それぞれの門出

 「新しく生まれ変わったこの世界を改めて見て回りたいんだ」と、トーマスは言った。
 「船を下りてからすぐに姿を消してしまった『彼』を捜したいの」と、サラは言った。
 せっかく全員揃ってシノン村へと帰ってきたというのに、彼らは再び旅に出ると言う。また四人で以前と変わらぬ日々を送るつもりであったユリアンとエレンは唖然としたものの、まったく予想外というわけでもなかった。
 トーマスは商人として大成し、シノンのような辺境の小さな村に閉じこもっていていい人間ではなくなった。
 サラは彼女自身と同じ『宿命の子』である名も無き少年を常に気にかけていたので、孤独な彼に手を差し伸べたいと思うのは当然のことだろう。
「……そっか、寂しくなるな。二人で一緒に旅をするのか?」
 ユリアンがくと、
「ううん。ピドナまでは一緒に行くけど、そこからは。トムの邪魔をしたら悪いし」
 とサラが答え、続けてトーマスも口を開く。
「別にいいのに……と言いたいところだが、オレは大叔父さんたちに挨拶した後、しばらくウィルミントンのフルブライトさんの所に滞在することになるから、残念だけどサラとはピドナで別れることになる。オレのほうこそ、こちらの都合でサラを振り回すわけにはいかないからな」
「ちょっと待って、サラを一人にするつもり? アビスの魔物はいなくなったとはいえ、モンスター自体が消えたわけじゃないのよ。世界の造りが変わったことで、どこにどんなモンスターが潜んでいるかも分からないんだし……」
 トーマスの話でサラがピドナ以降は一人旅だと知ったエレンが、たまらず口を挟んだ。だが当のサラは、凛とした表情で姉を見上げる。
「お姉ちゃん。私だってたくさん戦って経験を積んだ戦士だし、なんといってもこの世界を新しい形で再生した『宿命の子』の一人なのよ? いざとなったら今までお世話になったことがある人たちにも協力を頼むから、私は大丈夫」
「――だってさ。すっかりたくましくなったな、サラ。オレも、今のサラなら大丈夫だと思うぜ」
「あんたは余計な口を挟まないで! サラはあたしのたった一人の妹なのよ。せっかくアビスから帰って来れたのに、またあたしのそばからいなくなるなんて……旅先でもしものことがあったらどうするの。『宿命の子』だから大丈夫だなんて、どうして言えるの? むしろ『宿命の子』だからこそ、人一倍用心しなきゃいけないでしょう。それでもどうしても行くっていうのなら、あたしも……」
 思わず身を乗り出したエレンへ、サラは首を横に振った。そして、
「それはダメ。お姉ちゃんとユリアンまで巻き込むわけにはいかないわ。それに、私やトムがいないほうが……ううん、これは言わないほうがいいかな」
 サラがちらりと悪戯っぽい視線を寄越してきたことにユリアンは一瞬目を丸くしたが、彼女が以前呟いていた言葉を思い出して、わずかに頬を赤らめた。対してエレンは今の言葉とユリアンへの視線の意味にまったく気付いておらず、「いないほうが、何よ?」と眉間に皺を寄せながら首を傾げている。トーマスはもちろん気付いており、苦笑いだ。
「じゃあ、そろそろ行こうか。出発は明るいうちのほうがいい。昔からユリアンとエレンは村の開拓のかなめなんだ、二人で力を合わせて、今以上にシノンを盛り上げてくれよ?」
「ああ、こっちは任せてくれ。土産話はもちろん、土産自体も楽しみにしてるよ。気を付けてな!」
「……」
「ほら、エレンも。こういう時は笑顔で見送るもんだぞ。何もこれが今生の別れってわけじゃないんだからさ」
 もう、サラとトーマスの旅立ちは止められない。妙に晴れやかな表情のユリアンが少し気になったが、エレンも渋々現実を受け入れ、ひと呼吸置いた後に別れの言葉を口にする。
「……『あの子』を見つけたら、すぐに連れて帰って来るのよ。周りの連中が何を言っても、あたしは受け入れるわ。見た目によらず力が強いから、いい働き手にもなりそうだしね。――それじゃ、行ってらっしゃい」
「ああ。行ってくるよ」
「うん。行ってきます!」
 トーマスが事前に手配していたのか、彼とサラは村の入口に待機させていた二頭の馬にそれぞれ軽やかにまたがると、馬上で振り返って手を振ってからしっかりと前を向き、馬蹄の音を響かせながら遠ざかって行った。そんな彼らとの別れを惜しむように、ユリアンとエレンは親友と妹の姿が見えなくなるまで、その場に佇んでいた。

