早起きは三文の徳

「よう、トーマス。こんな朝早くからご苦労なこったな」
 突如背後から聞こえた声に、誰よりも早起きをして準備をしていたトーマスが、驚いて振り返った。普段ならば、仲間たちはまだ眠っている時間。まさか他にも起きている者がいるとは思わなかったのだ。
「……ハリード? 今日は早起きだな」
「まあな。今回みたいな野宿の時は、どうしたって眠りが浅くなる。傭兵をやってた頃は、何度か寝首を掻かれかけたしな。全員返り討ちにしてやったが」
「凄まじい経験をしているんだな……無事で何より。だがオレたちの中に、君に危害を加えようとする人間はいないよ。皆、君を頼りにしている。オレも含めてね」
 そう言ってトーマスは、朝の準備を再開した。てきぱきと動く青年の姿を見て、ハリードは、きっと故郷のシノン村にいた頃からこうだったのだろうと想像する。
「……」
 この青年は、よくやっている。性格は真面目で思慮深く、知識も豊富。シノンの若者たちいわく料理が非常にうまく、自分たちは彼の手料理を食べて育ったようなものだと、口々に言っていた。さらにごく基礎レベルではあるが様々な戦い方を身に付けており、若くしてこんな非の打ち所がない人間がいるのかと、出会ったばかりの頃はひどく感心したものだ。
 だが最近、ハリードは気付き始めていた。幼なじみたちには頼もしく応じるが、ふとした瞬間に溜め息を吐いて、ぼんやりと遠くを見つめていることを。戦闘では武器の扱い方こそ上手いが、いざ攻撃となると軸がぶれやすく、相手に大したダメージを与えられない。敵からの特殊攻撃にも弱く、混乱した彼が放った技や術によって全滅の危機に陥ったことすらあった。つまり意外と不器用で、仲間のサポートが必須なのだ。
 メッサーナの名族・ベント家に生まれた者として祖父から色々仕込まれたようだが、どうにも詰め込み過ぎというか、周囲が本人の能力以上に期待し過ぎている気がする。そして本人もそれに懸命に応えようとし、ときおり無理をしているように見える――。
(おそらくあいつは弱音を吐くことが許されない環境で育った上、人に甘えることをろくに知らない。いい機会だ、たまにはガス抜きさせてやるか)
 幸い彼の幼なじみたちはぐっすり眠っていて、起きてくる気配がない。現在のメンバーの最年長者であるハリードは、11歳年下のトーマスに世話を焼くことにした。

「終わったか?」
 ひととおりの作業を終えてふう、と満足そうに息を吐いたトーマスの元へ、ハリードが再び近付いてきた。まるで準備が終わるのを待っていたかのような言動に、トーマスは不思議そうに首を傾げる。
「? ああ、とりあえずは。あとはユリアンたちが起きてくるまで、今日の旅のルートや訪問予定の町の情報を確認して……」
「それは、お前だけの仕事じゃない。――来い」
「えっ、何――」
 ハリードはトーマスの腕を掴むと、有無を言わさず歩き出した。まったく訳が分からず、トーマスは半ば引きずられるようにして男についていく。こんなことは初めてで、戸惑うばかりだ。
 歩き始めてしばらく、緩やかな坂を上り、二人は小高い崖の上へとやってきた。眺めはいいが、おのれをこんな所へ連れてきたのは何故なのか。トーマスは、のんびりと眼下を見下ろしているハリードの背中を凝視する。
「いい眺めだ」
「……」
「ふっ、そう警戒するな。オレはただ、お前に少し羽を伸ばさせようと思っただけさ」
「羽を伸ばす?」
 ますます訳が分からない。無言で先を促すトーマスへ、ハリードはニヤリと笑って頷いてみせる。
「おう。あいつらがいちゃあ、ろくに休息なんざできないだろう。……お前は、何から何まで背負い過ぎだ。だから今ここで、わずかな時間ではあるがあいつらの守役から解放してやる。つまり、今のお前は自由だ」
「解放……、自由……?」
 明らかに困惑した表情で、トーマスはハリードを見つめた。突然そう言われても、何をすれば。とでも言いたげなトーマスと並び、ハリードはその背を軽く叩く。
「そうだ。この機会に、何かやってみたいことはないのか?」
「うーん……強いて言えば本が読みたいけど、今は持ち歩いていないから不可能だな。……この場ですぐにできること、か……」
 少し考えた後、トーマスははっと閃いた。――ひとつ、あった。しかも、ハリードが相手ではないとできないことが。
「その顔、何か思いついたようだな」
「ああ。でもここだと崖から転落する危険があるから、平坦で開けた場所に移動したいかな」
「何だ、日頃の鬱憤晴らしに思いきり暴れたくなったか」
「そういうわけではないんだけど。――稽古を、つけてくれないか? ベント家に生まれた男としてひととおりの戦い方は習ったつもりだったんだが、モンスター相手の実戦に、それらがほとんど生かせていなくてね。だから今一度、実戦で通用する動き方を教えてほしいんだ」
 これは予想外だった。だが確かにこの青年には必要なことだろうなと、ハリードは、トーマスの頼みを承諾する。
「分かった。が、本当にいいんだな?」
「もちろん。相応のレッスン代も払うよ。いくら出せばいい?」
「お前を誘い出したのはオレだ。今回は特別にタダにしてやる」
「本当に? じゃあ、お言葉に甘えるとしようかな。……ハリードの得意武器が剣なのは分かっているけど、オレはやっぱり、槍を極めたい。君もオレと同じくロングスピアを持っているから、槍の心得もあるのかと思って」
「槍か。こいつはもしもの時のために持ち歩いているだけで、大したスキルは持っていないんだがな。……まあ、いい。戦場で使ったことがないわけじゃない。教えられることは教えてやる」
「ああ。よろしく頼む」
 いくら槍が補助的な武器とはいえ、数々の修羅場をくぐり抜けてきたベテラン戦士として、辺境の村育ちのお坊ちゃんには負けられない。すらりと立って槍を構えたトーマスから離れて彼と向かい合い、ハリードもまた、勇ましく槍を構えた。

 そんな二人から、少し離れた茂みで――
「いないと思ったら、こんな所で手合わせしてたのか。朝から元気だなぁ」
「あのオヤジ、槍も使えたのね。トムが押されてる。……でも、あんなに楽しそうなトムは久しぶりに見た気がするわ。きっと、トムのほうからオヤジに手合わせをお願いしたのね」
「ほんとトムって、努力の人よね。武器を持って戦うのは実はあまり得意じゃないんだって言ってたけど、トムは飲み込みが早いから、槍の名手になる日もそう遠くはないかもね」
「うーん、オレもハリードに剣を教えてもらおうかな。あのおっさんがめついから、金払えとか言ってきそうだけど」
 草むらに身を隠しながら小声で話すユリアン、エレン、サラの存在には早々に気付いたが、もう少しだけこの時間を楽しみ、動き方を体に覚え込ませたい。ハリードから繰り出される激しい突きの連続に防戦一方になりながらも、額にうっすらと汗を浮かべたトーマスは、攻勢に転じる機会を冷静に窺ったのだった。
1/1ページ