Happy Valentine’s Day!

 ランス地方、ランスの町の宿屋にて――
 ふと目を覚ましたエレンは、隣のベッドで眠っていたはずのサラの気配がないことに気付いた。勢いよく起き上がって毛布を捲ったが、当然そこはもぬけの殻。すぐさまシーツに手を当てたものの、抜け出して時間が経っているのか、温もりは感じられない。
 旅をするようになってから、何より四魔貴族を倒しアビスゲートを閉じてから、ときおり様子がおかしい時はあったが。壁に立てかけてあった斧を手にすると、エレンは髪も結わずに部屋を飛び出した。

(サラ……サラ! どこへ行ったの!?)
 半狂乱になって階段を駆け下りた途端、深夜だというのにある扉から光が漏れていることに気付いた。そして中からは、聞き覚えのある女性の話し声。つい最近ユリアンと共に仲間になったモニカと――他ならぬ、サラの声だ! 無事だったことにひとまず安堵したが、二人でいったい何をしているのだと、エレンは迷わず扉を開け放つ。
「えっ!? ……お姉ちゃん!」
「まあ、エレン様! 斧は下ろしになって。……ふふ、ばれてしまったわ」
「サラに、モニカ様……バレたって? こんな真夜中に何をしてるの?」
 エレンの問いに、モニカがふわりと微笑んで答える。
「夕食後に、皆で美味しいアップルパイをいただいたでしょう? あれは、この宿のご主人の奥様が作ってくださったものなのですって。それでサラ様が、『私もシノンにいた頃はよくお菓子を作っていたんです』と、少し寂しそうにおっしゃって。すると奥様が『今夜で良ければキッチンを貸してあげるから、何か作ってお仲間さんに振る舞ってあげたら?』と。それを聞いたサラ様は慌てて辞退されかけましたが、代わりに私が強く希望したのです。またとない機会ですから、私もサラ様のお手伝いがしたくて」
「……前から思ってたけど、モニカ様っておしとやかそうに見えて結構押しが強……ゴホン! それで? 何を作ってるんです?」
 再びのエレンの問いには、サラが先に口を開いた。
「ここであまり凝ったものは作れないから、比較的簡単なブラウニーを作ってるの。今はたくさんチョコレートが出回ってる時期だから、買っても良かったんだけど。でも長い間自分で作らなかったら、腕が鈍っちゃうと思って」
「あ~、そういえばそんな時期だっけ。『乙女の祭典』とかいうヤツ? チョコが選び放題なら、良さげなのを見繕って買ったほうが早いじゃない」
「すごくお姉ちゃんらしい意見ね。それでも私は自分で作りたいの。料理作り、お菓子作りが好きだから」
「あんたって、昔からそういうの好きだったもんね。あたしはめんどくさくて無理。これは生まれ持った性格だから、変えようがないわ」
「うん、知ってる。だからお姉ちゃんにまで手伝ってほしいなんて言わないよ。でもせっかく来たんだし、見学と味見くらいはして行く?」
 サラのさりげない気遣いに、ようやく髪を束ね始めたエレンは「そうね。じゃあそうするわ」と頷いた。一人部屋に帰ってベッドに潜ったところで二人のことが気になって眠れないだろうし、深夜の女子会で自分だけハブられたのがなんとなく気に入らない。そんなエレンとサラの〝素〟のやりとりを見守っていたモニカが、ふふふ、と上品に笑う。
「お二人は、本当に仲が良いのですね」
「そりゃあ同じ家で一緒に育った実の姉妹ですから。でもちょっと前にケンカして、離ればなれになったことがあるんですよ? そう経たないうちに再会して謝り合って、今はこのとおりですけど」
「まあ、そんなことが。てっきりあの旅からずっと一緒だったのだと思っていたわ」
「あたしたちがケンカ別れしたのを見てたのは、トムとハリードだけなんで。ユリアンにも言ってませんし」
「ユリアンも、きっと驚くでしょうね。……それにしても、羨ましいわ。私も以前まではできる限りお兄様をおそばでお支えしようと思っていたのに、今は……」
「モニカ様……」
 暗い顔で俯いたモニカを、エレンとサラが心配そうに見つめる。
 モニカがユリアンと共にロアーヌを離れた経緯は、皆知っていた。ただでさえ評判の良くないツヴァイク公、そんな彼にさらに輪をかけたバカ者と噂されている息子に嫁ぐことをモニカは兄であるミカエルに命じられ、一度はロアーヌ侯家に生まれた者の定めだと諦めかけたが、ユリアンが真剣な表情でおのれを案じてくれたことで、初めて兄への反抗心や自立心のようなものが芽生えた。自分の身分を考えれば決して許されることではないけれど、それでも私は、望まぬ宿命に抗いたい。何より王宮の外から入ってきた人間であるユリアンが一緒ならば、私がずっと夢見ていた生き方ができるかもしれない――だからモニカはユリアンの手を取り、自分の結婚話で湧く王宮から逃げ出した。
