Sisterhood

 とある町で、去り行く夏を惜しむように大きな夜祭りが開催されるらしい。祭り自体は決して嫌いではないのだが、エレンが真っ先に思ったのは、どうせまたユリアンがあれこれ理由をつけて〝デート〟とやらに誘ってくるのだろうということだった。
 残念ながら二人きりになる気はまったくないし、そうする理由もない。出かけるのならサラとトーマスも含めた、いつもの四人で。それが一番楽しいし、気楽でいい。ユリアンが自分の元にやって来たらそう言ってやろうと、身構えていた。
 だが、そんなエレンの元を訪れたのは、意外な人物だった。その人はエレンの顔を見るなりぱっと顔を輝かせ、小走りで駆け寄ってくる。
「エレン様!」
「モニカ様。あた……私に何かご用ですか?」
「ええ。……あの……もしよろしければ、お祭りをご一緒しませんか?」
「えっ」
「……いけませんか?」
 断られたと思ったのか途端にしゅんとするモニカに、エレンが慌てて手を振る。
「いっ、いや、いけなくないです! サラはトムに任せておけばいいし、あいつは勝手にすればいいし。モニカ様の頼みとあれば、断れるわけがありません。行きましょう!」
 ――誰よりも早くあたしに〝デート〟を申し込んできたのは、ミカエル侯の実妹・モニカ姫でした。そんなナレーションが、エレンの頭の中に流れた。

「……ごめんなさい。本来ならば、ユリアンと二人で回られる予定だったのでしょうに」
 モニカの言葉に、エレンは首を横に振る。
「とんでもないです。それに何度も言ってますけど、ユリアンとはそういう仲ではありませんから。モニカ様からのお誘いがなかったら、サラとトムも含めたいつもの四人で来てましたよ」
「あら、やはりそうされるおつもりだったのですね。ですが私、どうしても一度エレン様とこうしてじっくり交流を深めてみたかったのです。エレン様は私の憧れであり、お姉様のようであり、年の近い友のようであり……私にとって、かけがえのない方ですから」
「そ、そこまで……? なんだか恐縮です」
 共に旅をし、共に戦う中でなんとなく懐かれている気がするなとは思っていたが。きらきらと目を輝かせて真っ直ぐに見つめてくるモニカを見て、エレンは思わず頬を掻く。
「でもこういうイベントの連れって、私なんかよりユリアンのほうがふさわしいのでは? あいつのことだから、きっと喜んでついてきたと思いますよ」
「それも考えはしましたが、それでも私は今回のお祭りをエレン様と楽しみたかったのです。――さあ、では参りましょう」
 モニカの長く美しい金髪がふわりと舞い、甘い香りが漂う。いつ見ても、可憐で綺麗なお姫様。しかし、エレンは知っている。このお姫様が案外したたかで、いわゆる「グイグイ来るタイプ」の人間であることを。ユリアンがモニカにどのような感情を抱いているのかは分からないが、モニカはユリアンに明確な好意を抱いていて、それを隠そうともしない。これほどの美人に慕われてなびかない男など、滅多にいないだろう。
(まさか、こんなことになるとはね。……あいつ、あたしもモニカ様も誘うことができなくて、きっとがっかりするだろうな)
 ユリアンが肩を落とす姿が容易に想像できて、エレンはなんとも言えない気持ちになった。

