再会 -Red-

「……道理で、すれ違う人たちが僕のことを変な目で見てきたわけだよ!」
 あらかじめ用意されていたややサイズが小さめの浴衣をブルーと同じものに着替え、赤い羽織から青い羽織に羽織り直したルージュが、廊下を歩きながら珍しく憤慨ふんがいしていた。その隣ではブルーが、これまた珍しくニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
「ふ……浴衣と羽織が女物だと知った時のお前の顔は、なかなかの見物みものだったぞ。まあルージュというのは一般的に、口紅のことを指すらしいからな。女と間違われたのも無理はない」
「予約する時、ちゃんと『男性二名』にしたはずなんだけどなあ……名前だけで判断するなんて。浴衣は少し小さめなのが普通で、羽織も僕たちの見た目に考慮したのかこんな所でまで青と赤に分かれてるんだ、くらいに思っていたら、僕だけまさかの女性用で……はあ。すぐにおかしいと気が付いたから良かったものの、とんだ恥をかいたよ……」
 髪と瞳の色は異なるもののほぼ同じ顔をした二人の青年は、案内板を確認しながら“目的地”へと向かって行く。

 ――心術の修行場があることで有名なリージョン、京。
 ここは独特な景観と雰囲気を持つリージョンで、ブルーのかつての仲間であったワカツの剣豪・ゲンいわく「わび・さび」というものが感じられる場所らしい。「言葉では説明しづらい、感覚で分かれ」と言われたが、おのれの知っている言葉で言い表すのなら、「閑寂かんじゃく」という言葉がふさわしいだろう。中でも庭園の美しさは、思わず息を呑んだほどだ。
 そして、今。オウミに家を借りて平和に暮らしている二人は、ルージュがやっとのことで予約をもぎ取った温泉旅館に来ていた。だが彼がぼやいていたとおり「ルージュ」という名を女性のものと間違われ、用意された女性用の浴衣と赤色の羽織を何ら不思議に思うことなく着て歩いていたら、道行く人々から妙な視線を送られ――よくよく見てみると赤い羽織は女性のみが身に着けていたことで、ようやく間違いに気付いたという有様だった。甘味処に向かっていた二人はすぐに引き返してフロントに問い合わせ、即飛んできた仲居と女将に非常に美しい土下座で謝罪されたという、何とも言えない出だしだったのだ。
「それにしても、僕が青いものを身に着けることになるなんてね。ちょっと不思議な感じだ」
 自らの青い羽織を見つめながらルージュが言えば、
「確かに。いまいちしっくりこないな」
 ブルーもまた、ルージュを見て正直な感想を漏らす。
「普段着も、いまだに君が青系で僕が赤系のものを選ぶことが多いよね。それぞれの髪と目の色的にも、そのほうが似合うだろうし。……でも、そろそろ時々はまったく違う色の服を着てみてもいいんじゃないかな。イメージチェンジ、ってやつ」
「同じデザインの服を色違いで買うくせも無くしてもいいかもしれんな」
「えっ、それは寂しい」
「なぜそうなる」
 そんなことを話しているうちに、二人は目的地に到着した。目の前には「ゆ/男」と描かれた青い暖簾のれんと、「ゆ/女」と描かれた赤い暖簾のれん。「お風呂セット」が入ったカゴを手に、二人はごくりと唾を飲み込む。
「……大浴場なんて初めてだ。いていたらいいな」
「お前は赤い暖簾のれんのほうじゃないのか?」
「それ、まだ言う!? 僕が入って行ったら大騒ぎになる上に通報されるから」
 この旅館に来た最大の目的を果たすために、二人は青い暖簾のれんをくぐり、奥へと進んだ。

 幸い先客はお年寄りが数人いただけで、充分にいているといって良かった。シャワーで髪や体を洗い終えた二人は腰にタオルを巻き、目当ての露天風呂へと足を運ぶ。
「誰もいない! 貸し切りだ」
 ルージュが嬉しそうに言い、喜び勇んで湯の中へと入って行く。ブルーも続いて隣に体を沈め、二人はタオルを浴槽の外で絞ると、長い髪を頭上で軽く巻いた。温泉におけるマナーは詳しくは知らないが、そうしたほうがいいと思ったからだ。
「本当だ、庭園がよく見える。『モミジ』っていうんだっけ? 相変わらず綺麗だよね」
「ああ。これが目当てで来たんだろう?」
「うん。初めて見た時も、あまりの見事さに言葉を失ったよ。静謐せいひつな美しさっていうのかな……なんだか風情ふぜいがあるなあって」