 そんな二人が頼ったのが、ピドナのトーマスのはとこの家。トーマスは驚き、当然二人の行動をたしなめたが、モニカとユリアンの必死の弁明に、そしてトーマスと共にいたサラの説得によって、不承不承彼らを受け入れることにした。それから間もなくトーマスの仕事の都合でランスへと赴くことになり、エレンやハリードとも再会・合流して現在に至る、というわけだ。
 己の一言が原因でしん、と静まり返ってしまったその場の空気を変えるように、モニカは顔を上げて無理に笑ってみせた。ユリアンの助けがあったとはいえ、自身が選んだ道なのだ。弱気になってはいけない。
「……ごめんなさい、つい。私自身がお兄様の元から離れることを決めたのだから、いつまでもくよくよしていてはいけませんね。楽しい場なのですから、何か明るい話をしましょう」
「それもそうですね。……で? それ、あとどのくらいで出来上がるの?」
 エレンが尋ねるとサラがハッと我に返り、あわあわと作業を再開した。ボウルに入っていた液状チョコレートを型に流し込み、ヘラで均一にならした後に、テーブルに型の底部分を打ち付けて表面をならす。
「えっとね、これから冷凍ベリーを生地の上に並べて、オーブンで25分くらい焼くの。だから、もうちょっとかかるね」
「25分? 長いわね。……そうだ、洗い物でもするわ。家でもやってたし」
「そんな、エレン様。それくらいは私が……」
「水仕事は手が荒れます。いくら王宮を離れたと言ってもあなたはお姫様なんですから、お肌は大事にしてください。サラを手伝いたいんでしょう?」
「エレン様……ありがとうございます。ならばお言葉に甘えさせていただきますが、あなたも私とそう年の変わらない女性なのですから、洗い物を終えたらしっかりお肌を労わってくださいね? ではサラ様、よろしくお願いします」
「はい。それでは、一緒にベリーを並べましょう」
 肩を寄せ合って冷凍ベリーを並べているサラとモニカを横目に、エレンはそこそこの量の洗い物をてきぱきと片付けて行った。シノンの実家でも皿洗いは主にあたしの担当だったなと、少し故郷が恋しくなる。
 そしていよいよ、表面に冷凍ベリーが敷き詰められたブラウニーが、オーブンへと入った。ここからは、しばらくすることがない。これ幸いとモニカはエレンとサラに、男子の幼なじみであるユリアンとトーマスのことをどう思っているのか、彼らはどんな人間なのか、彼らとはどういうふうに過ごしてきたのか等、興味津々といった様子でいてきた。やはり特にユリアンのこと、ユリアンとエレンの関係が気になるらしく、エレンが「あいつは本当にただの幼なじみですよ」と苦笑いしても、モニカは引き下がらなかった。ユリアンは絶対にあなたのことを諦めていない、ときおりあなたをじっと見つめている――等々。そう口にした上で、私はユリアンのことをもっと知りたい、私のことももっと知ってほしいと明らかな好意を示し、その流れで勝手にライバル認定されてしまった。やっぱりこのお姫様、ユリアンをよく見てる上にすごくガツガツ来るわね……とエレンは複雑な気持ちになったが、ユリアンを巡る恋の三角関係(?)に無関係であるサラは「モニカ様とお姉ちゃん、どっちが先にユリアンのハートを射止めるのかな」と言って、悪戯っぽく笑った(そんなサラの頬をつねりたくなったが、モニカの手前我慢した)。
 そうこうしているうちに25分経ったらしく、オーブンが軽快な音を立てて調理終了を知らせ、サラは焼き上がったブラウニーを慎重に取り出した。少なくとも、焦げてはいない。竹串を刺してもドロッとした生地がつかないので、生焼けでもない。無事完成だ。
「まあ……とても美味しそうに出来上がりましたね」
「はい。これからこれを型ごと冷まして、冷めたらラップをして、冷蔵庫で一晩寝かせます。出発は明日のお昼過ぎだと聞いているので、カットとラッピングは明日の朝に行います」
 サラの言葉にモニカは「ええ、分かりました」と頷いたが、エレンは「ラッピング」という単語に、とてつもない不安を覚えた。残念ながら細々こまごまとした作業は不得意な上、何かを可愛らしく飾ることも苦手だ。だからそういうことはユリアンが言うところの「女子力」が高い二人に任せておこう、そうしよう。と心に決めて、自らは味見係に徹することにした。何事にも向き不向き、役割分担というものがあるのだ。