◇◇

「まあ、お店がこんなにたくさん……!」
 通りの両側に並ぶ屋台を見て、モニカが感嘆の声を上げた。屋台に比例して、人出も相当だ。
「通りを照らす明かりも幻想的で綺麗……どこの地方の風習なのかは分かりませんが、ロアーヌでも取り入れてくだされば良いのに」
「モニカ様、私から離れないでください。あまり先を行かれては、はぐれてしまいます」
 エレンがモニカを守るように背後につくと、モニカは振り返るやいなやエレンの手を取り、その手をきゅっと握った。彼女は既に、上機嫌だ。
「では、手を繋ぎましょう。こうすれば、はぐれないでしょう?」
「そ、それは、そうですけど……」
 さも当然のように、手が繋がれる。マメだらけのおのれの手とは大違いの、柔らかくて滑らかな手。男であればこれだけで天にも昇る気持ちになるのだろうが、女であるエレンは、ますます複雑な気分になるばかりだ。
「『たこやき』『やきそば』とは何かしら? ああ、あのお店、カラフルで可愛らしい風船がたくさん水に浮かんで……あちらのお店に並んでいるあの赤いものも気になるわ。『りんご飴』と書いてあるけれど」
「一軒ずつ! 一軒ずつ回りましょう。まずは何か食べて、それから少し遊びましょうか」
 あたしだってこういう異国風のお祭りを見るのは初めてでテンションも上がってるんだけどな、とエレンは思う。モニカと違って冷静でいられるのは、子供の頃から年少者の面倒を見てきた「姉」だからだろうか。いつもの面子で来ていたら、はしゃぐサラとユリアンをトーマスと二人でたしなめることになっていたのかもしれない。
 まずはたこやきを買い、出来立ての熱さにはふはふ言いながら食べる。モニカがやきそばも気になると言うので一パックずつ買って食べると少し腹が膨れ、二人はしばし遊びに興じることにした。ヨーヨーつりで釣った赤色と桃色のヨーヨーをそれぞれ手首からぶら下げ、モニカが言うところの「水に浮かんでいるたくさんの綺麗なたま(スーパーボール)」をいくつかすくい、射的にも挑戦する。なかなかコツがつかめず惨敗と言う結果に終わったが、かえって火がついたのか、モニカはその場を離れようとしなかった。「もう一度!」といくらかのオーラムを台に置き、彼女は玩具の銃を勇ましく構える。
「……何か欲しい景品でもあるんですか?」
「いえ、そういうわけではないのですが。ただ、このままで終わるのは納得がいかなくて。何か一つくらいは当てて帰りたいのです」
「うーん、弓が得意なサラでもいれば良かったんでしょうけど。でも確かに、このままでは終われませんね。現役戦士の意地にかけて、私も協力しますよ」
「ありがとう、とても心強いわ。……私とて、戦士の端くれ。やりましょう!」
 拳を握り締めたエレンを見て、モニカも真似をして拳を握る。射的の屋台で張り切る美女二人の周りにはいつの間にか男性を中心とした人だかりができていて、次々に応援の言葉を掛け始めた。エレンは見向きもしなかったが、モニカがギャラリーに向かって「ありがとうございます」と一礼して微笑んでみせると、男たちは一斉にどよめいてデレデレと鼻の下を伸ばす。屋台の男店主までが思わず見惚れたほどだ。
「? ……なんだか急に騒がしくなったわね?」
「ここに集まった皆さんが、私たちを応援してくださっているのです。彼らの期待に応えられるよう、頑張りましょう」
 既にエレンはギャラリーに背を向け、姿勢を低くして玩具の銃を構えている。そんなつれない所もイイ、と言う男もいたが、エレン本人は気にも留めない。
 ――狙いを定めて、リベンジ一発目。弾は掠りはしたものの的が倒れることはなく、エレンは小さく舌打ちした。背後の男たちが「惜しい!」「ドンマイ!」などと励ましの言葉を掛けるとようやくエレンは軽く手を上げて、感謝の気持ちを示す。
 次にモニカが挑戦したが、こちらはまたしても的に掠りもせず。「あっ」と可愛らしく声を上げて肩を落とした彼女にも男たちは「大丈夫、大丈夫」「まだ次があるさ」と励まし、それに対してもモニカは律儀に振り返って礼を言う。そのうち「どっちも違ってどっちもいい」という者まで現れて、ギャラリーは大盛り上がりだ。
(……次こそ当てる!)
 再びエレンが銃を握り、鋭い目つきで的を睨む。先程より時間をかけて集中した甲斐あってか二発目の弾は見事に命中し、背後からは我が事のように喜ぶ声が上がった。モニカも「エレン様、おめでとうございます!」と嬉しそうだ。
(……私も、彼女に続きたい……!)
 しばし呼吸を整え、銃を手にしたモニカは意識を前方にのみ集中させた。それまできらきらと輝いていた彼女の碧眼がすっと細められ、無機質な人形めいた表情になる。その変化に周囲の者たちはゴクリ、と唾を飲み込み、一気に空気が変わったな、こりゃしとやかで可愛らしいだけのお嬢さんじゃないぞ、と小声で囁き合う。
 モニカの放った弾が的に命中すると、わあっと歓声が上がった。そばで見守っていたエレンも「やったわね!」と手のひらをモニカに向け、モニカも「やりました!」と会心の笑みを浮かべてエレンとハイタッチする。
「二人して、三回目で当てられるなんてね。あたしたち、天才じゃない?」
「それなりに実戦経験を積んだおかげかしら。ともかく、これで悔いはないわ!」
 そう言い合ってから、エレンとモニカは互いに「素」で喋っていたことに気付いてハッとなる。「あ、すみませんモニカ様。あたしってば……」と申し訳なさそうに肩をすくめるエレンに、だがモニカはふふふ、と笑ってエレンの両手を取る。
「いいのです、エレン様。もうこの際ですから、普段どおりに話しませんか? 『様』付けも無しで、モニカと呼んでくださってかまいません。私たちは、正真正銘の友となったのですから」
「えっ、でも……」
「私も今から、あなたをエレンと呼ぶわ。……あら、あれは……」
 ふとモニカが視界の端に映ったものを追えば一筋の光が笛の音と共に上空へと向かって行くのが見え、それは夜空で大輪の花を咲かせた。直後にドン、と腹に響くような爆発音。花火だ。
「花火! ……ここは人が多過ぎるわね。もっと人の少ない場所に移動しましょう」
「え、あっ、ちょっと……!」
 ぐい、とエレンの片手を掴んで、モニカはそのまま走り出した。もはや、完全にモニカのペースだ。
(……普通に喋っていいって言ってくれたのは助かるけど、やっぱりこの子、妙に積極的よね)
 ユリアンが時折たじろいでいたわけだ。ここにはいない幼なじみの顔を思い浮かべて苦笑し、エレンは無様に引きずられて転ばぬよう、モニカに合わせて小股で走った。

