局、何かと理由をつけて酒が飲みたいだけだろう。まったく……旅をしていた時と何も変わっていないな」
ブルーの呆れ声にリュートが頭を掻き、ゲンがわははと笑う。そして、
「さて、行くか。ブルー、頼む」
ゲンの言葉でブルーがゲートを開き、四人は一瞬にして、ワカツへと移動した。
多少の酒では酔い潰れない自信があったし、何かを食べながらの飲酒だったら、悪酔いなどしないと思っていた――が。
「……ブルー、大丈夫?」
酒との相性が悪かったのかすぐに酔いが回り、ブルーは、早々にシートの上に横たわる羽目になっていた。ルージュの心配そうな声にも、
「もう……飲ませ過ぎだよ、ゲンさん。断らずに飲み続けていたブルーにも原因はあるけど。なんだか嫌な予感がしたから、僕は遠慮しておいて良かったよ。リュートはぐっすり寝ちゃってるし」
「あまりにもいい飲みっぷりだったから、ついガバガバ飲ませちまった、すまん。桜と酒の両方に酔っちまったんだな」
「うう……地面の凹凸が痛い……」
寝心地の悪さにもぞもぞと体を動かすブルーを見て、ルージュが何かを思いついたらしい。不意に彼は自らの太腿をぽんぽんと叩くと、ブルーに声を掛ける。
「それなら君の酔いが醒めるまで、膝枕をしてあげようか? 座っていてもゴツゴツしているのが伝わってくるし、寝転がっていたら、なおさら痛いよね」
「……だがその間、お前は身動きが取れなくなるだろう。いいのか?」
「少しの間なら構わないよ。僕たち、兄弟だろう? 困っている時は助け合わないと」
「分かった。ならば、少し膝を借りる」
そう言ってブルーは、ルージュの立てていないほうの膝(正確には太腿だが)に頭を横たえた。この兄弟、健全な関係のようでいて時々距離感がバグってんなと、ゲンは思う。
「お前たち、本当に仲がいいな。互いの命を狙い合っていた時の反動か?」
「そうかもしれない。僕たちはこの世でたった一人の兄弟で、家族だから。今は、毎日がとても楽しいよ。ね? ブルー」
「……ああ」
ルージュに見下ろされても、悪い気はしない。己と共に在ることで、ルージュが笑っていてくれるなら。吹き抜ける心地良い春風に、そして伝わってくるルージュの温もりに、ブルーは、もうしばらく身を任せることにしたのだった。
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