オウミの水は青かった
僕は、キングダムの術士ルージュだ。
術の修行のために各地を廻 っているんだけれど、資質を集めるには仲間が必要だ。キングダム――正式には「マジックキングダム」――を旅立ち、陰陽の術の資質を得られるルミナスで、これからどうしようかと考えていた時に、半人半妖の女性、アセルスと出会った。
彼女の傍 にはもう一人、白薔薇姫と呼ばれる女性がいた。名前のとおり、頭が白い薔薇で覆われた、儚げな人だった。僕でも一瞬、見惚れたほどだ。
なんでも、妖魔が住む「ファシナトゥール」というリージョンから抜け出してきたらしいが、気が付けば、周りにはたくさんの仲間が集まってきていた。僕もアセルスたちに協力し、次々と襲いかかってくる追跡者を振り払ってきた。
しかし、悲劇が起きた。アセルスに絶えず付き添ってきた白薔薇姫がいなくなってしまったのだ。
正確には妖魔の最高実力者である『魅惑の君』オルロワージュが作り出した異空間、『闇の迷宮』に残ったということだった。この迷宮を脱出するには、己 の大切なものを犠牲にしなければならないという掟 があるらしい。白薔薇姫はそれを知っていて、自ら身代わりとなった。
『魅惑の君』に逆らった罪を償 うため。そして、アセルスに自由を与えるため。
己 の半身を失ったかのような彼女の悲しみ様に、僕たちはかける言葉がなかった。だが『魅惑の君』の好き勝手な振る舞いに怒りを覚えたのだろうか、一度は彼女の元を去った教育係の妖魔・イルドゥンと、彼女に興味を持って後を付け回していたという実力者・ゾズマが、正式に同行することになった。
アセルスは、あれから随分と成長したと思う。彼女と旅をすることで、僕も少しは成長できたかもしれない。独特の価値観を持つ「上級妖魔」にも初めは戸惑ったが、今では同じ仲間たちだと思っている。
「『魅惑の君』と決着をつける」とアセルスが決意する数日前、気晴らしと休養のために、僕たちは、新鮮な魚介類が名物の湖の町、オウミで一日を過ごすことにした。
なんとなく平穏無事に終わるとは思わなかったが、まさか、あんな騒ぎが起こるとは――。
◇◇
湖に泳ぎに行かないかと誘われたが、泳いだことがない僕は、もちろん断った。それならば砂浜にいるだけでもかまわないと言われて、半ば強引に連れ出される。
大きなパラソルの下に長椅子を置いて、僕を含めた湖に入らないメンバーは、泳ぐ者たちを見物することになった。
ワカツ出身の剣士であるゲンさんやヨークランドから旅立ってきたというリュート、殺された婚約者の仇 を追っているらしいエミリアと、その友人のアニーといった人間たちが、水をかけ合ってはしゃいでいる。皆、まるで小さな子供のようだ。
少し離れた波打ち際では、水妖のメサルティムとこのパーティーのリーダーであるアセルスが、細々と足を濡らしている。特にメサルティムは、水に浸かることで活力を取り戻しているようだ。
浜辺に残っているのは、妖魔ばかりだった。
妖魔は人間と比べて体温が低いので、暑さも苦手としている。何枚もの服を着込んでいる僕や他の妖魔が暑いのは当然だが、上半身が裸同然の奇抜な服装のゾズマが最も不機嫌らしく、どこで手に入れたのか、うちわをぱたぱたと振っている。彼の奔放な性格から、絶対に泳ぎに行くと思ったんだけれど。
「ゾズマ、君は泳ぎに行かないのかい?」
思わず訊 くと、不機嫌な顔で見下ろされた。そして、隣で眩暈 を起こしかけているイルドゥンにうちわを放りながら、
「君こそ変わっているね。もしかして、泳げないのかい?」
「……泳いだことがないし、水に入るのは好きじゃないから。みんな、楽しそうだね」
「冗談じゃないよ、まったく。少しだけって言ってたのに、もうどれだけ待たされてる? 波の音なんて、5分も聞いていれば充分だよ」
「……今回ばかりは、おぬしと同意見じゃな」
もう一人、不機嫌極まりない表情の零姫が、低く呟いた。外見は10歳くらいの少女だが、『魅惑の君』の最初の『寵姫』だったらしいと白薔薇姫から聞いていた。『魅惑の君』の拘束を死をもって断ち、転生を繰り返して逃れているのだという。確かに、一目見た時から外見どおりの人物ではなさそうだとは思っていたので、失礼のないように接している。アセルスには何かと厳しいイルドゥンも「零姫様」と呼ぶくらいだ。後ろでは、何気なくゾズマのうちわの風を受けていた『妖魔の君』の一人である時の君と、妖魔でありながら『IRPO』に所属しているサイレンスが、服をぱたぱたと振っている。
うちわを渡されたイルドゥンが倒れそうになっているのを見兼ねて、サイレンスがうちわを取り、イルドゥンを扇ぎ始めた。彼の声を聞いたことは一度もないが、『IRPO』隊員だからか、困っている人に手を差し伸べることが多い、珍しい妖魔だ。僕も、彼には何度か助けられた覚えがあった。目の前で蝶の羽を広げられた時は、少し驚いたけれど。いったい、どんな構造になっているのだろうか。
