随従の果てに

 プリンセスガードとしての務めを、果たしただけだった。ツヴァイク公子に嫁ぐことになったモニカの護衛を命じられ、ロアーヌ侯国所有の大型船に乗って、目的地のツヴァイクへ。その途中でモンスターに襲われ、二人で戦いなんとか勝利したものの船内に戻ることはできずに、甲板から飛び降りた。
 海へと飛び込む際に繋いだ手は荒れ狂う波によっていとも簡単に引き剥がされ、みるみるうちに彼方へと流されて行くモニカの名を叫んだところで自らも流されて意識を失い、気が付けば、おのれだけがツヴァイクへと流れ着いていた。ずぶ濡れのまま町の中を歩き回ったがモニカの姿はどこにも無く、青年――ユリアンは、途方に暮れる。
(……終わった、何もかも。モニカ様が行方不明になってしまった今、一人でロアーヌに戻ることなんてできない。やっぱりオレには、プリンセスガードなんて大役は荷が重すぎたんだ)
 主君であったミカエルの、護るべき人であったモニカの、そしてロアーヌの酒場で別れた幼なじみたちの顔が思い浮かぶ。エレン、サラ、トーマス。彼らは今、元気でやっているだろうか。やはり三人一緒にいるのだろうか。
 そういえばトーマスは、ピドナへ行くと言っていた。ピドナは、世界最大の都市。人が多く集まる大都市へ行けば、何か手掛かりが得られるかもしれない。たった一人で世界中を闇雲に捜し回るよりは、気心の知れた仲間たちに協力してもらったほうが絶対にいい。
(……情けないよな。変わりたいと思って飛び出したのにこんなことになって、結局また、トムを頼ろうとしてる。モニカ様の消息が分かったらプリンセスガードに戻るつもりではあるけど、みんなの顔を見たら、オレは)
 気分が沈んでいるせいか弱気な思考に支配されたまま港に向かい、ユリアンは、ふらふらと頼りない足取りでピドナ行きの船へと乗り込んだ。

 なるべく目立たぬよう、物陰に身を潜めてうとうととしているうちに船はピドナに到着し、いまだ濡れた服が乾ききっていないユリアンは、列の最後尾について下船した。
 ある程度予想はしていたが、港を出て新市街へとやってきた途端、そのあまりの規模の大きさに圧倒された。ツヴァイクも大きな町だと思ったが、その比ではない。これでは、トーマスたちがいるであろう家を探し当てることも困難だ。
(ピドナに行く、ってことは聞いてたけど、この広い町のどこにいるかまでは、まるで見当がつかないぞ。……どうやって探そう。いくらトムが名家のお坊ちゃんだからって、ここでも有名人とは限らないからなぁ)
 再び途方に暮れながら彷徨さまよい歩いていると、通りの向こうから、誰かが近付いてきた。袋に入った細長いパンと買い物袋を持った、黄色と緑色を基調とした衣服を纏った少女。あれは――サラだ!
「え……えっ? ユリアン!?」
「サラ……」
「やっぱりユリアンだ! どうしたの? なんだか服が濡れてるし、顔色も悪いし……」
「……色々、あったんだ。オレがここに来た経緯いきさつはちゃんと話すから、さっそくで悪いけど、みんながいる所に案内してくれないか?」
 暗い顔で言ったユリアンに、サラは何かを察してすぐに頷いた。そして、
「分かったわ。私についてきて」
 迷いのない足取りで前を行くサラの後に、ユリアンも続いた。

「トム、ちょっといい? 忙しいのにごめんね。今すぐトムに会いたいっていう人を連れて来たの」
 部屋の外から聞こえたサラの声に、書き物をしていたトーマスが顔を上げ、訝しげな表情で椅子から立ち上がった。人見知りのサラ自らが、わざわざ客をここまで連れて来るとは。ロアーヌの酒場でサラと喧嘩別れしたエレンが戻って来たのならば、正体をぼかさず「お姉ちゃんが帰ってきた」と言うだろう。では、いったい何者だ? そんなことを考えながら扉を開けたトーマスは、サラの後ろに立って俯いている黄緑髪の青年を見て、目を見開いた。一瞬、自分の目がおかしくなったかと思ったほどだ。
「……ユリアン。どうしてここに」
「……」
「……ボロボロじゃないか。何か事情がありそうだな。まずはシャワーを浴びて、乾いた服に着替えるといい。話を聞かせてもらうのはその後だ」
「あ、じゃあ私、ユリアンの服を洗濯するね。あとトムが抱えているお仕事も、できそうなことはやっておくから」
「ああ、頼むよサラ。でも、本当にできそうなことだけでいいからね」
「うん。……それじゃ、さっそくバスルームに行こう。まずは体をさっぱりさせないとね」
 サラに連れられてバスルームへと向かうユリアンの後ろ姿を、トーマスは、複雑な気持ちで見送った。