「……はあ……何もこんなにすぐに旅に出なくたっていいじゃない……」
 深い溜め息を吐いたエレンへ、ユリアンが慰めるように声を掛ける。
「あれだけ世界を駆け回ったんだ。超一流の商人になったトムはもちろん、元々好奇心が旺盛なサラも、一つの所にじっとしていられなくなったんだろう。オレもまたふらっと旅に出て、適当な所で帰ってくることにしても良かったんだけどさ」
「あんたまでそんなことを考えてたの?」
「考えはしたよ。でも……」
 不意にユリアンが、エレンをじっと見つめた。二人の間に流れていた和やかな空気が、徐々に変わり始める。
「オレまで旅に出たら、エレンが一人ぼっちになっちまうだろ。オレたちの中で誰よりもシノンに帰りたがってたエレンを、オレの旅に付き合わせることなんてできないし。だから、オレも残ることにしたんだ。それに――」
 いつにない空気にやや戸惑い気味のエレンと真正面から向かい合い、ユリアンは、真剣な表情で続けた。
「旅を終えてシノンに帰ったらどうしたいか、もう決めてたんだ。――エレン、これからもずっと一緒にいてほしい。今までだってそうだったけど、そうじゃなくて――子供の頃にやってたごっこ遊びじゃなくて、オレの本当のお嫁さんになってほしい」
「!」
 驚きに目を見開いたエレンから、ユリアンは目を逸らさない。先に沈黙を破ったのはエレンだったが、その声はわずかに震えている。
「……いつも言ってるでしょう。今更あんたと恋人とか、そういうのにはなれない、って。あたしなんかより、モニカ様の所に行ってあげなさいよ。モニカ様のほうが、よっぽど……」
「それこそオレはモニカ様と恋人とか、そういうのにはなれない。プリンセスガードを引き受けたのだってオレ自身の成長のためで、断じて下心があったわけじゃない。あの人は護るべき人であって、恋愛対象じゃないんだ。……実を言うと、告白はされたよ。ずっと一緒にいたい、って。でも、丁重にお断りした。そもそも王宮暮らしなんて合わないから、どっちにしろシノンに戻ってくるつもりだったし」
「……」
「オレたちの仲を気にしてたサラも独り立ちしたから、プロポーズするなら今しかないと思ったんだ。……どうしても、ダメか?」
 ユリアンの問いに、エレンは目を閉じて浅い呼吸を繰り返した。様々な言葉が頭の中を駆け巡るが、ここはやはり、いつもどおりの自分で行こう。そう決めると顔を上げて、ユリアンを見据える。
「……そうね。今度の腕相撲大会であたしに10回連続で勝ったら考えてあげてもいいわ」
「10回連続!? そんな無茶な……」
「女のあたしに勝てないような頼りない男じゃ、旦那にはできないわ。そもそもあんた、今までの大会で一度もあたしに勝ったことないじゃない。だから、一生かかっても無理かもね」
「くっ……オレだって……オレだって、旅の中で身も心も鍛えたんだぞ。今のオレなら10回中5回くらいは……!」
「10回連続って言ったでしょ。それ以外は認めません。――さっさと村に戻るわよ。旅に出てた分、やるべきことが山ほど溜まってるんだから」
 そう言って背を向けたエレンの耳が赤いように見えるのは、吹き抜ける冷たい風で冷えたせいだろうか。「考えてあげてもいい」という言葉にほのかな期待を抱きつつも、彼女に腕相撲で10回連続で勝たなければならないという無理難題に、ユリアンは文字通り頭を抱えたのだった。

 その後彼らがどうなったのかは、神のみぞ知る。
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