「……宿に戻るか?」
時の君の言葉に、ゾズマは大きく首を縦に振った。「『妖魔の君』の言葉なら文句も言えないだろう」と嬉しそうに言って、途端に姿を消してしまう。仕方がないので、僕はアセルスとメサルティムの元へ行き、
「アセルス。イルドゥンが脱水症状を起こしかけているんだ。先に宿屋に戻っているよ」
「あんなに暑苦しい恰好をしているからだよ。……頭から、水をかけてやろうかな。いつも何かと文句を言ってくる仕返しに」
「とにかく、先に戻っているから。僕も少しフラフラしてきた……」
「ゲンさんたちはまだ当分遊んでるし……みんな私より年上なのに、すっかりはしゃいじゃっておかしいよね。……イルドゥンはともかく、ゾズマがとんでもない騒ぎを起こさないように見張っていて。それが一番心配だから」
僕が戻った頃には、妖魔たちの姿は既になかった。
イルドゥンをてきぱきと介抱しているサイレンスを手伝っていると、消えたゾズマが姿を現した。ベッドの上でイルドゥンは上半身を起こしてはいるが、意識が朦朧 としていて、視線が定まっていない。ゾズマのからかう言葉にも反論する余裕はないらしい。
「まーったく、情けない教育係だな。いつも眉が上がりっぱなしのクセに、脱水症状を起こすなんて。そんなことじゃ、あの娘に笑われるよ」
「ゾズマ、からかうのは良くないよ」
「君は優しいね。道理で、あの娘が懐くわけだ」
「懐いてなんて……」
「白薔薇姫と離ればなれになってから、君を頼りにしまくってるじゃないか。ああいうのはね、甘やかすとろくなことがないよ」
「そう言うけど、アセルスは元々、僕と同じ人間だったんだ。ついこの間まで普通の人間だったのに、短い間に色々なことがあり過ぎて……傷つかないほうがおかしい。僕は結構前から一緒にいたから頼ってくれているんだろう。大した力にはなれないけれど、少しでも彼女の心の支えになっているのなら嬉しく思うよ」
一気に言って、僕は我ながら顔が熱くなった。人間と価値観の違う妖魔を相手に、何を力説しているのだろうか。
気恥ずかしさに無言で俯いてしまったが、意外な反応があった。
「……今の言葉に、一理はあるな」
「……え?」
「人間は、弱い生き物だ。だが、妖魔とて決して強い生き物ではない。心は人間以上に複雑ゆえ、わずかなことで悩み苦しむこともある。……遥か昔に置き去りにしてきた感情だがな」
「時の君……」
「世迷言だ……聞き流してくれていい」
「さすがは『妖魔の君』。長く生きておれば、実に豊富な経験をしてきたのじゃろうな」
なんだか、妖魔の意外な一面を知ることができたかもしれない。中でも時の君は、物静かで極端に短い言葉で話す人だが、心の奥には優しいものを秘めている雰囲気を持っている。
――こんな人と、僕は対峙できるのだろうか? 『時術』の資質を得るためには、その持ち主である時の君を倒さなければならない。この旅が終わったら、戦うつもりだった。
こんなに大事 になる前に別れておくんだったと少し後悔したが、もう後戻りはできない。アセルスの行く末を見届けてから、僕は自分の目的を果たさねばならない。
完全な術士になるため世界各地を廻 り、術の資質を集めること。そのためには、いかなる手段を用いてもかまわない。
魔術士としての修士終了式の日、初めて知らされた真実――双子の兄弟の存在。双子は同じ術の資質を得ることができないので、完全な術士になることは不可能だ。
ゆえに命じられた最終目的――同じように資質を集めている双子の兄弟・ブルーを倒し、一人の完全な術士となること。それが、キングダムに生まれた双子に課せられる宿命。戸惑いがないわけではないが、相手も僕を抹殺するよう命じられているのだ。負けるわけにはいかない――。
「おぬしも疲れているようじゃな」
零姫に言われて、僕は我に返った。すぐに物思いに耽ってしまうのが、僕の悪い癖だ。サイレンスはいつの間にか椅子に腰掛けていて、ゾズマが、不思議そうに僕を見ている。
それも束の間、部屋の中を見回して、彼は口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。……嫌な予感がする。
「ねえ、ルージュ。この顔触れって、なかなか貴重だと思わないかい?」
「……何を企んでいるんだい、ゾズマ」
「君まであの娘みたいなことを言うんだな。でも、せっかくの自由な一日なんだ……、僕たちは、僕たちなりに気晴らしをしたいものだね」
「騒ぎは起こすなって、日頃からアセルスが……」
「大丈夫だよ。騒ぎを起こすんじゃなくて、ちょっと出掛けるだけなんだから」