「……もしかして、ちょっと緊張してる? 大丈夫、トムならきっと力になってくれるわ」
「……ん。何から何まで悪いな、サラ。あとでサラにも、きちんと話すから」
「うん。じゃあ、またあとでね」
 シャワーを浴び、用意してもらった服に着替えて再びトーマスの部屋の前へと戻ってきたユリアンは、トーマスの仕事の手伝いをするべく去って行ったサラと手を振り合ってから、ごくりと唾を飲み込んだ。両拳を握り締めて何度か深呼吸を繰り返し、いよいよ覚悟を決めて、扉を叩く。
「……トム。オレだけど」
「ああ、戻ってきたか。入っていいぞ」
 トーマスの声を聞いてから、ユリアンはそっと扉を開けて、部屋の中へと入った。真っ先に目に入ったのは、テーブルの上に置かれている食事。室内に美味しそうな匂いが漂い、よく見れば、己が特に好物とするものも盛り込まれている。
「えっ、これって……」
「その様子だと、ろくに食事も摂っていなかっただろう。まずは食え。話はそれからだ」
 確かに、今にも腹が鳴りそうだ。吸い寄せられるようにトーマスの向かい側に座り、ユリアンは、「いただきます」と軽く両手を合わせるや否や、勢いよく料理を頬張った。ふかふかのパンに温野菜サラダ、コンソメスープにチキンのトマト煮込み――慣れ親しんだ懐かしい味の数々にユリアンの視界が滲み始め、ほどなくして、ぼろぼろと涙が溢れ始める。
「……っく、うぅ……トムの、メシだぁ……」
「はは、泣くほどのことか? 昨夜の作り置きがあって良かったよ。まさかお前に出すことになるとは思わなかったが。……ああ、そんなに急ぐな。よく噛んで食べるんだ」
 トーマスが見守る中、ユリアンは涙を拭いもせずに料理を掻き込み、短時間でそれらを平らげた。泣いていてもいい食べっぷりだったな、よほど飢えていたんだろうなと、トーマスは思う。
「……落ち着いたか?」
「……ああ。やっぱりトムのメシが一番だ。王宮のメシも悪くはなかったけど、食えば食うほどトムのメシを思い出して、寂しくて、シノンが恋しくなって……ダメだな、オレ。全然成長できてない。それでもまったく新しい世界に飛び込めばそれなりにやれると、思ったんだけどな……」
 そう言って俯いたユリアンを、トーマスが静かに見つめる。しばしの沈黙の後、ようやく涙が止まったユリアンは、己とモニカが離ればなれになった経緯をぽつぽつと話し始めた。