 比較的人の少ない場所を見つけると、エレンとモニカは再び夜空を見上げた。その頃には花火が連続で打ち上がり、夜祭りも後半戦といった雰囲気だ。
「……綺麗」
「そうです……そうね。うちの村でもお祭りの時は花火が上がるけど、こんなに連続では上がらないわね」
「そうなのね。けれどシノンの村祭りも、きっと素敵なものなのでしょう。いつか私も見に行きたいわ。……次にロアーヌで規模の大きな花火を見ることができるのは、お兄様が結婚なさる日ね。私はユリアンと共にロアーヌを飛び出した身だから、お側で見届けることはできないでしょうけれど」
「……モニカ……」
 ああ、遠い目をしている。一見自由を得たように見えるものの、モニカがロアーヌ侯ミカエルの妹であるという事実は変わらない。ミカエルがモニカと絶縁すると宣言しない限り、彼女は永久にロアーヌに縛られたままだ。
「……それでもやっぱり、ミカエル様のことは気にかけているのよね?」
「……」
 エレンの問いに、モニカはしばしの沈黙の後に小さく頷く。
「……ええ。お兄様は今や、この世でたった一人の身内だもの。いくら私が望まぬ結婚を強いられたとはいえ、お兄様がお守りくださらなかったら私の命はとっくに尽きていたでしょうし、嫌いにもなりきれないわ。お側にはいられなくとも、ご結婚の暁には何らかの形でお祝いの品をお贈りするつもりよ。――ごめんなさい、こんな話をして。今はあなたとの時間を楽しむべきなのに」
 少し寂しそうに笑ったモニカに、エレンはううん、と首を横に振った。そして、
「全然大丈夫よ。あたしたち、友達でしょ? なら、何でも話してよ。誰かに話すことでいくらかすっきりすることだってあるし、遠慮しなくていいのよ」
「エレン……」
 花火の光が見つめ合う二人の顔を照らし、ムードも最高潮。わずかに目を潤ませたモニカはかたわらに立つエレンにぴたりと寄り添うと、その手をきゅっと握った。エレンは再びの手繋ぎにぎょっとしたものの、モニカの立場を思うと無理もないかと、彼女の手をしっかりと握り返す。
「……ありがとう。あなたが一緒にいてくれて、本当に良かった。私、もっと――」
「あれ? エレン? ……と、モニカ……様?」
 モニカの声と、背後から聞こえた若い男の声が重なった。エレンとモニカが振り返ると、そこには目を丸くして立っているユリアンの姿。彼は女二人が寄り添って手を繋いでいるのを見てさらに目を見開き、思ったことをそのまま口にする。
「い、いつの間にそんな仲に!? もしかしてオレ、お邪魔だったりして……?」
 エレンがモニカを見、モニカがエレンを見た。二人はニッと笑って頷き合い、ユリアンににっこりと微笑んでみせる。
「そうね。間違いなく、あんたがお邪魔虫ね」
「ごめんなさいね、ユリアン。いくらあなたであろうと、私たちの仲は引き裂けないわ」
「えっ、ええっ……」
 少し離れていた間に、好きな女性と守るべきお姫様の仲が進展していました。……ってなんかオレ、二人ともにフラれたみたいになってないか? なのになんでこんなにドキドキしてるんだ。そんなナレーションが、ユリアンの頭の中に流れた。

「……で? なんでついてくるのよ?」
 エレンの問いに、女子二人の後ろを歩くユリアンが真面目な顔で答える。
「二人とも、少しは周りの目を気にしろって。すれ違う男共が、揃いも揃って鼻息が荒いんだ。だからオレが牽制してる」
「守ってくれているのね。ありがとう、ユリアン。サラ様とトーマス様は一緒ではないの?」
 モニカからも問われて、ユリアンは苦笑いを浮かべる。
「それが……サラはタチアナに誘われて、あっという間にいなくなってしまって。オレがここに来る途中に見かけた時はあの少年も一緒の三人でりんご飴を食べてたから、同年代でうまくやってる感じでしたね。で、トムはフルブライトさんとどこかに消えました。結果、オレは一人ぼっちになったわけで」
「あらら。それぞれ過ごす相手がいたのね」
「まあ……それは悪いことをしたわね。でも、こうして無事に合流できて良かったわ」
「無事? かえって居心地が悪い気がするんですけど……」
 そう言ってる間にも、ほら、またイチャイチャし出した。今のオレって、俗に言う『百合の間に挟まる男』状態じゃないか。……いやいや、二人の邪魔をしてはいけない。オレはただのボディーガード。男として、無心で女子二人を守るんだ――ユリアンの葛藤と決意とは裏腹に、エレンとモニカは手を繋いだままどんどん前へと進んで行く。
 そんな中、ひたすら〝無〟の表情で歩いているユリアンを遠くから目撃したトーマスが瞬時に状況を理解し、エレンとモニカの距離の近さにやや驚きながらも、二歳年下の親友に心から同情したのだった。
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