「……それはわらわも含めて、ということか?」
苦い顔をする零姫に、ゾズマはもちろん、と答えた。時の君とサイレンスは、眉一つ動かさない。ベッドに横たわっていたイルドゥンが、再び上半身を起こして眉間に皺を寄せる。
「他人を巻き込むな。迷惑だ」
「たまには何もかも忘れて遊ぶことが必要だよ。だから君は、いつも眉が寄っているんだ」
「たまには、だと? お前は、いつも不真面目ではないか! 勝手な行動ばかりとっているお前に説教される覚えはない!」
「なんだ、怒鳴る元気があるじゃない。それなら話は早いな。全員で行こう」
嫌がるイルドゥンをベッドから引きずり出して、ゾズマは部屋を出て行ってしまった。
放っておくわけにはいかないので、僕とサイレンス、少し遅れて零姫と時の君も部屋を後にした。
僕と5人の妖魔は、港に着いた。
何隻もの大きな船が停泊し、その間を、小さな漁船がゆっくりと滑って行く。
青く澄んだ湖の中で輝く魚たちを見つめていると、ゾズマの呼び声が聞こえた。随分と遠くから聞こえる――。
「な、何をしているんだ!?」
「舟を借りたんだよ。さ、乗って」
「乗って、って……あっ、『ファッシネイション』を使ってまで! ちょっと待って、これじゃ僕たちまで共犯になってしまうじゃないか!」
「さあ、乗った乗った! 早くしないと、あの人間たちにかけた魅了効果が切れてしまうよ」
腕を引っ張られて、強引に舟に乗せられてしまった。
怒る気力も失せたらしいイルドゥン、相変わらず無表情のサイレンスと時の君、小さな体を乗り出さんばかりに湖を覗き込んでいる零姫。最後に僕が乗せられると同時に、ゾズマが縄を解いた。小舟はあっという間に港を離れ、湖面を滑り出す。
「……知らないよ……戻って来られなくなっても……」
「心配性だな、君は。今日は特別に、僕が舟を漕いであげよう。一度やってみたかったんだ」
ゾズマは楽しそうにオールを握ると、勢いよく舟を漕ぎ始めた。もう、何を言っても無駄だ。
「……あれがオルロワージュの後継者とまで言われていた者かと思うと、ファシナトゥールの未来を想像するのはたやすいのう」
「ゾズマは、それが嫌でファシナトゥールを飛び出したのでしょう? 強大な力を秘めているのに、『魅惑の君』の元から逃れてまで」
「まあ、あの性格で統治者が務まるわけがなかろう。束縛は地獄じゃ。この先、オルロワージュの血を受けたあの娘がどうなるのかは分からぬが、ファシナトゥールにどのような変化がもたらされるのか、楽しみではある。良い方向に進むのか、最悪の事態になるのか……それも全て、あの娘にかかっておる。ゾズマも、そういった意味で大いに期待されていたのじゃが……」
零姫の言葉も、上機嫌で舟を漕いでいるゾズマにはまったく聞こえていない。それどころか鼻歌まで歌い出し、苛立ったイルドゥンに怒鳴られて、ちょっとした言い争いまで起きている。
思わず苦笑してしまう僕の後ろで、時の君が軽く息を吐いた。
「……この地に伝わる民謡か。人間と人魚の悲恋をテーマにしたものだったはず。ひどく嫌っていた者もあった気がするが……酔狂な」
「なぜ知っているんですか?」
「書物による知識だ。歌詞で分かった」
「それなら、各リージョンの歴史を記した書物もあるんですね? 見てみたいものです」
不意に、ゾズマの手が止まった。妖魔たちが、一斉に目を細めて前方を見据える。何を発見したのだろうか。
「……渦潮か」
「え? どこにあるんです?」
妖魔の感覚は人間より優れているようで、この顔触れの中で唯一の人間である僕には、まだ何も見えない。
妖魔たちが無言で武器を構え始めるのに倣 って、僕も戦闘態勢に入った。いつでも術を発動できるように、詠唱を始める。
ほどなくして渦潮がようやく見えたと同時に、それは複数に分裂した。中心から姿を現した巨大な怪物――クラーケンだ!
「どうして、こんな所に……!?」
「5匹くらいいるね。しかも囲まれているみたいだ。……ちょっと大変かもな」
「ちょっとどころじゃないよ! 水上での戦闘は、圧倒的にクラーケンに有利じゃないか!」
「騒ぐでない。クラーケンならば、リーパーで一撃じゃ」
「時間蝕という手もある」
冷静に構える零姫と時の君も詠唱を始めるが、一度に相手ができるのは一匹のみだ。下手に全体攻撃術を使うと、逆上して手が付けられなくなってしまう恐れがある。
真っ先に、ゾズマが向かって行った。腰に下げていた細身の剣をすらりと抜く様は、彼が武術に長けている証。ゾズマを援護するようにサイレンスが手を紫色に光らせて、『妖魔の剣』を作り出した。二人が一匹を相手にしている間に、詠唱を終えた時の君が『時間蝕』を発動する。続けざまに零姫が『リーパー』を、僕が『インプロージョン』を放つと、残りは一匹になった。これならば、心配はない――!?