「ゲンいわく、この景色は『わび・さび』を感じられるものらしいぞ。こうして改めて見てみると、その感覚が少し分かった気がするな」
「そうだね……ふう……」
 ちょうどいい湯加減と目の前に広がる景色の美しさに、自然と会話が途切れる。二人は、鹿威ししおどしの定期的な音と流水音に、しばし耳を傾けた。――最初こそ予期せぬトラブルに見舞われたが、来て良かった。しみじみと幸せを噛み締めていると、露天風呂の扉が開き、誰かが入ってきた気配がした。これで貸し切り状態は終わりか、でももう少し……などと思っていると、突如素っ頓狂な声が背後で上がる。
「うわあああ!? おんっ、女……ッ!?」
「……え?」
 聞き覚えのある声に、ルージュとブルーは同時に振り返った。そこにいたのは――。
「……レッド?」
「……へ? なんで俺のこと知って……あれ?」
「おいおい、何だ、大声を上げたりして。他の客の迷惑になるだ――あ?」
 ルージュが「レッド」と呼んだ青年の後ろから、もう一人、茶髪の男が入ってくる。その男にも、二人は見覚えがあった。四人は目を丸くして、しばらく見つめ合う。
「……ま、まさか、ルージュ、なのか……? ……と、ええと……」
「ブルー、な。キグナスで会っただろ? リージョン海賊の襲撃を受けた時に、貴様の名前が気に食わんって協力を拒まれただろうが。
――よう、こんな所でまた会うとはな。二人で仲良く温泉旅行満喫中か」
「ヒューズまで。うん、そんなところ。……ああ、僕だよ。久しぶりだね、レッド。ヒューズとは以前会ったことがあるけど、君に会うのはあの時別れて以来だ」
「本当の本当に、ルージュなのか……? でもお前、俺と別れてから……」
「本物だよ。まあ、こっちにも色々あってね。……ともかく、まずはお湯に浸かったら? 君たちも露天風呂に入りに来たんだろう?」
「あ、ああ、そうだな」
 ルージュに勧められて、レッドとヒューズも湯に浸かった。ヒューズは浴槽の縁にもたれて早々にリラックスしているが、レッドは物言いたげに、ルージュとブルーを交互にちらちらと見遣っている。
「……僕の身に起こったことは後で話すとして。君たちは、どうしてここに?」
「あー、まあ、ブラッククロスの残党狩りってところさ。実はまだ下っ端があっちこっちに潜んでて、時々各地でしょうもない悪さをしてるって話でな。俺とコイツでそいつらを見つけ出してとっちめるために、京に一泊するついでに温泉にでも入るかってなったワケ。――ああ、任務は既に完了してるぜ。お前たちの手をわずらわせることはねえから安心しな」
「そうだったのか……相変わらずあちこちを駆け回っているんだね、お疲れ様。……ところでレッド、君がヒューズと組んでいるということは、IRPOにでも入ったのかい?」
 ルージュに話を振られ、ブルーに睨まれてやや理不尽さを感じていたレッドは、ぶんぶんと首を横に振る。
「まさか! そういう話も出たけど、もちろん断ったよ。おっさんの下で働くなんて、身が持たないだろうし」
「だからおっさん呼ばわりはやめろって言ってるだろ、クソガキ。……ま、今回は目的が一致したってことで手を組んだだけさ。これからも、行く先々で悪をぶっ潰して回るコイツと鉢合わせるんだろうよ。腐れ縁、ってヤツかね」
「それはそれでいい関係じゃないか」
「そうかなあ」
「そうかあ~?」
 レッドとヒューズが首を傾げて答えるタイミングまで一緒で、ルージュは小さく笑った。一方で無言のブルーはというと、再び視線を送ってきたレッドへ、不快そうに眉をひそめる。
「……何だ、先程からじろじろと。言いたいことがあるならはっきり言え」
「え、いや……今はルージュと仲が良さそうだから、もう俺の名前を嫌がることもないのかな、って」
「そうだな。だがお前のようないかにも暑苦しそうな人間は、どちらにしても苦手だ」
「何だよそれ!」
「ブルー、レッドは僕の友人だ。確かに熱い人間ではあるけど、仲間思いでいい人なんだよ。だから、悪く言わないで」
 ルージュが必死にフォローに入るも、ブルーの表情が和らぐことはなかった。こりゃまいったね、とヒューズは両手を広げて肩をすくめ、レッドは両拳を握って口を尖らせている。熱血タイプのレッドと、クールタイプのブルー。両者がすぐに仲良くなるのは難しそうだ。
「……っと、僕たちはそろそろ上がろうかな。結構長く浸かっているし、これ以上はのぼせてしまいそうだ」
