シノンの丘の上で

「……あら? あいつがいないわね」
 待ち合わせの時間になっても、ユリアンが現れない。エレンが同い年の青年の家がある方向を見つめ、サラとトーマスも、それにならう。
「もしかして、お寝坊さんかな?」
「かもしれないな。それか、急用でも入ったか」
「理由が何であっても、来ないならこっちから迎えに行くだけよ。行くわよ」
 「行くわよ」という言葉を口にしたと同時に迷わずユリアンの家へと向かって歩いて行くエレンの後ろに、サラとトーマスも続く。そして、
「……ふふ。お姉ちゃんったら、やっぱりユリアンが一緒じゃなきゃ嫌なんだね」
「あの二人はなんだかんだ言って、子供の頃からいつも一緒にいたからな。エレンから見たらユリアンは、弟分で相棒みたいなものなんだろう。まあ、ユリアンはそのポジションにあまり満足していないようだが」
「ユリアン、かわいそう」
「ちょっと、二人とも! 聞こえてるわよ!」
 小声で話していたにもかかわらず耳ざとく聞きつけたエレンが、妹と年長の青年のひそひそ話を大声で遮った。

 エレンたちがノール家を訪ねると、どたどたと慌ただしい音が聞こえた直後に扉が開き、黄緑髪の青年が姿を現した。――だが。
「みんな、悪い! もう少し待っててくれ!」
 拝むように両手を合わせたユリアンの髪はまったくセットされておらず、いつものような逆毛ではなかった。髪を下ろした状態のまるで別人のような彼に三人は呆気に取られ、再び家の中へと戻って行ってしまったユリアンを、無言で見送る。
「……誰?」
「誰って、ここはノール家だし、あの声と喋り方は間違いなくユリアンだろう。……しかし、髪を下ろしている姿は久しぶりに見たな」
「あたしも。今のあいつが髪を下ろしたらあんな感じなのね……って、やっぱり寝坊したんじゃない! あとで殴る!」
「暴力はダメだよ、お姉ちゃん! ユリアンはいつも色々と頑張ってくれてるんだから、殴るのはやめよう。ね?」
「せめて、荷物持ち係にしておこう。ユリアンだって人間だ、たまには寝坊くらいするさ。サラの言うとおり、あいつはいつもオレたちの先頭に立って頑張ってくれているんだから」
 サラとトーマスになだめられて、エレンは握っていた拳を下ろす。三人が家の前で待っている間にも洗面所の辺りからは何かを落とす音と悲鳴が聞こえ、賑やかなことこの上なかった。
 いつもの髪型のユリアンが家から出てきたのは数十分後で、そんなユリアンを殴りはしなかったものの、エレンは無言で自分とサラが持っていた荷物を突き出した。手ぶらで先頭を行くエレンと「ごめんねユリアン」と小声で謝りながらも姉同様手ぶらになったサラ、姉妹の荷物をおとなしく両手に持ってとぼとぼと歩くユリアン、年下の幼なじみたちを見守るように、トーマスが最後に続いた。

 子供の頃から四人の溜まり場だった丘に上り、一本の木の下に着くなり荷物を下ろしたユリアンが、真っ先に座り込んだ。「このくらいでへこたれるなんて情けないわね」と呟くエレンの後ろで、サラは眼下に見えるチル湖の水面が太陽光を受けてきらきらと輝く様に、自らもきらきらと目を輝かせている。
「ここ、相変わらず静かでいい場所だよな。村はもちろん、チル湖も一望できるし」
「村の中の賑わいもいいが、たまにはこういう場所で静かに過ごすのもいいものだ。……ここで遊んだり弁当を食べたりするのは、何度目だろうな」
「ほんとにね。いろんな思い出が詰まってる場所よね。トムが作ったお弁当がどんどんおいしくなっていって、見た目も豪華になって、そのうちサラがマネし出して。よく焦げてぐちゃぐちゃになった卵焼きとか食べさせられたっけ」
 エレンの言葉に、サラが振り返って不満そうに口を尖らせる。
「さ、最初から上手に作れるわけがないでしょう! ……トムだって、初めはそうだったよね?」
「うーん……料理を習いたての頃は何度か細かい失敗を指摘されたけど、だいたいはおじいさまが先に手本を見せてくださったから、大失敗はしたことがない、かな」
「さすがトムだな。そもそも、トムの料理が不味かった記憶がないんだよな。まだシノンの外に出たことはないけど、トムの料理より美味いメシを出す店なんてそうそうないんじゃないかとすら思えるぜ」
「それは買い被り過ぎだ。世界は広い……シノンの外に出れば、いつかオレの料理なんて目じゃないほどの美味いものに出会うだろう。オレはあくまでも素人で、プロの料理人ではないから――」
 突如鳴り響いた、腹の音。ユリアンの腹からだ。三人の視線を浴びて、ユリアンはへへへ、と照れ臭そうに笑う。
「……なんかメシの話をしてたら、急に腹が減ってきてさ。昼時にはまだちょっと早いけど、弁当、食わないか?」
「ちょっとどころじゃないでしょ。……ああ、そっか。寝坊して朝食を食べてないから、余計に空腹なのね」
「正解。……そんな顔しないでくれよ、エレン。反省してるって。今後、同じことがないように気を付けるよ」
「ゴホン! なるべく出来立てを食べたい気持ち、私も分かるよ。温かいものは、なるべく冷たくなりきらないうちに食べたいものね。うん、それじゃ、食べよう!」
「そうだな。じゃあ、食べようか」
 トーマスとサラがそれぞれのバスケットを開けると中には色とりどりの料理が敷き詰められていて、ユリアンはもちろん、エレンも目を輝かせながら弁当を覗き込む。
「……ま、これを見ちゃったらもう少しお預けなんて無理よね。まずは腹ごしらえをしましょうか」
「そうそう。ピクニックの最大の楽しみは、みんなで食べる弁当だろ? さて、それじゃいただきまーす!」
「いただきます」
「いただきます! たくさん食べてね」
「いただきます。……こらユリアン、いくら腹が減っているからといって、食べるのは一つずつにしろ」
 サンドイッチにかぶり付きながらもう片方の手に持ったフォークに刺したウィンナーをも頬張ってリスのように頬を膨らませているユリアンを見て、エレンが呆れ顔になり、サラが吹き出し、トーマスがやれやれと溜め息を吐く。
 子供の頃の思い出話と、時には将来の夢を語り合いながら、四人の若者たちは心地良い風が吹き抜けるシノン村の丘の上で、少し早いランチを存分に楽しんだのだった。
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