仲間を瞬時にして倒されたからか、最後に残ったクラーケンが大暴れし始めた。長い触手の一撃で小舟は反転し、僕たちはなす術 もなく湖に放り出される。
激しい波しぶきで視界が塞がれて、仲間たちの姿が見えない。懸命にもがいていると、何かが僕の体を捕らえた。……まさか……。
「……サイレンス!」
クラーケンの触手ではなかったことに、心底安堵した。彼の触角のような前髪が鼻に当たってくすぐったいが、片手に僕を抱えながらも、サイレンスは果敢にクラーケンを斬りつけている。僕も、彼に協力しなくては――。
その時、上空を何かが飛んで行くのが見えた。あれは――零姫だ!
「零姫様!」
イルドゥンが叫んで後を追って行こうとしたが、彼も触手によって弾き飛ばされた。何度も波に触手を叩きつけられて、湖面は大きく波打ち、僕たちは身動きが取れずに翻弄されるままだった。こんな所で死んでしまうのだろうかと絶望しかけた時、サイレンスよりも力強い手が、湖の底に沈みかけていた僕たちを引き寄せた。
「みんな、何やってるんだ!」
「皆さん、大丈夫ですか!?」
アセルスとメサルティムだ! 二人から手を差し伸べられて、僕とサイレンスは救出される。
「ルージュ! これはどういうこと!?」
「ごめん、詳しいことは後で話すから! ……零姫とイルドゥンが弾き飛ばされてしまって……!」
「……やっぱりゾズマだな! メサルティム、二人を捜して来て!」
「はい!」
メサルティムが、荒れ狂う湖の中へ飛び込んで行くのと入れ替わりに――何かが飛び出してきた。
それは、今まで姿が見えなかったゾズマだった。彼の両腕には気絶しているイルドゥンと零姫が抱えられている。
二人分の重みなど感じていないかのように、ゾズマは軽やかに跳躍した。彼の足が紫色に輝き、文字通りゾズマは、紫色の蹴りを放った。クラーケンの巨体は『妖魔の具足』に吸い込まれ、彼は盛大に水中へと落下した。
「……あいつ、こんな時まで派手好きだな」
アセルスが眉を寄せて、すぐ傍 まで泳いで来ていた時の君に手を差し出す。再び浮上してきたゾズマを先導しているのは、メサルティムだ。
全員助かったのを見届けて気が緩んだのか、アセルスの笑顔を見たと思ったが最後、僕は意識を失った。
「あ、起きた」
目を覚ますと、エミリアとアニーが僕を覗き込んでいた。その横に、ゲンさんとリュートもいる。
僕が横たわっているのは、最初にいた砂浜のビーチパラソルの下に置かれた長椅子の上で、ずぶ濡れの体には、リュートのショールが巻かれていた。なんとか体を起こそうとすると、エミリアに止められる。
「そんな顔色では、まだ歩けないわ。もう少しおとなしくしていないと」
「……そんなにひどいかい?」
「真っ青よ。唇も紫色だし、最初に見た時、死んでしまったかと思ったくらい。
あの子……アセルスも、何度呼びかけてもあなたが返事をしないから半泣きだったの。『ルージュまで私を置いて行くの』って」
「無事意識を取り戻したってことを、あのボウズ……じゃない、嬢ちゃんに知らせてやらないとな」
ゲンさんの言葉に、アニーとリュートが走って行く。その直後に――二人が走って行った方向から、砂煙が上がった。
物凄い勢いで、ゾズマが走り抜けて行く。そんな彼を怒りの形相で追い回しているのは、『幻魔』を持ったアセルスだった。僕たちは、唖然としてそれを見送る。当然、周りの一般客も。
「……やれやれ」
「怒りのあまりに、我を忘れているみたい……『妖魔化』までしてる……」
ゲンさんとエミリアが苦笑し、僕は大きく溜息を吐いた。「騒ぎを起こすな」と言っていたのはアセルスなのに……。慌てて戻って来たアニーとリュートも、首を横に振ってみせるだけ。
「……良かったな、ルージュが無事で」
と、リュート。
「あんたがあのまま意識を取り戻さなかったら、間違いなくゾズマは殺されてたね。……で? 結局、何をしでかしたわけ?」
アニーの問いに、僕は事情を話した。ゾズマだって、まさかあんなハプニングが起こるなんて想像もしなかったはずだ。できる限りのフォローはしたつもりだが、どうしても彼ばかりが悪く聞こえてしまう。――ゾズマの印象は、最悪になってしまったかもしれない。
「……だから、ゾズマだけを責めるのは気の毒だよ。ね?」
「ルージュ、無事だったんだね! ――待て、ゾズマ! 今日という今日は!」
「人の話を最後まで聞きなよ。そんなことだから、君はいつまで経っても半端な存在なんだ」
「それとこれとは関係ないじゃないか! 自分が悪くないんだったら、逃げなければいいんだ!」