 ブラウニーが冷めてから全員で味見をし、予想していたとおりの味に仕上がっていたのを確認した後、深夜の女子会はお開きになった。別室のモニカと別れ、サラと共に部屋へと戻ってきたエレンは、ドアを閉めるなり大きな欠伸あくびをする。
「ふあ~……こんなに夜更かししたの、久しぶりだわ。そりゃそうよね、元々寝てたんだもの」
「まさかお姉ちゃんが来るとは思ってなかったからびっくりしたわ。お菓子作りには興味がないだろうって、敢えて誘わなかったの」
「だからって、黙っていなくならないで。あんたの身に何かあったんじゃないかって、物凄く心配したのよ」
「……ごめんなさい。これからは、気を付けるわ」
 しゅん、と項垂れるサラの細い体を、エレンはそっと抱き寄せた。子供扱いはやめなければと思っても、サラがいつどうなるか分からない『宿命の子』であるがゆえに、つい体が動いてしまう。サラもそんな姉の心境を察してか、嫌がったりはせずおとなしく身を任せることにした。

 翌朝。
 六人で朝食を終えた後、サラはモニカとエレン、そして男性陣の協力者であるトーマスと素早く目配せした。それを受けてトーマスは、ユリアンとハリードに「少し手伝ってほしいことがあるから一緒に来てくれないか。男手が必要なんだ」と言って、外へと出て行った。その場には昨夜同様、女子三人だけになる。
「ふふ、やはりトーマス様だけは知っていらっしゃるのですね」
「誰かには知らせておかないと、全員にバレちゃいますから。それならやっぱりトムにお願いしたほうがいいかなって。こんな時期ですし、ユリアンもハリードも薄々勘付いちゃってるかもですが」
「そうだとしても、女性からの贈り物なのです。きっと喜んでくださるでしょう。今日はカットとラッピング、でしたね?」
「はい。なるべく早く終わらせましょう」
「ねえ、ちょっと待って」
 微笑み合ってキッチンへと向かうサラとモニカを、エレンが慌てて呼び止めた。何事かと目を丸くして振り返った10代女子組に、エレンは続ける。
「どうしたの? お姉ちゃん」
「男手が必要だ、ってことは、おそらく力仕事よね? それならあたしは、男連中についていったほうが良かったと思うんだけど」
「う、うーん……ええと、そういうことじゃなくて……」
「あら。エレン様はいらっしゃらないのですか?」
「いや~……だって今日は、カットとラッピングだけなんでしょ? あたしは味見と見学のみって約束だし。なら、トムの手伝いのほうがよっぽど……」
 姉の言わんとしていることは分かるが、サラがどう返答したものか悩んでいると、モニカが姉妹の間に割って入った。その表情は、いたって真面目だ。
「駄目です! せっかくエレン様もメンバーに加わったのですから、やはり最後までお付き合いいただかなければ。完成したブラウニーを可愛らしく、つ想いを込めて包んで、皆で殿方に差し上げましょう」
「だから、そのー……あたし、可愛らしくも上手くもできないから……」
「上手い下手は関係ありません。多少見た目が悪くとも、それも味です。あなたが頑張って包んでくれた、そのことを殿方は喜んでくださるのですよ」
 やはりこの姫、妙に押しが強い。モニカの説得を邪険にするわけにもいかず、エレンは、渋々ながら最後まで付き合うことにした。

 それから、約30分後――
 倉庫の前で町の外から運び込まれた荷物の仕分けをしていた男性陣の元に、サラたちがやってきた。サラはまず手前にいたトーマスに小声で「ありがとう」と礼を言い、トーマスも「どういたしまして」と小声で返す。
「もう切り上げても大丈夫かい?」
「うん、大丈夫。全部終わったから」
「そうか、お疲れ様。それじゃ、ユリアンとハリードにも声を掛けるよ」
 そう言ってトーマスがまだ女子たちに気付いていないユリアンとハリードを呼び戻し、倉庫の仕分け作業を切り上げた。戻ってきたユリアンとハリードは、勢揃いしている女子組を見て首を傾げ、彼女たちが何かを後ろ手に隠していることに気が付く。
「? どうしたんだ?」
「……何を隠している?」
「みんな、お仕事お疲れ様。今日は私たち女子から、ちょっとしたプレゼントがあるの」
「日頃からお世話になっている皆様に、真心を込めて」
 サラとモニカの言葉の後に、エレンを含めた女子三人は、男性陣へ一斉に小さな箱を差し出した。モニカの采配でトーマスにはサラから、ユリアンにはエレンから、ハリードにはモニカから小箱が贈られる(エレンはハリードでいいと言い張ったが、モニカがそれを許さなかった)。
「みんなで作ってくれたんだな。ありがとう。大事に食べるよ」
「まさか、モニカ姫からの贈り物とは。これは心していただかなければなるまい」
「えっ……ええっ? コレ、お菓子だよな? まさか、手作り? ……エレンが? オレに?」
「あたしは包んだだけよ! 作るのには一切関わってないから! 変な勘違いしないで!」
「まあ、エレン様。そこは嘘でもいいから『ユリアンのために作った』とおっしゃるべきでしょう」
「それ、フォローになってるのかなってないのか分からないわよ!」
「ははは、なるほどそのガタガタな包み方はいかにもお前らしいな。だが、それでも嬉しいもんは嬉しいんだろう? なあ、ユリアン」
「あ、ああ、もちろん! このいかにも雑で不器用なところも含めてのエレンだから……」
「二人とも、ぶっ飛ばされたいの!?」
 両拳を握ってキレまくるエレンを、サラとトーマスが二人がかりで押さえつける。それでも心底嬉しそうに小箱を見つめているユリアンを見て、ようやくエレンも握り締めた拳を解き、やがて照れ臭そうに顔を背けたのだった。

~ Happy Valentine’s Day!~
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