心の深淵

 これは魔王がつくり出した、偽りの世界。有り得ないものだと分かっているのに、目が離せない。
「お兄ちゃん、あたしも自警団に入れて! 一つしか違わないサラ姉ちゃんだって入ってるんだから、そろそろいいでしょ?」
「うーん……でもお前は、無鉄砲だからなぁ」
「誰に似たと思ってるのよ。お兄ちゃんこそ、いつも真っ先に突っ走ってるでしょ。エレン姉ちゃんにも鍛えてもらったし、トムにぃだってあたしの成長を喜んでくれてるのよ」
 黄緑髪に赤い瞳の少女が、考え込むおのれに向かって懇願している。――己を兄と呼ぶ彼女は、死食によって、生まれてすぐに命を落とした名も無き妹。成長を見守り、共に生きることの叶わなかった妹の、幻の姿。
「ユリアン! 惑わされちゃダメよ! あんたの妹は――」
「ユリアン、ダメ! それはただの幻よ!」
「ユリアン、しっかりしろ! 戻ってこい!」
 現実の仲間たちの呼び声は、今のユリアンの耳には届かない。目の前で妹がころころと表情を変え、己が、仲間たちが、そんな彼女を囲んで笑っている。理想の光景を前に瞳から光が消え、甘い夢に溺れて行くユリアンに、幻影を生み出している魔王がほくそ笑んだ。
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