「そんな物騒なものを振り回されたら、誰だって逃げるに決まっているだろ。あ~もう、時の君! 見てないで、あの猛獣を止めてくださいってば!」
「誰が猛獣だって! この変態妖魔!」
「変態とは失礼な。このセンスが分からないなんて、君もまだまだだな」
……もう、誰も二人を止められない。一瞬でも、孤独なアセルスに同情したのは間違いだったのだろうか。
「時の君……あの二人を止めることはできませんか……?」
「私が手を出すことではなかろう。好きにさせておけ……」
この後、オウミの砂浜は一時的に封鎖され、ゾズマがしばらく行方不明となってしまったが、その理由は定かではない――。
術の修行のために各地を
彼女の
なんでも、妖魔が住む「ファシナトゥール」というリージョンから抜け出してきたらしいが、気が付けば、周りにはたくさんの仲間が集まってきていた。僕もアセルスたちに協力し、次々と襲いかかってくる追跡者を振り払ってきた。
しかし、悲劇が起きた。アセルスに絶えず付き添ってきた白薔薇姫がいなくなってしまったのだ。
正確には妖魔の最高実力者である『魅惑の君』オルロワージュが作り出した異空間、『闇の迷宮』に残ったということだった。この迷宮を脱出するには、
『魅惑の君』に逆らった罪を
アセルスは、あれから随分と成長したと思う。彼女と旅をすることで、僕も少しは成長できたかもしれない。独特の価値観を持つ「上級妖魔」にも初めは戸惑ったが、今では同じ仲間たちだと思っている。
「『魅惑の君』と決着をつける」とアセルスが決意する数日前、気晴らしと休養のために、僕たちは、新鮮な魚介類が名物の湖の町、オウミで一日を過ごすことにした。
なんとなく平穏無事に終わるとは思わなかったが、まさか、あんな騒ぎが起こるとは――。
◇◇
湖に泳ぎに行かないかと誘われたが、泳いだことがない僕は、もちろん断った。それならば砂浜にいるだけでもかまわないと言われて、半ば強引に連れ出される。
大きなパラソルの下に長椅子を置いて、僕を含めた湖に入らないメンバーは、泳ぐ者たちを見物することになった。
ワカツ出身の剣士であるゲンさんやヨークランドから旅立ってきたというリュート、殺された婚約者の
少し離れた波打ち際では、水妖のメサルティムとこのパーティーのリーダーであるアセルスが、細々と足を濡らしている。特にメサルティムは、水に浸かることで活力を取り戻しているようだ。
浜辺に残っているのは、妖魔ばかりだった。
妖魔は人間と比べて体温が低いので、暑さも苦手としている。何枚もの服を着込んでいる僕や他の妖魔が暑いのは当然だが、上半身が裸同然の奇抜な服装のゾズマが最も不機嫌らしく、どこで手に入れたのか、うちわをぱたぱたと振っている。彼の奔放な性格から、絶対に泳ぎに行くと思ったんだけれど。
「ゾズマ、君は泳ぎに行かないのかい?」
思わず
「君こそ変わっているね。もしかして、泳げないのかい?」
「……泳いだことがないし、水に入るのは好きじゃないから。みんな、楽しそうだね」
「冗談じゃないよ、まったく。少しだけって言ってたのに、もうどれだけ待たされてる? 波の音なんて、5分も聞いていれば充分だよ」
「……今回ばかりは、おぬしと同意見じゃな」
もう一人、不機嫌極まりない表情の零姫が、低く呟いた。外見は10歳くらいの少女だが、『魅惑の君』の最初の『寵姫』だったらしいと白薔薇姫から聞いていた。『魅惑の君』の拘束を死をもって断ち、転生を繰り返して逃れているのだという。確かに、一目見た時から外見どおりの人物ではなさそうだとは思っていたので、失礼のないように接している。アセルスには何かと厳しいイルドゥンも「零姫様」と呼ぶくらいだ。後ろでは、何気なくゾズマのうちわの風を受けていた『妖魔の君』の一人である時の君と、妖魔でありながら『IRPO』に所属しているサイレンスが、服をぱたぱたと振っている。
うちわを渡されたイルドゥンが倒れそうになっているのを見兼ねて、サイレンスがうちわを取り、イルドゥンを扇ぎ始めた。彼の声を聞いたことは一度もないが、『IRPO』隊員だからか、困っている人に手を差し伸べることが多い、珍しい妖魔だ。僕も、彼には何度か助けられた覚えがあった。目の前で蝶の羽を広げられた時は、少し驚いたけれど。いったい、どんな構造になっているのだろうか。
「……宿に戻るか?」
時の君の言葉に、ゾズマは大きく首を縦に振った。「『妖魔の君』の言葉なら文句も言えないだろう」と嬉しそうに言って、途端に姿を消してしまう。仕方がないので、僕はアセルスとメサルティムの元へ行き、