「おう。なら、俺たちも上がるかね。積もる話もあるだろ? じっくり浸かりたきゃ、また後で来りゃいい。一回ごとに課金されるシステムでもねえしな。何度でも湯に浸かって、ツルッツルの美肌になってやんよ」
 頭に乗せていたタオルをすぐに腰に巻いて湯から上がって行ったレッドとヒューズに、ルージュとブルーも続いた。

「青い服を着てるルージュって、なんだか新鮮だな」
 浴衣と羽織を着て脱衣所から出た後のレッドの言葉に、ルージュは最初に体験したトラブルのことは黙っておくことにして、曖昧に微笑む。
「ここの旅館では、これが男性用だからね。僕自身も、まだ違和感があるよ」
「……それで、どこで話そうか? とりあえずいったん風呂セットを置きに部屋に戻るけど、どっちかの部屋に集まるか、別の場所で話すか」
「甘味処はどうかな。ちょうど喉も乾いているし、夕飯までまだ少し時間があるし」
「甘味処って、他のリージョンで言う喫茶店みたいな所だっけか? よし、じゃあそこに行こう。……いいよな? みんな」
 場所を提案したルージュと彼に賛同したレッドに、ブルーとヒューズも無言で頷く。レッドが言っていたとおり四人は一時解散し、それぞれの部屋へ風呂セットを置きに戻った後に再び集合した。旅館の部屋数はさほど多くはなく、二組の部屋が意外と近かったことが分かって、集合場所を指定する必要がなかったことが幸いだった。
 旅館に併設された甘味処に到着すると、四人は思い思いの菓子と冷たいお抹茶を注文し、まずは一息ついた。最も端の席を取ったため話もしやすく、ルージュは自らが蘇った経緯をレッドに話して聞かせ、レッドとヒューズもまた、ルージュと別れた後の冒険譚を語った。ブルーは三人の話を聞きながら、黙々と菓子やお抹茶を口に運んでいる。
「……そのヌサカーンって奴がやったことはちょっとエグいと思うけど、何にしてもルージュが生き返ってくれて本当に良かったよ。ルージュがブルーと戦って死んだって聞かされた時は、心底絶望したからさ……ルージュがこうして復活してなかったら、ブルー、あんたを一生涯恨んでるところだった」
「……」
「ブルー、レッドを睨むのはもうやめてあげて。……でも、それが僕たちに課された宿命だったから、仕方がなかったんだ。相手をたおして完全な術士になることが、僕たちの全てだった。自分たちがやろうとしていることは間違っているんじゃないかとは思っていたけど……半端な術士である自分が何よりも嫌だったし、あの時の僕たちは、そうするしかなかったんだよ」
「……ま、こんなことを言うのは何だが――キングダムがあんなことになってなけりゃ、お前たちはあの非道な国で一生飼い殺しにされていたあげく罪に罪を重ねていたかもしれないって考えると、な。ある意味、徹底的にぶっ壊されたことであの国の真実が明るみに出て良かったんじゃないかとすら思うぜ」
 ヒューズの言葉を聞いてもルージュとブルーは怒ることはなく、静かに頷いた。話を聞いた限りかなり大変な思いをしたようだが、今の彼らが非道な宿命と故郷から解放され、オウミで共に暮らし温泉旅行まで楽しんでいると知ることができて良かったと、レッドは思う。おのれもある日突然帰る家と家族を失い、一度死にかけたところを『ヒーロー』と呼ばれるものになったことで生き伸びてそれからは実に数奇な人生を歩んだが、現在はごく普通の青年に戻った上にとある人物が密かにかくまってくれていた母と妹もいて、今は復讐に燃えることなく、日々前向きに生きている。それと同時に、自分たちの旅は本当に終わってしまったんだなという、ちょっとした寂寥感せきりょうかん。これからも会いたいと思った時に会うことはできるのだろうが、もう“旅の仲間”ではなく、別々の場所でそれぞれの人生を歩んで行くことになるんだなと、思わずしんみりしてしまう。
「? どうしたんだい? レッド。ぼんやりして」
「あ? いや……俺たちの旅は終わっちまったんだなあって、思ってさ……」
「……そうだね。君といた時間はそんなに長くはなかったけど、なんていうか濃い旅だったな、って。僕の旅はここで終わるのかって思ったことも、何度かあったし」
「ずいぶん危ない目にも遭わせちまったもんな。でも、ルージュや仲間たちがいてくれたから、俺は色々なことを乗り越えられたし、今、ここにいる。改めて、ありがとな」