「……そうか。そんなことが」
「……」
「話を聞いた限りだと、お前に非はないな。お前はプリンセスガードとしての務めを、立派に果たした。だが、あまりにも状況が悪すぎた。今ロアーヌに戻ったとして、ミカエル様もお前を責めることはなさらないだろう」
「でも、オレだけ戻ることなんてできないよ。きっともう、モニカ様が行方不明になった件は、ロアーヌ中に知れ渡ってる。モニカ様を守りきることができなかったオレは、おそらくロアーヌに立ち入ることすら許されない……」
 弱々しく呟いて肩を落としたユリアンに、トーマスはわずかに身を乗り出し、さとすように言う。
「だからといって、このままずっとロアーヌに戻らないつもりか? それは違うだろう。お前は自分の意思で、プリンセスガードの任を引き受けた。そしてお前は、現在もプリンセスガードだ。ミカエル様から解雇を言い渡されたわけではなく、自ら辞めると宣言したわけでもない。よって今のお前には、事の顛末てんまつを報告する義務がある。いくら最悪な結末になってしまったとはいえ、任務を途中で投げ出してはならない」
「……」
 まったくもって、トーマスの言うとおりだ。ぐうの音も出ないユリアンに、トーマスはふ、と小さく息を吐いて続ける。
「まあ、戻るのが怖いという気持ちは分かる。心無い言葉を浴びせてくる人間がいるかもしれないし、お前の言うように、町に立ち入ることすら許されないかもしれないからな。お前より先にモニカ様が生きて戻られる可能性もあるが」
「……でも生きて戻ったら、結局はまた、ツヴァイクに送られちまうだろ。そんなの、モニカ様がかわいそうだ」
「かわいそう?」
 そう問われた途端、それまで俯き気味だったユリアンがキッと顔を上げ、真剣な表情でトーマスを見つめ返した。そして。
「――モニカ様は、本当は結婚なんてしたくなかったんだよ。これも宿命だって口では言ってたけど、あの時の寂しそうで何もかもを諦めたような顔を見て、オレはひどく後悔したんだ。……結婚の話を聞いた時に、無理にでもモニカ様の本音を聞き出していれば。オレたちとのポドールイまでの旅は一生の思い出だって、目を輝かせて話してくれたモニカ様をロアーヌから連れ出すことができていれば、こんなことにはならなかったんだ!」
「ユリアン、それは……」
「分かってるよ、それが決して簡単じゃないことくらい。もしそんなことをしようものならオレたちは即お尋ね者になって、すぐにどこかで捕まっていただろう。でもモニカ様だってオレとそう年の変わらない、一人の女の子だ。意思のある人間なんだ。大人の都合に振り回されっぱなしのモニカ様を救いたかった、自由にしてやりたかったと思うのは、当然じゃないか」
「……」
 顎に手を当てて何かを考え込むトーマスへ、普段の勢いを取り戻したユリアンは、さらに畳み掛ける。
「モニカ様はきっと、自分の意思でロアーヌに戻ることはない。どこにいるか、それどころか生死すら不明だけど、オレは再会を諦めたくはない。だからトムには、どんなに小さなことでもいいから、今回の件に関する情報を集めてほしいんだ。これだけ大きな町だったら人の出入りも盛んだし、何か知っている人が現れるかもしれない。……オレはトムの言うとおりロアーヌに戻って、ミカエル様に一部始終を報告するよ。どんな処分が下されるか分からないけど、それが今のオレがやらなければならないことだから」
「……分かったよ。できる限りオレも協力すると、約束しよう」
「へへ、ありがとな。やっぱりトムを頼って良かったぜ。久々にトムのメシが食えたし、サラにも会えたし、エレンとは……あれ? そういえば、エレンはどこに行ってるんだ?」
 不思議そうに尋ねるユリアンへ、トーマスは今更か……と溜め息混じりに、
「ロアーヌの酒場で、サラとケンカをしてな。別行動することになったんだ。これはあくまでもオレの予想なんだが、北へ行くと言っていたハリードと一緒にいる可能性が高いかな」
「へえ、珍しいこともある……何だって? ハリードと!?」
「今頃どこで何をしているかまでは知らないんだ、すまんな。エレンのことだから、そのうちここを訪ねてくるかもしれないとは思っているんだが」
「そうじゃなくて! ハリードと一緒にいるかもしれないって! おっさんと二人旅だなんて、いくらエレンでも不用心過ぎるだろ!」
「……何を考えているんだ、お前は」
 はあ、とさらに深い溜め息を吐き出したトーマスへ、ユリアンはエレンの身を心配するあまり、しばらくの間、ぎゃんぎゃんと喚き散らし続けた。

 この日は洗濯した衣服のこともあってトーマスの親戚の家にそのまま泊まり、夕飯を食べながら、またそれぞれの部屋で眠る直前まで、三人で話し込んだ。
 そして、翌朝。綺麗になった衣服を纏い、気力・体力共に回復したユリアンは、ピドナ港からミュルス行きの船に乗り、再びロアーヌへと旅立って行った。
「……ユリアン、大丈夫かな」
「大丈夫さ。今のあいつならば何を言われようとも毅然きぜんとした態度で応じるだろうし、追い返されたとなれば、すぐにここへ戻ってくるだろう。……海で行方知れずになったモニカ様に関する情報収集と、クラウディウス家の令嬢探し。忙しくなるぞ」
 遠ざかって行く船に背を向け、トーマスとサラは、港を後にした。

 一人ロアーヌへ向かったユリアンは、道行く人々から様々な言葉を浴びせられながらも事情を説明してミカエルに謁見し、まずは生きて帰って来たことを労われ、「プリンセスガードとして、全力でモニカを捜す任務に当たれ」との命を受けて、ピドナへと戻ってきた。
 この後トーマスが祖父から与えられたという仕事に協力し、以降は仲間たちと共に世界中を駆け巡ることになるわけだが、ユリアン以外の生存者がいなかったせいか事件の詳細を知る者は現れず、またモニカの目撃情報も、ついぞ得られなかったのだった。
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