「アセルス。イルドゥンが脱水症状を起こしかけているんだ。先に宿屋に戻っているよ」
「あんなに暑苦しい恰好をしているからだよ。……頭から、水をかけてやろうかな。いつも何かと文句を言ってくる仕返しに」
「とにかく、先に戻っているから。僕も少しフラフラしてきた……」
「ゲンさんたちはまだ当分遊んでるし……みんな私より年上なのに、すっかりはしゃいじゃっておかしいよね。……イルドゥンはともかく、ゾズマがとんでもない騒ぎを起こさないように見張っていて。それが一番心配だから」
僕が戻った頃には、妖魔たちの姿は既になかった。
イルドゥンをてきぱきと介抱しているサイレンスを手伝っていると、消えたゾズマが姿を現した。ベッドの上でイルドゥンは上半身を起こしてはいるが、意識が
「まーったく、情けない教育係だな。いつも眉が上がりっぱなしのクセに、脱水症状を起こすなんて。そんなことじゃ、あの娘に笑われるよ」
「ゾズマ、からかうのは良くないよ」
「君は優しいね。道理で、あの娘が懐くわけだ」
「懐いてなんて……」
「白薔薇姫と離ればなれになってから、君を頼りにしまくってるじゃないか。ああいうのはね、甘やかすとろくなことがないよ」
「そう言うけど、アセルスは元々、僕と同じ人間だったんだ。ついこの間まで普通の人間だったのに、短い間に色々なことがあり過ぎて……傷つかないほうがおかしい。僕は結構前から一緒にいたから頼ってくれているんだろう。大した力にはなれないけれど、少しでも彼女の心の支えになっているのなら嬉しく思うよ」
一気に言って、僕は我ながら顔が熱くなった。人間と価値観の違う妖魔を相手に、何を力説しているのだろうか。
気恥ずかしさに無言で俯いてしまったが、意外な反応があった。
「……今の言葉に、一理はあるな」
「……え?」
「人間は、弱い生き物だ。だが、妖魔とて決して強い生き物ではない。心は人間以上に複雑ゆえ、わずかなことで悩み苦しむこともある。……遥か昔に置き去りにしてきた感情だがな」
「時の君……」
「世迷言だ……聞き流してくれていい」
「さすがは『妖魔の君』。長く生きておれば、実に豊富な経験をしてきたのじゃろうな」
なんだか、妖魔の意外な一面を知ることができたかもしれない。中でも時の君は、物静かで極端に短い言葉で話す人だが、心の奥には優しいものを秘めている雰囲気を持っている。
――こんな人と、僕は対峙できるのだろうか? 『時術』の資質を得るためには、その持ち主である時の君を倒さなければならない。この旅が終わったら、戦うつもりだった。
こんなに
完全な術士になるため世界各地を
魔術士としての修士終了式の日、初めて知らされた真実――双子の兄弟の存在。双子は同じ術の資質を得ることができないので、完全な術士になることは不可能だ。
ゆえに命じられた最終目的――同じように資質を集めている双子の兄弟・ブルーを倒し、一人の完全な術士となること。それが、キングダムに生まれた双子に課せられる宿命。戸惑いがないわけではないが、相手も僕を抹殺するよう命じられているのだ。負けるわけにはいかない――。
「おぬしも疲れているようじゃな」
零姫に言われて、僕は我に返った。すぐに物思いに耽ってしまうのが、僕の悪い癖だ。サイレンスはいつの間にか椅子に腰掛けていて、ゾズマが、不思議そうに僕を見ている。
それも束の間、部屋の中を見回して、彼は口元に悪戯っぽい笑みを浮かべた。……嫌な予感がする。
「ねえ、ルージュ。この顔触れって、なかなか貴重だと思わないかい?」
「……何を企んでいるんだい、ゾズマ」
「君まであの娘みたいなことを言うんだな。でも、せっかくの自由な一日なんだ……、僕たちは、僕たちなりに気晴らしをしたいものだね」
「騒ぎは起こすなって、日頃からアセルスが……」
「大丈夫だよ。騒ぎを起こすんじゃなくて、ちょっと出掛けるだけなんだから」
「……それはわらわも含めて、ということか?」
苦い顔をする零姫に、ゾズマはもちろん、と答えた。時の君とサイレンスは、眉一つ動かさない。ベッドに横たわっていたイルドゥンが、再び上半身を起こして眉間に皺を寄せる。
「他人を巻き込むな。迷惑だ」
「たまには何もかも忘れて遊ぶことが必要だよ。だから君は、いつも眉が寄っているんだ」
「たまには、だと? お前は、いつも不真面目ではないか! 勝手な行動ばかりとっているお前に説教される覚えはない!」
「なんだ、怒鳴る元気があるじゃない。それなら話は早いな。全員で行こう」
嫌がるイルドゥンをベッドから引きずり出して、ゾズマは部屋を出て行ってしまった。