「そんな、お礼なんて。君の勇敢な旅路、できれば最後までそばで見届けたかったよ。……旅は終わってしまったけれど、僕だって今、生きてここにいる。だからこれからも時々会って、色々なことを話したりしよう。今の僕なら、君に隠さなきゃいけない秘密もないから……今後とも、よろしく頼むよ」
 ルージュがテーブルの上に差し出した手を、向かい側に座ったレッドが握り返す。青年たちの友情にヒューズは眩しそうに目を細め、ブルーはふと、リュートの顔を思い浮かべた。――ここしばらく会っていないな。次は、いつふらりと現れるのだろう。久しぶりに、あいつの陽気な歌が聴きたくなったな。そんなことを思いながら、器の底に残っていたお抹茶を飲み干した。

 レッドたちと別れ、自分たちの部屋へと戻ったルージュとブルーは、数名の仲居が運んできた旅館ならではの豪勢な夕食に目を輝かせた。どれから食べようか、これは何だ、こんなに食べられるのだろうか、などと言い合いながらも二人は全ての料理を平らげ、部屋に入った時には綺麗に敷かれていた布団に倒れ込むと、膨れた腹をさすって深い溜め息を吐く。
「ふーっ……こんなにたくさん食べたの、初めてかも。苦しいー……」
「今のが、旅館の食事か。そして、これが『布団』というものか」
「初めて尽くしだね。でも、面白い体験だ。キングダムに戻っていたら、絶対にできなかったことだよ。……せっかく来たんだから、もう一回くらい温泉に入りに行こうか。お腹が落ち着いた頃にでも」
「……そうだな。今は、動けん……」
 苦しそうにぐったりと横たわるブルーを見て、向かい側に寝転がったルージュがおかしそうに笑う。
「ふふ、このまま朝まで寝ないようにしないとね。……でも、いい癒し旅になっただろう? これからもまた、こういう経験ができたらいいね」
「……そうだな」
 布団ならではの近距離で見つめ合ったまま、ルージュはにこりと笑い、ブルーはふ、と表情を和らげる。あまり喜びの感情を表に出さないブルーだが、彼なりに楽しんではいるらしい。――半分はおのれの楽しみのためだが、もう半分はかけがえのない“家族”であるブルーに喜んでもらうため。頑張って予約を取った甲斐があったと、ルージュはさらに笑みを深めた。

 広縁でしばしくつろぎ、腹の調子が落ち着いてから、二人は再び温泉へと向かった。
 営業終了時間間際に行ったからかほぼ貸し切り状態で、途中からは完全に二人きりになったことで、ライトアップされた夜の庭園を臨む露天風呂を楽しんだ後に、広々とした大浴場も満喫した。誰かの忘れ物なのか敢えて置いてあったのか、浴槽の中をぷかぷかと漂う黄色いアヒルのおもちゃをまじまじと見つめ、これはどこで買えるのか、うちの風呂にもどうか、などと盛り上がりながら、温泉を後にした(後日シュライクの雑貨屋で発見し、棚にずらりと並ぶ黄色いアヒルたちの前で目を輝かせていた上、嬉々としてレジに持って行った双子の美青年がいて可愛らしかったと、一般人証言者は語る)。
 腹も気持ちも満たされた二人は、ほどなくしてやってきた睡魔にあらがうことなく布団に入り、夢も見ずにぐっすりと眠った。そして翌朝、フロントでレッドたちと再会し、また必ず会おう、オウミの新居にもおいでよ、と約束して別れた(相変わらずブルーのレッドへの視線は微妙なものだったが)。
「――ちょっと待った!」
 旅館を出て、少し開けた場所で『ゲート』を開こうとしたブルーを、ルージュが止める。
「……何だ?」
「家に帰るまでが遠足、ならぬ旅行だよ。最後まで旅行気分を味わうためにも、来た時と同じくちゃんとリージョンシップを使って帰ろう」
「……なぜそんな面倒で余計な金と時間がかかることを……」
「でも君、一人でキグナスに乗ったことがあるんだろう? 何が目的だったのかは知らないけど。おまけに、レッドの名前が気に食わないって」
「昔の話を蒸し返すな。……今は、名前が気に食わないわけではない」
「昔といっても、一年も経っていないけどね? ……ともかく、睨んだり必要以上に嫌ったりするのはやめてよ。僕はこれからも彼と友達でいたいんだから」
「……努力は、する」
 家から持参した荷物に加えて、チェックアウト前に土産屋で買った土産が入った袋を手に、青年たちは鮮やかな色彩の紅葉を目に焼き付けながら、シップ発着場へと歩いて行ったのだった。
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