放っておくわけにはいかないので、僕とサイレンス、少し遅れて零姫と時の君も部屋を後にした。
僕と5人の妖魔は、港に着いた。
何隻もの大きな船が停泊し、その間を、小さな漁船がゆっくりと滑って行く。
青く澄んだ湖の中で輝く魚たちを見つめていると、ゾズマの呼び声が聞こえた。随分と遠くから聞こえる――。
「な、何をしているんだ!?」
「舟を借りたんだよ。さ、乗って」
「乗って、って……あっ、『ファッシネイション』を使ってまで! ちょっと待って、これじゃ僕たちまで共犯になってしまうじゃないか!」
「さあ、乗った乗った! 早くしないと、あの人間たちにかけた魅了効果が切れてしまうよ」
腕を引っ張られて、強引に舟に乗せられてしまった。
怒る気力も失せたらしいイルドゥン、相変わらず無表情のサイレンスと時の君、小さな体を乗り出さんばかりに湖を覗き込んでいる零姫。最後に僕が乗せられると同時に、ゾズマが縄を解いた。小舟はあっという間に港を離れ、湖面を滑り出す。
「……知らないよ……戻って来られなくなっても……」
「心配性だな、君は。今日は特別に、僕が舟を漕いであげよう。一度やってみたかったんだ」
ゾズマは楽しそうにオールを握ると、勢いよく舟を漕ぎ始めた。もう、何を言っても無駄だ。
「……あれがオルロワージュの後継者とまで言われていた者かと思うと、ファシナトゥールの未来を想像するのはたやすいのう」
「ゾズマは、それが嫌でファシナトゥールを飛び出したのでしょう? 強大な力を秘めているのに、『魅惑の君』の元から逃れてまで」
「まあ、あの性格で統治者が務まるわけがなかろう。束縛は地獄じゃ。この先、オルロワージュの血を受けたあの娘がどうなるのかは分からぬが、ファシナトゥールにどのような変化がもたらされるのか、楽しみではある。良い方向に進むのか、最悪の事態になるのか……それも全て、あの娘にかかっておる。ゾズマも、そういった意味で大いに期待されていたのじゃが……」
零姫の言葉も、上機嫌で舟を漕いでいるゾズマにはまったく聞こえていない。それどころか鼻歌まで歌い出し、苛立ったイルドゥンに怒鳴られて、ちょっとした言い争いまで起きている。
思わず苦笑してしまう僕の後ろで、時の君が軽く息を吐いた。
「……この地に伝わる民謡か。人間と人魚の悲恋をテーマにしたものだったはず。ひどく嫌っていた者もあった気がするが……酔狂な」
「なぜ知っているんですか?」
「書物による知識だ。歌詞で分かった」
「それなら、各リージョンの歴史を記した書物もあるんですね? 見てみたいものです」
不意に、ゾズマの手が止まった。妖魔たちが、一斉に目を細めて前方を見据える。何を発見したのだろうか。
「……渦潮か」
「え? どこにあるんです?」
妖魔の感覚は人間より優れているようで、この顔触れの中で唯一の人間である僕には、まだ何も見えない。
妖魔たちが無言で武器を構え始めるのに
ほどなくして渦潮がようやく見えたと同時に、それは複数に分裂した。中心から姿を現した巨大な怪物――クラーケンだ!
「どうして、こんな所に……!?」
「5匹くらいいるね。しかも囲まれているみたいだ。……ちょっと大変かもな」
「ちょっとどころじゃないよ! 水上での戦闘は、圧倒的にクラーケンに有利じゃないか!」
「騒ぐでない。クラーケンならば、リーパーで一撃じゃ」
「時間蝕という手もある」
冷静に構える零姫と時の君も詠唱を始めるが、一度に相手ができるのは一匹のみだ。下手に全体攻撃術を使うと、逆上して手が付けられなくなってしまう恐れがある。
真っ先に、ゾズマが向かって行った。腰に下げていた細身の剣をすらりと抜く様は、彼が武術に長けている証。ゾズマを援護するようにサイレンスが手を紫色に光らせて、『妖魔の剣』を作り出した。二人が一匹を相手にしている間に、詠唱を終えた時の君が『時間蝕』を発動する。続けざまに零姫が『リーパー』を、僕が『インプロージョン』を放つと、残りは一匹になった。これならば、心配はない――!?
仲間を瞬時にして倒されたからか、最後に残ったクラーケンが大暴れし始めた。長い触手の一撃で小舟は反転し、僕たちはなす
激しい波しぶきで視界が塞がれて、仲間たちの姿が見えない。懸命にもがいていると、何かが僕の体を捕らえた。……まさか……。
「……サイレンス!」
クラーケンの触手ではなかったことに、心底安堵した。彼の触角のような前髪が鼻に当たってくすぐったいが、片手に僕を抱えながらも、サイレンスは果敢にクラーケンを斬りつけている。僕も、彼に協力しなくては――。
その時、上空を何かが飛んで行くのが見えた。あれは――零姫だ!
「零姫様!」
イルドゥンが叫んで後を追って行こうとしたが、彼も触手によって弾き飛ばされた。何度も波に触手を叩きつけられて、湖面は大きく波打ち、僕たちは身動きが取れずに翻弄されるままだった。こんな所で死んでしまうのだろうかと絶望しかけた時、サイレンスよりも力強い手が、湖の底に沈みかけていた僕たちを引き寄せた。
「みんな、何やってるんだ!」
「皆さん、大丈夫ですか!?」
アセルスとメサルティムだ! 二人から手を差し伸べられて、僕とサイレンスは救出される。
「ルージュ! これはどういうこと!?」
「ごめん、詳しいことは後で話すから! ……零姫とイルドゥンが弾き飛ばされてしまって……!」
「……やっぱりゾズマだな! メサルティム、二人を捜して来て!」
「はい!」
メサルティムが、荒れ狂う湖の中へ飛び込んで行くのと入れ替わりに――何かが飛び出してきた。
それは、今まで姿が見えなかったゾズマだった。彼の両腕には気絶しているイルドゥンと零姫が抱えられている。
二人分の重みなど感じていないかのように、ゾズマは軽やかに跳躍した。彼の足が紫色に輝き、文字通りゾズマは、紫色の蹴りを放った。クラーケンの巨体は『妖魔の具足』に吸い込まれ、彼は盛大に水中へと落下した。
「……あいつ、こんな時まで派手好きだな」
アセルスが眉を寄せて、すぐ
全員助かったのを見届けて気が緩んだのか、アセルスの笑顔を見たと思ったが最後、僕は意識を失った。
「あ、起きた」
目を覚ますと、エミリアとアニーが僕を覗き込んでいた。その横に、ゲンさんとリュートもいる。
僕が横たわっているのは、最初にいた砂浜のビーチパラソルの下に置かれた長椅子の上で、ずぶ濡れの体には、リュートのショールが巻かれていた。なんとか体を起こそうとすると、エミリアに止められる。
「そんな顔色では、まだ歩けないわ。もう少しおとなしくしていないと」
「……そんなにひどいかい?」
「真っ青よ。唇も紫色だし、最初に見た時、死んでしまったかと思ったくらい。
あの子……アセルスも、何度呼びかけてもあなたが返事をしないから半泣きだったの。『ルージュまで私を置いて行くの』って」
「無事意識を取り戻したってことを、あのボウズ……じゃない、嬢ちゃんに知らせてやらないとな」
ゲンさんの言葉に、アニーとリュートが走って行く。その直後に――二人が走って行った方向から、砂煙が上がった。
物凄い勢いで、ゾズマが走り抜けて行く。そんな彼を怒りの形相で追い回しているのは、『幻魔』を持ったアセルスだった。僕たちは、唖然としてそれを見送る。当然、周りの一般客も。
「……やれやれ」
「怒りのあまりに、我を忘れているみたい……『妖魔化』までしてる……」
ゲンさんとエミリアが苦笑し、僕は大きく溜息を吐いた。「騒ぎを起こすな」と言っていたのはアセルスなのに……。慌てて戻って来たアニーとリュートも、首を横に振ってみせるだけ。
「……良かったな、ルージュが無事で」
と、リュート。
「あんたがあのまま意識を取り戻さなかったら、間違いなくゾズマは殺されてたね。……で? 結局、何をしでかしたわけ?」
アニーの問いに、僕は事情を話した。ゾズマだって、まさかあんなハプニングが起こるなんて想像もしなかったはずだ。できる限りのフォローはしたつもりだが、どうしても彼ばかりが悪く聞こえてしまう。――ゾズマの印象は、最悪になってしまったかもしれない。
「……だから、ゾズマだけを責めるのは気の毒だよ。ね?」
「ルージュ、無事だったんだね! ――待て、ゾズマ! 今日という今日は!」
「人の話を最後まで聞きなよ。そんなことだから、君はいつまで経っても半端な存在なんだ」
「それとこれとは関係ないじゃないか! 自分が悪くないんだったら、逃げなければいいんだ!」
「そんな物騒なものを振り回されたら、誰だって逃げるに決まっているだろ。あ~もう、時の君! 見てないで、あの猛獣を止めてくださいってば!」
「誰が猛獣だって! この変態妖魔!」
「変態とは失礼な。このセンスが分からないなんて、君もまだまだだな」
……もう、誰も二人を止められない。一瞬でも、孤独なアセルスに同情したのは間違いだったのだろうか。
「時の君……あの二人を止めることはできませんか……?」
「私が手を出すことではなかろう。好きにさせておけ……」
この後、オウミの砂浜は一時的に封鎖され、ゾズマがしばらく行方不明となってしまったが、その理由は定かではない――。
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